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【回次  院名  会議名  号数  開会日付】

 

12 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 6号 昭和26年10月22日

[292]○田嶋(好)委員 十一條につきまして、時間もございませんから、簡單に御質問いたしたいと思います。この十一條によりますと「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し且つ日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。」そのあとの部分「これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、」と、こうなつております。この「これら」の問題をお聞きするのでございます。実は文章が非常にあいまいになつておりまして、もしこの「これら」という言葉が、前の「日本国で拘禁されている」こういうことを受けた言葉であるといたしますれば、赦免、減刑、仮出獄は、日本国で拘禁されておる戦犯のみこの規定が適用される。ところがこの「これら」というものが極東国際軍事裁判所、連合国戦争犯罪法廷において裁判された国内国外を問わざる、こういうことになりますと、現在国外におりまして戰犯者として処遇されておる人たちに対しましても、この赦免、減刑、仮出獄が日本政府の勧告によつて行われる、こういうことになるわけでございますが、この点を御説明願いたい。

[293]○西村(熊)政府委員 第十一條の「これらの」と、いうのは、明文にあります通りに日本内地で服役しておる戰犯諸君についてのみ適用があるわけでございます。そうでありますから田嶋委員が御指摘になりますように、この平和條約が実施になりましたあとにおきましても、国外において服役しておりますわが同胞に対しましては、第十一條後段の利益が及ばないという結果になります。この点はこの第十一條につきまして日本政府の意向を開陳する機会を得ましたときに、るる陳情いたしてございます。そうして日本国民といたしましては、この平和條約が効力が発生するまでに、内地服役というものが実現いたしますように関係連合国に対して懇請いたしておる次第であります。米国政府といたしましても、その日本側の感じはよくわかるという話でございました。

 

12 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 5号 昭和26年10月29日

[002]○平林太一君 質疑に先立ちまして、本條約に関連をいたします事柄といたしまして、一言申述べておきたいと存じます。

 今次大戰において祖国のためにみずからの身命を捧げられた人々、即ち戰争犠牲者の処置についてであります。終戰以来六年を経過いたしまして、今や我が国が主権を回復し、世界平和を念願する国際社会の一員として返り咲く日を目前にいたしまして、我々国民のすべての胸中を去来いたしますものは、これら痛ましき同胞への限りなき感慨であります。私はこの際戰争犠牲者及びその遺族に対する援護について強力万全の措置を講ずるため、政府に対し格段の努力を切望するものであります。願くは今日只今吉田総理みずから仁愛溢るる救助の花束をこれら無名戰士の墓前に捧ぐることこそ、誠に時宜を得たるの一事と信じ、あえて一言を述べまして総理の御所懐を承わりたいと思うのであります。

[003]○国務大臣(吉田茂君) お答え申上げます。戰争犠牲者に対しては、従来軍国主義とか、或いは国家主義に対して国民に十分の反省を促すというような意味合もあつたでありましよう、総司令部のと言いますか、連合国の方針として、戰争犠牲者に対する取扱は我々から考えて見て甚だ苛酷と考えられた点が少くなかつたのであります。当時いろいろ話もいたしたのでありますが、空気が今までのような空気で、余りこれを庇護いたすと、日本においてまだ軍国主義擁護という空気があるような感じを與えて、全局から考えて余りいい結果を生じない。その影響は甚だ面白くないという感じがいたしたので、甚だ不本意でありましたが、戰争犠牲者に対する手当、取扱等については、我々から考えて見て甚だ遺憾な点が少くなかつたのであります。併しこれは国家のために犠牲になつたその人及びその家族に対して、国家が十分な取扱をするということは、愛国心、公に奉ずるという気持を養成する上から言つて見ても大事なことでありますから、財政の許す限り適当な処置を講じたい、たしか本年度でありますか、補正予算等に調査費を幾らか組んだはずであります。この点は大蔵大臣にお聞きを願いたいと思いますが、適当な措置をいたしたい、こう考えております。

 

13 参議院 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 1号 昭和26年12月12日

[304]○中山福藏君 吉村さんに一つお尋ねしておきますが、私いつも不思議に考えていることが一つある。それはA級戦犯者として検挙せられた者の中で、或いは死刑となり或いは無期懲役となり、或いは有期懲役の、極めて重いものに処せられておる人が多いのですが、ところがそのA級戦犯者でありながら、三年ばかり収容されておつた後に、五、六名の人が起訴猶予か何かという名目、或いは起訴する必要がないのだというマッカーサー元帥の命令によつて釈放されましたね、一部の人が……。

[305]○参考人(吉村又三郎君) 裁判前でございますね。

[306]○中山福藏君 ええ、裁判前、而もA級戦犯というような銘を打たれた立場にあつた人がございましたね。御存じですか。

[307]○参考人(吉村又三郎君) 容疑者でしよう。

[308]○中山福藏君 容疑者です。その容疑は何ですか、証拠不十分という立場で釈放されたものか、或いは証拠はあつたけれども、先ず客観情勢の異同によつてこれを処罰する必要はないという意味で釈放されたのか、どちらですか。あれは御存じありませんか。

[309]○参考人(吉村又三郎君) その点なかなか究明して置く必要のある非常に重要な問題で、勿論私としても、政府としても関心は持つておりますけれども、事実正直のところを申しましてわからないのであります。

[340]○鬼丸義齊君 今この占領治下において減刑するとか釈放するとかいうような権限は司令官にあるのですか。各国にあるのですか。裁判を言渡した国が持つておるのか、司令官がやるのですか。

[341]○参考人(吉村又三郎君) 裁判を行なつた国が持つております。だから米国関係の裁判は米国、オランダ関係はオランダ、各国が持つておりまして、そうして減刑の権限はその国々によつて権限ある機関が違つて来ると思います。それで、この数日、もう一週間くらいになりますが、発表しました、フランス政府が、十六名の無期の判決を受けて現在巣鴨にいる者を、一番短い者は五年、一番重い者で十五年に減刑をするという通告をして参りましたが、あれはフランス大統領が大統領令を出しまして、大統領の命令で減刑したわけです。

[342]○鬼丸義齊君 そうするというと連合国共通の裁判事務を統制しておるということはないのですな。

 

13 参議院 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 2号 昭和26年12月14日

[001]○委員長(鬼丸義齊君) それでは只今から委員会を開きます。

 本日は、かねて当委員会において決定いたしておりました極東国際裁判並びに連合国の裁判にお立会いになりました清瀬一郎先生、鵜沢先生並びに林先生、高柳先生の四氏より戦争犯罪人に対しまする裁判の審理に関しまする御意見等を承わることになつておりますので、高柳先生だけが何かお差支えがあつてまだ御臨席でありませんが、他の御三方が御出席でありますから、これから直ちに御意見を承わることにいたします。

 ちよつとこの際御三方に御挨拶を簡単にいたしたいと思いまするが、実は平和条約がいよいよ締結されますることになつておりますにつきましては、同条約の第十一条によりまして、発効後、従来極東裁判並びに連合国当局の裁判されました有罪被告に対しまする裁判を、日本国はこれを承認いたしまして、更に日本にありまするこれらの有罪者の刑の執行を日本に課せられることになつておりますことにつきましては、いろいろとそれに関しまする法的処置を如何にするかということについて、当法務委員会において調査をいたすことに相成つております。それにつきましては、やはり御承知の通りに平和条約の第十一条にあります通りに、釈放、仮出獄とか、或いは減刑その他の恩典に関しまする事項につきましては、日本政府からの助言と、更にそれぞれ裁判をいたしました関係国の了解を得なければ、その処置ができないことになつておりますので、かたがたこの際、裁判にお立会いになりました有力なる専門法律家の皆様より、裁判に関しまする実際の面からお気付きになりました事情等を直接お聞かせ願いまして、今後の法的処置に対しまする資料に供したいと思いまするために、非常に御迷惑でありまするけれども、本日参考人として当委員会に御臨席頂いたわけであります。つきましては、どうか御三方よりそれぞれ御関係のありました裁判上の法的御見解並びにそれに対しまする短所長所、或いは事情等について、この際我々に聞かしておくことが必要であるとお考えになりました点等につきまして御意見を聞かして頂きたいと存じます。順を追いまして、清瀬先生、鵜沢先生、林先生の順によりまして、一応それぞれの御見解をこの際お述べを頂くことにいたしたいと思いますから、どうぞよろしくお願いしたいと思います。御着席のままどうか……。

[004]○参考人(清瀬一郎君) その機会を与えて下さつて感謝に堪えません。私の申上げんとする結論は、国際裁判における法律問題は未解決だということなんです。その次第を申上げますと、あの裁判の来歴はこうなつているのです。すでに御承知でありまするが、一九四五年即ち昭和二十年七月二十五日にポツダム宣言が発せられました。その宣言のうちで「吾等ハ」というのは、連合国は、日本民族を奴隷とする考えはないけれども、俘虜の虐待その他の戦争犯罪を犯したものは、これを厳重に処罰するという条項があつて、その条項を日本が承諾した、これだけが起りであります。これがなかつたら戦争犯罪国際裁判というものは、今までの国際法では設定すべきものではないのでありまするから、これを受諾したという一点から国際裁判は起つているのです。引続いて同年の十二月二十六日に連合国がモスコーで外相会議をしております。この連合国外相会議に、国際裁判に関する手続一切を連合国最高司令官即ちマツカーサー元帥に委託するという規定をいたしました。マツカーサーはこの委託に基きまして翌一九四六年即ち昭和二十一年の一月十九日に特別宣言という表題で、極東国際軍事裁判の構成法を規定したのであります。これが世間で言うチヤーターであります。それから翌二月十五日には、裁判官の任命、嘱託を各国に要請しまして、おのおのの国からあの通りの、サー・ウイリアム・ウエツブ以下十一名の裁判官が任命された。更に三月をとんで四月の二十九日に、初めて連合国政府を代表するキーナン検事以下の起訴状が送達されたのであります。この起訴状は、日本全般の予期に反して非常に広汎なものでありました。日本人は太平洋戦争、こちらで言えば大東亜戦争に敗れたから、その戦争に関する犯罪が起訴されるものと思つたところが、いずくんぞ知らん、起訴状には一九二八年の一月一日、一九二八年と言いますと、昭和三年なんです。思いもよらぬ一九二八年の一月一日から、降伏条約に署名いたしました一九四五年の九月二日までの間のことを起訴しておるのであります。でありまするから、太平洋戦争ばかりではなく、我々が支那事変と言いまするもの、満州事件と称するものに遡つて起訴をいたしたのであります。起訴した犯罪の種類は、平和に対する罪、これは侵略戦争を始めたということであります。第二は通常の戦争犯罪、今まで言い来たつた俘虜の虐待、戦時中の戦闘員以外に対する殺害、放火、人道に対する犯罪、宗教の圧迫、モルヒネの使用といつたこの三色の罪を起訴しておるのであります。こういうことでありましたから、ここに多数の法律問題が続々と起つたのであります。そのうちで一番世間から注目をされたのは、管轄の問題、これは日本語ではちよつと合いませんけれども、向うでいうジユリスデイクシヨンの問題ですが、この裁判所が、こんな裁判を、今言つたような我々の予期せんようなことを一体裁判をする権限が、国際法上あるのかどうかという問題が起つたのであります。この権限に関する問題は、私どもの分類では少し違いまするけれども、ここでは私見を交えるよりも、裁判所自身が、我々が各種の機会で述べたことをまとめた判決文によつて、その順序で申上げますと、七つあるのであります。これは根本思想は同じことであります。この管轄に関連する七つの問題の第一は、こういうことなんです。連合国自身は、この裁判所でなく、連合国自身は、一体、最高司令官を通じて、ここで言う、平和に対する罪といつたようなものを、裁判条例のうちに含めて、そうしてこれを裁判に付するという権限はないじやないか、こういうことであります。キーナン検事、又はマツカーサー自身でない連合国自身がそういう権限を持つておらんという主張が一つであります。第二番は、侵略戦争はそれ自体として不法なものじやないか。一九二八年のパリ条約、かの不戦条約のことです。パリ条約は国家政策の手段として戦争は放棄しておる。併し放棄はしたがこれを犯罪としておるものじやない、戦争放棄は即ち戦争をすぐ犯罪と言うたものじやない。それが二番であります。三番目には、一体、戦争は国と国との喧嘩だ、戦争は犯罪としても、それに従事した、又は国家を代表した個人が罪を負うべきものじやない。総理大臣であろうが、外務大臣であろうが、これは機関だ。その個人を訴追すべき道理はないということが第三であります。四番目に、あのチヤーターで平和に対する罪とか人道に対する罪とかいうものを犯罪としておる。けれども、このチヤーターができたのは一九四六年一月十九日のマツカーサーの特別宣言でこれを罪としておる。犯罪のときにはそのチヤーターはなかつたのだから、チヤーーターが平和に対する罪を犯罪としたとしてもそれは事後法だ、犯罪の後の法律じやないか。これが第四であります。第五番目は、こういうことなんです。ポツダム宣言即ち同年の七月二十五日のあの宣言です。俘虜虐待その他戦争犯罪を犯したるものは、という文字がある。これはそのときに行われた国際法で、俘虜の虐待とか、或いは人民を略奪するとか、非戦闘員を凌辱するといつたような四つ五つの国際法に一般にいう戦争犯罪であつて、七月二十五日現在では、まだまだ戦争を始めること、たとえそれが侵略戦争であろうとも、戦争をイニシエートするということを、あのときには罪とするという趣意で言う人も言うておらなければ、これを受取つた、降伏した人もそんなことは思つておらん。そうすると、ポツダム宣言で裁判所を作り訴追を始めるというのは、この宣言に言う戦争犯罪、オーソドツクスの国際法の本にある戦争犯罪だけであつて、戦争開始を罪とすることは約束違反だ、こういう趣意であります。第六は、これは説明を要することです。マーダーといいます、殺人罪を起訴しておるのです。なぜ殺人を起訴するかというと、日本のこの開戦の通告が、真珠湾で敵を攻撃したよりも数時間後に初めてアメリカ大統領の手許へ着いておるのです。八日の二時過ぎに着いているのです。そうすると、七時に敵を攻撃してから二時までの間はまだ開戦通告はないのです。その間にやつたものはそれは人殺しだ、マーダーといつたのは謀殺ですね、殺人罪だという起訴があるのです。それに対して、それはたとえ戦争開始が後であろうとも、軍人に対する殺人は戦争に当然伴うものだから、それを独立の殺人罪とするのは不法だ、こういう趣意であります。それから被告の中に、フイリピンにおつた軍人、武藤その他、二、三起訴されるまでに、敵の捕虜になつておるのがあるのです。捕虜に対してはジユネーヴ条約で別の裁判があるべきもので、ジユネーヴ条約によらんところの裁判は不法だ、この七つのことが管轄に関する問題であります。それで問題が一番初め私の言いました未決であるというのは、我々が裁判に管轄権なしと言つて公訴棄却を求めましたが、数日間会議の後に公訴棄却の申立を却下いたしまして、その理由は後に言うと言つてなかなか言わなかつたが、到頭判決の中にその理由があるのです。

 以上私七つずつと並べましたが、判決書にはこの順序に並んであるのです。そのうちの一から四まで、即ち連合国にはこういう裁判をする権限がないということ、それから不戦条約は戦争は放棄しておるが、犯罪とせぬということ、たとえ戦争が惡い戦争であつても個人を罪とすべきじやないということ、事後法であるということ、この四つに対して裁判所がいうのには、これが非常に大切なんです。それは、我々裁判官はマツカーサーのこしらえた裁判条例に拘束されるものだからして、この裁判なり、起訴が惡いという申立は却下しなければならん拘束を受けておるのだ。こういうのであります。そのことが法律的に、即ち国際法的にいいか惡いかという裁判をする力は私はないのだ、マツカーサーに頼まれたのだから、頼んだ人のおつしやることを否定することはできないのだ、通俗に言えばこういうことです。私がこんな大切なところで間違つたことを言つてはいけませんから、このところだけを読んで見ます。公判決はこういつております。「裁判所条例の法は、本裁判所にとつて決定的であり、これを拘束するものであるから、弁護側が申立てた右の七つの主張のうちで、初めの四つについては、本裁判所はこれを却下すべき形式上の拘束を受けている。しかし、これに関連する法の諸問題が非常に重要であることにかんがみ、本裁判所は、これらの問題に関する裁判所の意見を記録しておく。」この記録のことは省きます。主に却下した理由、裁判所条例はこの裁判所にとつては決定的のものであつて、拘束的のものだから、弁護側の言うことは却下する義務があるのだ。こつちはこの裁判所条例が惡いと言つておるのでしよう。国際法上いけないものだと、マツカーサーじやない、連合国自身がそんなことをするのは無理だ、こういうことを言うておるのに、自分はその連合国に頼まれたのだから、これがいいか惡いかのことは別として、これは却下しなければならんものだということを言つておりますから、以上四つの問題、即ち侵略戦争を罪とするとか、或いは不戦条約は果して戦争を犯罪としておるものであるかとか、或いは又事後法で処罰することができるものであるとかといつたような根本問題は、それ自身のメリツトを判断しないで、我々が任命された構成法に違反することはできぬのだから却下するということで始末がついているのでありまするからして、戦争が済みましても、法の世界においては、これは未決の問題であります。而うして連合国はルール・オブ・ロー、法律の支配、これを連合国自身は使用しているのでありまするから、更に戦後においても、又今後の前例としても、果してこれぶ国際法上至当のチヤーターであつたかどうか、至当の裁判条例であつたかどうかということは、もう一つ高い見地からは未確定の問題であります。そのときどきに独自の見解によつて更に定め得る余地が残されております。そうして、その後に書いておりまする却下しなきやならぬ、で却下をしておいて、それに開通する問題はここに言うて置くというて、どういうことを言つたかと言いますると、ニユールンベルグのドイツの裁判を引用しまして、我々の意見も大体これと同じことだ、同じような言葉を、同じような意味を違つた言葉で言うた。後にも惑を起すからニユールンベルグ裁判をそのまま引用すると言うて、あの裁判の要所を引用しております。

 以上はこの一から四までのことで、五ですね、五のポツダム宣言にいわゆる戦争犯罪とは、その時の国際法で言う俘虜の虐待、人民の凌辱と言つたようなもので、戦争を始めることには関係がないといつたような我々の抗弁に対しては、これは五番になつておりますから、はみ出しているのです、それについては独自の見解をとつているのです。その主なことはこういうことを言つているのです。あのときに戦争犯罪というものはやはり広い意味のもので、戦争を始めたことをも含むということは日本のほうも知つておつた、やはり日本も御存じの上だと言うて、そうしてこの有名な木戸日誌、木戸日記を引用しているのです。木戸日記のうちに、八月十日ですね。あれは宮中では十一日に降伏の大体廟議が決し、十五日に天皇陛下の御演説が発表されましたが、十日の木戸さんの日記に、天皇陛下が木戸に対する思召として、戦争責任者の処罰を思うと、忍びがたいものがある、そうして今日は忍びがたきを忍ばなければならぬときであると陛下が仰せられた、こういう記事があるのです。

[006]○参考人(清瀬一郎君) 承知しました。今十一時十五分ですから、そのくらいになるのであります。それより延びることはないと思います。この引用ということはおかしいのです。戦争責任者の処罰を思うときは忍びがたきものがある、それ自身で、戦争責任者というものが兵隊であるとか、伍長であるとか軍曹とかいつたものが犯した戦争責任を思召しておるのであるか、或いは戦争を始めた東條その他のものを思召しておるのかということは、この日記それ自体を見てもわからない。それ自身が戦争を始めたものとあればわかるのですけれども、これを引用することは、同じ事を繰返して引用することになる、循環論法になるのです。けれども、判決はこの陛下の思召を引用いたしまして、戦争責任者の意味を広く解釈しておるのです。それからして第六番目の附随的のマーダーは、これは無罪にしたのです。戦争に関連する殺害は、これは当然の結果だと言うて、これは罪にしておりません。第七番目の、被告人のうちで俘虜であつた人は、俘虜を持つておる国、俘虜を握つている国がジユネーヴ条約で裁判しないでこちらのほうに引渡したのだから、引渡された以上は、こちらで裁判してもいいのだということで、管轄に対する点を却下しておるのであります。ですからして、七つのうちで五、六、七は事実問題で解決をしておりますが、初めの一、二、三はチヤーターは我々が従わなければならんものだからというので、チヤーター自身のメリツトを裁判せぬのでありますから、これは未定の問題であるというたゆえんであります。

 このほかにあの裁判所で問題になりました法律点は、ジユネーヴ条約の一件であります。これはA級裁判のみならずB、Cにも関係があることでありまするから、管轄問題のほかに一言その当時のことを附加えておきたいと思います。あのジユネーヴ条約については、我が国はこれを批准しなかつたのであります。即ち一九二九年のジユネーヴ条約は、考えるところがあつて遂に批准しなかつたのです。然るに俘虜虐待ということで横浜その他において日本人が多数起訴せられ、且つそういうことをせしめたものだというので、陸軍大臣たる資格、外務大臣たる資格で、東條、東郷は、やはり起訴を受けております。その訳はどこから来ておるかと申しますると、アメリカのほうから、日本はジユネーヴ条約を守るかどうかという照会があつたのです。それに対して東郷外務大臣はスイツツルを通じてこういうことを言つております。これも原文のまま言います。「日本帝国政府は俘虜の虐待に対する一九二九年の国際条約はこれを批准せず」批准しておらん。「従つて何ら同条約の拘束を受けざる次第なり」受けない。「併し日本の圏内にあるアメリカ人たる俘虜、」対しては同条約の規定を準用すべし一。こういうことを言つております。アメリカの照会でありますから、アメリカ人に対しては条約の規定を準用いたします。答えにラテン語を使つて、ウイル・アプライ・ムタームス・ムタンジスです。イギリスに対してはスイツツルじやなく、アルゼンチンを通じまして、全く同様のムタームス・ムタンジス、準用、ムタームス・ムタンジスと書いて答えておるのです。それで大体準用いたしまして、英米人に対してはよく待遇したつもりでありましたが、何分日本の当時の食糧事情その他で先方の俘虜は困難をしたことは事実のようであります。これも日本で日本の憲法上必要な枢密院の批准も受けず、天皇陛下の御署名もなく、外務大臣が中立国を通じて準用いたしましようというたのでありましたら、これは外務大臣の約束違反ということにはなるけれども、法の違反、国際法の違反ということであると、これ又意義が少し違うと我々は思つております。併し―――これに対する判決は法律違反ということになつております。この裁判についてはいろいろほかにも申上げたいことは私ども今日に至つても胸中鬱積いたしておりますけれども、本日は法律的の問題であつたことを言えとおつしやいますから、これだけにしておきます。ただ今回の平和条約第十一条のことであります。私ども十一条に持つております一番大きな疑問は、全体今までの平和条約というものは、戦争犯罪人はお互いに大赦しよう、こういうのが平和条約なんです。国際法でアムネスティ・クラウズというべき大赦條項というのがあります。アムネステイ・クラウズは明言せぬでも当然だという説もあります。裁判にかかつておつてもおらんでも、犯した罪は犯した罪なんです。長い戦争でありますから、どつちも罪を犯しておるのであります。今言うと負措しみのようでありますが、アメリカのほうでも罪を犯しておるのです。例えば東京の無差別爆撃、これは犯罪ですわね。広島の原子爆弾投下、これも当時では犯罪です。アメリカでは―――――――――日本人の男があるでしよう。これも人道の犯罪というべきで、キリスト教国では如何なものでありましようか。大きな犯罪でありまして、どつちにもあるのです。丁度労働争議が済んだ上は争議中のヴアイオレーシヨンはどつちもやめましようということで、平和条約の談判というと、一番初めに前提条件として、お互いに戦侍中の犯罪はこれはやめるというのが第一条になるべきものなんです。だから、日本から言えば、こつちが勘弁してくれと言わないで、向うから切り出す先に、あなたのほうの犯罪はこつちはもう問いません。鴨緑江に日本の船を沈めた場合も問いません。私がさつき言つたあれと同じように、無差別事件も――事件もすべてこつちは問いません。だから、こちらのほうも問わぬようにしてもらいたいというのが談判の一番初めの第一回に言うべきものだと思うのです。ところが今の平和条約ではあべこべで、戦争裁判の判決はこれをアクセプトすると言つてしまつている。それは私ども甚だ不満であります。この条項の代りに、批准と同時に双方の犯罪は帳消し、こう言うべきであつたと私は思つている。ただ併しアクセプトとなつているのですから、これは条約としては仕方がないけれども、一体アクセプトができるかどうかです。あの事件で日本国家が犯罪とされたのだつたら国家はアクセプトできる。ところが今言つた第三の点のように、個人を罪としているのでしよう。その個人に相談なくこれはアクセプトするといつたところが、御自慢の日本憲法では、裁判官の裁判によるにあらずんば処罰されずというのですから、これはアクセプトして巣鴨におる連中を当然犯罪人として日本が引受けて処罰できるかどうか、何も手続せずにあれを日本が引受けて処罰するということは私は憲法違反だと思う。それからこの十一条によりますると、日本のレコメンデイシヨン、日本の勧告があつて、B、C級のほうについては、裁判上、国が同意する。国際裁判、巣鴨のほうでは、裁判官を出した国の多数が同意するというと、これを特赦減刑又はパロール、即ち仮出獄といつたようなことができるといつておりますが、これはどうしたらよかろうかということで、私どもは考え、考え抜いた上、一番公平な方法は、批准前に全部当り前ならみんな大赦を受けるんだ。講和条約がこうなつたから大赦に最も近い方法にしたい、ついてはこの規則にまとい付いて、批准寄託と同時に、又は批准寄託より多少遅れてもいいけれども、戦争犯罪人全部を一人残らず赦免にすべしというレコメソデイシヨンを我がほうが出す。向うがもう六カ国批准するときに日本の言うたレコメンデイシヨンを承認する。そうすると条約が効力を発するときに赦免ができるから、結局昔やり来たつたように、平和条約と同時に皆が釈放されるという結果を持ち来たすのであろう、こういうことを当時の弁護人が皆寄りまして、こうして本院にも請願書として私ども提出いたしておる次第であります。あれは本来は大赦を必要とするんだけれども、こういうふうに条約がなつた以上は、本当の大赦じやないけれども、大赦と同じように先にレコメンデイシヨンをやつて、向うも批准と同時にデシジヨンをやつてもらつて、そこで全部釈放の大団円をよかつたよかつたでやろう。これが即ち平和と友情の条約ということに適するじやないか。こういうことでありまするから、何とぞよろしく御審議を賜わりたいと思つております。

[008]○参考人(鵜沢総明君) 本日御喚問を頂きまして、戦争犯罪人裁判に関する法律的所見について、こういうことをお聞き取りを頂くという次第でありますが、極東国際軍事裁判判決に至るまでの概略は只今清瀬君からお述べになつたのであります。私ども今日の立場では、この判決に対して法律上どういう意見があるかというこの判決を全部批判をして行くというのではなく、これに対して裁判所において弁護人としてどういう立場をとつて弁護申したかということ、その他大きな問題だけをどう考えているかという御意味もあると了解する次第であります。私は、この判決にもありまするように、途中からこの日本人弁護人団長になりまして、個人の弁論は差控えたわけでございます。そうして終局の弁論をいたしたのでございますが、勝つた国が負けた国に臨んで法律を作つて、その法律によつて裁判をするということが果して国際正義の立場から適当であるかどうかということを裁判所に述べたのでありますが、この裁判条例は、判決にもありまするように、附属書のAの五にありますが、極東国際軍事裁判所条例というもので規定せられまして、且つ裁判官の中に中立国の判事が一人も入つておらない、かかる場合に公平な裁判といつてもそれはなかなかむずかしいことであろうというような主張をいたしまして、その他国際法上の問題、殊に只今まで清瀬君の述べましたように、戦争犯罪人を罰するというようなことは従来の国際法にはないではないか、キーナン検事の主張では、国際法というものはお互いの人類の進歩と共に生きておる法律の関係になる。従つて世界の実際の国際上の関係において必要な法律というものは、生ける法律としての効力を持つものというロード・ライトの意見を引かれて弁論したのでありますが、私どもは、その生ける法ということを国際法廷に持ち出したことは誠に法律の一つの進歩ではありますけれども、その場合ならば、なお公平な裁判の構成から、法律に対する規定につきましても、十分に考えた上で進めて行くべきものであろう。東洋にはおのずから東洋の正義、東洋の戦争、これは大体侵略というような考えではなく、戦争をやめて万民の平和を求むるというのが東洋の武の意義であり、又戦争の意味である。日本人としても多年の間その考えで養成されたのであるが、大体この軍国主義とか、ミリタリズムとかいうものは、ナポレオンの時代から近来始まつたもので、これが日本などへも持つて来られたもののように考えるということを弁論しようと思いましたらば、これはアメリカの弁護人から、この点はどうか削つてもらいたいというので、原稿はできてアメリカ弁護人に検閲をしてもらつたのでありますが、その点は削りました。なおそういつた点が二、三点あります。ありますが、もうそのことはここだけの問題で、今これによつて判決をかれこれ申す次第ではございません。それから、なお、すでに国家の問題となつてここに条約が締結されようという場合、講和条約の第十一条ができておりまして、実際の問題としましては、現在の戦争犯罪人を法的にどう取扱うかということが主たる問題であろうと思うのであります。それには裁判がいいとか惡いとかいうのではなく、すでに裁判は確定しておる。この確定によつて罪人となつておる者が、国の講和というような、殊に今日降伏以後の日本の独立ということを考えますると、日本にとつては空前の大事業と申しますか、或いは非常に歴史的に大きな喜びを国家国民共に経験する時代である。こういう時代には、国内の犯罪者につきましても、従来の慣例によりますれば、大赦、特赦というようなものが必ず行われておる。これはひとり日本のみではなく、世界の文明国が皆やつておるところでございます。然らば戦争裁判によつてすでに確定しておるこの犯罪人に対して、大赦、特赦ということを特別に除外する理由はない。すでに判決は確定しておつて、新たに国家が行動を起す場合でございますから、これにつきましては法律的に大赦或いは特赦の方法を講ずべきものである。これについては、この十一条では日本で先ず勧告をするということになつておりまして、その勧告が関係の国々に出されて、多数決のように、判決も多数決であつたということでありますから、多数決を得られれば直ちに効力を発生することであるから、そういうような方法について一つ法的に考えて頂きたい。これが私どもの請願の趣旨でございます。それでこの判決文にもいろいろのところに、大体まだ完全な国際的の法典ができないが、そういう場合には、文明諸国の慣習、人道の法則及び公共の良心の要求から生ずる国際法の保護と原則というようなことを判決でも認めておりますので、この場合においては、全く特赦、大赦の手続をとられることがこの国際法上の原則にも合するものであろう。それで、判決に対する学問的の批判につきましては、私は別に法律哲学を今書いておりまして、これで詳しく文献を残して置きたい、こう思うのでありますが、それは今日の只今の場合に関係がありませんから……これを以て卑見を申上げておく次第でございます。

[010]○参考人(林逸郎君) 私は軍事裁判の判決はおおむね事実の認定が正確とは言えないと考えておりまする点を二、三申上げまして、これを是正する意味においても速かに全部を釈放しなければならないものであるという御了解を頂きたいと思うのであります。私どもが極東国際軍事裁判の弁護人に選任されましたときに、私どもは先ず如何なる立場においてこれを弁護するやということについて、十数回に亘りまして協議を開いたのであります。そうしてその主張はおおむね二つに分れました。その一つは、戦争は日本国家全体がしたのである、併しながらそれは自衛のための戦争であるという主張をしようとするものであります。これに反対する者は、戦争は軍人と一部少数のものがした、その他のものは全然関知せざるところである、こういう主張をしようとしたのであります。本日出席いたしました鵜沢、清瀬両先輩、私どもは、もとよりその前者の意見に立つたのであります。併しながら極めて少数ではありましたけれども、日本の軍人と少数のこれを取巻く者とが侵略戦争をしたものであるという主張を最後まで捨てず、表面は私どもと同調したるごとく装うて米人弁護人と相謀つて売国奴的態度をとつた者があつたのであります。それが大いに判決に影響を及ぼしておるということは争うべからざる事実であります。かくのごときことを本日申上げることが妥当なりや否やを私は考えるのでありますが、この点は特に後世のために私どもも書き残しておきたいと思うておるところであるのであります。それから第二に申上げたいと存じますることは、戦争犯罪人に指定せられました者が必ずしも全部戦争をいたした者ではないということであります。申し換えますならば、或る位置におりました者が、たまたまその位置におりましたということによつて全体の責任を負わされておる者が多いのであります。恐らくは皆さんもA級裁判所に付せられました者の氏名が発表せられましたときに、どうしてあの人が入つておるのであろうかと奇異の感に打たれました人がなかつたとは言えないのではないかと思います。B、C級裁判におきましても又同様のことが言えると思います。それから又A級裁判の判決が知らされました際にその罪科の軽重について奇異の感にお打たれになつたかたが絶無とは言えないと思うのであります。どうしてあの人が死刑になり、どうしてあの人が極く軽くなつたのであろうかということについて、恐らくは今日に至りましてもなお疑いを存しておいでになるかたがあるのではないかと思うのであります。私どもが三年半の法廷を通じまして感じましたことは、処罰をされましたものが、当然受くべき処罰を受けているものと言い切れないものもあり、更にその人よりも免かれて恥なき徒輩がより多く世の中にはいるのではないかと考えられる点が多かつたのであります。木戸日記或いは原田日記が記載しておりまするところによりますれば、戦争が始まれば戦争に便乗し、戦争が終れば敗戦に便乗しておる者のほうが、処罰を受けました者よりも遙かに咎むべきものではないかと思われる者が多いのであります。そこで私どもは、処罰を受けております者は、日本人全体のいたしました戦争の或る部面或る部面の責任者として、或る意味における代表者処罰ではないかと思われるのであります。或る方面或る方面の代表者を処罰するということによつて、戦争の犯罪というものがその完全なる目的を達するということに相成りまするならば、私は今日までに死刑の執行を受けられました人たちの犠牲だけを以てこれは完全に償われておるのではないかと、かように考えるのであります。必ずしも戦争に十二分に参加せず、わずかに終戦の当時その位置についたというがごときことによつて、死刑又は無期というがごとき重罰に処せられておりまする人たちのありますことは誠に遺憾に堪えないのであります。それから第三には、この判決はいわゆる―――事実の誤認をいたしておるということであります。事実の誤認をいたしておりますることは、私ども担当いたしましたA級裁判、即ち東京裁判その他B、C級の幾多の裁判によつてみずからこれを体得いたしておるのでありますが、その他のB、C級の裁判も又おおむねそうではないかと想察できるのであります。何故に事実の誤認をいたしたかと申しますると、第一に敗戦という事実のためにこちらが主張いたしまする事実に対する証拠が十分に集まらなかつたのであります。証拠書類が紛失しておつたのであります。それから第二に、証人の多数が、みずからの生命を惜しんで、人を売り国家を売るの言辞を弄したのであります。それが証拠となつておるのであります。満州国の廃帝の傳儀の証言のごときものは恐らく御記憶に新たなものがあろうと思うのであります。日本人の中でも或いは田中隆吉君のごとき、事実に関する結び付きができない場合が常に検事側の証拠となつて―――の役をいたしておるのであります。第三には、当時の日本の国家がこの裁判に対しまする理解がなかつた。日本の政府が理解がなかつたそのために、事実を明らかにするに必要なる費用の支出を惜しまれたのであります。従いまして証拠を収集するだけの私どもに財力がなかつたのであります。そのために、収集し得べき証拠も、又召喚し得べき証人もこれを出すことができなかつたのであります。第四には、判事がおおむね日本の国情に通じない者がやつて参りましたので、日本の風俗習慣と全然かけ離れた物の見方をいたしておるのであります。第五には、語学の通じないということであります。これは東京において行われた裁判、横浜において行われました裁判においてもなお然りでありまするから、或いは濠州或いはインドネシア等において行われました裁判においては思い半ばに過ぐるものがあつたのではないかと思われるのであります。従いまして事実の認定はおおむね――られておるのであります。この裁判の摘示事実のごときが歴史となりましたならば、これは恐るべき歴史の――と相成るのであります。若しも覆審制度が布かれましてこの裁判をやり直すということに相成りましたならば、全部とは申せませんけれども、殆んど大部分が――さるべきものではないかと考えるのであります。かような状態の下に審判された人たちでありまするから、国家が戦争いたしました犠牲者であるとみずからを諦めておられるであろうとは思うのでありまするけれども、事実の誤認に対しましては――やるかたなき人たちが大部分ではないかと考えられるのであります。これを救いまするのはやはり日本の国家の一つの義務ではないかと私は考えます。そこで私どもが今回の釈放の運動を開始するに至つたのであります。然らばどういうふうにしてこれの処置をとつたらいいかということを申上げなければならんのでありまするが、少くとも講和条約の発効以前に全部の戦争犯罪人を釈放すべき旨の要求を、裁判をいたした国家に対して通告して頂きたいということであります。それが日本国そのものの当然の義務ではないかと思うのであります。審判されたるものは負けた日本なのです。少数の人々じやないのであります。被告人も国民の一員であるということに思いをいたして頂きたいと思うのであります。併しながら裁判をいたした国家は数は多いわけでありますから、こちらの要求に対しましても直ちにこれが回答が来るかどうかということが疑問となるのであります。そこで講和条約の発効と同時に、その回答が来なかつた場合、或いは回答がすぐに得られなかつた場合に戦争犯罪人をどうするかということが、私は最も御考慮を煩わさなければならんことじやないかと思うのであります。少くとも外地におりまする者は発効以前に全部日本に召還するような手続をとつて頂きたいのであります。戦争犯罪人を外国に留めおいて講和条約の発効ということはあり得ない。これはどうしても全部帰して頂きたいのであります。それから国内に残つておりまする者を、或る者は日本の刑務所に収容すべしと言い、或る者は新らしく法律を設けて特別なる措置をとるべしと言うているようであります。私はこれは日本の刑務所に入れることは絶対にできないと存じます。これは申上げるまでもないのであります。日本の刑務所は国内における犯罪を犯した者を収容する所でありますから、外国が裁判した者を預かる場所ではないのであります。これは不可能と存じます。そこで特別なる処置をとるという法律をお作りになると相成りますると、それが、平等の人権をお認めになつて、それを一枚看板となすつておいでになるところの新憲法に抵触はしないかという問題が起つて参るのであります。国民は全部、犯罪を犯した者以外の者はみだりに監禁ができないはずなんです。少くとも裁判をいたしました国家の委嘱がある限り、国家の委託に基くお客様扱いにする以外に方法はないのじやないか。例えて申しまするならば、只今巣鴨において非常に厚遇を受けていると聞いておりまするが、それと同じ態度を外国の委嘱に基いて続ける以外には方法はないのじやないか。併しながらこれとても決して法律的に考えまして正しいやり方ではないのであります。これを処遇するの方法が完全なものは何もない。然らばどうしたらいいかと申しますると、即ち最初私が申上げましたように、条約発効と同時に全員を釈放するということに対して裁判国の同意を得る。更に申し進めまするならば、条約発効と同時に全員を釈放しても裁判国の異議のないように、一刻も早くこれが釈放を要求をする、これを国家の意思として一刻も早く裁判国に伝えるということが一番大切なことではないかと思う。私が申上げたいと存じまするところを要約いたしますと以上であります。

[011]○参考人(清瀬一郎君) ちよつと私言い漏らしたことがありますが、一言だけ……実は今鵜沢君も判決書を引用いたしましたが、極東国際軍事裁判も多数決による判決のほかに各判事が別別に自己の意見を述べております。ですからして各判事の意見は別であります。そのうちでインドから来ましたパル判事は七つの点について皆多数意見と反対で、無罪を主張しております。日本の戦争は侵略戦争にあらずと、それからして事後法で処罰することは国際法でも国内法でもこれはいけないのだと言つて、これは詳しく全部七点とも無罪の裁判をしている……。

[013]○参考人(清瀬一郎君) パル、PAL……パルの意見は全部無罪であります。これは長い五百ページぐらいの意見書があります。それからロシアのザリヤノフはこれは死刑には反対しております。これは自分の本国では人を死刑にすることはせぬから東條以下全部死刑に反対。それから裁判長をやりましたウイリアム・ウエツブですね、ウエツブも、捕虜を虐待して殺した者はこれは仕方がないが、侵略戦争に対しては死刑は反対だ。その訳は、侵略戦争を罪とする法律は、日本が戦争を始めた後にそういうことになつたのだ。ニユールンベルグのことを言うのです。これは事後法だが、国際法では事後法でもいいのです。あの人は、それは国内法でのことであつて、国際法では事後法でいいが、併し事後法で処罰をするときには手心を加えなければいかんというので、裁判長のウエツブも死刑は反対した。それからもう一つ附加えたいのは、これはあのことではありませんけれども、前の第一次世界戦争でカイゼルを処罰しようとしました。あれは処罰と言いましても、国際道義に反して、条約の神聖を犯したということで、犯罪としての処罰じやない。それにしても、あのときに一国の天子であつた者を処罰するのは反対であるど、日本国とアメリカとがこれは反対しております。それに力を得てオランダは引渡しを拒絶しましたからカイゼルは処罰されませんでした。捕虜虐待とか凌辱とかいうことで、結局ライプチツヒで裁判があつたのですが、その数は十二件で、これは前のことですが、有罪になつたものが六件、無罪になつたものが六件、一番重い罪が……。

[015]○参考人(清瀬一郎君) これはライプチツヒでやつております。戦争が済んでから、向うの大審院があつた場所で、国内法を適用しまして、戦争犯罪、略奪とか、殺人とか放火とかいうのを十二件起訴して、六件有罪、六件無罪、最高は四年であります。今度日本のほうは皆で五千人ですかね。この二つのことと、それからもう一つ、あの中で、巣鴨に今いるのは満州事変だけしか関係のない被告がいるのです。名前を言わなくても皆さん御承知だと思いますが、太平洋戦争の時分にはむしろ在野で、ちつとも関係のない人がおられます。むしろアメリカとの戦争には反対的態度を持つたが、満州事変だけしか関係がない。それから日華事変だけしか関係がない、この人は日華事変のほうにも少し関係がありますが、一方日華事変で問われております。太平洋戦争の結末の裁判に満州事変だけの人を放り込むのはどうだろうかと思つておりますから、若し罪の軽重によつて区別をして下さる時分には、太平洋戦争には在野でむしろ反対の立場をとつておられるような人は、どうか速かに御考慮下さるように、スキヤツプのほうへの御交渉を願いたいと思います。

[016]○参考人(林逸郎君) 今清瀬さんのおつしやつた少数意見に、更にフランスの判事が少数意見を付けております。

[021]○参考人(清瀬一郎君) アンリ・ベルナールという人です。

[023]○参考人(清瀬一郎君) これも侵略戦争という大きな問題については、これを有罪ではない叫んでいる。つまり不戦条約で、つまり戦争を放棄するという条約で、すぐに戦争犯罪だというのは、一つ飛躍しておりますから、それについて裁判官内に議論が非常にあつたのです。

[025]○委員長(鬼丸義齊君) ちよつとそれでは清瀬さんにお伺いするのですが、極東裁判において有罪の判決を受け、そうして日本にすでに服役しており、おのおの確定裁判を受けている場合に、ここで講和条約が締結されてその執行を日本が引受けるという場合です。先ほどあなたの仰せになりましたことくに、戦争は国と国との間においてしたものである。それから戦争犯罪人として判決を受けたのは個人である。そこで国と国との間においては講和条約は締結されるけれども、併しそれによつて直ちに個人たる人権についての執行は、日本国政府としてはこれを引受けてなすことはできないのではないか、法的にですね。その御説がありましたね。これをどういうふうに一体解釈するか……。

[026]○参考人(清瀬一郎君) 私は二つしかないと思います。

[028]○参考人(清瀬一郎君) これを合法化するならば、日本政府が連合国の代理人といつたような向うからの授権によること、もう一つは日本の国内法でこれを執行し得べき立法をすることですね。そうじやなければ……。

[031]○参考人(清瀬一郎君) それは、国内法でやるとすれば、憲法問題が起る。事後法というものが起りますけれども、国内問題で市ケ谷の裁判は合法の裁判と認めて、憲法には日本の裁判所の裁判を受けなければ執行ができんという規則があるけれども、あれを日本の裁判として認めるといつたような強行的な法律を作るか、或いは吉田政府が連合国の代りにこれをやつているのだといつて、連合国の権限で執行するか、この二つの面を例えばかむりをかぶればそれはできるけれども、今のままでやるというと、外国の裁判を強行的に日本が執行するということは大壷な問題が起ると思うのですね。

[032]○委員長(鬼丸義齊君) そこで伺うのですが、若し、只今御説のごとくに、やはり連合国の授権によつて有罪の戦犯者を拘束するということですね。それから然らざれば法律を作るかでなければいけない、こういう状態にある場合に、それに何らの手続もなさず、ここで講和条約が発効した場合に、そうするというと個人たる戦犯者というものは自由の立場に置かれることになるわけです。そうなりますね。

[033]○参考人(清瀬一郎君) そうなります。

[034]○委員長(鬼丸義齊君) 速記をとめて下さい。

   〔速記中止〕

[036]○中山福藏君 モスクワの外相会議でマツカーサー元帥に付託されて、数名の、何名、十一名でしたか、判事に任命されたというようなことになつて、一応結末をつけたことに対して、先生がおつしやつた国際裁判は実体的にはまだその終りを告げていないのだ、これはあなたの法理的な見解からさような結論をなすつておるのだろうと、こう思うのですが、併しながらまあこれは裁判だから仕方がない。事実は事実として判決を認めて、そうして救済策を講ずれば、結局只今おつしやつた二つの点によつてこれを救済する方法しかないと、従つて判決の善惡というものは後日に任せなければしようがない。法律家としての立場の御見解を承わつておるわけなんですから、そこで、法律論は法律論、事実論は事実論として、一応事実を認めて救済策を講じなければならん、こう二途に分れておつしやつたように私は理解したのでありますが、そういう意味なんですか。

[037]○参考人(清瀬一郎君) 今日のお呼出しは戦犯に関する法律問題を述べろということでしたから、法律問題としてですね、国際法上はこれは未決で、あの裁判だけで、私たちは負けた、負けた理由が、その法律のメリツトによつたのではなくして、私どもの議論がいいか惡いかという裁判をするのでなくして、自分は条例によつて命ぜられた裁判官だから、条例のいい惡いは自分は言えないということです。私どもはその条例がいいか惡いかを言つているのです。今後といえどもこういう条例、即ち戦争は犯罪か、或いは戦争のときに国家の要職を占めた者は個人として罪をこうむるのかという法理はまだ解明されておらない。この判例のうちには入つておらない。この判例は、そういう規則をこさえた人がこれで裁判をせいというのですから、その規則がいい惡いを言う力はない。抽象的な法律としては後世に残る問題ですから、ここの委員長から、今の巣鴨その他におる者の立場と、それから又今回の平和条約との関係についても私ども判断しておりますから、それについても言えというから、よくても惡くても国際裁判で刑に服しておる、これにどうしたらよかろうかとおつしやいますからして、それはプラクテイカルな問題として、我々は十一条のこれを惡いと思つた。惡いと思つたけれども、十一条という条約を政府が受け合つて来て、あなたたちが批准なさつたのだから、これを有効的なものだとすれば、リコメンデイシヨンを早く出して、早くそれに対して決定をしてもらつて、条約の批准があつたら同じ時間に、又同じ時間と言つても一分一秒は何ですが、効力の発効の日には出るようにして下さつたら、問題は消滅すると、こう言つているので、初めとこれの終りとでは、これは問題が矛盾しているが、問題が違うのです。

[038]○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと速記をとめて。

   〔速記中止〕

[040]○宮城タマヨ君 林さんにお伺いいたしますけれども、さつき戦犯の非常に不利であつたという、戦犯者に対して気の毒な点を五つばかりお挙げになつたと思いますが、その中に政府が理解がなかつたという言葉をお使いになりましたが、その理解がないという内容を少し具体的におつしやつて頂きたいと思います。

[041]○参考人(林逸郎君) これは具体的に申上げてはどうかと思うのでありますが、名前は申しませんけれども、当時の内閣書記官長その他を通じまして、政府に対して日本の立場を明らかにするに必要なる調査をするに必要な金を作つてくれということをしばしば申した。これに対して少しも耳を傾けなかつたのであります。そこで日本の立場を明らかにすることが遺憾ながらできなかつた。我々の微力だけでこれを申上げた。それが一番大きなことです。

[042]○宮城タマヨ君 その理由は何だつたのですか。

[043]○参考人(林逸郎君) それはどうもわからないのです。これは私どもが批評する限りじやないと思うのです。私どもの誠意はどれだけ披瀝したかわからない。漸く途中から多少の費用が進駐軍の費用として出た。最初はもう全然我々の独自の財力によつて闘つて来たのです。

[048]○羽仁五郎君 参考人のかたの今日お見え下さつたお三方は大体同じ御意見であると思うのですが、我々が誤解をしないように、大体伺うまでもないことだとは思うのですけれども、二、三の点について伺わして頂きたいと思います。それでは清瀬参考人からお答えを願いたいと思うのです。この東京で行われました国際軍事法廷の裁判について原則的にこれをお認めになるのですか、ならないのですか。

[053]○参考人(清瀬一郎君) 承認という意味が……。法的に確定判決として認めるかということですか……それは認めておるのです。

[055]○参考人(林逸郎君) そうです。裁判のありしこと、判決のありしことですか。その内容は十分認めております。

[056]○羽仁五郎君 そういうような裁判が行われたことの原則的な根拠についてどうお考えでしようか。

[057]○参考人(清瀬一郎君) それは異議があるのです裁判の根拠については……。今言つた根拠のことは、あそこでは管轄と言つております。ジユリスデイクシヨンと言つております。これは裁判の根拠ですね。それについては異議があるのです。私の考えでは……。

[058]○羽仁五郎君 異議を法廷においてお述べになつたのにとどまらず、今日においてもその異議を持続しておられるのですか。

[059]○参考人(清瀬一郎君) ええ。

[061]○参考人(林逸郎君) そうでございます。

[062]○羽仁五郎君 鵜沢参考人は裁判について現在は自分は批判する意思を持たないと言われておりましたが、この点は御意見が多少違うのですか。

[063]○参考人(清瀬一郎君) それは知りません、鵜沢さんの考えは……。私も国内の最高裁判所の裁判でも確定判決はすべて承認しておる。併しながら判決の理由については異議があり、法律批判というものは盛んにやつておる。それと同じことです。

[064]○羽仁五郎君 それじや、もう一遍もう一つ伺つておきたいと思うのでありますが、ニユールンベルグと東京との国際裁判によつて、戦争を計画し、歳いは戦争を開始した人に対する個人的な責任を追及するという国際法上の原則が確立したと述べられている場合がございましたね。トルーマン大統領よそういうことを述べておりましたし、又その裁判を行なつた側からはそういうことがしばしば述べられております。その点についてはどういう御意見ですか。

[065]○参考人(清瀬一郎君) それは間違つておると思います。

[066]○羽仁五郎君 そうすると、戦争を計画し又は開始したその国の政治上の指導的な地位にあつた人の個人的責任を追及することは正しくないというようにお考えですか。

[067]○参考人(清瀬一郎君) 正しくない。国際法上も、又国際条約においても、戦争について個人の責任を問うというまでに国際法はメーチユアしておらない。それは間違つておると思います。

[068]○羽仁五郎君 先ほど鵜沢参考人の御意見の中でしたか、一言でいうと、国際法の進歩というものをこれはキーナン検事が主張された、そうしてそれを鵜沢参考人はお認めになつたようにもおつしやつておられましたですね。

[069]○参考人(清瀬一郎君) 鵜沢君の代弁はできませんが、国際法も国内法も法律はやはり進化するということは、やはり鵜沢さんの御意見だと思います。併しながら個人を処罰するように今進化しておるかというと、それについては御異存があるのじやないかと思います。

[070]○参考人(林逸郎君) 今の点につきましては、私は鵜沢さんの代弁というわけではないが、こういう事実があつたのです。鵜沢さんは非常に長い専門の学問から国際法論を準備された。ところがそれに対してアメリカ側の弁護人から、これを非常に短かく削つてしまえという強い要求があつた。私どももそれを容れまして或る程度に縮めまして、これをタイプに廻した。ところがそのタイプが邪魔されまして、タイプで打つたものを先に提出しておいてからでなければ弁論できない。弁論するまでに間に合わない。そうして僅かに十五分間のものを間に合わさしたということなんです。そういう状態で鵜沢さんはまだまだ今の状態においては自分の意見を述べるべき場合じやないということをお考えになつているのじやないか。それが私どもの言いますことが十二分に通つていない一つの実例なんです。

[071]○羽仁五郎君 もう一つ林参考人に御意見を伺つておきたいと思うのですが、お述べになつたうちに、極東国際軍事法廷の目的とするところ、即ち再び戦争を計画し戦争を開始する、そうして国民を悲惨な状態に陥れるということはないようにするという意味だと思うのです、大体。そのことの意味は、死刑の判決を受けて、その執行を受けられたかたがたの犠牲によつて十分になされておるというふうにお考えになるということをおつしやいましたのですが、それは原則的にそういうふうにお考えになつているのでしようか。

[072]○参考人(林逸郎君) いや、そうでないのです。つまり仮にそれだけの惡いことがあつて、それだけの惡いことに対しては何人かを責任者として処罰しなければならんのであるとしたならば、今までに死刑の執行を受けた人たちの犠牲において済んでいるのじやないか、これ以上の人を苦しめる必要はないのじやないか、こういうのであります。

[073]○委員長(鬼丸義齊君) それでは大変どうもいろいろ有力な御意見を拝聴いたしまして有難うございました。これで以てこのことはこの程度にとどめます。

 そこで委員各位にお諮りしておきまするが、本日のこの陳述中にありました事項に対しまして、速記に載つておりまする点もありまするが、これを全部配付するかどうかということにつきましては、委員長において検討を加えて、適当でないと思います事項については取捨を多少しなければならん場合があると思います。一つお任せを願いたいと思います。御異議ございませんか。

   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

 

13 参議院 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 3号 昭和27年03月28日

[002]○政府委員(古橋浦四郎君) 御説明申上げます。この法案は第一章から第六章まで、それと附則によつてでき上つておりまして、第一章におきまして、全般に通ずる総則を第一条乃至第四条で定めております。第二章につきましては、刑の執行に関する事項を規定いたしております。第三章は仮出所、第四章は一時出所、第五章赦免及び刑の軽減、第六章は雑則、それと附則におきまして、法務府設置法その他の必要な改正事項を規定しようといたしております。

 第一章の総則につきまして御説明申上げます。第一条でこの法律の目的を明らかにいたしております。即ち「平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行並びに刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が適正に行われること」を目的として、この法案が草案せられたということを明らかにしておるのでございます。ここで特に御説明申上げたいことは、戦争裁判が国内裁判と異なるものであるという建前の下に、その用語におきまして多少国内法の場合と違つた用語を用いておるのでございます。例えば条約文では赦免、減刑及び仮出獄と規定しておりますが、本案のほうでは「赦免、刑の軽減及び仮出所」としております。このことは他面関係国とも協定する赦免、刑の軽減及び仮出所が我が国の既成観念と一致しなくてもよいということにもなりますし、運用に弾力性を持たせて、それらのいろいろな恩典制度が円滑に処理せられますように準備をいたしたつもりでございます。次に第二条におきましてこの法案において用いまする用語の意義を定めております。一号、平和条約、二号刑、三号、刑期、四号、刑務所、五号在所者、六号、委員会、七号、関係国という工合に、それぞれ本法案の中において用いられまする用語につきまして意義をここに明らかにしておるのでございます。第三条におきましては、この法案の執行に当りまする行政機関を定めました。それは刑の執行につきましては法務総裁が管理する、赦免、刑の軽減、仮出所及び一時出所に関しましては委員会が管理する、この委員会は先に用語のところで申上げました法務府の外局でございます中央更生保護委員会を言うのであります。第四条では刑期の計算方法を定めておりまするが、これは刑法第二十二条と全く同様の規定をここへ持つて来たのでございまするが、その趣旨は、只今巣鴨プリズンにおいて用いておられまする刑期の計算方法が多少確実だと思われまするので、これを国内刑法の場合と同一に規定いたしたいという趣旨でございます。

 第二章は刑の執行でございまして、第五条は準拠法例を明らかにしております。戦犯裁判は国内法上の刑ではございませんけれども、刑罰の性質上監獄法を準用することが妥当であろうと考えます。又従いまして、この法案に特別の規定がない場合には監獄法を準用するということにいたしておるのでございまして、これによりまして、法案の簡略化を図つておるのでございます。なお戦犯者に対する刑の執行及び処遇につきましては、その国際性を考慮しなければならんと考えまして、従来最高司令官の下に国際的にも承認されて実行して参りましたところの刑の執行方法並びに処遇の方法をここに尊重することに定めたのでございます。なおこの法案中におきましても、巣鴨プリズンの慣行の中で、例えば病院移送、善行特典制度、一時出所等はそのままのものを法制化して条文として取入れておるのでございます。

 次に第六条におきまして、刑務所の意義を明らかにしておるのでございまするが、ここで、「別に法律で定める」と申しますのは、法務府設置法で定めることを申しておるのでございます。第七条におきましては、戦争犯罪人の収容をする手続を定めたものでございます。条約によつて日本国が執行するのは連合国の管理下にありましたものの残刑を引継ぐものでありまするから、新らしい刑の確定者を執行する場合と違つて、監獄法第十二条のような厳格な入監手続はとらずに、一応執行に着手するように規定したものでございます。なお関係国から将来直接に巣鴨刑務所に引継がれたというものの収容につきましても同様に考えておるのでございます。その二項は、引継の際の刑の執行に関する調査及び本人の同一性の判定が必ず正式の書類によるべきであることを規定したものでありまして、現在巣鴨プリズンに拘禁されている者の引渡しについては連合国最高司令官からの引継文書により、又将来関係国から直接引渡される者につきましては当該関係国からの引継文書による趣旨を明らかにしておるのでございます。第三項は収容文書を調査して、当然に残刑の終了しておることが明瞭だというような場合には刑務所の長が単独にこれを釈放することができる、本項はこうした場合ではなくて、執行する残刑があるかないか明らかでない場合を規定しておるものでございます。かような場合には関係国に照会の手続をとつて、その回答を待つて、なお残刑が存することが明らかになつた場合にはその刑を執行することにし、そうでない場合は釈放することにいたしまするその趣旨の規定でございます。人違いであるかどうかに、氏名、年齢、指紋、写真等によれば間違いを生ずる虞れは非常に少いのでありますが、やはり疑義のあります場合には関係国に照会する手続をとるべきだというふうに解したいと思つておるのでございます。第八条は刑の執行の終了及び釈放に関する規定でございます。一項の「特に出所を許される場合」と規定いたしまするものは、仮出所、一時出所及び病院移送、この場合を言うのでありまして、赦免とか、善行特典又は刑の軽減によつて刑期の満了する場合は、すべて満期釈放であるという工合に書いておるのであります。第二項は監獄法の六十八条に対する例外規定を定めたものでございます。普通の場合におきましては、刑期満了の翌日の午後六時までに釈放することになつておるのでございますが、巣鴨ブリズンの慣行に従いまして、その釈放は指定せられた日の午後六時までに、つまり刑期が満了する日の午後六時までに行うということを規定いたしたものでございます。第九条におきましては、未決拘禁の日数の算入について特別の規定をしたものでございます。その一項は単に俘虜として抑留せられた期間はこの場合の対象にはならない。戦争犯罪の嫌疑によつて抑留され、又は勾留された未決監については勾留状が発せられていなくても、又その一部について推定通算がなされたものでも、その残余について全部通算されるということになると解しておるのでございます。尤もこの条文につきましては、第二十九条におきましては、特に例外規定を設けておるのでございます。それは関係国の同意を必要とすることを申すのでございます。第二項につきましては、この本項は刑の執行に関係がございますので、又第七条にも関係ができて参ります。ただ未決日数についてはつきりこれをさせる必要がありますので、この関係国に照会する手続をとらなければならないということを特に規定したものでございます。第十条は、これは病院移送を規定いたしておるのでございます。監獄法の第四十三条にも同様な規定がございます。併し第八条におきまして、特に出所についての厳格な規定が置かれておりますので、この条文を明らかにする必要がございまして、本条文を設けたいと考えておるのでございます。現在かような場合には聖路加病院が指定されておりまして、そこに病院移送をせられておるのでございますが、将来も病院移送につきましては、その必要がございます。従つて本条項を設ける必要があると考えておるのでございます。病院移送に際しましては、条件の一つとして病院が恐らく指定されることになろうと思うのでありまするが、又期間につきましては、その病状によりまして、又再び移送ということが考えられるという工合に解しておるのでございます。病院移送者の処遇につきましては、第一項の条件で定められた制限を受けるのでございますが、監獄法の準用はないのでありますけれども、刑期が進行することや、逃亡の場合に強制的に復所させられるということなどは、監獄法によりまする病院移送者の場合と同じものと解しておるのでございます。逃亡いたしました場合には、あとに申上げまする第十二条によりまして、善行特典制度を剥奪されることになると考えておるのでございます。第十一条は、これは善行特典制度を定めておるものでございます。この善行特典制度は、現在巣鴨プリズンにおいて行われておりますものをそのまま踏襲したものでございまして、この制度は英米の行刑にも広く認められておるところでございますが、在所者が刑務所の規則をよく守つて忠実に服役しておる場合には、一定の割合で刑期満了の日が自動的に繰上げられるのでございます。アメリカの一般刑務所と違います点は、原則として在所者全部のものに適用されるということに本法案がなつておる点でございます。この点は在所者にとつて有利な点であると考えるのであります。善行特典制度の適用による刑期満了の日の繰上げは満期釈放と同一の効果を持ちますから、保護監督はその日までで終了します。仮出所の取消しもそのものにはできないことになると考えておるのでございます。但し言渡刑期そのものの変更にはなりませんので、従つて仮出所の適格性の条件である刑期の三分の一という場合の刑期は、言渡刑期、又は刑の軽減により減刑された刑期を言うのでありまして、善行特典制度の適用による繰上げはこれとは関係がございません。この善行特典制度の適用につきましても、先に未決拘禁の場合に申上げました通り、あとに申上げまする第三十九条によりまする制限がございます。これは関係国の同意が必要であるということになつておるのでございます。その第二項はその繰上げいたしまする日の定めでございまして、これが一から五号までそれぞれ異なつた計算方法になつておるのでございます。その善行特典制度は有期の刑についてございますもので、無期刑にはございません。そうして有期の刑につきましては、刑期が六月以上一年未満の者、刑期が一年以上三年未満の者、刑期が三年以上五年未満の者、刑期が五年以上十年未満の者、刑期が十年以上の者、十年以上の有期懲役の者等につきまして、それぞれ一カ月について何日を繰上げするかという点で差等があるのでございます。これはすべて現在巣鴨プリズンにおいて行われておるそのままの計算方法でございます。第三項におきまして、その期間の計算方法を規定いたしておるのでございます。第四項は端数になりました場合等の、三十日以上にその繰上げ日がなつた場合には、三十日を以て一月として計算するということを明らかにしておりますが、これは只今巣鴨でこの通りの方法をとつておるので、これを明らかにしたのでございます。第五項におきましては、二刑以上ある場合におきまして、その執行の方法と期間の計算方法をここで定めておるのでございます。つまり二つの刑が継続して執行する場合と、並行して執行する場合、それぞれに分けてここでこれが定められておるのでございます。第六項におきましては、これは未決拘禁の期間並びに連合国軍最高司令官か、或いは各関係国の手許で刑を執行せられておりました期間等のすでに経過いたしましたその期間につきましても、この善行特典制度が適用せられるということをここに規定しておるのでございます。又仮出所後の期間につきましても、これが適用せられます。それから刑の軽減によりまして有期の刑に変更せられた場合、その変更前の拘禁又は刑の執行の期間というものについても同様に善行特典により刑期の短縮がなされるということを規定いたしておるのでございます。第七項におきましては、刑の執行の途中におきまして、刑期が変更せられた場合に、その刑期の計算をするのに、先に申上げました五つの種類の基準のうち、どれを適用するかについて定めておるのでございます。それは変更後の刑期を土台にして、その刑期に当る計算方法を以てこれを計算するということになつておるのでございます。以上、第十一条は善行特典の意味とその計算の方法等を一条にまとめて規定したものでございます。第十二条におきましては、この善行特典を剥奪する場合、或いは回復し得る場合を規定いたしておるのでございます。剥奪し得るのは刑務所の規則に違反した場合でございまして、それはすでに出られることになつておりました「期間の全部又は一部をはく奪することができる。」ということにいたしております。又その後の状況によりまして、剥奪した期間につきまして全部又は一部を回復することができることも必要であろうと考えまして、それを第二項に規定いたしておるのでございます。これはいずれも現在巣鴨プリズンにおいて行われております制度を規定いたしておるのでございます。第十三条におきまして、執行に関する疑義を問い質す途を認めようといたしておるのでございますが、戦争犯罪の判決は未決日数の通算とか、或いはその計算方法が非常に複雑でございまする点、善行特典制度の適用があつて刑期満了の日が繰上げになるというようないろいろな複雑なことがございますので、特に法務総裁に対して、その刑の執行に対するいろいろな疑義を問い質すことを特別に認める必要があろうと考えまして、本条文を設けたいと考えておるのでございます。第十四条は、在所者の逃亡に関する規定を置いておるのでございます。第十五条も、これに関する収容状を規定いたしておるのでございます。在所者が逃亡いたしました場合に、特別に逃走罪は構成するものとはいたしておりませんけれども、これを復監いたしまするために、勿論日本の監獄法による原状回復の意味の逮捕はできまするし、同時にそれ以後におきましても、収容状を発してこれを再び収監する必要がございまするので、その収容状を発し得ることと、それにその取扱いにつきましての関係条文をここに明らかにしたのでございます。

 以上で大体総則と刑の執行につきましての逐条説明を申上げた次第であります。

 ちよつと先ほど第七条のところで説明申上げました中で監獄法第十二条と申上げましたが、これは十一条の間違いであります。訂正いたします。

[003]○政府委員(斎藤三郎君) それでは私から、仮出所以下のことにつきまして逐条概略を御説明申上げます。

 第三章は条約十一条によりまして、条約発効後一定の条件の下で行うことができることになりますパロールにつきましての手続の規定をいたしております。パロールと言いまするのは、丁度国内法で言いますると、刑法二十八条以下の仮出獄の規定と、これに関連して設けられておりまする犯罪者予防更生法の保護観察に関する規定とが、丁度合せまするとパロールに実際に即応する、こういうことでございまして、さような意味合いでこの章が構成されております。

 第十六条は、在所者についてパロールを許され得る、在所者がパロールを許されることのできる資格と言いますか、適格性を規定しております。国内法におきましては刑期三分の一、無期については十年の執行を終つて、改悛の状あるものと、こうなつておりますが、この章の十六条におきましては、刑期四十五年未満の者についてはその三分の一、四十五年以上の者或いは無期の終身に亘る者については十五年を経過して、且つ刑務所の規則を守つておると、こういう人が仮出所の適格性を持つと、こういうふうに相成つております。日本では二十年以上というのはないのでございまするが、少し古い統計でありますが、四十年という人が二十一人、四十一年以上の人が四人もあるというようなことで、かような規定にはなつておりまするが、又この十五年というのも現在巣鴨プリズンにおいて行われておるパロールの条件と同一でございます。第二項は二つ以上の刑のある場合に継続執行の場合にはそれを合算する。同時執行の場合には長い刑期によるのだと、こういう規定を引用いたしてございます。第十七条は、パロールの申出と言いますか、適格性を有する在所者が審理を受けようとする手続でございます。この申請は刑務所の長を経由して中央更生保護委員会に対して申請をする、こういうことに相成つております。これには文書を以て申請することにいたして、その文書の記載事項といたしましては、一は、パロールになつたのち帰つて行くべき予定地、帰住地の同居者、その者との関係、その者の健康、職業及び経済状態、将来無事にパロールの期間を終るかどうかということを判断いたす資料でございます。二が、戦争犯罪に問われた事実、共犯者との関係並びに酌量すべき情状、こういうことを書いてもらう。それから三は、拘禁を受けた期間及び施設の名称、所在地、四はその他参考となるべき事項、こういうものを書面にして刑務所の長を経由して委員会に申出てもらう、こういうことにいたしております。なおパロールということが、要するに自分がパロールを許されれば守るべき遵守事項を守つてやりますという一つの誓約を以てなされるという関係でございまするので、本人が申請をしないというものに対してパロールをするということは無意味に近いのでありまして、この十七条の申請によつて審理が開始される、こういう考え方に相成つております。三項は在所者が心身の故障によつてこの書面を作ることができないという場合には、刑務所の職員が代書することができることにいたしております。第四項は、在所者から申請書を受取つた刑務所長は、速かにこれに対して意見を附して、その者にかかる判決書の写及び在所中の成績その他刑の執行の経過の概要を記載した報告書を添えて、委員会に進達する、こういう手続にいたしております。第十八条は、在所者の親族、知人その他の関係者は委員会に対して文書を以てその者のパロールをやつてほしいという願出をすることができる、こういうことにいたしております。これはあと、この願出があつたときには必ず委員会が審理を開始するということにはならないのでありますが、その場合には、本人が見込みがあるという場合に、若し本人から申請のない場合には適切な処置をとることもできまするし、又外におる人の気持も考えまして、かような規定があるわけでございます。この願出書は委員会に対して出すべきことになつておりまするが、仮に若しこれが刑務所に出された場合には、刑務所長はすぐにこれを委員会に進達しなければならないということが二項でございます。第十九条は、かようにして委員会が仮出所の申請書を受理いたしますると、先ずこの申請書の書類を調査いたしまして、第十六条に言つておる適格性のあるなしを判別する。そうしてまだ刑期三分の一に達していないというような場合には、決定を以て内容の審理に至らないで却下をする。適格性のあると認めたときには内容に亘つて審理を開始する。これが第二項でございます。第三項はその審理方法でございますが、その審理に当りましては申請書或いは家族、知人等の願出書、刑務所の報告書その他委員会に提出された資料を十分検討することは当然でございまするが、それでもわからないという場合には補充して調査も行い、又特に必要がある場合には外国に照会をしてその判断の適正を期す、こういう趣旨でございます。このパロールの審理につきましては、単に書類点検だけでは不十分でございまして、面接をするというのが現在も司令部のパロール、ボードによつて行われているところであり、今後もこの審理に当つてはさような具体的な手続が行われることと考えております。第四項は、かように委員会が審理をいたしました結果、条約第十一条に定めるところによりましてパロールの勧告をするということが相当であるかどうかということを委員会は会議を以て決定する。そうして第五項におきまして、その会議の結果、勧告が相当であるという場合には、法務総裁にその旨を報告して、これが日本国として外国に勧告するという手続に参るわけでございます。この第十九条から二十条の間までは法律ではこれを政令に譲つておりまして、国内のさような勧告の手続については、この法案の第三十五条におきまして政令を以てこれを決する、こういうことにいたしておりまするが、これは国としていたしまする関係、又渉外関係でありますることから、閣議に諮り、そうして外務省を通じてそれぞれ関係国に勧告をする、折衝するということになると思います。第二十条は、さような勧告の結果又十分なる折衝の結果、委員会がその渉外関係から平和条約十一条に定める関係国の決定があつた、そうして日本国の勧告に副つた決定があつた、そうして仮出所は許すことができる、こういうことになつた場合には、実際上の仮出所の指定の期日やら、或いはその人が出てから守るべき特別な遵守事項をここで必要がある場合にはきめて、これを巣鴨刑務所のほうに連絡をする、こういうことに相成るその根拠規定でございます。 二十一条は、さような刑務所に対する通知によりまして、巣鴨からパロールになつた人が、その残刑期が満了するまで委員会の監督の下で保護監督に付せられる。この保護監督は国内法で言いますると、犯罪者予防更生法の普通の仮出獄者に対しまする保護観察と大体似たことに相成ります。ただ国内法上何ら犯罪者ではないのでありまするから、保護監督という別個の名前を用いまして、そうしてその方式等は犯罪者予防更生法の必要な条文を準用いたしてございます。なお刑期の満了につきましては、先ほど古橋局長から御説明を申上げました通りに善行特典が設されることになります。具体的に、甚だラフな計算でございまするが、刑期十年の人は三年数カ月で仮出所が許され得る、そうして許されれば残り三年数カ月だけ保護監督に服して、事故なければ残りの三年数カ月は、丁度年の三分の一でございまするが、それは善行特典によつて残刑期の数量が繰上がる。結局そういつたことで全部無事に済めば、それで終る。こういうことになるものと考えております。第二十二条は、パロールを許されて仮出所中のものが仮出所の期間中に逃亡したり、或いは遵守すべき事項を遵守しなかつた場合に取消すことができるということに相成つております。これは必ず取消さなければならないというものではなくして、情状によつて取消すこともできるということに相成つております。その後段は遵守事項を守らなかつたというような情状が重大である、或いは虚偽の陳述によつて仮出所が許されたということが明らかになつた場合には、当然取消さなければならないというのが二十二条でございます。日本の仮出獄においても再犯を犯したり、或いは遵守事項を守らなかつたという場合には取消すことができるという規定に相成つております。第二項はその取消処分の審理でございまして、これはやはり「委員会が審理し、決定をもつて行う。」ということになつておるのであります。三項におきまして、取消の審理につきましては仮出所中の者が逃亡した場合を除いて、その者に十分弁解の機会を与えなければならないという規定でございます。第四項は、さような審理の結果「仮出所の処分が取り消されたときは、その者は、善行特典の日数の全部を失うものとし、且つ、仮出所中の日数は刑期に算入しない。」、これもほぼ仮出獄の取消になつた場合に、取消前の仮出獄中の期間が刑期に算入されないのと即応しておる点でございます。勿論この善行特典の日数の全部を失うということになりまするが、その再収容後の情状によつては、又それを回復することができる規定は十二条にございまして、その後の情状によつては又一遍失つた善行特典の日数を回復することができることに相成つております。第五項は「委員会は、仮出所の処分を取り消したときは、直ちに、その旨を刑務所の長に通知しなければならない。」そうして第六項は、その通知を受けた刑務所の長は、必要がある場合には収容状を発する、これが二十二条の処分取消の関係の規定でございます。二十三条は、これは処分取消をするかどうかという場合に審理をしなければならない、その審理中の必要な規定でございまして、仮出所中のものが逃亡或いは遵守事項を守らなかつた、或いは虚偽の陳述によつて仮出所を許された、こういうことを疑うに足る十分な理由があるときには、仮に仮出所の処分を取消して、そうして仮収容状を出すことができる。それは、その第二項におきまして「前項の仮収容状は、委員会の委員の指揮により、保護、観察官又は法務府事務官が執行する。」、そうして第三項におきまして「警察官又は警察吏員は、委員会の依頼により、仮収容状の執行をすることができる。」、第四項におきまして、「仮収容状の執行を受けた者は、監獄その他適当な施設に収容することができる。但し、その期間は、十日をこえてはならない。」、そうして第五項におきまして、その十日の「期間中であつても、収容の必要がないと認めるときは、直ちに、本人を釈放しなければならない。」、第六項におきまして、仮収容の期間は仮にその審理の結果取消されたという場合においても、これは身柄の拘束を受けておるのでありますから、刑期に算入する、こういうことにいたしてございます。

 第四章は現在巣鴨プリズンにおきまして、緊急一時仮出所という名前で行なつている制度を、これは在所者にとつて利益の制度でございますので、これを採用したい、こういう考えでございます。これは国内法の執行停止というものに考え方が類似しておりまするが、その原因とか、或いはその効力において相当違いがございます。この巣鴨プリズンにおきまして現在実施しておりまする緊急一時仮出所は、現在巣鴨プリズンで行われておりまする。パロールの基礎になつておりまする同章にはない規定でございますが、人道上当然であるという見地からであろうと思いますが、同章でなくて実施されているものでございます。そういう利益の制度でありまするので採用しております。二十四条はその一時出所ができる理由といたしまして、第一には「在所者の父母、配偶者又は子が死亡したとき、又は危篤であるとき。」という場合でございます。第二は、在所者の子供、而も未成年の小さな子供が現在世話になつておる、或いは監護されているその人が、在所者の小さな子供の面倒を見ている人が死んだとか、或いは死にそうだという場合には非常に気の毒でありますので、これも第二として事由にいたしております。第三は、震災であるとか、風水害、火災或いはこれらに類する災害、実例といたしましては、先年福岡の近くで連合軍の飛行機が墜落をいたしまして、丁度巣鴨に入つている人の家ですか、親戚の家ですか、その上に落ちまして、七、八人の人が亡くなつたという場合に、やはりこれもこの事由によりまして緊急一時仮出所を許しております。こういつた不測の災害の場合であつて、在所者又はその近親の住居、家財が破壊され、或いは滅失し、本人が出向かなければ跡始末に困るというような場合、この三つの場合には委員会の許可によつて在所者の一時出所ができる、こういうことにいたしております。但しこの父母、配偶者又は子供がなくなり、或いは死にそうだとか、或いは在所者の子供さんの面倒を見ておる人が死んだとか、死にそうだとかという場合には、その危篤のたびということでは甚だ濫用に陷る虞れもありますから、六カ月以内に同一人の死亡又は危篤を理由としては二度はできないというのが但し書でございます。そうして第二項はその期間でございます。この期間は現在は余り長くないのでありまするが、日本の交通の事情等もございまするので、この法案におきましては、「目的地までの往復の日数を除き、五日をこえてはならない。」、こういうことにいたしてございます。第二十五条はその手続でございまして、この一時出所は在所者又はその親族、知人、知友その他の関係者が委員会に対してその規則の定める法式によつて文書を以て願い出る、こういうことにいたしております。その添付書類といたしましては、亡くなつたとか、或いは危篤の場合には、その状況を記載した医師の診断書、検案書又は死亡証書、こういうものを付ける。それから天災等の場合には、その状況を明らかにして、そうしてそれについての市町村長或いはその代理者の証明書を添付してこれを願い出れば仮出所を許される、こういうのが二十五条の規定でございます。二十六条は一時出所を許された場合には、委員会はその人が一時出所中の守るべき事項を定めて誓約させ、且つ観察官であるとか、或いは法務府事務官のうちから監督に適当な人を選んで同伴をさせ、監督上必要な措置をとることにいたしております。第二十七条は、この一時出所中の人が逃亡したり、或いは守るべきことを誓約した事項を守らなかつたという場合には、委員会は決定を以て善行特典の日数の全部又は一部を剥奪することができる。二項は前項の決定をした場合、委員会はその旨を刑務所の長に通知しなければならない、こういうふうにいたしまして、第三項におきまして、それらに必要な遵守事項を守らなかつたという場合、その情状が重いとき、或いは嘘をついて一時出所したという場合には必らず取消さなければならないというのが二十二条の第一項でございますが、第二項は、委員会が審理をして初めて決定する、第五預は刑務所の長への通知の規定、第六項は逃走した場合には収容状の必要も考えられますので、その規定を準用してございます。それから第四項には一時出所の処分が取消された場合の効果でございますが、一時出所中の日数は刑期に算入されない、こういう規定にいたしております。結局この半面におきまして、国内法の執行停止は刑期に算入されないのでありまするが、この法案の制度に対しては一時出所中の日数は当然算入される、ただ取消された場合に算入されない、こういう趣旨でございます。それから第五項が、この一時出所の場合に同伴に当る者は、観察官或いは法務府の事務官は本人が逃亡を企てたり、或いは守るべき誓約事項を守らないというような十分な理由がある場合には、直ちにその者を刑務所に取戻すことができることを規定したものでございます。なお四章の一時出所というものは関係国の決定なしで、日本側だけで行うことができるという建前でございます。

 第五章は赦免及び刑の軽減でございます。この赦免、軽減ということは国内法で言いますると特赦とか、執行の免除とか、刑の軽減は、まあ減刑ということに近いことであると存じますが、国内法上の犯罪ではございませんので、別個の名称を用いてございます。二十八条は在所者及び仮出所中の者はこの赦免及び刑の軽減の適格性を全部持つておる、仮出所のように一定の年限の執行の経過ということを条件とせず、事案によつて誰でも事案が相当ならば赦免なり、軽減の審理を受けることができると、こういうことにいたしております。二十九条はその手続きでございまするが、在所者或いは仮出所パロール中の者が赦免又は刑の軽減の審理を受けたいという場合には、在所者は刑務所の長を経由して、仮出所中の者は直接委員会に対して文書を以て申請することにいたしております。第二項は、在所者又は仮出所中の者の親族、知友その他の関係者は委員会に対して文書を以て赦免又は軽減の願出をすることができるということにいたしております。そうして第三項において、その場合の記載の事項であるとか、又本人が在所者であつて、本人が書けない場合は刑務所の職員が代つて代書することもできる。委員会に出すべき書類を刑務所へ出した場合には、刑務所が委員会に進達するというような必要な仮出所についての条文を、この赦免、軽減の申請願出に準用いたしております。第三十条は、それらの審理でございまして、委員会は赦免又は刑の軽減の申請書、本人からの申請書、或いは関係者からの願出書を受理したときには審理を開始しなければならん。そうして刑務所長も文書を以て申出ができますので、その申出があつた場合にはやはり委員会は審理を開始する。更に第二項におきましては、委員会は本人からの申請なり、関係者からの、知人、親族、家族等の願出、或いは刑務所の長の申出がない場合でも事案相当である、そうして必要ありと認めた場合には職権で審理を開始することができる。こういう建前をとつております。第三項は、かように窓口を幾つも持つておりますので、その願出、申請願出、申出が重なつて二つ以上あるという場合に、成るべくそれを併合して審理するという建前をとつております。第四項におきましては、赦免又は刑の軽減の審理に当つては、委員会は刑務所に照会を発して、判決書の写しやら、在所中の成績その他刑の執行の経過の概要を記載した報告書を取寄せるほか、刑務所の長の意見も徴し、又本人以外から願出た場合には本人の意向も確める、こういうことにいたしております。第五項は、その審理に当つて、十九条にございまする書面だけでは足りない場合に、関係者において直接調査をして補充調査をするとか、或いは関係国に照会を発する、こういうような規定、そうして審理をすれば、勧告するかしないかを決定しなければならない。そうして勧告を相当とする場合には法務総裁に委員会は報告をする、そうしてそれが閣議を経て外務省を通じて関係国に参る。この規定を五項といたして置きました。その国内の勧告の手続につきましては、あとに出まする第三十五条におきまして、政令において定めることにいたしております。それから三十一条は、かようにいたしまして、条約十一条に定める勧告と、そして関係国の同趣旨の決定があつたという場合に、委員会は赦免なり、刑の軽減ができる、赦すことができることに相成りますので、速かにその実施の手続をするという根拠規定を置いております。

 以下第六章は雑則でございまして、三十二条は、委員会はこの法律によつてその権限に属せしめられた事項の調査について刑務所その他の公務所に対して書類の提出を求める。それから三十三条が関係国に対する連絡通報を敏速且つ円滑に行うために、刑の執行に関する書類は法務総裁において、委員会においては赦免とか、刑の軽減であるとか、仮出所、及び一時出所に関する書類を常に整備して置く。それから二項におきまして、勧告の手続をとるに当つては、委員会は、関係国に提出すべき書類として、左に掲げる書類で当該事案に関するものを、それぞれの事案ごとに整備しておく。申請書の写或いは家族等の願出或いは刑務所長の申入書の写、或いはその要旨を記載した書類、それから在所中の成績、行状刑務所長のそれらについての報告書、それから意見書或いはその要旨、それから仮出所中の成績を明らかにした書類、遵守事項とか、医師の診断書、それらの関係書類を提出する。それから第三項におきましては、入所、出所、病院への移送及び病院からの復所、死亡、逃亡、こういうことを一月ごとに取りまとめて、翌月の初めに関係国に通報する。委員会は赦免をしたとか、刑の軽減をしたとか、仮出所をしたとか、或いはそれらの取消、一時出所、刑期の満了、死亡、逃亡ということを同様に整備して、翌月初めに関係国に通報する。それらのほか関係国からの要求がある場合にはそれらの事項を通報する。六項におきましては、刑務所長は委員会に関係のある入所、出所、病院移送その他の事項があつた場合には、委員会に報告する。それから第三十四条におきましては、刑務所長が関係国から申出のあつたときには刑の執行の状況の視察或いは在所者に対する面接を許さなければならない。第三十五条におきましては、先ほど申し上げましたように、法務総裁に報告して、それから関係国に参りまするまでの手続、それから関係国から外務省を通じて内閣に参る。内閣から委員会に参りまするまでのいろいろな手続は政令で定める。三十六条につきましては、それらのほかに第二章の執行に関する面におきましては、その必要な事項細則的なものは法務府令で定める。第二項につきまして、刑務所長は処遇細則を定めることということ、それには法務総裁の認可を必要とする。それから三十七条におきましては、この法律及び三十五条の渉外関係の政令のほか、委員会の権限事項に関する事項細則は委員会で定めるということに相成つております。

[004]○政府委員(古橋浦四郎君) 附則第三十八条、施行期日でございますが、この法律は御承知のように平和条約の効力発生の最初の日から実施が必要となりますので、その日を施行日にいたしたいと考えております。次に三十九条の、この法律の適用につきまして、特に規定しておりますのは、この法律の施行後におきまして、関係国から残刑の執行のために日本に管理を移されて参りまする戦争犯罪人につきましても、この法案の適用があるという建前をとつていることを明らかにしているのでございます。第二項は、これは先に申上げましたように、未決勾留日数の通算及び善行特典制度の適用につきまして、関係国の用意が必要であるということを明らかに規定しているのでございます。その同意がない場合には適用されない。これは裁判に対する実質的な変更であります。恩典制度にも等しいのでありますので、必要があろうと存じた次第でございます。第三項は、仮出所及び一時出所に関する規定は、先に連合国最高司令官又は関係国によつてすでになされた者につきましても同様に適用がある旨を定めてあるのでございます。

 なおこの法律施行後、関係国から仮出所によつて保護監督の実施のために移されたものにつきましても同様でございます。第四十条は、法務府設置法の一部を改正する必要を認めまして、この条文を設けたのでございまして、第一条におきまして、法務総裁の権限事項に、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律の規定による刑の執行及び赦免等に関する事項」を加える必要がございます。第七条におきまして、この法律により第六号を加える必要がございまして入れたのでございます。次に第十三条でございます。六号といたしまして、巣鴨刑務所の設置を規定いたしております。なお十七条は、今回の規定の関係上、条文の整理のため改正を必要とするものでございます。

 

13 参議院 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 5号 昭和27年04月04日

[004]○政府委員(龍野喜一郎君) 私どもが考えておりますのは、伊藤さんの御質問に対して適確なる答辯となるかどうか知りませんが、いわゆる戦犯者に対する刑というもの、これは国内法上の刑とはその質を異にしておるものである。即ち刑法各條に定めるところのいわゆる刑という観念を以て律すべきものではなかろう、これは一にかかつて戦犯であると認定いたしました連合国側の定めるところによりまして裁きを受けたわけでございまして、わが国内法上におけるいわゆる刑とは違うものであろうというふうに考えております。併しながらこの條約によりまして我が国はそのよつて起つたところの如何を問わずその裁判は受諾することになつております関係上その受諾した以上は、受諾し且つその刑の執行を引受けておる関係上、結果的に見ますればその刑の執行に当りましては、巣鴨プリズンですか、というようなところに収容いたしまして嚴齋に執行しているわけでございますが、お尋ねのこの刑というものの考え方は国民感情としても私は国内法上のいわゆる刑法の各條に進めておるいわゆる刑並びに罪とは違うものであるというふうに考えております。

[005]○伊藤修君 ですから国内法上の刑でもない、又諸外国においての裁判所で言い渡された刑でもない。いわゆるこの今次の戦争がもたらしたところの結果において言い渡されたものであるから、そうした刑というものは何を意味するものか、それをお尋ねしているのです。違つておることは我々でも知つておりますよ。それはいやしくも日本国民を拘禁して行くのですから、その刑の本質もわからずして拘禁するという理由はないのですね。條約でそういう定めをしたから何が何だか知らんけれども拘禁して置くのだと、そんな不見識なことはあり得ないと思うのです。それじや我々は全く連合国に隷属したところの一属国民に過ぎないですよ。我々は少くともその條約に定められた義務を引続いてこれを履行して行こうというのには何がためにこれらのいわゆる人々を戦犯としてその身柄を拘禁して行くのか、何を彼らに今後拘禁のうちに求めるのか、それがわからずして拘禁して行くというあり方は私たちとしては到底考えられないのです。従つて基本的なものを我々としてははつきり認識して、その下にこれらの法律によつてすべてを賄つて行くというあり方が一番正しいのじやないか、本質も究めずして、ただ与えられた條約をそのまま履行して行くという事務処理的なお考え方では納得できないと思うのです。今すぐじやなくともよろしうございますから……。

[012]○伊藤修君 今のような問題を究めて行かないということは、例えばこの巣鴨刑務所という僅かの形式の問題になつて来ますけれども、刑務所自体に対しても私は好ましくないと思う。本質が明かになりさえすれば、結局刑務所という名前は不適当じやないかと思う。例えば拘置所とか収容所とかいう名前になつて行かなくちやならんです。刑というものに対する本質が明かにならんから、漫然刑務所として受入れている。そうすると、そこを出所するということは、あたかも前科者が出所して来るというような感じを抱かしめる。国民感情の上においても、いわゆる国内法での刑と同一視せられるという震れがある。こういう点はやはり私たちとしては考慮すべき必要があるんじやないか、こう思いますが、やはり基本問題を明かにしないというと、こういう問題がなおざりにされて行つちまうということになるんですから、そういう点は後で御懇談を申上げるとして、私はやはり全体的に本法を成立させる上において明かにする必要があると思う。若し明かになりますれば、やはりこの刑務所という名前は、これは岡部さんも御同意のようであると思いますが、私はこういう名前は廃止すべきじやないかとこう思うのですが…。

 次にお伺いしたいことは、この第五條ですね、五條で、「但し千九百五十一年七月六日に国際刑法及び刑務委員会によつて承認された被拘禁者の処遇に関する最低基準その他の国際慣行を尊重するものとする。」とあるこの「承認された被拘禁者の処遇に関する最低基準その他の国際慣行」というものはどういうものであるか、これをお示し願いたい。ここでも等しくやはり被拘禁者と、こういう表現を使つておるのです。被告人とは言わない。何かそこに異つたものがあり得るのですか。

[016]○伊藤修君 それはちよつとどうかと思うのですね。基本的な考え方として私は外地にいるこれら不幸な死刑囚を日本に身柄を取つて、そうして助命の機会をつかむというあり方が一番いいと思うのですが、なぜ積極的に政府はそういう考えにならないのでしようか。死刑囚は引取る考えはないのだという考え方は私は納得できないのです。死刑囚なるが故にそれは外地において見殺しにするという考え方なら、これをも何ら考慮する必要はないのです。我々は目前に死を待つこれらの不幸な人々の身柄をこつちに引取るチヤンスをつかむべきじやないか。そうして引取つたものを法の運用によつてこれらの助命の機会をつかむように一日も生かしておいて、そうして私はあらゆる機会をつかんでこれらの人の助命の目的を達成すべきじやないですか。死刑囚を引取る考えはないのだと言つて、本法で、賄わないのだという考え方は私は絶対に賛成しがたい。従つて、死刑囚をも引取るのだという法の建前をとつておかなくちやならんと思う。してみますれば、そういう根本的な考え方なれば、諸外国に現在生きておる死刑囚は日本に引取るべき機会はあり得る、又引取らなくちやならん。こういう信念で行けば、引取つた、場合にこれに処するところの規定を設けておかなくちやならん、刑法第十一條に死刑囚に対して特段に規定があるのだから、こうした規定が直ちに本法で適用できるとは考えられないのです。身柄を引取つたならば、死刑囚に対するその規定をそのまま適用なさるという、漫然とお考えのようですけれども、これらは国内法的な刑罰法を受けておる被告人じやないのですから、刑法十一條が直ちに適用されるとは考えられない。やはりこれに準用するとか、これに附属したところの條文をここに書き込まなくちやいけないじやないですか。

[017]○政府委員(清原邦一君) 只今の御説明は、或いは不十分であつたかも知れませんが、実は御見解通り当局としても考えておるのでございまして、先ほど申上げましたのは、死刑囚をそのまま外地に拘置するという意味では全くないのでございます。死刑囚は、でき得るだけこちらに引取つた場合には、その死刑囚赦免、減刑等の勧告をする考えなのでございますが、死刑の執行そのものをこちらで引受ける考えはない。その意味で申上げたのでございますから、御了承願いたいと思います。

[018]○伊藤修君 それじや前のほうの訂正、補足だけであつて、あとのほうの御答辮がないですね。それから死刑囚を引取つて、日本で以て絞死刑に処するという考え方は、勿論ないのです。併し一応死刑として言い渡されて、向うで拘置されておるのですから、その死刑を私どものほうで引受けましようと懸引き上当然言つてもいいことです。私どものほうへくれれば助けてしまうと言えば、引渡しやしない。日本人は日本人によつて処刑するから、こちらへよこして下さい。身柄を引取つてしまえばこつちのものですから、こちらであらゆる機会をとらえて赦免することを考える。初めから赦免するから引渡して下さいと言つたつて、引渡す気には絶対にならないでしよう。だから死刑囚をも我々が担当するのだ、何となれば條約十一條によつてその執行を委託されているのだ。刑の執行といえば死刑をも含むのだから、條約の全文から言つても当然包含されるところの事項だから、まさに我々のほうに引渡すべきである、こう要求して私はいいと思う。先ずそれで死刑執行を我我が引受けるのだと、こう表面上打出して引取つて、然る後に国内的に処置すればいい。必ずしも引取つたから、後生大事に、くそ正直に殺してしまう必要は毫末もない。その後において皆さんにおいて適当に御処置あつて然るべしです。條約正文からすれば、これをも私は引取る機会があるのだから、死刑執行はこつちがいたしますと言つて引取るべきです。そうして、国内においてあとは処理すればいいですから、今日全国で以て、諸外国におるところの死刑囚に対して、各国の元首に対しまして国民が切なる要求をして、助命運動をしておるものですから、まさにこういうチャンスをつかまえて、政府みずから助命のチャンスをつかむべきことに働きかけることがいい。従つて、法文の上においては、死刑はやれない、そうするつもりはないのだというてんからそういう頭があるから、それは除外してしまうという結果になつてしまう。それを引受けるのだという考え方でやはり條文をお書きになつたほうがいいじやないかと思う。然らばその者を引取る場合においては、この法文だけでは、根本的に起草するときに死刑囚を引取らないという起草の仕方だから死刑囚に対するところの手当というようなものは考えておられないだろうと思う。今大体御説明になつたのを聞いても、それは、この法文では賄なつていないと思う。私どものほうでその死刑囚を引取るという考え方に対して御賛同ならばそれに対するところの法文の手当を虚心坦懐にお考え下さつたほうがよろしいと思う。

[019]○政府委員(清原邦一君) 只今の御説明は、或いは不十分であつたかも知れませんが、実は御見解通り当局としても考えておるのでございまして、先ほど申上げましたのは、死刑囚をそのまま外地に拘置するという意味では全くないのでございます。死刑囚は、でき得るだけこちらに引取つた場合には、その死刑囚赦免、減刑等の勧告をする考えなのでございますが、死刑の執行そのものをこちらで引受ける考えはない。その意味で申上げたのでございますから、御了承願いたいと思います。

[020]○伊藤修君 こういう法文の体裁にしたというのは、それを引取つた場合に、どうするのですか。法文の根拠がないじやないですか。

[021]○政府委員(古橋浦四郎君) 引取つた場合には、監獄法によりまして、未決囚の規定が死刑確定囚についても準用されるように、同様に解しておるのでございます。

 

13 衆議院 法務委員会 32号 昭和27年04月14日

[124]○鍛冶委員 一昨日も質問したのですが、この十一條によつて、日本に預かりまする戰犯者といいますか、その性質ですが、これは日本の犯罪者でないことはもちろんであります。日本の犯罪者にあらざる者を日本国が留置するのは、これは十一條に基くのですが、日本の法律上の地位はどういうことになりますか、日本の犯罪者にあらざる留置人、拘置人でしようが、一番問題になるのは、もしこの人々が新たなる犯罪を犯した場合には、いわゆる前科となるか、そういうことを具体的に……。

[125]○佐藤(達)政府委員 あとのお尋ねで非常にはつきりいたしましたが、これはもとより普通の国内犯罪とは性格の違うものでありますから、前科あるいはその他の裁判等の場合とは全然別のものであります。すなわち前科等の扱いにならないというふうに考えております。

[144]○田万委員 私は日本社会党を代表いたしまして原案に賛成するものでございます。但しここで一つ申し上げたいことは、二回にわたりまして私が質問いたしました点でございますが、戰犯と一律に言われておりますが、戰犯に値せざる者が戰犯として間違つてこういうところにつながれておる人がないとも保証しがたいようなことを、私どもはほのかに聞知しておるのであります。この委員会に、御承知の通り戰時中に連合国人に対して誤つた裁判がなされたかもわからない、またそういう事実があるということを前提として再審をする法律案が出ておるような実体から考えまして、私は人道上の問題から言つても、また法律の公平正義の観念から申し上げても、負けたわれわれの国ではありますけれども、ただいま申し上げた点から、連合国においても戰犯に値しない無実の、罪なき人間を釈放するということは、これは当然の義務だと考えておるのでありまして、この法案が通過したあかつきにおいて、政府においてはすみやかにその公正妥当なる、しかも強力にして卑屈でない態度をもつてこの問題の解決に当られんことを希望しつつ、本案に賛成する次第であります。

 

13 参議院 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 7号 昭和27年04月17日

[003]○参考人(榎本重治君) 只今委員長から御懇篤な御紹介がございまして誠に有難うございます。誠に不束な者で、十分御期待に副うようなことを申上げることができるかどうか甚だ不安なのでございますけれども、事極めて重要な又むずかしい問題で、先例なども余りありませんので、この法案などを審議される上において非常に御困難なことと存じますが、その御参考に幾分でもなれば甚だ仕合せだと存じます。

 私は、実は先週巣鴨の拘置所に戰犯者を見舞に行きまして現実にその状況なども拝見して、皆さんのお話なども承わつて来まして、一層この問題が容易ならない問題であるということを感じて来たわけでございます。何から申上げてよいかとちよつと見当がつきませんですが、取りあえず先ず戰犯を今回のようにやつた例があるかどうか、今までに……。それから又今までの例は一体どういうふうなのが建前であつたかをちよつと申上げて見たいと存じます。

 御承知の通り講和條約というものは、今までの戰争の原因をすつかり忘れてしまつて、そうしてお互いに将来は仲よく世界の間に立つて行こうというのが、普通の場合それが根柢になつておるのであります。中にはそうではなくて、ただ押付けて、殆んど征服に近いようなふうにして戰争の終結を見る場合もありますけれども、それは特殊の場合で、普通の講和という以上は、お互いに只今申上げましたように、本当の仲直り、ひらたく言えば仲直りをして、もう昔のことは水に流して、きれい、さつぱりにしようじやないかというのででき上るのでありますから、従つてあと腐れのあるような、それから又悪い思い出の残るようなものはすつかりなくなしてしまおうというのが従来の建前であつたようであります。今までの第一次欧州大戰前の例などを見ますと、只今申上げましたような趣旨で以て大抵の講和條約はでき上つておりまして、従つて一番その講和條約のうちで問題になりやすいような、今まで戰争法規を破つていろいろなまあ道に背いたことをしたというようなことがあつても、お互いにそれはもう将来は條約ができた以上は、効力が発生した以上はそのことは問うまいというので、講和條約のうちでは特にいわゆる大赦の規定を、アムネステイを入れるのが多いようでありますが、併しそういう規定のない場合もありますが、講和條約というものは、只今申しましたように、すべての過去の悪いことをお互いに忘れ合おうという建前であるからして、変な思い出になるような戰争犯罪人、戰争法規違反者とかいうような者の処罰というようなことは、もうすつかり忘れてしまうという建前であるから、たとえ講和條約に大赦の規定を入れなくても、講和條約の発効と同時に当然大赦の効果を生ずるものと、そういうふうに考えておつたようであります。勿論中に多少の例外がないことはありません。学者のうちには、これは政治的な犯罪、つまり本当の純粋の戰争犯罪、戦争法規に違反したものはすべて大赦されるが、併し普通の犯罪、普通法による犯罪はそれは残るのだというようなことを言う者もありますし、更に進んで普通法の犯罪のみならず、すべての戰犯者も、裁判の、審理の途中にあるものは、そのまま講和條約が発効しても続けてもよろしいし、又すでに刑の宣告のあつたものは、その刑の執行を続けても差支えないのだという意見もあります。それは何に基くかというと、若し講和條灼が発効すれば、お互いにもう今まで捕まえておつた戰争犯罪人も釈放しなければならないというふうなことが先に見えていると、随分あとで以て自分の国に仇討をしかねない、しかねまじき人間でも放さなくちやならないということになると、これは困るからいつそのこと、それならば重罪にして、それを適当に処分してしまおうというようなふうな悪いほうに走る虞れがあるから、やはり講和條約発効後といえども、まだ適当にそれを処刑、刑の執行をしても差支えないのだと言つておいたほうが却つて安全ではないかというような、いわば非常にけちな考えで以て、そういうふうなことを述べる者もあるのでありますけれども、これはまあ併し、今申しましたように、非常な汚ない言葉ですが、けちな考えなんで、放つておけば自分の国に帰つて、又あとで仇討をするかも知れないから、この際やつつけてとまおう、こういうことをすれば又相手の国も同じことをし出して、実際犯した罪の軽重如何にかかわらず、みな最高の一番重い罪に処する、刑に処するというようなことになつて来まして、まるでそれはこの法の組織というものは崩れてしまいますから、こういう一体議論の立て方というものはできないものだと思うのであります。従いまして戰争犯罪を、講和條約発効後といえども、なお刑の執行を続けても差支えないのだという議論の根拠には、甚だ不純といいますか、けちくさいところがあつたのであります。併しながら最近になりますと、それが少し形が変つて来まして、この第一次大戦後、対独平和條約時分になると、世界の平和を維持するためには、法を以て世界の秩序を守らなくちやならない、法を尊重し、それを遵守することが世界の平和を維持する上において一番重要なことである、従つて戰争法規のような規定であつても、それに違反することは如何ような事情があろうとも、それは世界の秩序を維持する上においてよろしくないことなのである、であるからそれは嚴重に処分して、世界の秩序を維持しようというようなふうな言い廻しで、戰争犯罪、戰争法規違反者を嚴重に処分しようというふうな思想が現われて来たのであります。同時に戦争犯罪者のうちに、單に戰争の規則に違反したもののみならず、戰争を惹起した、いわゆる平和に対する罪を犯したものも、併せて戰争犯罪者のうちに入れて、嚴重に処罰しで、そうして世界の平和を維持しよう、或いは一種のみせしめというのもあるでしよう。そういうふうなまあ考え方が起つて来たわけなんであります。そこで戰争犯罪者に対する考えが少し変つて来たのです。併しこの変り方が果していいのかどうか、これは頗る疑問なのであります。講和條約をやる以上は、その旧怨を忘れて、お互いに手を繋いで世界の平和に貢献して行こうというところまで行かなければ、本当の講和というものはできるはずはないのでありますから、それにもかかわらず、一方においてはそういう心持を持つて、戦犯者はやはり嚴重に処分して、講和條約発効後といえどもそいつを忘れずにいて刑の執行を続けようというようなことは、果してそれが世界平和のためによろしいかどうか、これは甚だ疑問なのであります。特にこの講和條約が和解の條約であるとかいつて、特にその親密と現わすような、親密の意味を現わすようなことが高唱せられて、お互いに又そのつもりで、本当にこれは、従来のことはすつかり忘れて、お互いに手を繋いで行こうというところまで融け合つて来た場合において、なおそういうふうな旧怨を忘れかねるというようなところをちよつと残して置くということは、それは他国に対する見せしめのためには或いは幾らかなるかも知れませんが、それよりは、一方において旧怨を残すようなことをして置く、その失うほうの損のほうが多いのではないかと思うのであります。でありますから、戰争犯罪人を処罰して、世界の法の秩序を維持することは、近代のこの戰争放棄、或いは国際政治上の一つの新らしい考え方であるという議論もあるかも知れませんけれども、これは場合にもよりますので、本当の将来の平和を打立てるためには、そういうふうなあと腐れの残るようなことはせず、きれいさつぱりにして、本当の昔の考え方に戻つたほうが適当ではないかと思うのであります。勿論これにはいろいろ反対の意見もあるかも知れませんけれども、私はそう考えるのであります。第一次大戰前に講和條約の中に大赦の規定を入れた例なども相当な数ありますけれども、これはすでに調べたものをこちらに差上げてございますから、ここではその必要はないと思いますから省きます。この前の第一次大戦の終りの対独平和條約では、ドイツ皇帝及びその他の主要な政治家、軍人を処罰するという規定があつたのであります。それは対独平和條約の二百二十八條乃至二百三十條にあつたのでありますけれども、これは、御承知の通り、ドイツ皇帝はオランダに逃げてしまい、オランダはそれを連合国の要求にもかかわらず引渡しませんでした。それから、それ以下の要人に対する処分は、結局連合国の希望があつたにもかかわらず、ドイツからの申出によつて、ドイツみずからがその犯罪人を処罰するということで、実際は條約に嚴重な規定があるほど実行をされずに済んだのであります。このヴエルサイユ條約の規定を設けますとき、特にドイツ皇帝を処罰するという規定を設けますときに、日本は強く反対をいたしました。それからアメリカも同じく反対したのであります。併しながら、イギリスの希望によつて、遂に條約文に挿入することに結着したのであります。けれども連合国の中の心持ちが初めからそういうふうでありましたから、その実行も最初のやかましく言つたほどには行われなかつたのであります。そこで、結局本当に戦争犯罪、平和の罪を含む戦争犯罪を処分したのは、今回の戦争が初めてと言つてもいいくらいなんであります。第一次大戰のときに、そういう考えはあつたのでありますけれども、事実上実行せられずに済んだのでありますから、ここで今回の連合軍の戦争犯罪処罰の例というものは、これは御承知の通り、非常に嚴重に行われ、今までの殆んど国際慣例とまで認められておつたものに対する非常な例外を作つたような恰好になつたのであります。或いはなりかけておるのかも知れません。こういうわけでありますから、先はどもたびたび申上げましたように、講和條約の際は、お互いに古いことは忘れて、悪いことはお互いに忘れて、将来の国際平和のために協力するという建前で行くことを第一の主眼としなくちやなりませんので、殊に日本がこの間のサンフランシスコ会議において、各連合国から受けた待遇などから考えまして、又日本の地位から考えまして、アメリカと非常に緊密な関係にあらなければならず、アメリカのみならず、そのほかの連合国とも緊密な関係にあらなければならず、お互いに胸襟を開いて進んで行かなければならない状況でありますから、少くともサンフランシスコ会議で以て日本に同情してくれた国からは、やはり昔のいやな思い出はすつかり捨ててもらうことが、理窟の上から言つても又感情の上から言つても適当で、それが又将来のために非常に効果があるんじやないか、こういうふうに考えるのであります。そういうふうな見地からしまして、この今度できました平和條約の規定第十一條を見ますと、どうもこの條文をただ文字通りに解釈せずに、その精神をつかまえてできる限り各国と日本との関係が円満に行くように、そういう結果をもたらすように解釈することが必要じやないかと思うのであります。この條約の條文を見ますれば、日本が極東国際軍事裁判所又は他の連合国戰争犯罪法廷の裁判によつて刑に処せられた者を、日本がその刑の執行をするようになつておるのでありますが、これは見ようによると非常に無理な規定でありまして、普通の考え方から言えば、犯罪人というものは純粋に国際法上の犯罪人である。国際法を破つた、国際法に違反したために刑に処せられているものでありますから、これを日本の官憲が拘禁しておくということは、これはちよつと妙なことになるのではないかと思うのであります。そこでこの條約の條文のうちに赦免、減刑、仮出獄の権限の一部も日本の政府へ委ねられておるのでありますから、單にこの刑の執行だけを重く見ず、むしろこの後段の、あとで申しました赦免、減刑、仮出獄、このほうを重く見て世界における日本の地位及び連合国の大部分の日本に対するよい感情、それから従来の国際法の慣例などから併せ考えますと、どうもこの條項のこの部分を重視して、これを活用することが一番平和條約の精神にも副うのじやないかというような気がするのであります。次にこの平和條約の中の赦免、減刑、仮出獄などとありますのは、この赦免は非常に広い意味を含んでおるのではないかと思います。大赦をも含んだ意味の赦免の意味であろうと思います。或いは刑の執行を日本政府に委されている以上は、大赦ということとは両立しないのじやないかというような考え方もあるかも知れませんけれども、それはこの刑の執行と赦免に関する規定とを全然同一価値に見た場合の話であります。只今もしつこく申上げましたように、将来の日本の立場を明らかにし、それから世界の平和に貢献する上から言つて各国とも最も緊密な、友好な関係を維持して行く上においては、古いことを思い出すようなものをすつかりなくしてしまうことが一番大切と思うのでありますが、刑の執行とこの赦免との両事項を同価値に見ずに、この赦免のほうを更に強いものに考えて行けば、或いは場合によつては、この刑の執行に関することは要らなくなる場合も生じて来るのだというふうにも考えられる。又そう考えることも、あながち無理ではないとも考えられるのであります。そうして又私たちとしては非常にそれを希望するわけであります。拘禁されている人は或いは上官の命に服して誤まつて罪を犯し、或いは上官としては又それが国家に盡す唯一の道であると思つて、少し無理とは思うが、それをあえてしたというような場合もあつてその情状においては、いわばむしろ愛国の至情から出たとも言えるのでありますから、犯罪の本質の犯意というものは、一体本当のいわゆる悪い心持というものはなかつたのじやないかと思われる点もあります。それから又、こういうことを申上げていいかどうか、ちよつと憚りがあるかも知れませんが、戦争裁判をやります上において相当に無理なこともあつたんでありまサ。それから又、言葉の関係もありまして、十分こつちの意を盡すこともできず、証拠なども十分に有利な証拠を提出する機会もなかつた、或いは検察官側から提出して宣誓口供書などありましても、それに対して反対尋問をすることができない。当人は遠方に行つてしまつて呼ぶこともできないというような機会も随分多かつたんでありまして、現に私の知つている重刑に処せられた現に巣鴨にいる人などは、敵の捕虜を、ときどき行つて、外国の言葉はよくできるものでありますから、非常に慰めて、行く度に、監督している兵隊などに大切にしてやれ、捕つている人がこういう点を不平を言つているから直したらどうだということを行くたびに言つたのでありますが、それが却つて害をしまして、結局名前を覚えられてしまつた、名前を覚えられてしまつたために妙な口供書がたくさん出てしまつて、結局あそこで虐待したのは彼がみんな教唆してやつたのじやないかというような疑いの下に、非常な思いもよらない刑に処せられて、現に拘禁されている人間もあるというような、そういうふうな場合も、まあこれは特殊の場合かも知れませんけれども、併し必ずしも特殊とは言えないそういう例が相当あるのでありまして、そういう点から見ましても、服役している人間も自分がこれだけ悪いことをしたから、これだけの刑に処せられることは止むを得ないのだというふうに、得心ずくで服役しているという者ばかりではないのであります。何が故にこういうことになつたかということを、どうしても了解できない人間が相当にあるというふうなことになつて来ますと、どうもそういう人の考え方からすれば何だか余ほど偉らい人でもない限りは、やはり内心平らかならざるものがあつて、結局は日本が最も大事にしなくちやならない国を却つて恨むというような結果を生じて来て、結局国際間に最も大切であるべき国際関係を却つて阻害するというふうな種を作るというような虞れさえないとは言えないのでありますから、そういう点から見ましても、これは特にこの赦免の規定を重視せられて、赦免というものはこれは特赦以下のものであつて、大赦などは入らないのだというふうに解釈せられないように私は希望する次第であります。それで今度のこの法律案を拝見いたしますと、平和條約十一條による赦免、減刑及び仮出獄が適正に行われることを目的としてこの法律ができる予定なのでありますが、この赦免に関することはこの法律によらなければできないように規定されているように、私はちよつと拝見したのであります。他の方法では赦免のことはできない、而もこの赦免する場合には各個人個人を具さに状況を調べて、それで調べ方が足りない、資料が足りないときには関係国にもよく相談して資料を十分に集めて、そうして赦免の決定をするということになつていますから、大赦などはもうどうも入つておらないように、ちよつとこれは誤解かも知れませんが、そういうふうにも見えますので、平和條約には必ずしも大赦は除外してはないにかかわらず法律案ではそれを除外してあるのだということになりますと、ちよつとそこのところに齟齬を来たすのではないかというふうな、まあ老婆心かも知れませんが、そういうようなふうにちよつと拝見できるのであります。そうなりますと少し遺憾のような気がします。大赦ということが或いは行われにくいかも知れませんけれども、併し日本としてはできるだけ一応それに盡してみたいような気がするのであります。まあ大体論はそれくらいでございまして、この法案についてちよつと疑問の点がちよいちよいあるのでございますが、これは余り細かくなりますから、何か機会が、ございましたらば申上げることにいたしまして、一応これで……。

 

13 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 15号 昭和27年05月27日

[024]○中山委員 私は先ほど池見委員から御質問の出ましたことに関連してお尋ねしたいと思うのでありますが、池見委員がおつしやいました通りに、高良とみ子女史がソ連に参られまして、そうして墓場へ行つてお花をたむけたという記事を見まして、これが事実であるとすれば、またその墓場にはずつと番号が付してあつたという記事もあつたと私は記憶いたしておりますが、もしこれが事実といたしますれば、タス通信によりまして発表されましたわれわれの同胞に関するあの報告なるものが、根底からくつがえされたと私は考えるのであります。私がいつもタス通信を信用することができない最大の原因は、わが同胞の死亡した者の数が一人もなかつたということであると、私はずつと叫び続けて来ておりますが、このいわゆるお墓訪問によりまして、確かにソ連にはわが同胞で死んだ人があつて、ソ連の手によりまして埋められて、番号まで付してあるということになりますれば、私はソ連の中のこの死亡者がだれだれである、何人であるということがなぜ発表されないかということが、私の頭に浮ぶのでございます。外務大臣にお伺いしたいことは、この高良女史のソ連入りを契機といたしまして、ソ連から死亡者の数が外務省に報告されたかどうかということが一点でございます。もし報告がなければ、これに対して国連を通じてでもよし、三人委員会を通じてでもよし、このはつきりしました事実に基いてこれを御要求になりましたかどうか、また御要求になつておりませんならば、最も早い機会に、この事実に照して御要求になる御意思があるかどうかということを伺いたいと思います。

 またその次は戰犯の問題でございます。同僚議員の方からいろいろお話が出ておりますが、講和條約の発効を機会にいたしまして、国内のいろいろな犯罪者に対しましては減刑があり、大赦があり、恩赦がありました、さつきも庄司議員からお話がありましたように、いわゆる国事犯というか、戰争があつたればこそこういう犯人も出たのでございます。国は講和によつて過去のああいうことを許されたのに、末端の戰犯者がまだ許されないということは、理論上どうもおかしい、そこで今の時代になりまして、連合国が過去の時代においてやつて来たことを批判してもいい時代になつて参りましたから、これはまたそういう時代でないときから私は申しておつたことでございますが、戰争をして、いわゆる勝つた国が負けた国を裁くということが第一間違いである。これは私はいつも主張しております。第三国のスイスとか、戰争に関係がない国が最も公平なる気持において裁判をしてくれたのならば、私は納得ができますけれども、やはりいくら公明正大な考えを持つてやりましても、相手国であつた国の人は、どうしても私は憎しみがかかるだろうと思いますので、その点について、最も公平なる裁判とは私はいわれないと理念的に考えておるのでございます。そういうわけでございますので、いわゆる平和條約によりますところの日本政府の勧告というあれの中には、関係各国に対しまして大赦をしてもらうだけの権限があるのかないのか、伺いたいと思います。

[025]○岡崎国務大臣 第一の御質問でありますが、これは墓があるとかないとかいう問題には関係ないのでありまして、人間が世の中に出て来てから何年になりましたか知りませんが、死亡率というものはあるのであります。日本人であるならば、千人のうちで少くとも十人余り、多い場合には十六、七人というものが普通の状況であつて、毎年死んでおるのであります。従つてソ連に連れて行かれました捕虜が三十何方とおりますれば、いくら極楽のような生活をしましても、千人に対して十人や十二、三人は死んでおるわけであります。これは死なないでずつと永久に生きているなんということは、生理的に不可能なことであります。従つて六年なり七年なりたちますれば、かりに千人に十人とすれば、三十七万おりますればそれの三百七十倍、つまり三千七百人、六年たてばそれの六倍、このくらいのものは死んでなければならぬわけであります。それなのに一人も死なないということは、これはいくらソ連でも、現にソ連の人もどんどん死んでおるのですから、これはもうあり得ないことであります。従つて今さら墓を見て驚くことではないのであります。墓をつくつて葬つてくれたということの事実はけつこうなことだと思います。ただそこらへほうりつぱなしでないということであるならば、けつこうでありますが、これも私どもは前から情報を受けて、墓のあることも知つておりますけれども、なくなつた人が全部そういう墓に収容されておるか、あるいは人に見せる場合の墓だけができておるのか、この点はどうもはつきりいたしません。しかしながら、この墓があるという報道等を見て、あわててソ連に要求するとか何とかいうことでなくして、理論的に、また生理的に当然死んでいる人がなければならぬという建前で、従来からこれの氏名等を要求しておるのであります。今後ともこれはやるつもりでおりますけれども、今までのところは、連合軍最高司令官を通じてやりましたことにも、またその他の機関を通じての要求に対しても、ソ連側からは何とも返事が来ておらないというのが実情であります。

 それから戰犯者の問題でありますが、これは大赦というようなことはできておりません。今国事犯というようなお話がありましたが、これはもし国事犯とすれば、いわゆるA級の戰争犯罪人と称せられる者でありまして、BとかCとかのクラスに属する者は、たとえば捕虜の虐待であるとかいうような、いろいろな種類がありますが、これはむしろ国事犯と称すべきものではないと私どもは考えております。しかしいずれにしましても、中山さんのお話のように、戰争裁判というものが正しいとか、正しくないとかいう御議論は、これはあると思いますけれども、現実に戰争裁判は行われたのでありまして、またこの戰争裁判の結果につきましては、サンフランシスコの平和條約で、連合国が行つた裁判の犯人についてはこういうふうにする、また各国が個々に行つた裁判の者についてはこういうふうにするという規定がありますので、政府としては、この規定に基いて減刑とか赦免とかいう方法をすみやかに講ずる、これを大赦と称するかどうかは別問題でありますが、條約にも規定がありますから、この規定に基いて、さしあたりは仕事を進めて行く、こういうつもりでおるわけであります。

 

13 参議院 本会議 49号 昭和27年06月09日

[013]○一松定吉君 諸君、私は改進党を代表いたしまして、本決議案に賛成の意思を表明するものであります。

 元来、戦犯というものそれ自体が、我が国の国内法からすれば犯罪人ではないのです。ことごとく国を思う至誠の至り、或る一部の者の相談決意によつてこういう大戦を惹き起したということは、これは私が論ずるまでもなく事実であることは皆さん御承知の通りであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)そういう際に、国家のために身を犠牲にして戦線に立つた者が、敗戦の結果、戦犯の汚名を受けて、今日囹圄に苦しんでおる事実は、これは間違いのない事実である。こういうときに当つて、本当に私どもがそれらの人に対する態度というものは、全部これらの人は愛国者である、国の犠牲者である、そういうような人が、敗戦のためにこの憂き目を見ているということについては、国民の一人として誠に相済まぬという考えを持つばかりではなく、実にお気の毒千万であるといろ感じを持つておるのであります。(「勝てばよかつたというおけですね」と呼ぶ者あり)そういうふうなときに、今、戦争は済み、平和條約は成立し、日本が独立国家となつた今日において、なお且つ囹圄に坤吟しておるというその状態は、本当に気の毒千万であります。これらの人の家族、親族、友人等が、これらの犠牲者に対して寄せられたその心痛は、真に思いをいたすときにおいて、我々は夜も眠られないくらいにお気の毒に感じておるのであります。こういうときに、このいわゆる平和條約成立と同時に、我が国は大赦令を発して、そうしていろいろな国家の治安を乱したような人にさえも恩典に浴せしめて、或いはその刑を減軽し、或いは免除し、そうして今日我が国の平和になつたことの喜びを国民に分つておるときに、これら国家の犠牲になつた人々を一日も早くこれを救い出したいということは、国民誰一人反対する者はありますまい。(拍手)こういうようなときに、又これらの人々を拘禁しておりまするそれらの国々の人におきましても、それらの者に対して処刑をするということが、それらの国にどういう利益があるかということを考えてみましても、国交回復した今日において、日本国と親密に交際する上からいたしましても、こういう人をでき得べき限り救つてやりたいという感情を持つておることは、私は拝察するに余りあると思うのであります。(拍手)こういう際でありまするから、我々は進んで何らかの手によつてこれらの人を救助したい、救い出したいと考えておることは、これはもう当然のことであり、国会の中の人がそうであるのみならず、今、聞くところによると、全国にこれら救命の運動が行われておつて、助命運動のために各地において署名を取つておるというような事柄も、これは当然の事実であります。政府も定めしこういう点に思いをいたされまして、何らかの手によつてこれを救い出したいと考えておることであろうと思うのでありまするが、幸いに平和條約の第十一條によつて、いわゆる政府の勧告によつて、これら関係国の同意を得ればこれを救出することができることになつておりまするから、政府はこの国民の総意を体しまして、一日も速かにこれが決議案を十分に心して実行して、これらの哀れむべき国家の犠牲者を救い出すことに御盡瘁あらんことを特にお願いいたしまして、この決議案に賛成するわけであります。(拍手)

 

13 衆議院 法務委員会 71号 昭和27年06月27日

[032]○押谷委員 犯罪の内容を御調査になりますか。

[033]○斎藤(三)政府委員 犯罪の内容につきましては、十分な書類がございませんし、またそれをあまり問題にいたしたくない、こう思つております。犯罪といいましても、いろいろ事情がそこに伏在いたしておりまして、これをあまり形式的に扱うということは、かえつて避けなければならぬような事犯も相当ございますので、一応どういうかどで現在巣鴨刑務所に在所しておるかということは、一応あげますが、それについてことさらに調査をするというようなことはいたしておりません。但し委員が面接する際には、本人から十分それに関連して事情を聴取はいたしております。しかしそれを関係の書類には添付いたしておりません。

[034]○押谷委員 今承りますと、この四十二名は結局本人から申請をいたしたもの、その申請に基いて調査を始めたというお話でありまして、これは日本内地における受刑者の仮釈と何ら異なるところのないものであつて、これでは平和條約十一條の赦免に該当いたさないということも重ねて申し上げたいと思います。

 なお、この調査につきまして、新聞の報道でありますから、あやまちがあるかもわかりませんが、政府では赦免、仮出所をすべきものについて、一々犯罪内容を調査をされたということが載つております。各個人の犯罪内容について調査をし、それぞれの事情に基いて関係国に勧告をするのだというようなことが新聞に書かれたために、そういう内容を調べるということになれば、今局長からお話になつたように、いかなる資料であるのであろうか、まつたく資料がないことは関係者も承知をしております。その資料のない犯罪内容に調査を政府がやる、そんなことではわれわれはさつぱりこれ期待を持つことができないというので非常に失望をし、そうして今の状況では、その失望はある意味における憤懣にかわつておるというのが実際の状況であります。この調査にあたつてあまり長く時間をとり過ぎると、せつかく平和條約十一條が設けられ、この行使のいかんによつて助かるべきものが、調査に手間をとるために、大精神が死んでしまうようなことになつてはたいへんでありますから、政府はこの点についても、特に深甚の御配慮をいただきたいと思うのであります。ぜひこの調査につきましても犯罪内容の調査等はせられないで、なるべく早く大勢の者に対して勧告をせられるようにお願いをしたいと思います。幸い條約局長もお見えになつておりますから、すでになされた四十二件の勧告についてそれぞれの関係国の了承はいかなる状況になつておるか。またこれからなされるのでありましようが、平和條約十一條に基く赦免についての関係国の見通しについて、もしおわかりであるならばお聞かせを願いたいと思います。

[035]○下田政府委員 最初に、法務府の方から外務省に回付せられました四十二件の取扱いにつきましてお答えをいたしたいと思います。私ども、実は法務府のお仕事はまことに並たいていならぬお仕事だと、その御苦心を拜察しておるのでありますが、先ほどお話のように、戦犯に関しては、軍事裁判でありますから、書類その他実に不完全きわまるものであります。従つて法務府におかれます調査の困難さは私どもよくわかつております。従いまして、その困難な調査を終えられまして外務省に参りまして、外務省の手元で遅れるようなことがありましては、気の毒な戦犯御本人に対しましても、また法務府の御努力に対しましても、まことに申訳ないと存じまして、あらかじめ法務府と密接な打合せをいたしまして、最初はなれませんために、関係国に出すまでに二、三日を要したこともありますが、今日では法務府から参りましたら遅くもその翌日にはすべて関係国にまわすというふうに迅速にとりはからつております。ただ、まことに遺憾でありますことは、関係国側からの返答が、今日まで一件も得られないということであります。これは外務省といたしましても関係大使館、公使館に頻繁に督促しておりますが、関係国の出先だけでやはり処理し得る事項でないのでございまして、それぞれ本国政府に回付する。本国政府の何分の指示を待つてわが方に回答して来る段取りになつておる次第であります。そのために、本日までに実効を上げたケースがまだ現われないということは、私どもまことに遺憾に存じますとともに、今後とも一層努力いたしまして、早く実効を上げるようにいたしたいと念願しております。

 次に赦免のことでありますが、ただいま委員長のサゼスチヨンなさいました、国祭日を利用して赦免をする、まことによい御着眼でございまして、私どもそういう種類の機会を得まして折衝するということは、非常に効果があるのではないかと思います。ただ私どもの方といたしましては、いかなるものが赦免申請に値いするかということは、一に法務府の御意向に従つておるわけでありまして、ただいまのところは、先ほど法務府の政府委員からお述べになりましたように、赦免の申請ということはまだ出ておりません。近くフランスの国祭日を目当てにお出しになるということで、まことにけつこうなことだと存じますので、私どものところに参りましたら、さつそくしかるべく手続をいたしましたいと思つております。

 

13 衆議院 法務委員会 73号 昭和27年07月29日

[005]○佐竹(晴)委員 御説明によつてうかがうことができるのは、個々に審査決定をいたしまして、勧告に必要なる資料をまとめて勧告をするという段取りをいたしておるようであります。これは平和條約十一條から見まして、まず出しやすいものから出して行く。そこでまず仮釈放をして、残つた者は減刑し、その後に個々のケースについて調査をして、赦免の勧告をして行く、こういつたような方針に基いての調査のようにうかがわれるのであります。しかし私どもは、これは根本から間違つているのではないかと思う。いやしくもここに平和條約の十一條に赦免勧告ができる旨規定されておりまする以上、まず赦免の一般的勧告をして、できないものは減刑ないしは仮釈放といつたぐあいになるべきではないか。受刑者が非常に不満を訴えておりますのは、この点であります。外務当局は戦争の跡始末ができないのに、戰犯のことを先に処理することができないというふうのことをおつしやつておるようでありますが、これはまさに物のかわりに人質を與える方式であつて、たとえばフィリピンにいたしましても、濠州にいたしましても、個人の損害を日本にきせるために戰犯を人質といたしているといつたような行き方であつて、もし外務当局がただいま申し上げましたがごとき見解をとつておるとするならば、まさにこの人質を肯定するものであるといわなければなりません。人よりも、物に重きを置くのであつて、ゆゆしき人道問題ではないかと考えます。また外務当局は外国の反感を買う憂いがあるということを懸念しておられるようでありますが、ただいまの斎籐政府委員の御説明によつても明らかな通り、フランスに対しましては三十九名というもの全員に対しまして勧告をいたしております。支那戰犯関係でも、シヨウ政権に強硬に主張をいたしておる。しこうしてその目的を達しようといたしておる。残るは英、米、オランダです。この間にどうして差別を設けるのでありましようか。フランスに対し、支那戰犯に対して、一般的な勧告をするような手順を進めておるのに、英、米、オランダに対しては、そのような手続をしないのか。英、米、オランダだけがことさらに日本を苦しめようとしておるものとは思われません。特に和解の講和が成立いたしております以上、率先してこれを提唱した英、米においてこそ、むしろ進んで早く勧告しなさいという御意向があつてしかるべきであつて、何もこれを阻止いたしたり、ないしは日本当局としてこれに懸念をしなければならぬという状態ではないと考えます。現にアメリカの司令部のカーペンター法務局長は、もう戦犯は釈放すべきだと述ベて、並居る幕僚がこれに同意したと伝えられておる。岡崎外相も戰犯の代表者と面会いたしましたときに この情報あつたことをお認めになつた。むしろ向うさんこそ勧告を待つているのじやないかと思う。ことに八月十五日は終戦記念日であり、九月八日はサンフランシスコ條約調印の記念日であります。この日を期して一切の、全部の者の一般赦免の実現のできるように、今こそ関係各国に対して勧告を発する絶好の機会であると考えるのでありますが、いかがでありましよう。

[006]○石原(幹)政府委員 いろいろお話がございました。戰犯の気持を代表してのお話と思いまして、ごもつともと思うのであります。外務当局といたしましても戦犯者が一日も早く釈放され、また外地に残つておりまする戰犯者が一日も早く少くとも内地に帰つて来る、これをこいねがつておる気持におきましては、人後に落ちないつもりでございます。ただ問題はいかにすればその効果を最も早くあげ得るかということの考え方であろうと思うのでございまして、ただいまやつておりますることは先ほど齋藤政府委員の方からもお話申し上げましたように、一応できるだけ早く仮出所の勧告を終えまして、出られる立場になつておる人の出所は早くやろう、平和條約第十一條によりまして、とにかく日本も刑の執行をするということを一応受諾しておるのですから、この際、とりあえず仮出所の該当者を出す。そうしてこれと並行いたしまして、適当なチャンスをとらえ、また相手の関係国とも種々連絡折衝しておりますから、それらの機会を見まして、相手国の感情、気持等を十分しんしやくいたしまして、全面釈放の機会をうかがつておるわけでございます。たまたま七月西目のフランスの記念日に対しまして、当方の職権による全面釈放の申請書をつくりまして、フランス政府へお願いしましたところ、フランス政府よりは、きわめて好意ある回答が参つておることは御承知の通りでございます。国民政府の中国法廷のものは、ただいまお話のありました通り日華條約の効力発生と同時に全面的に釈放されることになつておる、かようにだんだん情勢がいい方向に向つておりますので、外務省といたしましても、ただいまいろいろお話がありましたように、いろいろの機会をとらまえまして、この仮出所の勧告と同時に、全面釈放の機会をつかまえ、またその手続を促進したい、かように考えておるわけであります。仮出所の勧告に対しまして、今日までまだ回答の来ておらないことは、まことに残念に思つておるわけでありますが、これは大臣もマーフイー大使その他の会見の都度お話しておるのでありまして近く何らかの回答が出ることと期待しております。回答が来始めますと、これはどんどん参るのではないか考えておる次第であります。

[008]○齋藤(三)政府委員 仮出所の適格性につきましては、本国会において御審議御成立になりました法律によりまして、刑期三分の一、無期あるいは非常に長い人は十五年、しかもその間巣鴨プリズンの規則を守つておつたという人が適格性を有する、こういうことに相なつております。今日まで仮出所の勧告をいたす調査といたしましては、さような点ももちろん巣鴨プリズンにおける労務の状況がどうか、あるいはその他の成績がどうか、あるいはさらに関係国の特に留意を煩わして実現をはかりたいというために、いろいろな事情、ことに家庭の事情等も調査をいたして勧告をいたしております。判決につきましては、アメリカ関係だけは一応ありまするが、その他については判決がない、単なる主文しかないというようなものもございます。これらについてはいろいろな事情もございますし、一応調査をいたしておりまするが、これについて徹底的な調査をするということは非常に困難なことであると存じております。従いまして刑期三分の一に達しない、今仰せの通りに二十年以上の人々にはどういうふうに考えておるか、これについては赦免、赦免が不可能ならば減刑を実現させて、減刑になつた場合には仮出所というような勧告をし、一日も早くかような事態が解消することを切望して努力をいたしておるのでございます。かような赦免についてどういう調査をするかというようなことについては、いろいろなケースがございます。たとえば先般新聞紙上にも出ましたが、これは特殊のはつきりした事案でございまして、証人になつた者が今日内地におりまして、自分の証言したことが結局有罪の原因になつたが、その証言は虚偽であつた、まことに申訳なかつたというて、しばしば平和條約発効前司令部の関係官にそのことを申し出て、そうしてほぼその了承を得ておつて、こういうような事案につきまして、それらの事情を詳細に調査いたしまして、勧告をいたす準備をほぼ完了いたしております。これらにつきましては、書類等も非常に厖大な――厖大なといつては少し語弊があるかもしれませんが、相当大部な書類になつております。それからさようなことをしておつたならば、九百二十何名のうち仮出所の資格のなかなか来ない六百幾らの人についてはいつ仕事が終るかわからぬではないかというふうな御懸念もございますが、私どもは一般勧告というようなことを十分に活用いたしたい、かように存じております。もちろん平和條約十一條で刑の執行を日本国は受諾いたしたのでございまするから、何ら理由なしに全部を赦免してくれというようなことは、この條約によつて申すことは可能でありましようが、勧告をしてもその効果をあげることはできないのではないか。あるいはそのことのために、せつかくパロールの申請をしておつた者をたな上げにして、さような強度の赦免といいますか、審査をする、そのために事務的に比較的簡単に済むパロールの勧告が返事を見ないというようなことがありはしないか、あつた場合にはまことに申訳ないことになるという点もございますし、フランスに対して一般的に勧告をし、その他の国に対して勧告をしないのでは何らかはばかるのではないかというような御懸念もございましたが、これはそのチャンスが早く来たというふうに私どもは考えております。今後さような一般的な勧告をやるべきであり、また効果もできるという場合には、十分一般的勧告をやりたい、その機会の一日もすみやかならんことを私どもは希望し、そのときの準備を今日から進めておるような実情でございます。

○佐竹一晴一書だんだん政府当局のお話を承つておりますと、戦犯の実態に対してたいへん認識が薄いではないかと疑わざるを得ないのであります。政府当局に対してはおのおの受刑者の代表者よりも相当多くの資料を提供いたしておるはずです。しかるにこれを十分御理解になつていないとしか思われませんの。戦犯といえばただもう概念的に、残虐行為をしたのだから、それは戦犯者自身の個人適責任であつて、それぞれその責任を負わなくてはならぬことはしかたがないではないか、こういう考えのもとに、すでに判決を受けてしまつて、そのことが講和條約十一條によつて認められておる以上、これはまずいかんともすることはできないではないかといつたような気持が腹の底にあるようにしか思われません。しかし戦犯についてはいま少しく徹底的掘り下げて、認識を正しく持つてやる必要があると存じます。私はここに二、三の点に触れてみたい。

 まず第一、彼らが戦犯として扱われておりますもののうちで、職務行為がある。これは国家の権力に基く職権の発動によるものであります。戦時中軍人軍属に対する軍法会議がございましたが、そのほかに軍の統帥権に根拠を持ちます軍律裁判というものがありましたことは申し上げるまでもありません。たとえばB二九の搭乗員が大阪、神戸その他軍事施設でないところの一般民家を爆撃をいたしました。そのときにその飛行機が墜落等をいたしまして、その搭乗員をとつつかまえた。そこで日本では、それは俘虜ではないと解釈し、戦時重罪犯人としてこの軍律裁判にかけたのであります。そこでその軍律裁判に関與いたしました裁判官は、民家を爆撃したのであつて軍事施設をやつたのではないので、起訴のごとくそれが有罪だと認めて、これに対してそれ相当の刑を盛つた。ところが終戦後になりまして、その裁判をしたところの裁判官、検察官等は、当然国権の発動によつて職務を執行したのにかかわりませず、これを戦犯者とし、殺人罪なりとして死刑の宣告をいたしておる。現に私はこの受刑者に会つて参りました。彼らは言つている。日本の機構のもとにおいて、私は裁判官に任命されました。私は検察官に任命されました。そうして裁判が開かれて、法廷において私は審理をした。これは国権の発動によるところの当然の私の職務行為をした。ところが国家の命ずるところの当然の職務行為をとつた私が、残虐行為をやつたところの殺人犯人であるとして、死刑の宣告を受けた。一体こういうことが認められるでしようかと彼は言つている。この起訴状によれば、虚偽かつ無効なる訴訟手続において、虚偽かつ不法の証拠に基いて裁判をしたというぐあいに書いてある。政府当局といたしまして、特に法務当局といたしまして、何と考えるでしよう。もし戦犯の言うことは無理だというのであれば、赦免の勧告を向うに申入れるなぞできるものではないというような感じが起るでしよう。けれども、私ども法律家としてこれを考えるときに、軍律裁判というものがあつて、ちやんと政府から任命されて、おのおのその役について、検察官が起訴をする。裁判官が裁判をする。書記はそれを文書につくる。しかるに検察官、裁判官から記録をつくつた書記に至るまで、殺人共謀犯なり、残虐行為者なりとして処罰されるということが、はたして肯定のできることでありましようか。このケースの者があの巣鴨の刑務所に現に三十名以上おります。齋藤政府委員のただいま述べておりますところの仮出獄資格者の中にはこれが入つておらぬ。先ほど二百九十六人とおつしやつておられる有資格者にそれが加えられておらぬ。これらの人は死刑の宣告を受けて、減刑されて今やつと終身刑にあります。しかして齋藤政府委員は、これを資格なきものとして、別にこれに対して相当の手続をしようとはなさつておりませんことははつきりしております。だがしかしわれわれ法律家といたしまして、こんなことが黙つておられましようか。少くともここに和解によるところの講和條約が結ばれたとするならば、この際こういつたような当然の職務行為を行つた者に対して――これは悪意も何もあるのではない、残虐でも何でもないのだと、向うさんを理解せしめ、向うさんを説得して、彼らを赦免するだけの国家及び政府としての責任がある。彼らは決して個人的に人を殺したのではないのです。国家の命に基いて国家の職務を行つただけである。しからば国家が何知らぬ顔をし、政府が何知らぬ顔をいたしまして、これらの人を終身刑のままにほうつておくことができましようか

   〔委員長退席、田嶋(好)委員長代理着席〕

 次いで第二に考えられるのは命令行為であります。戦犯者と言われる者のうち、命令によらないでかつてにした者はほとんどございません。ことにひどいのは、戦闘地域で裁判によつて俘虜に死刑の言渡しがあつたときに、その裁判の執行をした部隊長は戦犯としてこれまた死刑の宣告を受けておる。しかしてその下された判決を電話によつて伝達した者、しかしてその刑を執行するに際して見張りをした兵隊、これがことごとく戦犯者として無期すなわち終身の言渡しを受けておる。裁判は当然のことである。判決を執行することこれまた当然のことである。しかしてその命を受けて執行した者、これに立ち会つたところの一兵卒に至りますまでが終身懲役を受ける。はたしてこういつたことがお互いの常識において肯定することができることでありましようか。日本政府として、日本国民としてこれを救わずにおられましようか。

 次に第三に考えなければならぬことは、職場におけるところの正当防衛ないし緊急避難の行為であります。これは主として対住民関係でありますが、戦争地域の住民が武装して敵対行為に出て来て、電線を切つたり食糧弾薬を奪取した。そこでそれらの日本の軍隊の行動に敵対行為をして食糧弾薬を奪つた者に対して、これはじつとしておられぬから、それをとつつかまえて処罰した。するとそれを処罰いたしました者を戦犯だと称しまして、これまた残虐行為者ととなえて、もつてそれを死刑ないし終身刑に処した。戦争それ自体のよしあしは別であります。だれが戦争を起し、だれが善良なる国民をかり立てて戦争に持つて行つたか、その責任は別であります。少くともそこに戦闘行為の行われております以上は、日本の軍隊の持つております食糧、弾薬を奪われ、電線を切られたならば、それをとつつかまえて罰することはあたりまえである。ところが罰したからといつて、戰争が済んだら罰したものを残虐行為だからといつてそれを処罰しようとする、これがまた大勢おります。ところが齋藤政府委員の先ほどの御説明によりましても、こんなものは眼中においておられぬことは明らかである。われわれにはおよそまわつて来ないであろう、われわれが生きている間にはおそらく何の恩典も與えられないだろう、刑期三分の二なんて言つておるが、私たちはとてもそんなものがまわつて来る身分ではない、と彼らは考えておる。逼迫した気持を持つてものを考えざるを得ない状態にだれが追い込んでおるか。戦争受刑者の実態をよく理解し、あなた方はそういつたような状態でたたき込まれておるのですかということの事実をよく調べてやつて、そしてそれらのことを向うさんにも理解させ、これを赦免するだけの方法を講じておつたならばそれらの人は納得するでありましよう。しかし先ほどの御説明によつても、むしろその逆を行つておることが明らかである。問題にしておらぬことが明らかになつておる。それではそれらの戦犯の人々はとうてい満足することはできないでありましよう。

 次に第四に考えられることは、状況上やむを得ない行為をしたものを、やはり残虐行為といたしまして扱われておる。たとえば衛生兵のごときが捕虜を介抱いたしております途上において医薬、食糧等を十分に與えずに虐待したというようなことが例にあげられておるのでありますが、日本軍自身が食糧に窮し、へびを食い、木の根、草の葉をかじつておるときに、與える食糧もない、與える医薬もないにもかかわらず、医薬を與えなかつた、食糧を與えなかつたといつてそれらの衛生兵をことごとく残虐行為といたしまして、あるいは終身刑その他に処断されている。内地でも俘虜に対し医療、食糧等についてはずいぶん苦心したようであります。できるだけのものを支給いたしまして、日本のお互いがみずから節約いたしまして、向うさんの者に多くの物を與えた、これがために付近の日本人から反感を受けまして、何回となく、日本の衛生兵、その他はけしからぬといつて誹謗され、糾断を受けておる。それほどまでに向うの俘虜をかばつておるにかかわらず、向うさんの方は生活程度が高いのですから、彼が自由になつて向うへ帰りますと、日本に俘虜となつておるうちはろくなものも食わせず、医療も與えられなかつたと報告をしている。するとそれだけをとつて日本の衛生兵はことごとくこれ残虐者なりといつてこれを処断しておる。

 さらに第五に、証拠の不正不当による誤判については枚挙にいとまがありません。私はここにその詳細を申し上げることを省略いたしますが、うその証人で人を罰した例がずいぶん多い。ちやんと証人に立つものをこしらえておいて、現にその場所にいないにかかわらず、あの人はここにおつた、こういうときに確かにあの人はおりました、というその証言をさせ、また一人の証人が十も二十もの事件に立ち合つて証言をいたしておる。そのため間違つた裁判を受けて、今日ほとんど身の置きどころのないようにもだえております連中があの巣鴨の刑務所にたくさんおります。以上のように、私がここにあげましたわずかに四つ五つの項目的な例にいたしましても、これらの人々は、決して自分は戦犯ではないと考えている。みずからは決して残虚行為をいたしたとは考えておりません。従つて、日本政府といたしましても十分これらのことに調査を加えてこの内容を明らかにし、つぶさに向うに訴えて折衝する責任がある。そうすれば向うさんが理解しないわけがない。一体政府当局といたしましては、そういつたものについてどれだけの調査をし、またそういうことに対して向うさんの理解を得るだけの努力を拂つておられるか、熱意ある実践行動をなさつているか、これを承りたいと考えます。

[009]○齋藤(三)政府委員 ただいま佐竹委員の仰せの通りに、B、C級の事件というものは職務としてやつた行為、あるいは上官の命令によつて行つた行為、あるいは戦場における正当防衛ないしは緊急避難的な行為、あるいはさらに、当時の戦争苛烈なる、しかも物資不足の際に、当時の状況としては当然であつた行為、それが生活程度の差によつて不当に見えたというようなことのために戦争犯罪人として問われ、しかも相当以上に重い刑を受けているという人のあることを私ども承知いたしております。そして、これをこのままにしておいてよいというようなことは毛頭考えておりませんで、これは何らか適正なる結果をすみやかにもたらす必要がある、かように存ずればこそ私どもはできるだけの努力をいたし、許されたるあらゆる方法によつてその実現をはかりたい、かように存じておる次第でございます。この巣鴨の在所者について、全面的にかような点について本人からの申立てを調査書として書いてもらつております。また残されている、われわれの手中にある判決についてこれを翻訳しそれを検討しよう、かように存じております。さようなつもりで、一日も早くこれらの気の毒な事情についてはできるだけすみやかにこれを救済したい、かように存じてできるだけの努力を拂つておるつもりでございます。今後もさようにいたしたい、かように考えている次第でございます。

[010]○佐竹(晴)委員 この際私は、外務当局に特に要望をいたしたいと存じます。まことに歯がゆい、なまぬるい態度、この問題についてはこれを一擲するの要があると考えます。外務当局がおつしやつておるように、こうもしたらああもしたら向うさんの気をそこなうではないかといつて懸念をしているようですが、それは問題ではありません。向うさんがかりにきげんをそこのうてやつてくれないでも、彼らは終身あそこに入つているのです。それ以上失うべき何ものもないわけです。あなた方が少々向うへ強い要求をなさつてごきげんをそこなつても、終身刑から死刑に逆もどりするおそれはないのです。あなた方にもう少し有力にやつてもらいまするならば、しかして先ほどの齋藤政府委員のような説明では満足いたしません。もつと徹底的に内容をお調べになつて向うを理解せしめ説得するならば、向うさんが理解せぬわけはございません。私がわずか十分、二十分ここでお話を申し上げましただけでも、少くともこれは無理だということは、だれもがお考えいただいただろうと思います。それくらいのことさえもおそらくやつていないのではないかと私どもは思います。だからこの際外務当局あたりが、ただに慈悲をいただくなどといつたような態度は、この際一擲なさるがよろしい。戦争犯罪の本質並びに和解による講和の理念にかんがみまして、戦争犯罪受刑者は、講和條約発効と同時に釈放すべきものであつたという見地に立つて、條約十一條に認められておる当然の権利として、一般的赦免の勧告を堂々と行う。向うさんにおいてこれをけるならば、さらにまた根強くやる。十回やつてもけつこうでしよう、百回やつてもけつこうでしよう。政府が熱意を持つてやつてくれておるということならば、受刑者各位も、おれたちはじつとしておろうということになりましよう。政府がやらぬからおれたちが何か考えなければならぬといつたような、切迫したるところの空気を生んでいるではありませんか。これは政府の責任である。政府はこれを納得せしむるために、政府みずから行動すべし。慈悲でもつて物をちようだいするような考えを捨てろ。堂々と講和條約十一條によつて一般勧告をまずなすべし。一回けられたら二回やるべし、二回けられたら三回やるべし。どこまでも熱意を披瀝するならば、戦犯各位もじつとしてその命を待つでしよう。私はこの際しつかりした態度で外務当局が向うさんに折衝せられることをここに切望いたしまして、私の質問を打切ります。

   〔田嶋(好)委員長代理退席、委員長着席〕

[011]○石原(幹)政府委員 まことに熱烈なるお話を承りまして、感銘深く覚えたのでございます。われわれも巣鴨へもときどき参るのでありますが、非常にあせつておられるのは、一つは仮出所に対する何らの回答が来ていないこと、それから終身刑といいますか、この恩典に浴せない人々が非常にあせつておられるわけであります。最初申し上げましたように、とりあえずわれわれは仮出所に全力を注いでおります。かといつて全面釈放を考えないのではないのでありまして、フランス当局もやつたことでありまするし、なるべく近い機会をとらまえまして、全面釈放の方へも今後一層の努力をいたしたい。さらに法務府と連繋を密にいたしまして、戦犯の人々が一日もすみやかに釈放されるように、今後とも渾身の努力をいたしたいということを、外務当局といたしましても考えておるような次第であります。

 

15 衆議院 法務委員会 2号 昭和27年11月11日

[035]○小林(か)委員 私が大臣にお伺いしておきたいことは、戦犯者全部に関する判決の問題でございますが、この平和条約十一条による云々の法律は、極東国際軍事裁判所及び連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行に関することでありまして、その判決がもとより正しいということを基本にしてつくられた法律でありましようから、あるいは私の質問はいかがかと思いますが、私がいろんな方面からいろいろ開くところによりますると、この戦犯の裁判というものは、わが国内における刑事裁判のように非常に厳格な証拠によるというようなことがややもすれば欠けておつた、あるいは全然自己の関与しないようなことが犯罪として認められて刑罰に科せられる、いわば無実の罪によつて判決が下されておるというようなことをしきりに本人が言い、あるいはそうではないかと思われるような事案も相当あるやに私は聞いておるのであります。でありますから、この平和条約ができたときに、あるいはもう一ぺん国内の裁判にかけて、その真実であるやいなやを決するということの力がむしろ正しいのではないかとすらわれわれは考えておるのでありますけれども、これは敗戦国という立場から、もとよりこの裁判が正しいものとしての刑罰の執行に関する問題ということになつております。そういうような、戦犯の刑を受けておる者で、本人自身が無実を叫んでおる者が相当にあるのじやないか、このことの正しいかいなかは別でありますけれども、そういうのが相当あるのではないか。もしそういうのがあるならば、外国に対して仮出所あるいは赦免を願うときにもそういうような事情を相当に書いて訴えられておるのであるかお伺いしたい。それからまたわが国の仮出所、仮釈放などにはいろんな事情が考えられて、仮出所を許すところの要件というものがきまつておるのでありますが、これらの国々に対してそういう勧告をされるときにどういうような―いろいろな条件を書いて向うと交渉をしておられるのか、ただ裁判の事案だけを述べて、仮出所が正当であるからやつてもらいたいということで、あるいは友人とか親戚などの歎願書的なものが書かれ、そういうようなものが内容に報告されておるのであるかというような、われわれから言えば一々のこれまで勧告書を出されたものに対して、大体どういうような内容をもつて交渉されたものであるかということを知ることができれば非常に幸福だと思います。

 それから大臣のただいま言われましたように、国際関係の問題ですから非常にデリケートで強過ぎてもいけませんがしかしながらあまりに卑屈であつても私はいかぬと思う。占領後におけるわが国の政治がややもすれば請負政治、ドイツなどの占領軍に対する態度とは比較にならぬほど弱過ぎる。欧米人というものは正しいことを強く主張して行けば相当わかつてくれるのであります。ただ頭を下げてお願いする、弱いというだけでは私はいかぬかと思います。でありますからあまりに慎重過ぎてこういうことをすればごきげんを害するから、ああいうことをすれば感情を害するからというようなことであつては私はならぬと思います。やはり誠心誠意、誤れる裁判であれば、ほんように誤つておるように心情を訴えて―無実の罪に服して、中には死刑になつたものもありましようけれども、われわれが聞いてみても証拠がなくてついにそこまで行つてしまつたのではないかというようなものがあつたようにも考えられます。この点もし国際関係の上に悪ければ、速記を省いていただいていいと思います。あるいは秘密会でなければいかぬということであれば、そのときに御答弁を願つてもけつこうです。私は相当気の毒な方があるのではないかということを考えますので、抽象的でけつこうでありますから大臣から御答弁をいただきたいと思います。

[036]○犬養国務大臣 ただいまの御質問はまことにごもつともと思います。大体基準としましては所内の成績とか本人の心情とか、あるいは家族の事情とかいうことが原則として尺度になつておりますが、小林君も言われましたように、私も自分で訪問したときにも感じたのでありますが、本人はとにかく主観であるかどうか知りませんが、無実だと思い込んでおる人も相当おります。そういうことも実は勧告をするときの材料に入れまして、調査の上勧告の件にもそういう気持を含めておるのでございます。そういうように御承知を願いたいと思います。

 それからもう一つのあとの御質問の問題でございますが、もちろんただ敵国の感情を害さないということばかりやつておりましてはこれは外交になりません。私どもは一つのめどを持つておるのでございますが、そのめどが正しいかどうか、これは別でございます。めどを持つておりまして―これはちよつとここでは申しにくいかと思います。ごく平たく申し上げまして、先ほど申し上げたようにアメリカが相当好意をもつて委員会の発足をやつて、日本人の、ことに家族の立場から見れば、速度は鈍いけれども、先月の末から今日までに十一件の仮出所を承認して来た、その途端に新しい手を打つ方がよいか、委員会の相当な進行状況を見て一番適当のときに、さらにこちらが何か考える方がよいか。ここにいろいろな御意見があろうと思います。しかし申し上げておくのは、漫然と、ただむやみと刺激するとかえつて御本人のためにならないとか、そういう無方針ではやつておらないつもりでございます。いずれこれは詳しく申し上げる機会があるかと思いますが、そのとまに率直な御注意も虚心坦懐に承りたいと思います。

 

15 衆議院 本会議 11号 昭和27年12月09日

[005]○田子一民君 ただいま議題となりました、自由党、改進党、両社会党、無所属倶楽部の共同提案にかかる戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案、右につきまして提案の趣旨弁明をいたしたいと存じます。

 まず決議案の案文を朗読いたします。

   戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議

  独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。

  よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。

  右決議する。

 わが国は、平和条約の締結によつて独立国となつて、すでに半歳以上をけみしておるのであります。国民の大多数は、独立の喜びの中に、新生日本の再建に努力しております。この際、このとき、この喜びをともにわかつことができず、戦争犯罪者として、あるいは内地に、あるいは外地に、プリズンに、また拘置所に、希望なく日を送つておりますることは、ひとり国民感情において忍び得ざるのみならず、またさらに国際友好上きわめて遺憾に存ずるところであります。(拍手)もとより、講和発効後、関係国の理解により、中国関係戦犯者九十一名の釈放、米国関係十一名の仮出所、また近くは、インド、中国におきましては、戦犯者のある部分につき釈放に同意したとのことでありまして、ここに諸君とともに、これらの国に対しましては感謝の意を表するものであります。さりながら、ひるがえつて他面を見ますれば、今もつて海外におきましては、死刑の宣告を受けておりまする者五十九名を含む三百八名、これに内地在所者を加えますれば、千百三十名になんなんとする多数の人々は、いまなお獄窓に坤吟しつつあるのであります。実に私どもの黙視し得ざる点でございます。

 そもそも戦犯による受刑者と申しまするものは、旧時代における戦争によつて生じた犠牲者なのであります。これらの人々は、和解と信頼による平和条約の発効の後におきましては当然赦免せらるべきことを期待し、あきらめの態度を定め、従順かつまじめに服役を続けて来ておるのであります。しかるに、条約発効後すでに半歳以上をけみしましても、荏苒期待に反して、そのことなきことは、私どもの遺憾禁じ得ざるところであり、関係者の失望と焦燥とは察するに余りある次第でございます。いわんや、その家族、縁者の物心両界にわたる苦痛は惨たるものあり、生活の窮乏者さえ多いのであります。これらの人々は、戦後七年間はもとより、また戦時中より通算しますれば実に十数年の長きにわたつて家庭の支柱を奪われ、しかも今日までよく耐え、よく忍んで来ましたゆえんのものは、一に講和条約が発効をしたならばとの期待を持つたためなのであります。しかるに、事期待に反し、その落胆、焦心は同情にたえざるところであります。さらに一般国民は、戦争の犠牲を戦犯者と称せらるる人々のみに負わすべきでなく、一般国民もともにその責めに任ずべきものであるとなし、戦犯者の助命、帰還、釈放の嘆願署名運動を街頭に展開いたしましたことは、これ国民感情の現われと見るべきものでございます。

 およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかつたとあります。東京裁判の判定は、現在あるがままでありましたならば、何らの善も生まず、かえつて悪に悪を重ねるだけであると結論づけておりますことは、諸君のすでに御承知の通りであります。また外地における裁判について申し上げましても、裁判手続において十分な弁護権を行使し得なかつた関係もあり、また戦争当初と事件審判との間には幾多の時を費しまして、あるいは人違い、あるいは本人の全然関知しなかつた事件もあると聞いておるのであります。

 英国のハンキー卿は、その著書において、この釈放につき一言触れておりますが、その中に、英米両国は大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべきである、かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに初めて平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申しておるのであります。かかる意見は、今日における世界の良識であると申しても過言ではないと存じます。(拍手)

 かくして、戦争犯罪者の釈放は、ひとり全国民大多数の要望であるばかりでなく、世界の良識の命ずるところであると存じます。もしそれ事態がいたずらに現状のままに推移いたしましたならば、処罰の実質は戦勝者の戦敗者に対する憎悪と復讐の念を満足する以外の何ものでもないとの非難を免れがたいのではないかと深く憂うるものであります。(拍手)

 今や、わが国は、世界平和確立に鋭意努力しております。政府は、関係諸国に対し、まずB級及びC級を手始めとして、一日も早く全部の赦免、減刑、仮出獄の処置に出るよう、迅速にして適切な方途を講じ、一は国民感情の満足を求め、家族縁者の悲願にこたえ、一は国際友好の上に遺憾なからしめるよう、強く要望してやみません。

 はなはだ言葉足らず、意を尽しませんが、これ本案を提出するゆえんでございます。何とぞ満堂の諸君の御賛成を仰ぎたいと存じます。(拍手)

[007]○館俊三君 ただいま議題になりました戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案に対し、私は労働者農民党を代表して反対をするものであります。

 周知のように、戦争犯罪人を断罪した極東裁判は、ポツダム宣言受諾によつてなされたものであります。B、C級等下級戦犯者の釈放等は、従つてポツダム宣言にのつとる中ソ両国を含む全面講和の早期締結によつて初めて可能なものであります。本決議案は、この点を全く無視したものであります。

 本決議案の真のねらいは、第一に、これによつてサンフランシスコの単独講和の既成事実化を推し進め、これを合理化することであり、第二にB、C級等下級戦犯者を釈放した上、これらの人々自身の意に反して、これを軍国主義と再軍備のための宣伝と組織に利用せんとするものであり、第三には、A級戦犯の全面釈放のための伏線であり布告であると私は断ずる。(発言する者あり)このことは、今日戦争反対、再軍備反対を叫ぶ熱心な多数の平和愛好者、平和運動者が全国各地で不当にも逮捕され、投獄されていることによつても、おのずから明らかであります。わが党は、これらの平和運動者の即時全面釈放と、それらの人々に対する国家の正当な補償を要求するものである。

 政府はまた、さきに広汎な追放解除を強引に行い、かの侵略戦争に対する積極的協力者の多数に自由を与えたのである。これらの多くは、今日、政界、財界、文化界において、再びわが日本を戦争に追いやるために活躍しつつあります。(拍手)第四次吉田内閣自身何をやつておるか。緒方官房長官と向井大蔵大臣のごとく、追放者であり、戦争協力者を有力閣僚としているではないか。のみならず、自由党、改進党を問わず、今日この種戦争協力者が、民主主義の仮面をかぶつて、各政党、各団体内に活発に動いておる。このような状態のもとで本決議案が出されているのであります。

 吉田自由党政府の再軍備、戦争政策に断固反対している労働者農民党は、いまなお獄窓にある人々には真にお気の毒ではありますが、これらの人々の釈放がかくのごとき意図のもとに行われるに至つては、欺瞞に満ちた本決議案であると私は解釈して、強く反対するものである。(拍手)

[009]○山下春江君 私は、改進党を代表いたしまして、ただいま上程されました戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案に対しまして賛成の意見を申し述べたいと存じます。(拍手)

 先ほど趣旨弁明の言葉の中にもございました通り、かつての極東裁判の判事であり、しかも日本の無罪を主張いたしましたインドのパール博士は、去る十一月十一日に、巣鴨の拘置所において、戦犯に対して、あくまでも正義を主張してやまない人間の真実の叫びとして、大要左のようなあいさつをされたのであります。「すべて、裁判官の真諦は、人間の心の中に法の公正さに対する信頼感をもたらすことにある。その意味で、今次戦争最大の損失、最大の災害は、法的正義に対する信頼感の破壊にあつた。法律家の中には、連合国のつくつた法は、敗者である皆さんのみを対象としたものであつて、彼ら自身もしくは一般人類に適用されないものであるということを告白している。もしそれが真実ならば、そこに生れたものは法律ではなく、そこに成り立つたものは正義ではない。ここにおられる皆さんは可能なる最悪の不公正の犠牲者である。英国において上層部の間に論争が行われている。そのうちのある者は、戦犯條例によつて定められた法は、ドイツ人を、あるいは日本人を対象とした法であつて、一般社会に適用されるべきものでないことを認めている。連合国は一体どこから権利を得てこれらの法律をつくり、それを適用し、それによつて判決を下し得たのであろうか。」というあいさつをされておるのであります。

 占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されましてその真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不運残虐の徒であり、正義人道の敵として憎むべきものであるかという、一方的の宣伝のみでございました。また外地におきまする戦犯裁判の模様などは、ほとんど内地には伝えられておりませんでした。国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。

 戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものであります。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。(拍手)戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。(拍手)

 その一、二の例をあげますと、事件の内容で、有罪項目が自分の行為ではなく、まつたく虚構であつたか、あるいは捏造された者、人違いであつた者、あるいは部下または上官の行為の責任をとらされた者などが非常に多く、さらにまた、事件発生の部隊または地域にたまたまおつたというとによつて添えを食つた者、さらにはなはだしきは、日本人なるがゆえに、他に何らの理由もなく処罰された者などがあるありさまでありまして、自己の行為と多少のつながりがあるといたしましても、著しく事実を誇張し、またはゆがめられたものが圧倒的に多かつたのであります。また、裁判の審理が一方的で、公判廷において被告に十分の陳述を許されず、証拠も物的証拠はなく、ほとんどが人的証拠、すなわち証人の証言によるものでありましたが、その証人も多くは公判廷に出席せず、検事のつくつた宣誓口述書を単に読み上げるものが多かつたようでございます。それは、もし証人を出席させますと、被告人と対決することにより、証人の偽つた証言が暴露されることをおそれたからでございましよう。

 このようなさばきを受けまして、今巣鴨にいる大多数の者は、長らく異境にあつて戦争に従事し、終戦とともに引続き戦争犯罪者として逮捕、裁判に付せられた者で、終戦後八年を経過いたしました現在、家庭を離れてすでに平均十年になつており、十五年から、はなはだしきは二十余年に及ぶ者もいるありさまでございます。戦時中は、いまだ留守家族は、国家、国民のあたたたかい庇護を受けて、ただ別離の悲しみのみでございましたが、終戦後は、一家の大黒柱を奪われたまま、怒濤のごとき社会的、経済的混乱のまつただ中に投げ出され、一顧だに与えられなかつたのみならず、忌まわしい戦犯者の家族として、一般国民以上に深刻な精神的な苦悩を負わされて参りました。留守家族が経済的に困窮して生活にあえぎ、また種々の不幸を人一倍味わわされたことは、想像にかたくないのでございます。講和発効にあたつて、国内の裁判を受けて入獄いたしております者は、大赦によつてその罪を軽減されたにもかかわらず、たとい国内法による裁判ではないといえ、常にヒユーマニズムを説く連合国に対して、独立日本の権威にかけても、政府はこの機会を逸せず、強力なる釈放の手段を講ずべきであつたと考えるのでありますが、(拍手)なすところなく過ぎ去りましたことは、まことに残念でございます。

 幸いにして、今日では社会の同情が高まつて参りまして、やや慰められるところが多くなつて参りましたものの、その困窮の状況は依然として深刻なるものがございます。すなわち、家庭の生活状況は、両親が健在で、独身者で心配がないという者が、在所者八百十八名中わずかに十二名あるだけでありまして、その他は極度の困窮に陥つていて、現在母と子が親子心中一歩手前の悲嘆にくれている者が百七十五名もございます。一家がすでに離散してしまつた者が三十五名もあります。戦犯者となつたがために、本人が離婚または婚約解消のうき目を見た者が実に六十九名もあるのでありますが、この悲しみは、単に本人のみならず、家族も、戦犯者の家族なるがゆえに就職を拒否された者二十二名、結婚をはばまれた者十二名、その他社会的迫害を受けた事例ははなはだ多いのでありまして、はなはだしきは、これがために自殺をはかつた者十二名、発狂した者十六名という、悲惨きわまりないものでございます。現在は情勢が一変して参りましたから、もはや社会的迫害などということはあり得ないと思うのでございますが、講和条約発効を釈放の機として、これに唯一最大の期待をかけて忍んで来た家族が、予期に反して、講和発効後八箇月を経た今日、依然として拘禁せられて、いつ帰つて来るかわからないという一大失望落胆は、今後ますます家庭悲劇の大きな根源となつて来るでございましよう。

 つい最近のことでございますが、私が巣鴨訪問中、待ち切れなくなつた妻から離婚届の捺印を求めて来た書簡を持つて、ぽたぽたと涙を流しながらうなだれている戦犯者の前で、何と言つて慰めてよいか、言う言葉もなく、私もまた涙しながら政府のふがいなさに憤りを感じたのでございます。(拍手)終戦後すでに八年の長い拘禁生活中に、父母妻子その他の肉身の不幸にあつた者は実に四百九十五名おります。そのほとんど全部が、最愛の父母妻子の死目にもあうことができず、むなしく獄窓に断腸の涙をのんだのでございます。

 年の瀬を控えまして、九度目の正月を獄舎に迎えんとする父と、ふるさとにさびしくも悲しく父を待つ妻と子らの上に明るい喜びをもたらす糸口となりますよう、本決議案に対して衷心より賛意を表しますとともに、政府はこれが実現のためにあらゆる方途を講じ、最善の努力を傾け、すみやかに解決せられんことを念願いたすものでございます。(拍手)

[011]○田万廣文君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま上程されておりまする決議案に対して賛意を表明するものであります。

 ただいま山下さんからもお話が、ございましたが、かつての東京裁判においてインド代表として列席されましたパール判事の言は、私どもの解するところでは、正義と公平とが人道上からいろいろ批判の対象になつておるのでございます。御承知の通り、受刑者の方々の中におきましては、無期または十五年以上の長期刑、米国関係の中におきましては、三十年、四十年、超長期刑に至りましては七十年の刑もあると聞いておるのでございます。かくのごときことは、生けるしかばねと言うも、あえて過言ではないと思うのであります。このような長期にわたる受刑者御本人もさることながら、留守家族の方々の生活状態は、報告書によれば、ほんとうにその日その日の糊口に苦しんでおるという実態だそうでございます。私どもは、人間として、人道上から、この決議案に対して賛意を表せざるを得ないと考えるのでございます。(拍手)特に申し上げたいことは、B級、C級の戦争犯罪受刑者の諸君の中におきましては、今日明確になつた点においては、事実無根のために、すなわち無罪たるべき者が多数入つておるということであります。私どもは、この点を強く当然主張いたしまして、国際的な良識に訴えて、関係各国の良心に基いた手続が望ましいと思うのであります。(拍手)

 私どもは、正義を愛し、平和を愛します。その意味から申しましても、この決議案に盛られた趣旨は正しいと考える。B級、C級の戦犯者こそは、すみやかに釈放せらるべき運命の星にあると私は考えるのであります。独立後相当日にちを経過いたしました今日、デリケートな国際関係のさ中におきまして、国際関係の調整上からいいましても、正義、人道の上からいつても、本決議案のすみやかなる採択と、政府の強硬なる態度を要望してやまないのでございます。岡崎外務大臣は、最近いろいろ批判の対象になつておるのでありまするが、どこまでも独立した日本であるというかたき信念の上に立つて、正義の策を勇敢に叫んでいただかなければ困ると考えるのであります。(拍手)

 何とぞ皆さんの御賛意を得まして、本決議案がすみやかに本院を通りまして、特に気の毒なるB級、C級、これらの人々のすみやかなる釈放を心から念願いたしまして、賛意を表明する次第でございます。(拍手)

[013]○古屋貞雄君 私は、社会党を代表いたしまして、ただいまの提案に賛意を表するものでございます。

 平和条約が成立して相当の日時を経過いたしましたけれども、いまだに戦犯は釈放されないのであります。平和条約によりまして、わが国は国際憲章並びに世界人権宣言の履行を約束いたしました。しかるに、戦争が最も大きな犯罪でありますることは、われわれがここに強調をする必要がございません。戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして敗戦国の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追究するということ――言いかえまするならば、戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。(拍手)特にB、C級の戦犯に対しましては、その行為が残虐であつたということによつて、いまだに釈放されておらぬのでございますけれども、戦争が残虐であることは、私どもがただいま申し上げた通りであります。

 世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、われわれはこれを忘れることはできません。(拍手)この世界人類の中で最も残虐であつた広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。(拍手)

 ことに、私ども、現に拘禁中のこれらの戦犯者の実情を調査いたしまするならば、これらの人々に対して与えられた弁明並びに権利の主張をないかとろにして下された判定でありますることは、ここに多言を要しないのでございます。しかも、これら戦犯者が長い間拘禁せられまして、そのために家族の人々が生活に困つておることはもちろんでありまするけれども、いつ釈放せられるかわからぬ現在のような状況に置かれますることは、われわれ同胞といたしましては、これら戦犯者に対する同情禁ずることあたわざるものがあるのであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。

 こうした理由から、本提案に対しましては賛意を表するものであります。何とぞ政府におかれましては、国民のこの要望、この熱望にこたえるだけの責任ある態度をとられんことを要望いたしまして、賛成の意を表する次第でございます。(拍手)

[016]○国務大臣(犬養健君) ただいま成立いたしました決議に対して敬意を表し、この際政府の所信を申し上げたいと存じます。

 先刻提案者が示されました通り、戦争犯罪に問われて現在巣鴨刑務所に服役中の者は、A級十二名をも含めて八百十名に上つております。また国外において服役中の者は、オーストラリアのマヌス島に百九十九名、フイリピンのモンテンルパに百九名、計三百八名でありますが、これらの人々は、すでに長い年月の間幽閉の生活を続け、その家族の生計もまことに悲惨な状況にありまして、物心両面の痛手は真に想像に余りあるものがあるのでございます。政府におきましても、これら戦犯者本人の心中はもとより、この家族の悲しみに思いをいたしまして、御同様まことに深き同情を禁じ得ないのでございます。御承知のごとく、外地にあります戦犯者の内地送還につきましては、独立後現在までに、マヌス島より七名、モンテンルパより二名、合計九名の送還を見たのでありまして、いまだ少数ではありますが、この関係国の処置に対して感謝の意を表しますとともに、さらに一日も早く残りの全部について好意ある処置がとられるよう切望いたし、政府といたしましても、その実現のためにあらゆる努力を現在払つて参つているのでございます。

 次に、巣鴨刑務所にあります戦犯者の釈放につきましては、この赦免、減刑及び仮出所の勧告を行うように鋭意努力いたしまして、現在仮出所適格者の大部分について仮出所の勧告を終了いたしまして、各国の同意決定を待望している次第であります。これに対して、アメリカにおきましては、先般、戦犯釈放委員会というものが設置せられまして、その検討の結果、今日までに計十九名の仮出所の同意が得られたのであります。しかるに、米国以外の英・仏・濠よりはいまだ何らの回答にも接しておらないのでありますが、米国におけるこの動きは、必ずや他の関係国にもよい影響を与えるものと確信いたしつつ、今後とも関係国の好意と理解の獲得につき全力をあげて折衝いたしたいと存じております。(拍手)

 なお、かような個別的な勧告と並行いたしまして、政府は関係各国に対し全面赦免の勧告を行つているのであります。(拍手)すなわち、本年七月十四日に、フランス国の革命記念日を期しまして、フランス国関係の戦犯者につき全面赦免を勧告し、さらに八月上旬には、その他の関係国に対してB、C級座員の全面赦免を勧告いたしました。さらに、今般行われた立太子式の国家的慶事に際しまして、A級をも含めた全戦犯者の全面赦免を再勧告いたしたのでございます。(拍手)しかして、この全面赦免の勧告に対しましては、本年の十一月十五日にインド国政府より、また十二月三日には中華民国国民政府より、A級戦犯の釈放につきそれぞれ賛成なる旨の通知を受けたのでありまして、ここに両国政府の好意に対して深甚なる感謝の意を表する次第であります。(拍手)なおこのほか、フランス国政府よりも特に好意をもつて考慮する旨の回答に接しておりますが、その他の関係国からはまだ何ら具体的回答を受け得るに至つていない状態でございます。

 しかし、政府といたしましては、本日のこの御決議の意を体し、さらに今後とも関係国の好意ある処置を期待しつつ、あらゆる手段方法によりまして、適切迅速なる方途をとり、一日も早くこの不幸なる事態を解消いたしまして、本日の御趣旨に沿いたい覚悟でございます。(拍手)

 

15 参議院 法務委員会 7号 昭和27年12月22日

[021]○政府委員(押谷富三君) 只今議題となつております戦犯者の釈放等に関します請願、陳情の御趣旨は、政府といたしましても十分了承いたしました。外地にある戦犯死刑囚の助命と、これらの者及びその他服役中の戦犯者の内地送還については、あらゆる機会にその実現を見るよう努力を払つておるのであり、独立後現在までに御承知の通りマヌス島より七名、モンテンルパより二名、合計九名の送還を見たのであります。現在マヌス島に百九十九名、モンテンルパに百九名(内死刑囚五十一九名)、計三百八名が帰国の日を待ちわびておるのであり、関係国の好意ある処置がとらるるよう切望しておる次第であります。その内容は全く不明でありますが、ソ連、中共に抑留中の同胞も相当数に上り、本人はもとよりその家族の悲しみは現在巣鴨及び濠州、比国にある戦犯者と全く同様であり、それを思います時まことに同情を禁じ得ないのであり、人道上速かにソ連、中共の帰還せしむる措置を要望して止まないのでありますが、現在正常な外交交渉によつてこれをなすを得ない関係にあることは御承知の通りでありますが、これ又あらゆる手段を講じて一日も早く内地送還の運びになるよう努力いたしております。

 巣鴨にある戦犯者の釈放につきましては、その赦免減刑及び仮出所の勧告を行うことに鋭意努力いたし、現在仮出所適格者の大部分について仮出所の勧告を終了し、各国の同意決定を待望しております。これに対し、米国においては、先般戦犯釈放委員会が設置され、その検討の結果、現在までに計二十五名の仮出所の同意を得られたのであります。然るに米国以外の英、仏、濠、和よりは我国の勧告に対し具体的な回答を寄せてはおらないのでありますが、米国におけるこの動きは、他の関係国にも好影響を与え英国及び仏国からは近く回答が来るものと予想され、今後とも関係国の好意と理解の獲得に全力を挙げて折衝いたしたいと存じます。

 なお、かかる個別的な勧告と平行して、政府は関係国に対し全面赦免の勧告を行なつておるのであります。即ち本年七月十四日仏国の革命記念日を期し、仏国関係の戦犯者につき、更に八月上旬にはその他の関係国に対してB・C級全員の全面赦免を勧告いたしました。

 更に、今般行われた立太子の国家的慶事に際し、A級を含めた全戦犯者の赦免を再勧告いたしたのであります。この全面赦免の勧告に対しましては、本年十一月十五日インド国政府より、又十二月三日には中華民国政府よりA級戦犯の釈放につき、それぞれ賛成なる旨の通知を受けたのであります。

 戦犯受刑者の家族に対しては、特別未帰還者給与法第一條の二によつて未復員者給与法の準用があり、本人に月額千円の俸給と扶養手当及び帰郷旅費が支給されるごとになつております。戦争犯罪者として死刑に処せられた者、又は服役中死亡した者に対する遺族扶助料の支給の件は、厚生省或いは内閣恩給局の所管であつて、適当に考慮されておると聞いております。ただ巣鴨刑務所を管理し、在所者の調査をしている関係から申しますと、巣鴨在所者の受けた判決は、戦争犯罪法廷が特殊な條件の下に行なつたものであり、又本人はすでに長期間服役しており、その間家族の困窮は誠に同情すべきものがあります。これらの事情は、死刑の執行を受けた者八百八十九名、拘禁中死亡した者六十二名といわれているいわゆる刑死者についても同様多数あるかと思われます。これらの事情はこの件を研究するに当つても十分考慮されることは当然であり、その他諸般の必要な事情を考慮して決定せらるべきものと考えます。又無罪でありながら長期に亘つて拘留されていたかたがた、冤罪であるにも拘らず戦犯者として獄舎に幽閉の生活を送らるるかたがたに対して誠に気の毒であり同情に堪えないものがありますが、この問題は平和條約第十一條によつて、いわゆる戦争裁判を受諾いたしております関係上種々困難な問題があるように思われます。慎重に研究いたしたいと存じております。

 

15 参議院 法務委員会 9号 昭和27年12月24日

[037]○衆議院議員(田嶋好文君) 只今議題となりました「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律の一部を改正する法律案」につき、提案理由及び改正の要旨を説明申上げます。

 改正の第一点は、仮出所の適格性を得るための期間を短縮しようとするものであります。御承知のように、平和条約第十一条によりますと、いわゆる戦犯者に対する仮出所は、日本国の勧告と関係国の決定とによつて行われることになつております。この条約に則り「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律」が制定されておるのでありますが、この法律第十六条によりますと、仮出所の適格性、即ち日本国の勧告及び関係国の決定を考慮されるに必要な最少限度の条件を取得するためには、刑期四十五年未満の者については刑期の三分の一、刑期四十五年以上の者又は刑期が終身にわたる者については十五年の期間を経過しなければならないことになつております。かくして、現在までに在所者八百四名中、この適格性を得て仮出所の勧告を終了した者は三百九十六名であり、その他の者がその適格性を得るには、なお相当の期間を要する実状にあるのであります。一面、無期その他長期刑の者を、今、釈放いたしましても、平和を紊すような危険性は毫も感ぜられないのでありますが、他面、戦犯者は幽囚すでに七年有余に及び、その留守家族の生活も惨憺たるものであります。従つて、現在、日本国民挙つて戦犯者の釈放を熱望しており、又この熱望に応え、御承知のように、衆、参両議院におきましても、すでに、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされた次第であります。

 然るに、現行法の下においては、仮出所の適格性を得るに至らない者は、その手続として、先ず、減刑を勧告し、その承認があつた後仮出所の適格性を有するに至つて始めて仮出所の勧告を行わなければならないので、その間相当の期間を要するのであります。よつて今後の外交折衝によつて、その期間の短縮に関し、関係国の同意があるならば、必ずしも現行の期間によることなく仮出所に関する手続を進め得るようにいたしたのであります。

 改正の第二点は、一時出所に関するものであります。現行法によれば、一時出所の条件は第二十四条第一項各号に定められた極めて限られたものでありますが、実状より見て、父母、妻子のみに限らず、親代りの兄姉、内縁の妻等の危篤、死亡の場合、又、震災、風水害、火災等の場合のほかにも本人が出向かなければ処理し得ない事情が発生し、一時出所の許可をなす必要が生ずるので、この条件を緩和するための改正であります。

 又一時出所の期間も、五日以内とする現行法においては、複雑な問題を処理し切れないような場合がありますので、これを十五日に改め、更に必要があれば十五日間の延長ができるように改正しよとするのであります。

 以上が今回の改正案の概要であります。何とぞ慎重御審議の上、速かに御可決あらんことをお願いいたします。

 

15 衆議院 法務委員会 17号 昭和27年12月24日

[052]○戸田政府委員 第一の戦犯死刑囚の助命とこれらの者及びその他服役中の戦犯者の内地送還については、あらゆる機会にその実現を見るよう努力を払つておるのであり、独立後現在までに御承知のようにマヌス島より七名、モンテンルパより二名、合計九名の送還を見たのであります。現在ヤヌス島に百九十九名、モンテンルパに百九名、内死刑囚五十九名、計三百八名が帰国の日を待ちわびておるのであり、関係国の好意ある処置がとらるるよう切望しておる次第であります。その内容はまつたく不明でありますが、ソ連、中共に抑留中の同胞も相当数に上り、本人はもとよりその家族の悲しみは現在巣鴨及び濠州、比国にある戦犯者とまつたく同様であり、それを思いますとき、まことに同情を禁じ得ないのであり、人道上すみやかにソ連、中共の帰還せしむる措置を要望してやまないのでありますが、現在正常な外交交渉によつてこれをなすを得ない関係にあることは御承知の通りでありますが、これまたあらゆる手段を講じて、一日も早く内地送還の運びになるよう努力いたしております。巣鴨にある戦犯者の釈放につきましては、その赦免、減刑及び仮出所の勧告を行うことに鋭意努力いたし、現在仮出所適格者の大部分について、仮出所の勧告を終了し、各国の同意決定を待望しております。これに対し米国においては、先般戦犯釈放委員会が設置され、その検討の結果、現在までに計二十五名の仮出所の同意を得られたのであります。しかるに米国以外の英、仏、濠よりは、わが国の勧告に対し、具体的な回答を寄せてはおらないのでありますが、米国におけるこの動きは、他の関係国にも好影響を与え、英国及び仏国からは近く回答が来るものと予想され、今後とも関係国の好意と理解の獲得に全力をあげて折衝いたしたいと存じます。

 なおかかる個別的な勧告と並行して、政府は関係国に対し全面赦免の勧告を行つておるのであります。すなわち本年七月十四日、仏国の革命記念日参を期し、仏国関係の戦犯者につき、さらに八月上旬にはその他の関係国に対して、B、C級全員の全面赦免を勧告いたしました。さらに今般行われた立太子の国家的慶事に際し、A級を含めた全戦犯者の赦免を再勧告いたしたのであります。この全面赦免の勧告に対しましては、本年十一月十五日インド国政府よりまた十二月三日には中華民国政府より、A級戦犯の釈放につきそれぞれ賛成なる旨の通知を受けたのであります。

 次に戦犯家族及び遺族に対する国家補償について。戦犯受刑者の家族に対しては、特別未帰還者給与法第一条の二によつて、未復員者給与法の準用があり、本人に月額千円の俸給と扶養手当及び帰郷旅費が支給されることになつております。戦争犯罪者として死刑に処せられた者、または服役中死亡した者に対する遺族扶助料の支給の件は、厚生省あるいは内閣恩給局の所管であつて、適当に考慮されておると聞いております。ただ巣鴨刑務所を管理し、在所者の調査をしている関係から申しますと、巣鴨在所者の受けた判決は、一戦争裁判法廷が特殊な条件のもとに行つたものであり、また本人はすでに長期間服役しており、その間家族の困窮はまことに同情すべきものがあります。

 

15 衆議院 本会議 20号 昭和27年12月24日

[034]○田嶋好文君 ただいま議題となりました平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律の一部を改正する法律案につき、法務委員会における審議の経過並びに結果を御報告を申し上げます。

 御承知のように、戦犯者の赦免、減刑、仮出所につきましては関係国の承認を必要とするのでありますが、戦犯者は幽囚すでに七年有余、刑の目的はもはや達せられ、わが国民主化の基礎が確立されました現在、今ただちにこれを釈放するも、世界の平和を乱し、戦争を誘発するがごときおそれはまつたくないのでありますが、わが国は条約と法律を尊重遵守し、世界の信頼にこたえつつ、戦犯者は忠実にその刑に服しているのであります。しかしながら、留守家族の生活は悲惨の極にあり、従つて国民もこぞつて戦犯者の釈放を熱望している状況であります。

 本法案は、国内におけるこれらの要望と諸般の情勢を考慮し、また再三の戦犯釈放決議の院議を尊重し、若干の改正を行わんとするものであります。すなわち、第一に、仮出所の適格性を得るための期間を短縮することであります。現行法では、この期間は、刑期四十五年未満の者については刑期の三分の一、四十五年以上の者または終身の者については十五年となつており、その適格性を得るのになお相当の期間を要する者が多数あるのであります。よつて、今後の外交折衝によつて、その期間の短縮に関係国の同意を求め、必ずしも現行の期間によることなく仮出所ができることとしたいのであります。

 第二は一時出所に関する改正であります。現行法では、わが国のみでまかなえるものは一時出所の制度だけでありますので、これを最大限に活用しようとするものであります。現行法では、一時出所の条件はきわめて限られており、ために、この制度のせつかくの目的に沿わない場合が多いのであります。よつて、これを必要な限度緩和しようとするものであります。また一時出所の期間も、現行の当を十五日に改め、必要な場合はさらに十五日延長できることとしたのであります。その他、右に関連して必要な改正を加えたものであります。

 以上が本法案の要旨であります。本法案は、各党共同提案でありまして、法務委員会におきましては全会一致をもつて可決した次第であります。

 右御報告申し上げます。(拍手)

 

15 参議院 本会議 20号 昭和28年02月02日

[013]○鬼丸義齊君 私は憲法の全面的改正の問題に関しまして吉田総理大臣にお伺いをいたしたいと思います。

 近来、新聞、ラジオそのほか各方面に亘つて、再軍備の問題について盛んに論議が行われております。而してこの憲法改正と言いますると、あたかも再軍備の別名のごとくに考えられておりますようであります。もとより憲法第九条の戦争放棄の問題につきましては、極めて重要なる問題でありますることは言うまでもありませんが、これは憲法改正の一部の問題でありまして、私がここにお伺いをいたしたいと思いますることは、しかく憲法第九条の問題には限らず、憲法全体の改正に関する問題であります。御承知の通り現行の憲法は、我が国が連合国のために占領せられておりまする間に、マツカーサー司令官の命令によりまして、アメリカの民政局員が僅々二週間の間にその草案を作り上げられまして、これを基礎としてでき上つたものであつて、日本人の手によりまして日本人のために作られたる憲法ではありません。従つてこの憲法の下におきまして独立日本の政治を行おうといたしますることは、あらゆる方面において矛盾と抵触を生じて参るのであります。国本の最高法でありまする憲法を被覆延引いたしまして、飴の棒のごとく無理な解釈をして行かなければならないようなことになるのであります。かくのごときことは、ただに害あつて益がないのみならず、国民の向うところを妨げまして、法治国において最も大切なる国民の遵法精神を撹乱し、法を軽侮して、収拾すべからざることに陥る虞れがあるのであります。昨年講和条約の締結によりまして、六年間の占領軍の桎梏の手を離れましていよいよ独立国家として祖国再建の壮図に向つてスタートを切ることになつたのであります。吉田総理は、独立の国家となつた以上は、占領下における諸制度の凹凸を調整するように申されておるのでありますが、然るに一昨日衆議院におきまして、松村謙三議員に対しまして、吉田総理は、憲法は国の基本法であるから容易に改正すべきでないと思われるから、今のところ改正する考てはないとのお話がありました。(「当り前じやないか」と呼ぶ者あり)その意味は、戦後日が浅いがために、国民の一部におきまして再軍備の反対の声がありますることにおびえて、憲法の改正をしないと言われるのではないか。それとも又憲法全体の改正をも、せないと言うのでありまするか。この点に対しまして吉田総理のはつきりとしたお考えを伺いたいと思います。

 現行の憲法について世上各方面に亘りまして論議がされておりまするが、これをざつと拾つてみますると、大体私の知る範囲におきましても七十数点に及んでおります。その主なるものを二、三申上げますると、第一、天皇及び摂政の地位並びに権限に関しまする問題、第二、戦争放棄に関する問題、第三、国民の基本的人権に関しまする数項目に亘りまする問題、第四、衆参両院に関しまする問題、第五、内閣総理大臣の権限に関しまする問題、第六、国務大臣その他軍要任務につく官吏の任免に関しまする問題、第七、最高裁判所国民審査及び同裁判官の任免軸渉に関しまする問題、第八、家族制度に関しまする問題等々、いずれも我が国の運命を決しまするような重要なる問題であつて、これをアメリカ式の敗戦型借物の憲法の下におきまして日本の政治の全きを期するということは、到底でき得ないのではなかろうか。(「逆コースこそ危い」と呼ぶ者あり)従つて、世上論議の的となつておりまする再軍備の問題のごときは、新たに作られんとする日本式憲法を作る際、内外の情勢、或いは財政的国力の関係等を勘案いたしまして、その存否を決すべき問題であるにもかかわりませず、如何にも憲法改正即再軍備の可否の問題のごとくに扱われておりますことは、甚だ不可解千万なことであると思います。(「一番大きな狙いはそこにあるのじやないか」と呼ぶ者あり)要しまするに、国が講和条約の締結によりまして独立いたしました以上は、速かに連合国の占領政策遂行を目途として作られましたる仮設の憲法はこれを一働して純然たる日本的憲法を制定し、(「あれが仮設の憲法か」と呼ぶ者あり)厳たる威厳を持つ基本法を確立して、万民ひとしくこれを確遵し、以て祖国の回復を期さなければならないと思うのであります。もとよりその改正に当つては、慎重なる調査研究の上に、民主的方法によりあらゆる階層から委員を選び、憲法改正の審議会ともいうべき権威のある大調査機関を設けるお考えはないかどうか。吉田総理の御所見を伺いたいと思います。(「仮設の憲法を取消せ」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)やかましい……。

 なおこの問題に関連いたしまして私は念のためにお断わりを申上げておきまするが、近来どこから放送されるのでありますか、誰がどんな一体企てを持つておるのでありますか、私は知りませんが、自由党の内紛から政局不安に関連をいたしまして保守新党とか或いは保守政党による合同とか、さまざまなる臆測を逞しくされておりますけれども、私がここに憲法の改正審議会を作ろうと主張いたしますることは、かような不純な意味はいささかでも含んでおるものではありません。専ら憂国慨世の下に、かような卑見を申述べたわけであります。(「それはおかしいよ」と呼ぶ者あり)ちなみに、今日の保安隊がアメリカから十数隻の軍艦を借り受け、これに大砲その他の戦備を整え、堂々海を遊弋し、飛行機とか戦車或いは大砲等、ともかく小なりといえども、あらゆる施設を施しながら、これを軍備にあらずと強弁を振い、政府みずから憲法を被覆延引して、その責任を糊塗して悟として恥じざる態度は、法律の専門家を以て任じておられまする木村長官初め、政府といたしましても、良心的に定めてお苦しみになつておることだと私は想像いたします。(拍手)もとより政府は勿論でありまするが、我々国会議員といたしましても、憲法の規定によりまして、憲法を尊重し擁護するの義務は課せられておるのでありますが、殊に政府におきましては、国民に対しみずからその水先案内者となつて、遵法精神の高揚を指導しなければならない立場にありまする政府みずからが、憲法を蹂躪するがごときことがありといたしますならば、その罪まさに万死に値いするものであると申しても過言ではないと思うのであります。(「仮設の憲法」「最も大きな冒涜だな」と呼ぶ者あり)

 第二に、戦犯者の問題について、吉田総理、犬養法務、岡崎外務の各大臣にお尋ねいたします。戦争犯罪者は、講和条約第十一条によりまして日本にある戦犯者の刑の執行を委ねられ、現にその実行に当つておるのであります。これら戦犯の人たちは、国の至上命令によりまして、戦場に向つて一命を賭して戦つて来たのであります。若しも勝敗その所を異にいたしておるといたしまするならば、彼らは愛国者として、或いは凱旋者として、国家的に大いなる優遇を受けておらるべきはずであります。従つて、日本の法律より見ましたときには断じて戦犯者ではありません。即ち、罪なくして罪に問われ、咎めらるべき何ものもなくして身体の拘束を受けておるのであります。併しながら、占領治下におきましては、(「戦争の謳歌だ」と呼ぶ者あり)何分、日本法律に優先してマツカーサー司令官の命令に服さなければならないことは、ポツダム宣言受諾の結果といたしまして誠に止むを得ないことであります。併しながら、すでに講和条約が締結せられまして独立国家となつて、国民ひとしく現行憲法によつてその権利義務が確立されております以上は、(「仮設じやなくなつた」と呼ぶ者あり)国法上罪なくして罪に問われておる者を、国の権力によつてその自由を拘束するというようなことは、憲法の第三十一条の自由人権に対しまする規定に背反する不法なる処置ではないかと私は思います。この戦犯者と憲法第三十一条との関係につきまして私は多大なる疑問を持つものであります。条約第十一条によりまして、国は連合国に対しましては戦犯者の刑の執行を委ねられておるのでありますけれども、この委任は連合国と国との間だけによつて取極められたのであります。その結果は、直ちに国法上罪なき国民の自由を奪つて拘束することは、個人たる国民の基本的自由人権を侵害するものではなかろうか。この点に対しまする吉田総理の法的見解を明確にして頂きたいと思います。

 更に、戦犯者問題については、私は、曾つて講和条約の締結前、当院において吉田総理大臣に対しまして、講和条約が締結されたならば、戦犯者問題は当然解消せらるべきであろうということをお尋ねしたのであります。これに対して総理は、全面的に私と同様なる見解を持つておられたのでありますが、遂にその結果を見るに至らなかつたことは誠に遺憾なことであります。すでに講和条約が締結せられ、国交まさに回復したる国と国との間におきましては、憲法上その刑の執行が誠に不自然なる苦しき立場にあることを十分に理解してもらい、私は一日も早くこれらの戦犯者全部を釈放してもらうように、政府としても一段の努力を希望するものであります。当参議院法務委員会におきましては、曾つて講和条約締結と同時に、いち早くこの問題に対しまして特別委員会を組織いたしまして、私みずから委員長となつて、連合国の司令部にしばしば係官を訪問、釈放の要求をいたしますると同時に、巣鴨の拘置所の戦犯者の調査をいたしまして、あらゆる角度から釈放促進に関しまして努力をして参つたのであります。当時は毎月数十人ずつの釈放を許されておりました。然るに昨年四月、条約がその効力を発生いたしまして、司令部が解散をして引揚げました後は、逆に殆んど見るべき釈放者が絶えてしまつたのであります。おいおいと刑期の三分の一を経過いたしまして仮釈放の有資格者が殖えまするにかかわりませず、釈放の許可に至りますると殆んど皆無の状態になつております。誠に不可解千万なことと思います。過般フイリピンのオシアス上院議員が賠償問題につきまして日本に来朝されましたる際に、同氏の夫人が参議院の議長サロンに我が国の婦人議員初め各団体の代表婦人を三十数名招かれまして、日比両国の国交問題について意見の交換をいたしたのであります。その際、その席上において同夫人は、フイリピンにおる日本戦犯者はすでに審理を終り、釈放したい心がまえでおるにかかわらず、なぜか日本政府からは何らの正式申出がない、恐らくは日本政府は、賠償問題未だ済まないときに、かようなことを申出ずべきものでないその段階ではないと遠慮されておることと思われるが、そんなことは我々としては全く考えていないのであるから、速かに日本政府から公式に申出てもらいたいと述べられたそうであります。御承知の通りにオシアス上院議員はフイリピンにおける政界の有力なる人であると聞いております。勿論、議員本人の言葉ではありませんけれども、同伴の夫人の言葉でありまして、或る程度信憑力のあるものと私は思います。その言葉はともかくといたしまして、この問題に対しまする政府の努力は私は甚だ不十分なものではないかと思うのであります。如何なる事情及び経過になつておりまするか。この際、外務大臣並びに法務大臣から詳細なる御説明を願いたいと思います。

 更に本年の一月の二十二日公布実施せられましたる戦犯者処遇法の一部改正の法律でありまするが、この実施に対しまして、アメリカ政府から異議の申立があつたということが新聞に報ぜられております。若しそれ、これが真実であるといたしましたならば、実に由々しき重大なる問題であると私は思います。同法の改正法律案は、昨年の十二月の休会前日に突如として衆議院議員のほうから議員提出法律案として提案せられて参つたのであります。当院の法務委員会におきましては、提案者に対しましては勿論でありまするが、政府に対しましても、同法律案制定に関しまする連合各国に及ぼしまする影響、殊にフイリピン並びにオーストラリアの両国におきましては、未だ三百名に近い死刑の宣告を受けたる戦犯者五十二名を初めといたしまして、無期その他長期の重刑を科せられましたる者が、帰心矢のごときものがあるにもかかわりませず、未だその結果を見るに至らないときに、かかる法律の制定が果して妥当であるかどうか。誠に懸念に堪えませんために、政府に対しましても、その取扱について慎重を期せられるべきことを注意をいたしたのであります。若しそれ、その法律の公布実施によりまして関係国を刺激いたしまして、悪影響を受けるようなことになるといたしましたならば、政府の責任又軽からざるものがあると私は思うのであります。この点に対しまする経過並びに政府の所見を伺いたいと思います。

 第三、戦時占領下における我が国の諸制度は、連合国の指示によりまして全く一変してしまつたのであります。その内容は、若干は改善せられたようなこともございまするが、おおむね我が国の国情に副わぬ、殆んど改悪というふうに終つておりまするものがその大部分であつたと思います。このことは、占領目的が、日本の帝国主義或いは侵略主義を根抵から粉砕せんといたしまする誤まれる基礎の下に立たれましたことが一段と拍車をかけたのであろうと思いまするけれども、アメリカと日本とは、その歴史におきまして、又風俗、習慣におきまして文化の程度乃至環境等におきましても、著しき相違のあるのにもかかわりませず、これを無視して、一方においては国防の施設を根抵から破壊し、警察並びに諸団体を寸断をして、独禁法、農地法、民法等の改正によりまして財産の分散を企図いたしまする等、挙げ来たりまするならば、まさに枚挙にいとまがないくらいであります。私がここに特に政府の所信を伺つて同調を願いたいと思いますることは、農地法の改正によりまする旧農地の所有者の援助に関しまする問題であります。占領軍が我が国において幾多の諸制度の改革をいたして参つたのでありまするが、そのうちの最悪なるものは農地法の制定であつたと私は言うことができると思うのであります。戦いに敗れたりといえども、国民の所有権は厳として存する以上は、祖先伝来の宝とした農家の田畑を、一反数万円或いは十数万円の価格を有しまするものを、僅々その百分の一にも足らない一反九百五十円という価格で政府がこれを強制買上げをして小作人に反七百五十円で分配をして而もその買上代金は現金によらずして農地証券を与えて、又たまたま若干の土地を旧地主が保有して小作人に貸し与えたといたしましても、その土地の小作料は現穀物にあらずして、公定価格に換算したる極めて少額の金納であつたのであります。かくのごとく見来たりますれば、実にこれほど極端なる暴政は、私は共産主義国といえどもあえてこれをなさなかつた最大の悪政であるということができると思います。併しながら、翻つてこれを今日から顧みまするときは、この暴政は又その半面において善政の第一号であるということができると思うのであります。何となれば、通常の場合に農家の所有しまする田畑は、農家の宝として一坪たりといえどもその意に反してこれを他に移転するがごときことは容易な業ではありません。然るに戦争の完敗によりまして国民一般が敗戦の悪夢から未だ覚めざるときに、疾風迅雷時を移さずしてこれを断行いたしましてこれがためにこの大至難事も無血の間に易々として実行せられたのであります。誠に神業と言うほかはないと思います。若しそれ、一歩を誤まりまするならば、このこと自体によりまして国内は一大混乱に陥るべき問題であつたと思われるのであります。今若し従来の貧富その所を異にして、地主と小作人というような昔のままの状態に置かれてあつたといたしましたならば、滔々として襲い来たりまするところの共産主義の魔風は、国民の六割を占める農業労働者を真赤に塗り潰したのではなかろうかと思いまするとき、私は思わず戦慄を覚えざるを得ません。然るにこれらの被徴収者の旧地主は、従来専ら小作料によつて、極めて平穏に、又比較的高級なる生活を営み、労働者の荒仕事には不適当な人が多いようであります。即ち所有財産の果実によつて生活を営み、額上の汗による勤労所得によつて生活を営むクラスのものではありませんがために、すでに六年間に亙る竹の子生活を続けて、今や本末顛倒して社会の落伍者の最前線に放り出されておるのであります。これがために幾多の悲劇を演じつつありまする状態であります。かくのごときは、ただに憲法第二十五条による最低限度の生活を営む権利を侵害するのみならず、罪なくしてかかる窮地に追い込まれましたるものであります。今や軍人に対しまする恩給制度の復活或いは文官恩給に対しまする増額等の措置を施しておりまするとき、これらの人々は無言の犠牲者として黙々として不遇に忍び泣いておるものであります。私はこの際、如何に声なしといえども、この実情を察せられまして、すでに交付してありまするところの農地証券を飛躍的に増額いたしまして、或いはその他の方途によりまして何とか援助の手を伸ばしてやりますることは、社会正義の上からいたしましても当然なることであると思うのであります。この点に対しまする農林大臣の御意見を伺いたいと思います。

 終りに、与えられたる時間が少いために、以下ただその要点だけを指摘いたしまして、各関係大臣からお答えを願いたいと存じます。

 第一番は、家族制度を復活する考えはないか。

 第二は、国民の指紋採取を徹底的に励行する、或いは警察の戸口調査をこれ又徹底的にいたしまして、以て不良者の住み家のないような措置をとる考えはないか。(「夢よもう一度」と呼ぶ者あり)

 第三、労働基準法の改正をする考えはないか。

 第四、在外個人資産喪失者に対しまして国家としての補償をなす考えはないか。

 以上であります。(拍手、「老人の夢だな、これは」と呼ぶ者あり)

   〔国務大臣吉田茂君登壇、拍手〕

[014]○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。

 第一の質問は、憲法を全面的に改正する考えがないか。私の聞き違いかも知れませんが、現憲法は二週間の間にでき上つたというようなふうに私は聞きましたが、これは間違いであろうと思います。(「間違いじやない」と呼ぶ者あり)いずれにしても、現憲法は相当の時間の間研究もし、慎重に審議もせられて、両院を通過いたした根本法であります。この根本法には、この憲法には、御指摘のごとく幾多の欠点があるかも知れませんが、併し憲法である以上は、この改正にはよほど慎重な態度を以てこれを考うべきであつて、或る点がいけないとか、或る点に反対があるとかいうようなことで、直ちに憲法改正に着手することは、私は差控うべきであると考えるのであります。又この憲法は、仮に国民の全面的反対、或いは国論が沸騰したというようなことがありましてこれによつて国民が、現憲法、新憲法の間にこういう改正をいたすべきである。或いはその改正はこういう意味であるということが、国民の理解の上に、十分の理解の上において改正せられるものでなければ、でき上つた憲法も再び改正をするというような機運になりまして、国の根本法が幾度も改まるというようなことは、国家のために決して喜ばしいことではないと考えるのであります。故に、憲法改正は、政府としても、又国民としても慎重に考うべきものであると私は確信いたしまするので、現在私はこれを改正をするという考えは持つておりません。従つて又、憲法改正審議会、これは仮の名前であるとしても、かくのごときものを置く考えがないかということでありますが、憲法改正が必要であり、国論もここに一致するということになりましたならば、新憲法を慎重に審議する上から、憲法改正審議会というような性質のものを設けて慎重に審議することは当然であろうと考えますが、現在政府は憲法改正の考えを持つておりませんから、従つてかくのごとき審議会を設ける考えはございません。

 その他の問題は主管大臣からお答えいたします。(拍手)

   〔国務大臣岡崎勝男君登壇、拍手〕

[015]○国務大臣(岡崎勝男君) 戦争裁判受刑者の問題についてのお話でございますが、平和条約にありますような仮釈放や赦免等の点につきましては、政府としては、過去においてずつと各国とも話合つて努力して参つております。特に昨年の十一月十日の立太子礼の際には、各国に改めて全面的に釈放のことを申入れておるのでありまして、これに対しましてインドの政府と中国の政府からは賛意を表して参つておりまするが、まだほかの国からは賛意は表して参つておりません。但し、アメリカ政府からは、すでに委員会を設けてBC級等の問題を研究し、仮釈放等を行なつておりますが、同時に、この委員会でA級の戦争裁判受刑者に対しても考慮をするということであります。又、イギリスやオランダにおきましても、BC級に対しましてはアメリカと同様な委員会を設けて個別的に研究するということであります。又、フランスにおきましては、極く最近にフランス大統領がわざわざ我が西村大使を引見いたしまして、本問題についで好意的な考慮を加えるというお話がありました。又個別的審査を早速にも始める、こういうことでありました。又濠州やフイリピンにつきましても、先般在外公館が設置されまして以来、両国政府との間の連絡も非常に敏活に行くようになりましたので、漸次相互の理解が進み、事態は好転し得るように考えております。フイリピンにつきましてオシアス氏の夫人のお話がありましたが、これは若しそういうお話がありましたとすれば、オシアス夫人の何かの誤解でありまして、政府としては一度ならず正式に先方に申入れをいたしてあります。

 それから昨年末国会を通過しました議員提出の改正法案でありますが、これにつきましては、先般、米国側から或る疑義を質して参りましたが、これは抗議ではないのであります。併しながらこの本法の運用につきましては、法務大臣の訓令もありまして、慎重且つ適切であるべきことは申すまでもないのでありまして、この点を十分米国等に説明をいたしております。併しながら、幸いにして最近漸次好転をいたしておりまする各国の態度等にも鑑みまして、この際不要の疑義や懸念を生ぜしめるようなことがないことを最も必要といたしますので、今後とも十分に注意し慎重に措置いたしたいと考えております。(拍手)

   〔国務大臣犬養健君登壇、拍手〕

[016]○国務大臣(犬養健君) お答えをいたします。

 最初に戦犯者の拘禁と憲法の関係につきまして申上げたいと思いますが、これは総理大臣への御質問でございましたが、総理大臣のお答えがございませんでしたので、私がお答えをいたすのでございます。

 事情の如何にかかわらず、日本人が日本人の戦犯者を引続き拘禁するということは決して晴々しいことでなく、一つの不幸事だと考えております。併し憲法論といたしまして、平和条約締結後も裁判が引続き行われておるということでありますならば、これは問題でございますけれども、平和条約十一条のように、何と申しますか、過去のいわば超憲法的な法秩序の下において、もうすでに成立確定いたしました判決を、その効果を引続き認めておるという限りにおきましては、法理論としては憲法違反ではないという解釈をとつている次第でございます。

 それから戦犯者の処遇と赦免についてアメリカから文書が参りました経緯につきましては、外務大臣からお答えを申上げた次第でありますが、アメリカではこういうふうに、若しやそうあつてはならないかという意味で問合せて来たのであります。それは、一時出所の運用というものを不当に且つ過度に行なつて、戦犯者を事実上関係国の同意なくして、何と言いますか、釈放同様なことをするのじやないか、こういう問題について問合せがあつたのでありまして、決してそうではないという回答をいたしまして、大体一部了解を得たように聞いております。

 法務省といたしましては、一番懸念いたしますのは、日本の国は、平和条約でも何でもあとでどうでもいいという態度をとる国だと思われることが、一番国際信義上これは重大なことでございますので、戦犯者の処遇につきましても、国際的な嘘つきにならないという点に重点を置きまして、法の運用、そして戦犯者の扱いについては運用を公正適切にする、こういう通牒を各関係係官に出している次第でございます。こういうふうに御了承を願いたいと思います。

 それから家族制度の問題でございますが、御承知のように旧民法におきましては、戸主の法律上の特別の地位というものが非常に強くございまして、且つ家族に対する支配権が非常に強かつた、これを改めたのでありますが、鬼丸さんの御心配の意味もよくわかるのであります。この過渡期におきまして、急に人権の平等と尊厳を得た若い人たちが、行過ぎの行動をするということはあると思います。併し只今、日本の国は、一つの絆が解けたあとの、何と言いますか、反射作用が行われている時代でありまして、これはどこでもそういう状態に置かれた民族というものはそういうふうになるのでありますが、私ども政府当局といたしましては、この反射作用の行われています過渡期というものの物差を何年間という長い物差にしまして、慎重に見て、そうして初めて改正しなければならぬところは改正するというような、多少慎重過ぎるかも知れませんが、そういう態度をとりたいと思います。さもないと、善意な改正をやつても、その改正そのものが、又歴史の瞑から見れば行過ぎであるというようなことを心配いたすのでございます。そういうトかうに御了解願いたいと思います。(「老人の繰言は慎まなければならない」と呼ぶ者あり)

 それから戸口調査でございますが、これは昭和二十五年四月に、昔の形の戸口調査は廃止いたしました。率直に申上げまして私どもの印象としては、これはどうも半強制的な感じを国民に与えていたと存じます。只今は、昭和・二十五年五月以降は、巡回連絡というような方法におきまして、案内簿を備え付けて防犯その他のことをやつているわけでございます。そういう意味で、どうも昔の戸口調査に廃るということは、それこそ、この頃国会でよく御質問がありますように、警察国家みたいになつて行くという印象を与えては如何かと思いまして、この点は非常に今慎重に研究をいたしております。

 又国民の指紋を取るということでございますが、これは政治的と事務的に分けてお答えいたしますが、政治的には、どうも国民全体を犯罪容疑者のように扱うような感じを受けやすいことでありまして慎重に考えなければならんと思いますし、事務的には、これは十数億の金が要るのでありまして、今のようなインフレ財政というような御質問のある折柄そんな金をこういうことに使うことが果してバランスを得ておるかどうか、これも慎重に考えたいと存じます。

 以上お答えいたします。(拍手)

   〔国務大臣廣川弘禪君登壇、拍手〕

 

16 衆議院 本会議 17号 昭和28年07月04日

[023]○益谷秀次君 ただいま議題となりました戦争犯罪による受刑者の特赦についてのフランス共和国に対する感謝決議案、並びに戦争犯罪による受刑者の特赦についてのフイリピン共和国に対する感謝決議案の両案について、小会派クラブを除く各党を代表いたしまして、その趣旨説明をいたしたいと存じます。(拍手)

 まず決議案の案文を朗読いたします。

   戦争犯罪による受刑者の特赦についてのフランス共和国に対する感謝決議

 独立後一年有余、戦犯罪による受刑者として内外に拘禁中のもの、いまなお相当数にのぼり、その釈放は国民のすべてが熱望するところであり、本院においても過去数回にわたり、決議をもつて要請したが、フランス共和国が率先して五月二十六日をもつて同国関係日本人戦争犯罪者に対し、特赦の恩典を与えられたことは、ひとり本人及びその家族のみならず、日本国民のひとしく喜びとするところである。

  衆議院は、右の寛大なる措置をとられたるフランス共和国オリオール大統領閣下に対し深甚なる感謝の意を表する。

  右決議する。

    〔拍手〕

   戦争犯罪による受刑者の特赦についてのフイリピン共和国に対する感謝決議  独立後一年有余、戦争犯罪による受刑者として内外に拘禁中のもの、いまなお相当数にのぼり、その釈放は国民のすべてが熱望するところであり、本院においても過去数回にわたり、決議をもつて要請したが、今回フイリピン共和国が、七月四日の独立記念日にあたり、フイリピンにおいて服役中の日本人戦争犯罪者に対し、特赦の恩典を与えられたことは、ひとり本人及びその家族のみならず、日本国民のひとしく喜びとするところである。

  衆議院は、右の寛大なる措置をとられたるフイリピン共和国キリノ大統領閣下に対し深甚なる感謝の意を表する。

  右決議する。

    〔拍手〕

 御承知のごとく、未曽有の惨禍をもたらした大戦が終結いたしましてからすでに八年を経過いたしましたが、その間、日本国民の努力は、米国の援助と相まつて、着々と国家再建の実をあげ、昨昭和二十七年四月には対日平和条約の発効を見るに至り、ここに民主主義国家の一員として世界の平和維持と人類の福祉増進とに貢献する道が開けたことは、国民のひとしく喜びとするところであります。しかしながら、その喜びの陰には、いまなお相当数の者が国の内外にわたり戦争犯罪者として獄舎に呻吟苦悩していることを思い、またその家族の人々の言語に絶する心労のいかばかりかを察するときに、国民あげてその釈放、減刑ないし内地送還の一日もすみやかならんことを念願してやまないのであります。

 よつて衆議院は、この国民の悲願に沿うて、独立回復後の国会において十三、十五回の再度にわたつて戦犯者の釈放に関する決議をいたして、政府にその善処を要望するとともに、関係各国の好意に訴えたのでありましたが、幸いにも、フランス共和国大統領オリオール閣下におかれては、昨年七月の日本政府からの同国政府あての日本人戦犯者赦免の申入れにこたえられて、他国に率先して、本年五月二十六日に、同国関係日本人戦犯者全員中三名を除く三十一名に対して恩赦の特典を与えられたのであります。かかる人道的措置こそは、自由、平等、博愛の仏国の建国精神に立脚するとともに、日仏両国の親善関係を一層緊密にするものでありまして、日本国民のひとしく感謝おくあたわざるところであります。また、今般フイリピン共和国キリノ大統領閣下におかれては、崇高なるキリスト教精神に基き、かつ日比両国の将来における友好親善関係を考慮され、英断をもつて、本日の同国独立記念日を期して、同国服役中の全日本人戦犯者に対し、死刑者は無期刑に、無期並びに有期刑は釈放に、特赦の恩典を与えられましたことは、本人及びその家族は申すに及ばず、全日本国民の衷心より感謝いたすとともに、フイリピン国民の友愛の精神に対しまして心から敬意を表するものであります。

 仏比両国がほとんど時を同じくしてとられたる今回の崇高なる措置こそは、日本国民の正義と平和とを愛好する精神に合致するのみでなく、世界平和と新しい秩序の確立に貢献するところ多大なるものがあると信ずるものであります。願わくは、政府においては、今後連合各国に対して一段の努力を傾けて、日本人戦犯問題の解決に当られるよう要望いたしますとともに、仏比両国を除く各国におかれても、このたびの例によつて、すみやかに類似の措置をとられるように望んでやみません。

 何とぞ満場の諸君の御賛同あらんことを望みます。(拍手)

 

16 参議院 本会議 17号 昭和28年07月04日

[007]○佐藤尚武君 本感謝決議案の提案理由の御説明を申上げます。

 我が国は、関係各国に対し、かねてより、平和条約第十一条の規定により、日本人戦犯に赦免と仮釈放の措置をとられるよう要請し続けて参りました。この要請に応えて、特にフランス政府は、他国に率先し、昨年七月十四日のフランス革命記念日に当り、巣鴨にあるフランス関係戦犯に対し、大統領の特別減刑令により、二名を除き、ことごとく十五年以下に減刑されたことは、すでに御承知り通りであります。その後も、これらの人々につき、日本政府から赦免、減刑、仮釈放等の措置を勧告して来ましたが、去る六月一日、在京ドジヤン・フランス大使より岡崎外務大臣に対し、五月二十六日、オリオール大統領がフランス関係B・C級戦犯三十八名についての特赦措置を定めた大統領令に署名した旨、通報がありました。これは、昨年までの三十九名中、一名は死亡し、残り三十八名のうち三名はすでに仮出所しており、又、無期刑者二名を十二年に減刑したほか、有期につき最高十一年六カ月から最低一年の減刑が認められたものでありまするが、先にフランス政府の同意した未決通算、善行特典の規定が、これに加えて適用されますので、一応の謂査では、計三十一名が刑期を満了して釈放せられ、四名が仮出所の恩典を受けることになるのであります。このことは、戦犯に問われた人々並びにその家族は勿論、日本全国民の非常な喜びとするところであると同時に、この仏国側の大いなる好意に対して、我々は心から報いなければならないと考える次第であります。なお、かくのごとくフランス国民が進んで好意の手を差延べてくれましたことは、これまでもすでに親善の関係にあつた日仏関係を一層敦厚ならしめる上に、大きな促進力となるに相違ないと信じます。

 以下右の決議案を御紹介いたします。

   フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議

  フランス政府は、かねてより日本の戦争裁判受刑者の処遇に関し、特に好意的考慮を払われていたが、わが国の減刑、仮出所、釈放等に対する要請に対し、他国に率先して昨年七月十四日特赦を行い、更に去る五月二十六日同国関係B・C級戦犯三十八名に対し、特赦の恩典を与えられたことは、本人及びその家族はもとより日本全国民の非常な喜びとするところである。

  参議院は、フランス政府の右の措置が、一に日仏友好関係の増進という見地にたつたものと信じ、オリオール大統領閣下、フランス政府並びにフランス全国民に対し深甚なる感謝の意を表する。

  右決議する。

   〔拍手起る〕

 本決議案は以上の通りでありますが、議員各位におかれましては、本案の提案理由を篤と御考慮の上、本決議案に対して御養成あらんことを切望いたします。右御説明いたします。(拍手)

[013]○徳川頼貞君 只今上程になりましたフィリピン共和国の戦犯特赦に対する感謝決議案の提案の理由を申上げます。

 去月二十七日、キリノ大統領は、本月四日のフイリピン独立記念日を期して、モンテンルパ刑務所に拘禁中の日本人戦犯者百八名に対し特赦を行い、死刑囚五十九名のうち二名は釈放せられ、他の五十七名は終身刑に減刑した上、内地に送還せしめ、現在の終身及び有期刑者は釈放する旨、大統領府より公表されました。この時、八年の長きに亘り、異国の獄舎において日夜死と直面した肉身に想いを馳せた戦犯者の留守家族の方々は勿論、我々日本国民のすべてが深い感謝の念を以てこの報に接したのであります。戦後、日本の復旧と生活水準の向上によつて、ともすると戦争を忘れがちの今日にあつて、なお人々の胸に忘れがたいものは、ソ連や中共に残留する同胞の方々やモンテンルパとマヌス島の獄舎にある戦犯たちの身の上であり、国民の一人々々がその帰還と特赦のあらんことを心から嘆願し続けて参つたのであります。国会も、又政府も、機会あるごとに努力を重ねて参りました。その事実は、今やフイリピンの人々の深い同情となつて、戦禍を越えた人類愛がこの寛大な特赦を与えてくれることになつたのであります。併し、翻つて戦争のフイリピン国民に与えた打撃を思えば、物心両面の上に消しがたいものがあると察します。それにもかかわらず、キリノ大統領及びフイリピン国民は、今その怒りを人道的寛容の中に消し去ろうとしております。これによつて、日本、フイリピン両国間の親善友好関係が大いに増進されることは疑いないと信じます。重ねて、戦犯に問われた人々は勿論のこと、日本国民は、この大きな好意に対して心から報いたいと考えていることをフイリピン全国民にお伝えいたしたい。と同時に、今度の措置にキリスト教の人類愛の立場から助命に努力された人々、戦犯者の心の支えとなつた教誨師、助命懇願や慰問に東西奔走された方々の努力にも、深く感謝いたしたいと思うのであります。

 なお、この機会に、日比両国間における賠償問題、沈船引揚の問題その他の懸案点に対して、今後とも妥結に向つて努力するようにいたし、日比両国の正常な国交が回復し、平和と友情で結ばれる日を心より待望いたしつつ、私たちは、ここに成規の手枕を経て、本院の決議案を提出いたします。

 これはすべての日本国民の純粋なる感情を反映するもので、フイリピン国の特赦に次いで、今なお海外に戦犯として残されている人々の身の上に同じような好意と寛大の光が輝くことを祈念しあることを附言いたします。

 以下右の決議案を御紹介いたします。

   フイリピン共和国の戦犯特赦に対する感謝決議

  フイリピン共和国は七月四日の独立記念日を機会に、フィリピンにおいて服役中の日本人戦争犯罪者に対し特赦の恩典を与え、釈放、減刑、内地送還の措置を行う旨を公表された。これは本院においても院議をもつて要請したところであり、恩典に浴した本人及び家族はもとより、日本全国民にとつて喜びにたえないところである。

  このことはキリノ大統領を首班とするフイリピン政府の好意によるものであると共に、フィリピン国民の寛容にして公正なる精神の発露にほかならない。

  本院はここに深甚なる感謝の意を表する。

  右決議する。

   〔拍手起る〕

 決議案は以上の通りでございます。議員諸君におかれましては、本案の提案理由を御考慮の上、本決議案に対しまして御賛成あらんことを切望いたします。(拍手)

 

16 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 9号 昭和28年07月28日

[077]○山下委員長 この際、昨日本委員会に付託されました戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議題といたします。本決議案は、本委員会の委員全員が提出したものであります、お手元にある印刷物のうち正誤の部分がありますので、この際全文を朗読いたします。

  戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案

 八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フィリピンはキリノ大統領の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである、かくて戦犯問題解決の途上に横たわつていた日取大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国際親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。

 よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。

 右決議する。

 これに対して御発言があれば承ることにいたします。――他に御発言がなければ、本決議案について採決いたします。戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議決するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

 

16 衆議院 法務委員会 28号 昭和28年08月01日

[005]○三浦政府委員 平和条約第十一条を廃止することは現在の国際情勢にかんがみきわめて困難なことと考えられますので、平和条約第十一条に認められた方法に基き、戦争犯罪人のすみやかな釈放の実現するよう鋭意努力を続けておる次第であります。

 二、戦犯受刑者の全面釈放については、条約に基く勧告を行使し、昨年八月B・C級全員に対し、また立太子に際しては、A級を含む全員に対して全面赦免の勧告をなしたのでありますが、これに対し米国政府その他より、これを政治的解決することを避け、司法的個別的に審理するとの意向を明らかにして参りましたので、さらに個別的な調査を行つて、個別的な仮出所、減刑及び赦免の勧告をいたしておるのであります。その結果今日までに一、米国より仮出所七三名、二、英国より減刑十三名、この減刑により四名が、満期出所、三、フランスより減刑三十八名この減刑により三十五名が満期出所、四、オランダより仮出所十二名の許可が得られたのでありますが、今後も関係各国の好意ある措置に、多大の期待をもつて努力いたしておるのであります。

 三、外地服役者の内地送還の問題は、比国、濠州、両国の好意ある措置によつて全員送還を見、民国においてはその中、五十二名の赦免釈放を見たことは、御承知の通りであります。ただソ連地区あるいは中共地区に抑留中の同胞に対しては、ソ連及び中共と正式な国交が行われておらない関係上、もつぱら人道に訴え、国際連合または第三国を通じてこれが促進に当る以外に方法がないのでありますが、その帰還の一日も早からんことを熱望してやまないものであります。

 四、戦犯釈放のための特使派遣については、関係国の微妙な戦犯に対する国民感情を考慮の上、その人選時期等最も効果のあがるようにしてこれを実施すべきであると考えております。

 五、外務省には最近戦犯担当の専任参事官が設置され、法務省と密接な連絡のもとに対外折衝に当つております。

 六、英国の戴冠式にあたつては、出先大使館を通じて赦免の措置ありたき旨の要請をいたしましたが、期待する結果は得られませんでした。しかしあらゆる機会に赦免促進の方途を講じておる次第であります。

 七、一時出所に関する改正法律の実施については、条約の精神と法律の趣旨を勘案して、適切な運用を行つており、おおむね在所者及びその家族も満足しておるものと思つております。

 八、無罪冤罪者に対して国家が損害賠償をなすことについては、政治的、法律的にきわめて困難な問題があり、目下考究中であります。

 九、戦犯者及び刑死者に対し援護法または恩給法を適用すべきについては、所管の厚生省または内閣恩給局において立案し、目下国会において審議中であり、戦犯者の一般人とほぼ同伴の取扱いなる模様と存じております。

 

16 衆議院 本会議 35号 昭和28年08月03日

[056]○山下春江君 ただいま議題となりました戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案について、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における審議の経過並びに結果を御報告申し上げます。

 まず、決議案文を朗読いたします。

   戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議

  八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。

  かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。

  よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。

  右決議する。

    〔拍手〕

 そもそも、講和条約発効以来、戦争受刑者の釈放措置等について決議案が本院に上程せられましたのは、今回が第三回目でございます。しかも、今回は、前二回とはまつたく異なつた情勢下において御審議を願うわけでございます。と申しますのは、昨年八月、中国が、日華条約発効と同時に、全員赦免を断行して、戦犯問題を一挙に解決して以来、本年六月に至るまでは、ひとり米国が前後十三回にわたり合計約六十名の仮出所を許しただけで、全面的解決の兆候はいずこの国にもこれを認めることができなかつたのであります。しかるに、本年六月に入るや、フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど全員を釈放したのに続いて、このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、しかも、同時に、死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、他の全員に対して赦免の措置がとられ、去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員のほか、痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱までもお迎えすることができたのでございます。

 八年という長い間、異国の獄中、苛烈なる運命に耐えて来られた、これらの人々を迎えるこの日の母国は、折からのつゆ空もめずらしく晴れわたり、岸壁を埋めた数万人の出迎人のどよめきの中に、戦友の御遺骨をしつかと抱いて、白山丸から歩一歩静かに祖国の土におり立つた方々の深刻な苦悩を刻んだ悲壮な姿は、人々に深い感銘を与え、群衆も一瞬鳴りをしずめたのでございます。(拍手)続いて、御遺骨に対するしめやかな拝礼が行われている一方には、上陸第一歩とともに自由の身となつた方々を囲む晴やかな歓声があがり、またその一方には、黙々として巣鴨の鉄窓の中に送り込まれる一団の方々がありました。まことに悲喜哀歓、あらゆる感激の場面が展開され、名状しがたい大きな感動がすべての人々の心を支配していたのでございます。生ける者、死せる者、すべてを母国に迎え得た、それはやはり国民の大きな喜びでなければなりません。(拍手)

 私は、この機会に、個人的な恩讐を超越して、よく比島国民の不満を押え、正義人道の大局からこのたびの大英断を下されたキリノ大統領に対し、最大の敬意と感謝をささげるものであります。(拍手)なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を申し上げたいと存じます。(拍手)

 さて、一方、この比島政府の英断が発表せられました直後、さらに大きな朗報が伝えられましたのは、いわゆるマヌス島に服役しておられる戦争受刑者の内地送還決定に関する濠州政府の発表でございました。この内還につきましては、さきに英国女王陛下の戴冠式にあたり、去る六月二日、本委員会委員長名をもつて、これらマヌス島の方々の内地送還実現につき、請願書を駐日濠州大使を介して同女王陛下に送りましたが、今日その実現を見ましたことは喜びにたえません。(拍手)すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、七月三十一日午前十時現地を出発し、ただいま日本に向つて航海中であります。昨二日午後九時、白龍丸から、このたびの内還は、議員各位、特に引揚委員長等の御同情と御努力によるところ大なりと考え感謝にたえず、なお今後一層御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、という電報が来ました。かくして、来る八日には、過去八年絶海の孤島に孤立無援の生活を続けて来られました百六十五名の方々全員を日本にお迎えすることができますことは、私どもの大きな喜びとするところでございます。(拍手)

 マヌス島と申しましても、収容所の置かれていたその属島ロスネグロスにおいて、海軍基地建設の重労働に従事せしめられて参りましたこの方々は、温帯人の長期在住不可能と称せられる灼熱瘴癘の地に八年間、もみだらけの玄米と、コーンビーフとグリーンピースという、全然献立の変化のない食生活では生きる気力もうせなんとする悪環境に耐えて、奇跡的に生き抜いて来られたのであります。新鮮な野菜を食べたのは、八年間に二、三度ということであります。わけても僻遠の地である上に、通信連絡の制限は相当にきびしく、家庭との密接な連絡はきわめて困難なばかりでなく、内地からの来訪はまつたく許されない、いわゆるやしのカーテンに隔てられた別天地でございますので、ここに暮された御当人にも増して、肉親の方々の不安と懊悩はまことに深刻なものがあつたことでございましよう。いつ帰るという当てのない人を待ち暮す内地の肉親は、「神仏いかにかおぼす八年ごしあつき島わにつながるる身を」と、はるかに思いを遠く熱帯の孤島にはせて、ひそかに焦燥の思いを述べ、「待ちに待つ故郷人をしのびつつ今しばらくを強く生きませ」と祈り、かつ励ますほかはなかつたのであります。いずれも今村元大将夫人の作でございます。しかし、これらの方々の上にも、やがて喜びの日が訪れるのでございます。収容所入所以来、最初の往訪者であるスタンレー記者が現地より報ずるところによれば、帰国の日取りがきまつて、終身刑の戦犯たちの中にさえ笑い声が起つているということであります。八年間笑いを忘れていたとは、何たる悲惨なことでございましよう。この方々に対して喜びを与えられた今回の濠州政府の英断に対しまして、私は心から感謝の意を表するものであります。(拍手)

 さて、かくのごとくにいたしまして、もはや海外に残されました戦争受刑者は一名もなくなり、従来戦犯問題解決の途上に横たわつておりました最大の障害は完全に一掃されました。事態はまさに最終の段階に突入したものと考えられるのでございます。すなわち、平和条約によつて拘禁せられる戦争受刑者は、やがて濠州より送還される百六十五名を最後といたしまして、全員巣鴨に集結し、巣鴨は再び九百二十余名にふくれ上るのであります。これらの方々については、もはや助命運動も内還運動も一切は終了し、残された問題は、ただこの方々を一刻も早く巣鴨から釈放するということだけになつたのでございます。(拍手)

 ここで考えていただきたいことは、朝鮮戦争の終結でございます。惨列をきわめた武力戦が停止となり、恒久の平和がこれによつてもたらされることは万人の願いでございますが、このたびの休戦は勝敗なき休戦であり、降伏なき終戦であり、従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます。開戦以来、この戦争においては、双方ともに相手方の戦犯行為を指摘非難して参りましたが、このような休戦となつてみれば、その処罰などは、双方ともやろうとしてもできることではございません。(拍手)結局、戦犯裁判というものが常に降伏した者の上に加えられる災厄であるとするならば、連合国は法を引用したのでもなければ適用したのでもない、単にその権力を誇示したにすぎない、と喝破したパル博士の言はそのまま真理であり、今日巣鴨における拘禁継続の基礎はすでに崩壊していると考えざるを得ないのであります。(拍手)

 最近、ソ連ばオーストリアの戦犯六百名を釈放し、さらにまた同国に抑留されている日本人戦犯の釈放内還見込みありとの報道も伝えられております。このごろの世界情勢の急変を見れば、ソ連が戦犯と称する全員を釈放して、巣鴨が現在のままに取残されるということなきを保しがたいのであります。拍手)「獄にしてわれ死ぬべしやみちのくに母はいますにわれ死ぬべしや」、このような悲痛な気持を抱いて、千名に近い人々が巣鴨に暮しているということを、何とて独立国家の面目にかけて放置しておくことができましよう。(拍手)機運はまさに熟しているのであります。

 以上が大体本案の趣旨であります。

 本案は、七月二十七日本委員会に付託されたのでありまして、委員会は、現在の情勢を正しく認識し、その最終の段階に対処し、一刻もすみやかに問題の抜本的解決をはかるの要あるものと認め、本案をもつて本院における最終の決議たらしむべく、二十八日委員会において全会一致をもつて原案を可決すべきものと議決した次第でございます。

 右御報告申し上げます。

[059]○国務大臣(犬養健君) ただいま本院においてなされました御決議を、深き感慨をもつて拝聴いたしました。

 戦犯処理につきましては、最近に至つて相次いで海外より朗報が参つておりまして、関係各国のとられましたこの好意ある措置に対して満腔の感謝を表明するとともに、これによつて釈放せられた戦争受刑者とその御家族の心中を推察いたし、ともに深き喜びにたえないものがあるのであります。(拍手)

 しかしながら、他面において、フイリピン及び濠州より帰還した人々、また帰還せんとする人々を含めますならば、巣鴨拘置所における拘禁者の数は、ほとんど平和条約発効当時と同数となるような実情であります。これらの人々の釈放につきましては、米国政府並びにオランダ政府は、個別的に、かつ司法的にこれを処理するという意向を明らかにしておりますが、その結果としましては、米国関係は、昨年十月から現在までを通じて許可を得た仮出所者は総計七十三名であります。またオランダ政府は、最近初めて十二名の仮出所者の許可をいたして参つたような次第でありまして、この際日本国民の真情を率直に吐露いたしますならば、さきにオランダ政府によつて行われましたところのあの大幅な、しこうして一切の過去を清算して再出発を盟約し合うごとき寛大な措置が、他の関係国においても早急にとられるよう、衷心より要望せざるを得ないのであります。(拍手)

 もとより、おのおのの関係国においてはそれぞれの特殊性を有し、その特殊な国情に応ずる対策を必要とすることとは思いますが、わが方としましては、すでに全面赦免の勧告手続を過去二回にわたつて行つていることでもありますし、かつ個別的な赦免、減刑、及び仮出所の手続も事務的にはほとんど終了しておる次第でありまして、しこうしてこの政府のとりました手続は、その背後において日本国民の切なる悲願が凝結して政府を激励鞭撻したものであると申しても、あえて過言ではないと存じます。(拍手)

 あたかも、ただいまの本院の御決議のごとく、昨年における中華民国、このたびにおけるフランス、フイリピン及び濠州各政府より、寛容にして宗教的精神に満ちた処置を受けたこの幸いなる機会に、わが方は他の関係各国に対してもこの際一層の誠意を披瀝し、一段と有効適切な手段を講ずることが、真に緊急の必要事と考えられるのであります。先ほど提案者の述べられましたごとく、事態は現在いわゆる最終の段階に入つていると考えられますので、政府はここにおいてあらゆる熱意と努力とを傾けまして善処をいたし、もつて国民各位の熱望にこたえたき覚悟でございます。(拍手)

 

16 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 10号 昭和28年08月04日

[002]○犬養国務大臣 戦犯問題につきましては、たびたび本院で熱情あふれる決議がなされたのであります。それと同時に、他方、外国関係は、今委員長が言われましたように、来る十日の朝マヌス島から帰つて来られる人を最後に、海外に抑留されている人は一人もなくなるというわけでありまして、この点は、私ども実に心から喜んでおる次第であります。と申しますのは、これはごく率直なお話でありますが、巣鴨に拘禁せられておる人たちに対して、また留守宅に対しても、十分心配のないようにすると同時に、他面減刑、赦免ということを各外国政府に勧告といいますか、要望いたしておるのでありますが、なかなかはかどらない。一方、今巣鴨に入つておる人々、留守宅にも心配のないように、あるいは日常もう少し慰めることができるようにということをやりますと、海外に抑留されている人たちの帰還が遅れるというような相互関係がありまして、この点実に苦慮しておつたのであります。このたびその問題が一まず解決するということは、私ども当局としては、心持が非常に楽になつたのでありまして、この意味で、国民の深い喜びと別個に、当局としてはさらに新しい段階に入り得る時期になつたわけでございます。

 委員長のおさしずもありますので、皆様これはとうに御承知のこととは存じますが、一応各国別に戦犯受刑者の現状を申し上げ、それから、従来当局のとつておりました処置を申し上げたいと思います。

 アメリカ関係は、御承知のように、現在に至るまでに七十三名が仮出所を許可されております。現在三百五十三名が巣鴨に在所中でありますが、仮出所の適格性を得た者百十一名に仮出所の勧告手続を終り、仮出所の適格性を得られない長期の者が百九十五名ございますが、これに対しても赦免、減刑の勧告手続を終つている次第でございます。仮出所の適格性を得ておる者のうち、六十八名に仮出所の許可をいたして参つて、ほかに決定の通知のみが最近参りましたのが五名で、昨日も申しましたように計七十三名になるわけでございます。アメリカにおきましては、これもすでに御承知とは思いますが、昨年九月戦犯釈放のための三人委員会があちらに設けられました。アメリカのやり方は厳格に個別的かつ司法的に行う建前をとつております。その結果は、日本側の勧告の順序に向うはよつていない。また刑期の長短にもよらないで、向う側のいわゆる個別的、司法的な処置によつて釈放を決定している、こういうやり方なのであります。アメリカは、国全体の政策としては、日本と親しくしておるわけでありますが、戦犯者の関係は在郷軍人その他の空気が、私どもが思つているほどには寛大ではないのであります。昨年職業野球を戦犯者の人たちに見てもらつて、一日慰めをしたことがあります。ああいう問題も、われわれの予期以上に非常に響きまして、アメリカの輿論を刺戟したようなことがあるのであります。従つて、アメリカとしては、国民に対しても厳格に日本の戦犯釈放の標準は個別的かつ司法的にとるのだということを申して、今日まで来ておるわけであります。従つて、今申し上げましたように、日本側の勧告の順序によらずに、向う独自の見解で減刑あるいは赦免というようなことを事務的にやつているわけであります。この結果、日本国民の願望しているほど多数の人が今日まで仮出所その他の処置がとられておらなかつた、こういうわけであります。こちらでも、できるだけ事務的に、個別的に根拠があるような調査をしては勧告しておりますが、そのために今翻訳中の事件が約百件ありまして、これはとても私どもの役所にいる翻訳のできる者だけでは足りないので、外部にお願いして翻訳しているというようなふうで、形容して言えば、昼夜兼行のような気持でやつているわけであります。今申し上げたように、アメリカの方針が個別的かつ司法的であるというようなことで、こちらの期待ほど早く行かない。これについては、後ほど申し上げますが、何かここで特別の手を打ちたい、こう考えているのでございます。今日まで向うからの決定の通知に接しない案件についても、こちらはその後の家族の困窮のぐあいとか、本人の健康状態ということを、またさらに追いかけて向うに通知しまして、そして同情ある処置がなされるように、こちらでも促進するような、側面的な手段をとつておる次第であります。

 次にイギリス関係でありますが、イギリス関係は十三名の減刑措置がとられておるのでありますが、それによつて釈放される人は四人にすぎません。現在百五名が巣鴨に在所中でありますが、その大部分が仮出所の適格者であります関係上、すべて勧告手続を終つておりまして、これに対する先方の審理促進をはかるために、何かやはり手を打たなければならない、こういうふうに考えておるのでございます。

 フランスは、さきに行われました大幅な減刑措置によつて、現在五名を残すのみであります。これは、法務省関係からも昨年の暮れに行きまして、フランスの当局に会いましたときに、非常に予期以上のよい、あたたかい話がありまして、ただ私ども、公表は当時することを遠慮しておりましたが、多大の期待を持つておつたわけでありますが、はたせるかな、さきの大幅な減刑措置に接したことは御同慶にたえない次第であります。現在三名残つておる人に関しても、勧告手続をすでに終了しておりまして、これは近く何らかの吉報があるのではないかということを期待しておるのであります。

 オランダは、最初は本国で日本の戦犯者の問題を扱つておりましたが、最近は東京のオランダ大使館で三人委員会というものをつくりまして、そこで処理をしておるのであります。御承知のごとく、オランダは、最近十二名の仮出所の許可をして、現在三百六名が巣鴨に在所しておりますが、そのほとんど全員について仮出所または赦免の勧告の手統を終つておりまして、これは公式的な通知ではありませんが、近く何らかの好意ある決定が行われるであろうと期待し得る根拠を持つているわけであります。

 濠洲関係でございますが、濠洲関係は現在二十七名が巣鴨に在所しておりまして、この勧告手続もほぼ完了しておりますが、来る八日マヌス島から帰還する濠洲関係者に対しては、内地帰還後、ただちに調査の上赦免減刑及び仮出所の勧告の手続をとる考えでおるのであります。マヌス島から帰つて来る人々に対する私どもの処置、心構えについて、もし委員長から御指示がありましたら、御説明いたしたいと思います。

 次にフイリツピンでありますが、最近フイリッピンから帰還して参りました五十三名の巣鴨の在所者の釈放につきましては、今般フイリッピン政府のとられました特赦の措置が、フイリツピン政府独自の立場においてとられた措置であると考えまして、今後も先方の自発的な寛大な措置が期待される根拠を持つているのでありまして、そうして、わが方においては、いつでも勧告のできる準備を完了して、情勢に応じてすぐに適切な方法をとれるようにしているのであります。ただ一言、蛇足とは存じますが、申し上げますならば、どの国もそうでありますが、ことにフイリッピンは、国内の政情の関係もあるのでございましようか、自発的にそういうことをしたのだ、日本からいわれてしたのではないぜという建前を、従来も終始とつておるのでありまして、このフイリツピンのとつて参つた態度については無理からぬ点もあるように思われますので、特にフイリッピン関係は、日本から言つて措置がかわつたというような感じを国の内外に与えないように、私どもは細心の注意を払つておる次第であります。この点は委員各位にも御了承を願いたいと思います。しかし、それを別といたしまして、本年末までには皆様に喜んでいただける朗報が来るのではないかと私どもは期待いたしている根拠も持つておる次第であります。

 なお、残る問題はA級戦犯でありますが、さしあたりA級戦犯については七十歳以上の老齢の方から勧告を始めておりますが、このA級の戦犯の問題はBC級より多少徴妙な点がありますので、その扱いについては私どもは特に心づかいをしながらやつておるということを申し上げておきたいと思います。

 

18 参議院 本会議 6号 昭和28年12月08日

[011]○郡祐一君 只今上程されました請願及び陳情に対する委員会における審査の経過並びに結果について御報告いたします。

 請願第二百五十九号は岐阜県高山市に岐阜保護観察所支部設置のものであります。高山市を中心とした飛騨の地域はいわゆる飛騨山脈に繋がる山岳地帯でありまして、住民は十八万余、面積は県下の四割を占め、岐阜市からは非常に遠隔地でありますために、現在、児童相談所の分所のほか、地方裁判所、家庭裁判所、地方検察庁、地方法務局、刑務所等の各機関は、いずれも高山市に支部が設置されており、又公安調査局は特に調査官を駐在させて住民の利便と事務の円滑を図つている実状であります。従つて明年度において同市に岐阜保護観察所支部を設けてもらいたいとの趣旨のものであります。

 陳情第三十八号及び第五十号はいずれも戦犯者の釈放等に関するもので、平和条約が成立し、独立と自由を回復した今日、なお多数の同胞が中国又はソ連に抑留され、又は戦争犯罪者として巣鴨拘置所に拘禁されて、苦悩憂悶の日夜を送つておるのでありますが、本人はもとより、留守家族の労苦を思いますとき、誠に忍び得ないものがありますから、巣鴨拘置所に拘禁されている受刑者の即時赦免及びソ連、中国の抑留者並びに外地抑留受刑者の内地送還等につきまして速やかに適切なる措置を講ぜられたいとの趣旨のものであります。

 以上の各件につきまして政府の所見を聞き、慎重に審査いたしました結果、いずれもこれを採択し、院議に付して、内閣に送付すべきものと決定した次第であります。

 以上御報告いたします。(拍手)

 

19-衆-本会議-53号 昭和29年05月21日

[016]〜[023]

○平井義一君 ただいま議題となりました恩給法の一部を改正する法律案について、内閣委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。

 本案において改正しようとするおもなる第一点は、恩給を受けることができない理由に該当した恩給受給者の届出義務が従来恩給給与規則によつて定められておりましたのを、今回これを恩給法上の義務とし、これに違背をした場合の罰則もあわせて規定するものであります。

 第二点は、本年一月一日から実施されました国家公務員の俸給の給与水準の引上げに伴い、いわゆる多額所得者の普通恩給の一部停止並びに公務傷病関係恩給等の金額計算につきまして、基準金額をそれぞれ改めることであります。但し、この改正によつて公務傷病関係恩給等の金額は実質的に何ら増減はありません。

 第三点は、いわゆる戦犯者として拘禁中の者で恩給を停止されている者に留守家族がある場合、その停止を受けた者が指定する留守家族にその恩給を支給することといたすことであります。

 本案は五月六日本委員会に付託され、政府の説明を聞き、質疑を重ねだのでありますが、五月二十日、自由党、改進党及び日本自由党の三派共同提案にかかる修正案が提出されたのであります。修正案の要旨は、恩給裁定事務を促進するためその手続を簡素化するとともに、戦犯として拘禁中に死亡した者の遺族に対し、公務扶助料と同額の恩給を支給しようとするものであります。すなわち、その第一点は、勅令第六十八号の施行以前に第七項症の増加恩給、各款症の傷病年金を受けた者のうち、終身年金の裁定を受けた者については、その既往の傷病程度を昭和二十九年四月一日における傷病の程度とみなし、また戦傷病者戦没者遺族等援護法による遺族年金または弔慰金の支給に関して、厚生大臣が公務死と認定した者については、恩給法上の公務扶助料を裁定する場合、これを公務死とみなして恩給局における調査及び認定を省略することであります。その第二点は、戦犯として拘禁中獄死または刑死した者の遺族に対し公務扶助料年額に相当する扶助料を支給することとするが、同一の理由により援護法による遺族年金を受ける者がある場合にはこれとの差額を支給することとし、但し内縁の妻がある場合には、他とのつり合い上、一万円を加えた額を支給しようとするものであります。

 質疑を行つた後、討論に入りましたところ、江藤委員は自由党を代表し、政府原案は独立を回復した今日当然の措置であり、また恩給裁定事務の促進のための措置は受給権者の要望にも沿うゆえんであり、戦犯として拘禁中に死亡した者の遺族に対する措置は諸般の情勢を勘案して妥当なものであるとして、修正案を含めて賛成の意見、高瀬委員は改進党を代表し、旧軍人関係の恩給については、文官に比べて、たとえば通算加算の問題)下級者の公務扶助料が遺族年金よりも少いこと、傷病年金の取扱い、戦犯として拘禁中の期間を恩給年限に通算しない等、不十分な点が多々あるが、これについては今後国家財政等を考慮の上改正さるることを期待するとして原案及び修正案に養成の意見、田中委員は日本社会党を代表し、原案に対しては賛成であるが、恩給裁定事務の促進は、政府当局の答弁にかんがみ、職員を増加してこれが実現をはかるべきであり、ことに拘禁中死亡した者の遺族に対する措置は、国策を誤つて国民を塗炭の苦しみに陥れたA級戦犯者の重大な責任にかんがみるとき、当を得たものではないばかりでなく、これらの遺族は援護法によつてすでに救済されておるのであるから、これを恩給法に規定する必要はない、これを恩給法に規定することは、旧軍人の階級差を生じて来る不都合があるはかりでなく、かかる措置は再軍備へつながるものだとして修正案に反対の意見、中村高一委員は日本社会党を代表し、原案に賛成、また恩給支給事務の促進には賛成であるけれども、これは運用並びに職員の増加等の措置によつて十分達せられるもので、手続の省略についてこれを法律に定めるがごときは妥当を欠くものである、なお拘禁中死亡した者の遺族に対する措置については、BC級戦犯者に対しては賛成であるが、いまだに恩給を支給されていない者の多くある今日、A級戦犯者についてはもうしばらく遠慮してもらつた方がよいと思うので、やむを得ず修正案には反対するとの意見が述べられたのであります。

 採決の結果、修正案は多数をもつて、修正部分を除く原案は全会一致をもつてそれぞれ賛成され、修正案の通り修正議決いたした次第でございます。

 以上御報告いたします。(拍手)

○議長(堤康次郎君) これより討論に入ります。田中稔男君。

    〔田中稔男君登壇〕

○田中稔男君 私は、政府原案には賛成し、その修正案には反対の立場を表明せんとするものであります。

 政府原案は、いわば技術的な性格を持つた改正でありまして、多く論議する必要はありません。

 保守三派共同修正案は、政府の原案に対しまして、二点において重大な修正を加えんとするものであります。

 その第一点は、恩給や扶助料の支給事務が渋滞しておる、これを促進するために、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用にあたり厚生大臣が公務死と認めたものについては、恩給法上も公務死と認めて、恩給局の死因調査の労を省略しようとするものであります。ところが、私は、恩給局長の内閣委員会における説明を聞きまして、この事務渋滞の最大の原因は熟達した事務要員が少いという点にあるのでありますから、保安隊なんかを増員するかわりに、こういう方面の事務要員をもつとふやして、恩給事務の促進をはかるべきだと考えるのでありまして、修正案のごとく、恩給局長の権限を制限して濫給の弊に陥るというようなことには絶対に反対であります。

 修正案の第二点は、戦犯の遺族にして従来恩給法によつて普通扶助料の支給を受けておる者一援護法によつて遺族年金の支給を受けておる者、この両者に対しまして、恩給法によつて公務扶助料に相当する額の特別の扶助料、こういう範疇を設けてこれを支給し、その給与を増額せんとするものであります。私は、この修正案はいたずらに戦犯を美化せんとするものであるという意味において、断じて反対であります。(拍手)その理由の詳細を逐次申し上げてみたいと思うのであります。

 戦犯は連合国の国際裁判によつて決定されたものでありますが、もしかりに、ドイツにおきますように、国内裁判によつて戦犯を審判したといたしましても、その大部分の人はやはり有罪と私は判定されたものだと思うのであります。もちろん、戦犯のうちBC級におきましては、無実の罪をこうむつた者もあり、その刑の量定において当を失したものももちろん少くないことは事実でありましよう。しかしながら、それだからといつて、B級戦犯全部が無実であると言うことはできないのであります。特にA級戦犯のごときは、太平洋戦争に際して国策を誤り、八千万の国民を現に塗炭の苦しみに陥れておる重大な責任者であります。私は、いやしくも一国の最高指導者はかかる場合に当然その責任をとるべきもの、だと確信するものであります。(拍手)東条大将以下A級戦犯にして、すでに刑死した人々にして、一片の愛国の心情があるならば、おそらくその責めに任じて悔いなきものだと考えます。日本の民主政治は、太平洋戦争の全国民的な反省と、当時の最高指導者の厳粛な断罪をもつて出発したのであります。しかるに、最近いわゆる逆コースの傾向がきわめて顕著でありますが、この修正案のごときはその一例であります。これが反対理由の第一であります。

 戦犯たることは国家に功労あることを意味するものでありません。しかるに、恩給法は国家に功労ある者に支給する建前でありますから、東条大将ら恩給年限に達した戦犯の遺族が恩給法によつて現在普通扶助料を支給されていること自体がそもそも誤りでありますが、これに公務扶助料として増額支給せんとするがごときは言語道断であります。(拍手)なるほど、修正案は、扶助料とは言わないで、やや遠慮して、公務扶助料に相当する額の扶助料という特殊の範疇を設けてこれを支給することになつておりますが、内閣委員会における提案者の説明によりましても、近き将来本格的に公務扶助料を支給せんとする意図のあることをはつきりうかがうことができるのであります。ただ当面を糊塗して時期の熟するを待とうとする自由党流のごまかし修正案であります。これが反対理由の第二点であります。

 恩給年限に達しない戦犯の遺族に対しては、現在援護法によつて遺族年金がすでに支給されておるのでありますが、これが恩給法による扶助料の支給に切りかえられた場合、旧軍人の階級差がここに現われて参るのであります。これは見のがすことのできない点であります。この修正案自体が再軍備のための心理的効果をねらつたものでありますが、旧軍人の階級差が扶助料支給額に明白に現われることは、この心理的効果を一層大きくするものであります。私は、再軍備反対の党の立場に立ちまして、これに反対いたします。これが反対理由の第三点であります。

 第四でありますが、戦犯は確かに戦犯であります。しかしながら、私は戦犯の罪が九族に及ぶと主張しようというものではありません。戦犯の遺族の生活の安定はもちろん国としても考えなければなりません。それは一般的社会保障の方法によつて行うべきものだと考えますが、(拍手)現に恩給法による普通扶助料、援護法による遺族年金がそれぞれ支給されているのでありまして、これで最低生活は十分保障されているのであります。諸君、東条大将の未亡人は、現在実に三十数万円の普通扶助料を支給されているのであります。これが、今度恩給法の改正によりまして公務扶助料に相当する額の扶助料を支給されるということになりますと、実に五十六万一千円の支給を受けるのであります。しかるに、現在東京都内において、子供を二人かかえた戦争未亡人が生活保護法による生活扶助を受ける場合に、月わずか五千円であります。(拍手)東条大将の未亡人が年額五十六万一千円の扶助料を受け、戦争未亡人が二人の子供をかかえて苦しい生活をしながら、わずかに国から受けるものは五千円、これが修正案の骨子であります。(拍手)これが私の反対理由の第四点であります。

 第五は、財政上反対であります。この修正によりまして受給対象となる者が約八百人、そのために要する国の経費は三千五百万円、政府は一兆億円の緊縮予算を組み、国民に対して耐乏生活を強要しておきながら、一面に、そういう耐乏生活を国民に強要しなければならないような事態に追い込んだ戦争責任者の遺族に対してのみ手厚い給与をしようとしております。これは私は非常な矛盾だと考えます。(拍手)こういう意味から、私は財政上の理由をもつて反対するのであります。

 第六は、この修正案は保守三派の諸君が遺族問題を選挙対策に利用しようとするものであります。(拍手)その不純な動機を私は絶対に非とするものであります。これがすなわち反対の第六。

 最後に、吉田首相は近く外遊しようとしている。吉田首相が外遊して何をやるつもりであるか。もちろん、まだはつきりわかりませんが、伝えられるところによりますと、BC級の戦犯の釈放の交渉をその外遊の一つの目的としていると言われております。もしそうであるならば、こういうべらぼうな修正案を保守三派の諸君が通して戦犯を美化することをいたしますならば、吉田首相が外遊をしてBC級戦犯の釈放を要求しても、その要求は通らないのであります。戦犯の遺族の扶助料を増額するためにBC級の戦犯の釈放を困難にすることは、これは自家撞着であると考えるものであります。

 以上の諸点の理由をもつて、私はこの修正案に反対を表明するものであります。(拍手)

○議長(堤康次郎君) 中村高一君。

    〔中村高一君登壇〕

○中村高一君 ただいま上程されました恩給法の改正につきまして、政府原案には賛成、自由党、改進党、日本自由党の修正案に対しましては反対の討論を行いたいと思うのであります。(拍手)

 政府の提案は恩給の金額の引上げがおもなるものでありまするが、現在一般公務員の給与は引上げられておりますからして、これに準じて恩給の金額が引上げられることについてはわれわれも同感でありまして、この点については賛成であります。しかしながら、修正案に出ておりまするのは、恩給の支払いを促進させる目的で行われたのでありまして、手続を省略するということが一つである。もう一つ、A級の戦犯を含む刑死者を戦死者と同様に取扱うという、この修正に対しては、どうしても賛成ができないのであります。(拍手)

 恩給の支払いが非常に遅延をいたしておりまして、われわれ議員といたしましても、すみやかに恩給の支払いを促進させねばならぬということにつきましては、この趣旨におきましては自由党その他の諸君と同様であります。特に、昨年八月恩給法が国会を通過いたしましてから後に、昨年十一月から恩給の支払いに着手しておりますが、恩給局で調査いたしますと、五月十七日現在で処理をいたしております件数が四十九万件、おそらく現在では五十万件に達していると思いますが、まだ残りが百万件を数えるのであります。おそらく、これでは、この年度内に終了の見込みがないのでありまして、この点につきましては、遺族の方方にまことにお気の毒だと思うのであります。しかし、これは、促進についてもう少し政府を鞭撻してやるならば方法があり得るのであります。たとえば、現在の恩給局で働いております職員は千三百名であります。しかも、これは、従来の諸君はわずかに二百名でありまして、あとの千百名は臨時職員でありますために事務にふなれである。もう一つは、恩給事務を実際に取扱つております都道府県の世話課におきましても、同様に人数が少く、臨時職員等を使つておりますために、非常に事務が遅延をいたしているのでありますからして、千三百名の恩給局の職員を、この際事務の終了するまで臨時に増員をするというような親切な方法をとるということが、政府として当然なさねばならぬことであります。

 しかも、なぜ恩給の支払いが遅延しているかを調べてみますと、たとえば、庁舎なども、すぐ前に恩給事務をやる役所があるかと思いますと、皇居の中の内閣の建物の中に一部は行つておりまして、そのために書類が行つたり来たりいたして、出し入れなどに非常な手数を要しております。こういうような事務的なものを解決することによりましても、恩給の支払いは必ず促進をされるのでありますからして、恩給の支払いを促進させる手段として、公務死であるという人の手続を全部省略をしてしまえという修正案は、どうも少し行過ぎのようであります。少し考えが無理だと思うのであります。しかし、恩給の支払いを促進させることについてはわれわれは非常な熱意を持つておりますことを、誤解があつてはなりませんから、この際つけ加えておきたいのであります。

 もう一つは、問題になつております戦犯者の処刑を受けた者もしくは獄死者に対しまして、戦死者と同様の公務状助料を出すことがいいか悪いかの問題であります。われわれは、BC級の戦犯に対しましては、これは戦争の指導に関係がなかつたのでありますから、これは出してもいいと思います。これは戦争の直接の責任者ではありませんから、戦死者として扱つて、御遺族を慰めてやるということも、私は賛成をしてよろしいのです。しかし、A級の、戦争を指導した諸君が戦死者と同様の扱いを受けるということは、どうしてもこれは納得が行かぬのであります。(拍手)それならば、自由党や改進党、日本自由党の諸君は、もつとその前にやらなけわばならない者があるのではないかと思うのであります。たとえば、実際は戦死したのだけれども、証明の方法が立たないために病死になつている。その原因は戦地で受けたのであつて、実際にはこれを戦死者として扱わなければならないのにもかかわらず、証明書類が不十分なために、一時金の弔慰金五万円でがまんをしてもらつておる者が数十万人あることを、われわれは考えなければならない。(拍手)この五万円は、もしどうしても調査が困難だというならば、これを引上げて十万円にしてやるという方法も私たちは考えてやることがいい。(拍手)あるいは、証明書類が不備でありました場合におきましても、できるだけこれを救つてあげて、その恩給の恩典にあずからしめるというような方法をとることをなぜやらないのか。

 次には、まだ私たちは救つてやらねばならぬと思いますることは、今度の修正案によりまして、軍人で処刑をされた者、獄死をした者だけは恩給にあずかるのでありまして、公務扶助料がもらえるのでありますが、軍人以外で刑死または獄死をしておられる方があるのであります。軍属で九十五名、民間人で四十四名、計百三十九名の人たちは、軍人でありませんがために、少しも恩給の恩典にあずからないというようなことは、まことに私は気の毒だと思つております。(拍手)あるいは徴用工、あるいは学徒動員を受けた者、あるいは船員、海員にして、まつたく戦争の犠牲者になりましたけれども、これらの諸君は一文ももらうことのできないことも、これを考えてやらなければならないと思う。(拍手)われわれは決してけちなことを言うておるのではなくして、戦争の犠牲者に対しては公平な救援をしてやるということこそがわれわれの国民的義務だということを申し上げておるのでありまして、まだまだ救わなければならない気の毒な人がたくさんあるのに、これをさしおいて、いち早く、処刑を受けた、しかもA級の戦犯者などに金を出さなければならない理由があるのかどうか。そういう者にどうしても出さなければならぬとするならば、まずこれはあとに譲つても決してさしつかえないことでありまして、本末を転倒しておるのではないかということであります。(拍手)

 なお、現在巣鴨の刑務所に拘禁をされておりまする七百八十五名の拘禁者に対しましても、一日も早く釈放をしてもらいたいという国民的念願に対しては、きわめてわれわれは熱意を持つておるのであります。(拍手)しかし、こういうような修正案のために、もしもこれらの諸君の釈放に支障を来すようなことがあつてはならないと私たちは憂えておるのであります。(拍手)先日オランダ関係の一戦犯者がせつかく釈放せられましたときに、政府から、あれは手続が誤つておつたのであるからして、もう一度巣鴨に滞つてくれと言われて、あのときに、おそらく、あの帰ります本人はもちろんのこと、家族の胸中を察しまするならば、われわれもまことに同情を禁ぜざるを得なかつたのでありまするが、あの人が再び巣鴨に帰りますときに、おれは多数の拘禁者を一日も早く釈放させるために喜んで巣鴨にもう一度帰ると言つた、あの言葉を私たちは考えなければならないと存ずるのでありまして、(拍手)今拘禁せられておりまする多数の人たちに在日も早く出てもらう、このことに支障なからしめるということについて深甚なる注意をすることこそがわれわれ議員の責任だと存ずるのであります。(拍手)

 こういう意味を加えまして、私は、今回の自由党並びに改進党、日本自由党の修正案に対しましてはどうしても賛意を表することができませんので、ここに反対の意思を表明いたした次第でございます。(拍手)

○議長(堤康次郎君) これにて討論は終局いたしました。

 これより採決に入ります。まず本案の委員会の修正部分につき採決いたします。委員会の修正部分に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

○議長(堤康次郎君) 起立多数。よつて委員会の修正部分は可決されました。(拍手)

 次に、委員会の修正部分を除くその他は原案の通り決するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて委員会の修正部分を除くその他は原案の通り決しました。よつて本案は委員長報告通り修正議決いたしました。(拍手)

 

19 衆議院 法務委員会 65号 昭和29年05月29日

[025]○三浦政府委員 戦犯受刑者の釈放について、政府は平和条約発効以来同条約第十一条所定の手続によつて各関係国に対し赦免、減刑または仮出所の勧告を行つているのでありますが、これに対する許可状況は本日、昭和二十九年五月二十一日現在は次の通りであります。

 一、米国は、平和条約発効後各関係国にさきがけて、昭和二十七年十月、二名の仮出所を許可して参りまして以来、累計百二十五名の仮出所と二十一名の減刑、うち十九名は減刑の上仮出所を許可しております。

 二、英国は、昭和二十八年六月に仮出所中の者八名を含めて十二名と、同年八月に四名をそれぞれ減刑して参りましたので、これによつていずれも満期出所いたしました。さらに昭和二十九年三月にも一名の減刑がありましたが、これはまだ服役中であります。なお英国関係戦犯者の終身刑は二十一年とされ、同国のレミツシヨン制度の適用によつて、その三分の二を服役することによつて釈放し得ることになつております。

 三、仏国は、昭和二十八年六月、同国関係戦犯全員三十八名の減刑を行い、これによつてうち三十五名はただちに満期出所し、他の一名はその後満期となり、さらに残りの二名は昭和二十九年四月に赦免を許可されまして、全員の解決を見たのであります。

 四、オランダは、昭和十八年七月に十三名の仮出所を許可して参りましたので、引続き許可があることを期待したのでありますが、刑期十年として引継ぎを受け満期釈放した者が終身刑であつたことが判明したために生じたいわゆる林事件の発生により、仮出所の許可が一時停止され、昭和、二十九年四月、林を再収容することによつて、同年四月に十六名の仮出所が許可され、林も終身刑から二十年に減刑され、最近さらに林を含めた十五名仮出所の許可通知かあり、出所いたしました。

 五、濠州国関係戦犯は、いまだ一件の仮出所または減刑の許可もありません。

 六、中国及び比国関係戦犯者は、すでに全員赦免、釈放されたことは御承知の通りであります。

 七、極東軍事裁判所において処罰されたいわゆるA級戦犯については、条約発効当時巣鴨刑務所に拘禁中の者は十三名でありましたが、その後一名が死亡し、一名が昭和二十九年一月仮出所を許可され、現在十一名が在所中であります。

 かくして巣鴨刑務所に服役中の戦犯者は、現在七百三十八名でありますが、平和条約発効に伴つてわが国に移管された者は九百二十七名であり、その後外地から送還される等によつて巣鴨刑務所に入所した者は二百二十名でありますから、結局四百九名の減少を見たのであります。この四百九名中赦免、減刑、仮出所の処置によつて出所した者は三百五十八名であつて、その他の者は満期出所あるいは死亡した者であります。

 政府は戦犯者の一日もすみやかな釈放を切望し、わが全国民の感情を背景として、それぞれ相手国政府に対し、政治的にまたは司法的にその釈放促進のため努力いたして参つたのでありますが、いまだ米英和濠等の諸国は、国内輿論や議会の反響等を懸念し、戦犯釈放に対しきわめて慎重であり、今にわかに全面赦免を期待し得ず、当初よりの司法的審理方針を変更しておらないのであり、いまだ早期解決の十分な見通しを得るに至つていないことはまことに遺憾に存じております。

 右の各国の司法的審理方針に即応する個別的な勧告手続は、少数の例外者を除き、赦免、減刑あるいは仮出所の勧告を終り、さらに勧告後も在所者並びにその家族の状況等の調査を続け、追加情報を送付する等によつて関係諸国の審理を容易ならしめ、釈放許可決定の促進に努めております。

 同時にかかる個別的な勧告と並行して、関係各国の戦犯に対する国民感情を緩和するため、宗教団体を通じ、人道に訴え、または随時にその他適切な政治的手段をとる等、全戦犯が一日も早く釈放されるよう、さらに最善の努力を傾ける所存であります。

 平和条約第十一条の廃止については、現下の国際情勢及び関係国の戦犯に対する考え方からして、相当困難が予想されるのであります。従つて政府といたしましては、条約に認められた範囲、方法によつて戦犯釈放を実現するため鋭意努力中であります。

 

22 参議院 法務委員会 2号 昭和30年03月31日

[106]○国務大臣(花村四郎君) 私から一つ今の委員長の申し入れにかかる件を御報告申し上げます。

 戦争終了後すでに十年を経過しようとしておる今日、巣鴨プリズンに六百四十七名の同胞を、戦争犯罪者の名のもとに拘禁することを余儀なくされておりますことは、まことに遺憾至極くと存ずる次第でございます。これら巣鴨在所者は、平和条約によりましてわが方の赦免減刑または仮出所の勧告に対しまして、関係国が同意すれば、その釈放ができることとなっておりますので、全員について一回ないし数回勧告をいたし、熱意をもって関係国の同意を求めて参ったのでありまして、今日までにある程度の人数は関係国の同意を得て釈放の運びになったものでありまするが、先ほど申しましたように、相当数の人が残っている現状でございます。すなわち、中国関係では九十一名の者は二十七年中に全員が赦免され、フィリピン関係五十六名は二十八年中に全員赦免され、フランス関係四十二名は二十八年、二十九年にわたって赦免または減刑出所となり、これら中国、フィリピン、仏関係は全部解決をいたしまして、現在は米、英、オランダ、豪州の四カ国関係だけとなっておるのでございます。米国関係は百五十八名が仮出所、三十六名が減刑となりましたが、現在なお二百五十九名が残っており、英国関係は一名の仮出所、二名の赦免、十八名の減刑、うち七名は即時出所をみましたが、現在八十九名残っておりまするし、オランダ関係は七十四名の仮出所、一名の減刑をみましたが、現在百四十一名残っております。さらにまた、豪州関係は現在百四十九名となっておるのであります。このほかA級は三名仮出所を許され、現在九名となっております。

 これら六百四十七名の人は、あるいは戦場に、あるいは戦犯として十数年ないし二十年家郷を離れておるのでありまして、本人はもちろん、その家族の困窮に対しては、心から同情を禁じ得ないのでありまして、これらの人々の早期釈放についてはあらゆる方策を講じておる次第でございます。関係国がわれわれの熱望を容易にいれてくれない理由は、多くはそれぞれの政府が国内輿論を考慮して躊躇するところにあると想像されるのでありまして、正面からの勧告、あるいは勧告を裏づけるところの追加資料の送付に努めるほか、わが国に来朝する関係国の要人に対しまして、これらの事情をつぶさに訴え、あるいはまた宗教その他民間諸団体の協力をも求めまする等、あらゆる努力を傾倒いたしまして一日もすみやかに戦争の古傷とも言うべき本問題の解決に向って猛進をいたしておる次第でございます。

 

22 衆議院 法務委員会 18号 昭和30年06月13日

[005]○斎藤(三)政府委員 お答え申し上げます。巣鴨の在所者につきましてはまことにお気の毒な事情にありますので、私どもといたしまして、極力一日も早く出所せらるるように努力をいたしておるのでございます。この巣鴨の在所者の出所につきましては、平和条約の第十一条によりまして、日本側におきまして戦争犯罪法廷の課した刑を受諾し、その執行を引き受け、その仮出所、赦免、減刑等につきましては関係国の同意のもとに日本政府がこれを実施する、こういうことになっておりますので、政府といたしましては関係国に極力その出所方を勧告いたしております。もちろん勧告につきましてはいろいろな方法が考えられまするが、全面的に赦免を勧告することが出所をはかるという意味においては一番適切でございますので、昭和二十七年平和条約発効後同年八月、ちようど終戦の記念日に当ります際に、B、C級全員につきましてそれぞれ関係国に対しまして全面赦免をしてもらうように勧告をいたしました。その後同年の十月立太子の礼のありました際にA級も含めましてA、B、C級全員につきまして関係国に赦免方を勧告いたしました。ところが関係国におきましてはそれぞれの国内事情があるものと見えまして、全面的に赦免をするということにつきましては回答をいたしません。その勧告に結果したといいますか、まずアメリカにおきまして日本側の勧告について個別的にこれを審査する、その上で許否を決するというような考えで、パロール委員会という委員会を作りました。国務省、外務省、国防省からそれぞれ一人ずつ委員が選ばれまして、そして大統領の諮問機関として日本側の勧告を審理いたし、大統領にそれぞれ意見を具申するというような機関ができまして、その他の国も大体それに準じまして日本側の釈放の要求に対し関係国としては個別的にこれを審査して、その上で決定するというような方針がとられたようでございます。その後今日まで、もちろん政府といたしましては全面赦免についてあらゆる機会を利用してそういうことをいたして参っておるのでございますが、それと並行いたしましてそれぞれ個別的に個々の事案について調査をいたしまして、仮出所資格のある人については仮出所の勧告をいたし、仮出所の資格のない人についてもそれぞれの情状に応じまして赦免あるいは減刑の勧告をいたして参つたのでございます。この個別勧告が今日までに一千百数十件に上っております。そしてそれぞれの国から仮出所、減刑、赦免等の同意の通知がございまして、それに応じまして国内的に仮出所、赦免、減刑等を実施いたして参つたのでございます。条約発効当時は巣鴨に残つておつた人は九百二十七名でございました。その後フイリピン及び豪州のマヌス島から二百二十一名の人々が巣鴨に戻つて参られまして、結局一千百四十八名という数になっております。その後今日まで赦免によりまして百五十一名、仮出所によりまして二百八十五名、満期で出所された方が百四名、途中まことに不幸なことでございますが、死亡されました方が十二名、結局五百五十二名が巣鴨を出られたようなことになりまして、現在五百九十六名在所しておることになっております。そのうち最近関係国から同意がございまして、米国関係二名、英国関係一名、豪州関係一名、それから朝鮮関係の人が二人、これは関係国から仮出所の同意があったのでございますが、本人の方からの要求がございまして、仮出所の手続にならない人がありました。結局それらが解決いたしますと、五百八十九名が巣鴨に在所しておるという数字になっております。なお従来は仮出所の資格が刑期三分の一あるいは終身あるいは刑期四十五年以上の人は十五年ということが仮出所の資格要件になっておりましたが、昨年の七月、米国政府では十年服役することによって全部仮出所の資格を与えることにいたして参りました。さらに本年五月でございますが、米国の従来のわが国からの勧告に対しての決定は、大統領が直接決裁をすることになっておりました。その大統領の諮問機関として仮出所委員会ができておつたのでございますが、それが簡略になりまして、赦免以外の者は仮出所委員会で決定をして日本政府にアクションを取るということになりまして、その点は事務的の問題でございますが、今後仮出所が早く参るのではないか、かような期待を持っております。最初申し上げましたように、私どもといたしましては一日も早くこの不幸な事態を解決いたし、国民の御要望にも沿いたいと思って、いろいろ向う側の事情も聞き、アメリカ側、その他の関係国においても事務的に、司法的に解決するということをまず第一の段階として考えておりますので、それに合うように事務を進め、勧告をし、さらに勧告後、その後のいろいろな事情を追加情報として先方に提出をいたし、極力巣鴨の人々の出所される日の早からんことに努力いたしておるような事情であります。

 

22 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 8号 昭和30年07月04日

[026]○山下(春)委員 詳細な経過及び今後なさんとされる政府の御決意を承わりましたが、今申しましたように、各国の事情もあり、いろいろ戦犯の釈放問題については国々によってその考え方が違うことはよく存じおてりますが、日ソ交渉の好転――まだ結果は私は存じませんけれども、好転いたしますならば、戦犯と称せられてソ連に抑留されておる人たちも、近い将来に帰還をすることができるようになるであろうと思います。そのときに自由諸国家群のきめました裁判によって拘禁されておる人たちだけがぽつんと残るというような事態が生じますれば、はなはだ遺憾のきわみでございます。私は先年ダレス国務長官にじかにこの問題で話しましたときも、巣鴨に五十年というのがアメリカのケースに一人ございます。私は何人も四十五年も四十六年もいることを知っておりましたが、その一々を拾い出すことはあれでしたから、五十年と言ったのですが、これはあまりに苛酷な不当な刑であるということを主張いたしましたところが、非常に早急に二十五年に減刑された例が一人だけでありますけれどもあります。そういう点から申しまして、政府が一大決意をもってお当りになれば、たとえば、オランダの場合などは、非常に多くの人々が印緬鉄道事件か何かで傷つけられたり、あるいは戦死したりしておりますが、それに対する補償、あるいはインドネシアを失いましたことにより、老齢者が帰国いたしまして養老院に入っておる。それらの費用を国が負担するのは大へんだというようなぐちをいろいろ申しておりましたが、それらの問題に対しても、政府が責任をもってこの人道上の問題を片づけるという決意をいたされますならば、もう少し早急に――ドイツの場合りは非常に苛酷な状態であったのであますが、急速度に片づきまして、あと百二十三名しかいないというような状態になっておる点から申しましても、なお一そうの御努力を願いたいと思います。

 話が前に戻りますが、先ほど申しましたように、第三国人の処置につきましては、どうか一つ大臣も、関係各省でいろいろ御会議をなさいますときには、そういう踏み切った、割り切った考え方を持ちませんと、あっせんとか、あるいは行政措置でどうとかという、下をもぐり歩くような考え方をいたしておりましたのではいけない。要するに、あちらは貸しがあると考えておりましょう。こちらも借りを返すというような割り切った物の考え方で御処置を賜われば、将来起ってくるいろいろな問題を解決するのに国の態度が一つ決定しておる。国の態度が一つ打ち出してあるということの方が、国としても対外関係に非常にいい影響を与えるのではなかろうか、そうしてまた跡始末の解決としてはそうあるべきだと私は考えますので、どうか、政府におかれましても、そういう点を、こそくな考え方でなく、一つ踏み切って、割り切って御処置を賜わりますことが、今起っておりますさしあたりの問題のみならず、今後のそういったような問題を国家がきれいに片づけるということの一つの定石になると存じますので、その点なお強く要望いたしまして、私は本問題に対する質問を終ります。

[027]○花村国務大臣 戦争が終了いたしましてから、すでに御承知のごとく十年を経過いたしておるのでございますが、今日なおかつ巣鴨刑務所に五百八十六名の同胞を戦争犯罪者の名のもとに拘禁を余儀なくいたしておりますことは、まことに遺憾しごくに存ずるところでございます。これら巣鴨所在者は、平和条約によって、わが方の赦免減刑または仮出所勧告に対しまして関係国が同意をすれば、その釈放ができることになっておりますので、全員に対しまして、すでに個別的にあるいは全面的に一回ないし数回の勧告をいたしまして、熱意を持って関係国の同意を求めて参ったのでありまして、今日まである程度の人数は関係国の同意を得て釈放の運びになっておるのでございますが、先ほど申しましたように相当数の人がまだ残っているのであります。すなわち、中国関係でありますると、九十一名の者が昭和二十七年中に全員が赦免されました。そうしてフィリピン関係は五十六名でありましたが、二十八年中にはこれまた全員赦免になりました。しかしてフランス関係は四十二名でありましたが、二十八年、二十九年にわたって赦免または減刑と相なっております。これら中国やフィリピンやフランス関係は全部解決いたしたのでありまするが、現在は米国、英国、オランダ、豪州の四カ国関係だけ残っておるような次第でございます。しかしてこの米国関係は、百九十七名が仮出所もしくは減刑の上仮出所となり、現在二百二十名が残っております。米国政府は、昨年七月、終身刑を含む刑期三十年以上の者の仮出所の適格性を、この期間を十年に短縮し、本年五月十七日には日本人戦犯の減刑、仮出所許可決定の権限を大統領から三人委員会――国務省内にある戦犯釈放委員会を意味するのでありまするが、これに委譲をし、その結果最近三回にわたって四十二名の者の仮出所または減刑に基く仮出所を許可してきたのであります。英国関係は、二名の仮出所、二名の赦免、十九名の減刑、うち七名は即時出所を見たのでありますが、現在八十五名が残っており、オランダ関係は、八十二名の仮出所を見ましたが、現在百三十三名が残っており、豪州関係は現在百五十名となっておるのであります。このほか、A級は、四名が病気仮出所を許され、現在八名となっております。これら五百八十六名の者は、あるいは戦場にあるいは、戦犯として十数年ないし三十年家郷を離れておるのであり、本人はもちろん、その家族の困窮に対しては心から同情を禁じ得ないのでありまして、これらの人々の早期釈放についてはあらゆる方策を講じておるような次第でございます。従いまして、関係国がわれわれの熱望を容易に受け入れてくれない理由は、多くはそれぞれの政府が国内世論を考慮して、そうしてちゅうちょしておるものがあるやに想像いたすのでありまするが、過般も横溝委員を各国に派遣をいたしまして、そうしてこの赦免に関するあらゆる観点から、説得なりあるいは懇請なりをいたしてきておりまするが、その結果は非常に好転いたしておるような次第でありまして、政府としては、この機会を逸することなく、あらゆる面にさらに深い考慮をめぐらして努力を続けておるような次第でありますので、その辺御了承を願いたいと存じます。

 

22 衆議院 法務委員会 44号 昭和30年07月29日

[046]○小泉政府委員 ただいま議題となりましたものは、全部巣鴨刑務所在所戦犯者の釈放等に関する請願でございますので、一括してこれに対する当局の見解を申し上げます。

 平和条約の発効に伴い、日本政府に移管された巣鴨在所者九百二十七名、その後モンテンルパ、マヌス等から巣鴨に送還された者は二百十七名でありますが、これらの人々は平和条約の規定により、わが方の勧告と関係国の同意とによって出所を許されることとなっておりますので、政府は従来から機会あるごとに関係者に対して全面赦免の勧告を行うほか、個々の人について一回ないし数回の仮出所または赦免、減刑の勧告を行い、熱心に出所の許可を求めて参ったのであります。これによりまして、中国関係九十一名、比国関係五十六名、仏国関係四十二名はすでに全部解決し、現在は米国二百十名、英国八十名、オランダ百三十三名、豪州百四十九名及び極東関係七名、合計五百七十九名となっております。戦後十年を経た今日なおこのように多数の同胞を戦争犯罪人の名のもとに拘禁することを余儀なくされておりますことは、国際平和を念願する政府といたしましてまことに遺憾に存ずるところであり、本人の苦悩はもちろん、家族の困窮に思いをいたしますとき心からの同情を禁じ得ないのであります。

 わが方の熱望にもかかわらず、関係国が容易に全員の釈放を許可してくれないのは、多くはそれぞれの国の政府が自国民の世論の動向をおもんばかって全面釈放をちゅうちょしているものと想像されるのでありますが、昨年米国政府は仮出所適格性取得期間の短縮を認め、さらに最近では従来大統領が保有していた仮出所減刑の決定権を戦争犯罪人仮出所委員会に移譲する等相次いで緩和措置をとるに至り、これによって去る五月三十八名が仮出所を許され、その後もほぼ定期的に数名ずつ出所を許されているのであります。そのほか、最近一、二の国におきまして日本人戦犯釈放の機運が高まってきているように考えられる向きもありますので、政府といたしましては、この機会を逸することなく、条約による正式な勧告及び勧告を裏づける追加資料の送付に努めるほか、従来の諸方策をさらに強力に推進して、在所者及びその家族の窮迫せる実情を宗教その他の民間諸団体を通じて全世界の人々に訴える等、戦犯釈放に関する世界の世論を喚起するとともに、関係国の日本人戦犯に対する国民感情の緩和をはかり、もって請願の御趣旨に沿い、全戦犯の早期釈放を実現するため最善の努力をいたす所存であります。

 

26 参議院 法務委員会 21号 昭和32年05月14日

[083]○政府委員(福原忠男君) 巣鴨刑務所在所戦犯者の釈放促進に関しまする請願に対しましては、法務省といたしましても、終戦後十二カ年余、平和条約発効後滴五年を経ました今日、巣鴨刑務所になお八十五名、内訳を申し上げますと米国関係が七十一名、豪州関係が十四名のはらからが戦争犯罪人の名のもとに拘禁をやむなくされており、また、A級が十一名、米国関係が三百三十八名、オランダ関係が百四十八名、英国関係が一名、計四百九十八名の多数が仮釈放を許されたとはいえ、まだ完全に戦争犯罪人の汚名を返上し得ないことは、まことに遺憾にたえないところでございます。戦争裁判受刑者は、平和条約によって政府の赦免、減刑または仮出所の勧告に対し催して、関係国が同意すれば釈放できることになっておりますので、この全員に対しまして、すでに一回ならず数回の勧告をいたし、執拗かつ熱意をもって関係国の同意を求めて参ったのでございます。その結果、平和条約発効後一時は千百四十四名に達しました巣鴨在所者の数が、現在では米国関係七十一名と豪州関係十四名のみを残すこととなりまして、このうち豪州関係の十四名につきましては、近く全員釈放される公算が多いものと期待しておるのでございます。残る米国関係七十一名については、今後あらゆる努力を傾注いたしまして、これら受刑者やその留守家族のなめつつある苦痛及び戦犯釈放に関しまする全国民の熱望を米国政府に強く訴え、もって全戦犯者の釈放実現を期する所存でございますので、御了承願います。

 

26 衆議院 法務委員会 34号 昭和32年05月18日

[017]○松平政府委員 終戦後十二年有余、平和条約発効後満五年を経た今日、巣鴨刑務所にはなお八十五名、この内訳は、米国関係七十一名、豪州が十四名でありますが、これらの同胞が戦争犯罪人の名のもとに拘禁を余儀なくされ、また、四百九十八名、この内訳は、A級十一名、米国関係三百三十八名、オランダ関係百四十八名、英国関係一名で、この多数が、仮釈放を許されたとはいえ、いまだ完全に戦争犯罪人の汚名を返上し得ないことは、まことに遺憾にたえないところであります。

 戦争裁判受刑者は、平和条約によって、政府の赦免、減刑または仮出所の勧告に対し関係国が同意すれば釈放できることになっておりますので、全員に対しすでに一回ないし数回の勧告をいたし、執拗かつ熱意をもって関係国の同意を求めて参ったのであります。その結果、平和条約発効当時千百四十四名に達した巣鴨在所者数が、現在では前述の通り米国関係七十一名と豪州関係十四名を残すのみと相なり、豪州関係の十四名については近く全員釈放されるものと期待されております。残る米国関係の七十一名については、今後あらゆる努力を傾注し、これ等受刑者やその留守家族のなめつつある苦痛及び戦犯釈放に関する全国民の熱望を米国政府に強く訴え、もって全戦犯者の釈放実現を期する所存であります。

 

28 衆議院 予算委員会 18号 昭和33年03月26日

[155]○岡田委員 それじゃ時間がありませんので進めますが、これは総理大臣、重大な問題ですから伺いますが、賀屋興宣氏はA級の戦争犯罪人として現在おるわけであります。現在は仮出所中であって、犯罪人としての身分というものはそのまま続いているわけです。こういう事実についてどのようにお考えになりますか。

[156]○岸国務大臣 A級戦犯の何として拘置され判決を受けた人が仮釈放され、もしくは拘置されておりましても、日本の国内法におきましては一切法律的に何らの制約を受けておらない、こういうふうに解釈いたします。

[157]○岡田委員 それは大へんな問題です、総理大臣。それじゃ賀屋興宣氏は公民権はありますか。――公民権はありませんよ。たとえば事例をあげて――法務省の保護局長見えておりますか。――公民権がありますか。これは刑法の第五条の法規に適応して公民権がないのですよ。公民権のない人が第一政治活動をしてよろしいのですか、  ですか。大体公民権があるのですか、どうですか。法務大臣から伺います。

[158]○唐澤国務大臣 はっきりしたお答えはもう少し調べて申し上げますが、私が従来承わったところでは公民権があると承わっております。今政府委員が出て参りますから、もし誤まっておれば訂正いたします。

[159]○岡田委員 それじゃ具体的に林さんに伺いましょう。林さんは専門家なんだから……。今賀屋興宣氏は仮出所中なんですか、減刑をされて出ているのですか、どうなんです。

[160]○林(修)政府委員 これは純粋に法律的な見解を申し上げます。御説のように、これは連合国軍の法廷あるいは連合国側の法廷によって、いわゆる戦犯としての刑を受けた場合につきまして、占領中におきましては先方の特別な指令的なものがありまして、これを日本の国内法上やはり犯罪として扱うということがありましたけれども、占領後においては、日本の国内法には何ら根拠がない。占領中においてはやむを得なかったのでございますが、占領が済みましたあとにおきましては、何ら国内法上人の資格に関する制約はございません。

[161]○岡田委員 林さん、またそういうことを言う。私は前に、あなたは八百と言うて問題になったけれども、あなたはそういうことを言うから、私は具体的に言います。

 平和条約の十一条を見てごらんなさい。十一条には、今までの通り続けるという意味のことが書いてあるじゃないか。あなたは平和条約の十一条を読んだことがありますか。この十一条におきましては、減刑と仮出所に関しては、極東軍の関係の裁判に参加した国国の承認と、日本の勧告がなければだめだということになっておるのですよ。それならば、戦争犯罪人の地位は、占領中と、その後においても継続されておるのです。それをあなたは、平和条約ができてからそういう状態はなくなったから、どうでもいいなどとおっしゃる。――保護局長見えておりますか。これは保護局長の答弁を伺いますが、戦犯に対して保護局長が、これは保護局の仕事として扱っておるはずだが、どうですか。

[163]○唐澤国務大臣 今事務当局にもよく確かめてみましたが、先ほど私のお答えいたしました通りでございまして、公民権を持っております。

[164]○岡田委員 公民権を持っておるとおっしゃるならば、その論拠をはっきりおっしゃって下さい。具体的に伺いたいのでありますが、平和条約十一条との関係並びに刑法第五条との関係、外国判決におけるところの効力の問題との関係において法律的に明快に一つ御答弁を願いたい。

[165]○林(修)政府委員 法律の解釈の問題でございますから私からお答えいたしますが、平和条約十一条はおっしゃる通りでございまして、平和条約締結後においていわゆる戦犯として日本国が拘禁を続ける、それの赦免、減刑等につきましては、日本国の勧告に基いて当該戦犯を引き渡した国の承認に基いて釈放する、あるいは減刑するときまっていることはおっしゃる通りでございます。しかしこういうふうに戦犯として拘禁する、あるいは同時に戦犯を中途において釈放する、あるいは減刑する、仮出所するということと、他の法令においていわゆる人の資格に関して、つまり刑の宣告を受けた者あるいは刑の宣告を受けてなお執行を終らない者、あるいは執行猶予中の者ということで、いろいろな法令で人の資格の制限を日本の国内法できめておりますが、その場合の刑というものは連合国の法廷によって与えられた刑は含まない、これははっきりそう解釈しております。日本の裁判所によって受けた刑をさしておるわけであります。

[166]○岡田委員 それじゃ具体的に林さんに伺いましょう。林さんは専門家なんだから……。今賀屋興宣氏は仮出所中なんですか、減刑をされて出ているのですか、どうなんです。

[169]○唐澤国務大臣 お答えいたします。仮出所中だそうでございます。しかし先ほど来法制局長官からも申し上げました通り、これは国際裁判の法廷における刑罰でございまして、それが仮出所中でございましても、減刑でございましても、日本の法律における公民権を停止するようなその原因には国内法で扱っておりませんですから、さように解釈をいたしております。

[170]○岡田委員 それじゃ仮出所中であるならば、公民権の停止がないから選挙に立候補できるわけですね。

[171]○唐澤国務大臣 お言葉の通りでございます。

[172]○岡田委員 それじゃ今減刑の要求をしているのはどういう意味なんですか。

[173]○唐澤国務大臣 私は賀屋君が今減刑の希望を述べているかどうか、それはつまびらかにいたしておりません。かりにそういうことがありましても、それは立候補の問題――法律上制限を受けておるから立候補できない、従って今のような減刑の運動とかいうようなことがあるということにはならないのでございまして、法律的には全く別個の関係に立っておるのでございます。

[174]○岡田委員 それじゃこれは岸さんにはっきり伺っておきますが、今の法解釈から言うと、賀屋興宣氏は終身禁固なんです。戦争犯罪人として終身禁固の地位で、公民権があるので衆議院議員に当選して、場合によってはこの終身禁固の犯罪人は大臣にもなることができる、こういう解釈ですか。

    〔「総理大臣にもなれるよ」と呼ぶ者あり〕

[175]○岸国務大臣 法律上の解釈は、今岡田委員の言われる通りであります。そこでこの問題については、実はこの前の参議院選挙に橋本欣五郎君がやはり同じ立場にありまして立候補いたしまして、これは落選はいたしましたけれども、やっております。私の聞いているところによりますと、この平和条約締結後におきましては、巣鴨に拘置されておる人々も選挙権を行使さしておるというふうに私は聞いておりまして、法律上公民権の何らの制限はない

[176]○岡田委員 今法律上の問題については関係ないという話ですが、それじゃ一般的な道義的な問題として伺いましょう。これは国民が納得するかどうかなんだが、戦争犯罪人で終身禁固の者が、どなたかが言ったように総理大臣にもなることができる、日本国は戦争犯罪人が終身禁固の犯罪人のままで総理大臣になることもできる、こういう点について岸さんは賛成された、こういうように私は了承してもよろしいですか。これは岸さんが最高顧問に賀屋興宣氏を選んでいるということからいってもあなたは答弁しなければならぬ。戦争犯罪人で終身禁固の者を自民党では幹部にし、しかも総理大臣の最高顧問にしている。これはあなたの内閣の性格を表わしていると思うのだが、これは道義的にも非常にけっこうなことだと思いますか、どうですか。

[177]○岸国務大臣 先ほど来法律の解釈についていろいろ御質疑があり、これに対して私は今明確に応答いたしております。やはりこの民主主義のなにから申しまして、人権の問題はきわめて重要な問題であり、またいろいろその人の持っている才能等を国の繁栄のために利用することは、私は差しつかえないとかように考えて、党内におきましてもまた私個人といたしましても、同君の意見を聞くような地位にお願いをしている、こういうことでございます。

[178]○岡田委員 岸さんがそういうことを答弁されると、岸さんの株はますます下りますよ。岸内閣の本質というものは、戦犯内閣であるということをかねがね言われておった。ところが私はさっき言ったように、岸さん自身については、戦犯という容疑はあったけれども、これはパージ解除とともになくなったのだということを言っている。しかしあなたの内閣の総理大臣の最高顧問に現実に戦争犯罪人と法的に国際法上きめられた人をするというのは、これは何ら支障のないことだし、こういうことは当りまえのことだということは、一体何を意味するか。国民から言わせれば、岸内閣はさすがに言う通りだ。戦争犯罪人を最高顧問にしている。これは田中さんが来ないから質問しなかったのだが、官吏にしている。郵政審議会の委員にしている。戦争犯罪人を公務員にしていいのですか。皆さんの方は答弁はうまく逃げるかもしれないが、そんなことは国民は許しませんよ。そんなことは国民は納得しませんよ。戦争犯罪人である。あなたのように容疑があっただけとは違うのですよ。戦争犯罪人それ自身を、しかも終身禁固刑の保釈中の者を――たとえば例をあげてみましょう。日本の国内でどろぼうして仮保釈になった。三分の一の刑期が済めば仮保釈になる。この仮保釈中は国内法では刑の執行中で、刑の執行中には公民権がないのですよ。公民権がないのにこのどろぼうが代議士に当選した。代議士に当選しなくてもこれをあなたが最高顧問にして、国民の常識が許しますか。道義的にどうなんですか。問題は違うと言うけれども、それはこの間の侵略戦争の意義がわかっていないから違うと言うのです。これは平和を侵害したのです。まさに憲法違反ですよ。

[179]○岸国務大臣 これは先ほど来申しているように、日本国内の法律によりまして刑の宜告を受け、その執行中であるとか、あるいは保釈中であるということと、私は法律上の扱いが全然違っていると思います。従いまして、今どろぼうをした場合にどうだとかいうようなお話がありましたけれども、国内法から見ると、先ほど来法律的な解釈を申し上げましたように、何ら制限を受けているわけではございませんから、そのことが違法になる、あるいは許されないという性質のものではないと考えます。

[180]○岡田委員 もう一点だけ伺いますが、それでは減刑嘆願なんかは必要はないですな。今政府は盛んに減刑嘆願をアメリカを通じてやっているわけですが、減刑嘆願をする必要なんかないですよ。堂々と代議士に当選するし、総理大臣にもなれるし、総理大臣の顧問にもなれるし、何も減刑嘆願なんかする必要はないということになりましょう。たとえば減刑嘆願を懇願しても、実現しなくてもかまわない、どっちだっていいんだ、そういうことですな。

[181]○岸国務大臣 法律的に申しますと、公民権の関係からいえば、その通りであります。しかし岡田委員のような御質問も出る場合がありますから、減刑された上の方が問題は少いのではないかと思います。

 

40 参議院 法務委員会 9号 昭和37年03月06日

[049]○国務大臣(植木庚子郎君) 平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律を廃止する法律案について、その趣旨を御説明いたします。

 すでに巣鴨刑務所仮出所中の者八十三名に対する昭和三十三年十二月二十九日付刑の軽減決定によりまして、それまでわが国が平和条約第十一条に基づいて取り扱ってきた戦争犯罪受刑者の刑の執行及び赦免または軽減の事務は終了し、かつ、過去における海外戦犯引取事務の処理状況から見て、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律を適用する可能性のある者が海外に存在するとも認められない次第でありますので、右法律を廃止いたさなければならないのであります。

 次に、この法律の廃止に伴いまして、この刑の執行施設でありました巣鴨刑務所の存続も必要がなく、また、刑の執行及び赦免等に関する事務を法務省の所管事務として規定しておくことも必要がなくなったわけでありますので、記録の保存その他所要の事務以外の事務につきましては、法務省設置法の規定を整理いたしております。

 以上が、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律を廃止する法律案の趣旨であります。

 

40 参議院 法務委員会 10号 昭和37年03月08日

[141]○井川伊平君 平和条約に関係のない共産圏関係につきまして、まだそれらの国で体刑の受刑を受けておる者があるかどうか。あるとすれば全部わかっておるのかどうか。全部わからぬとすれば、現在わかっている範囲ではどうか。こういうことを今度ひとつお伺いしたいと思います。

[142]○政府委員(大沢一郎君) 目下条約あるいは共同宣言等の協定のついておりません国は中国の共産圏区域だと存ずる次第でございます。ソビエト関係につきましては、日ソ共同宣言によりまして、戦犯者は全部釈放されるという協定ができて、すべて釈放せられてきているのでございます。ただしかし、日本の調査と食い違う点がございまして、それらの点は向こうとしては行方不明、不明者ということになっておりまして、不明の者については調査してこちらに回答するということになっております。中共関係につきましては、この条約の関係外でございまして、われわれといたしましては、本法についての該当者はいないわけでございますが、実際上まだ拘禁されている方もあろうと思いますが、法務省といたしましては、その数ないしは実情ということについてはつまびらかにできない状態でございます。

[143]○井川伊平君 今の中国の関係につきましては、戦犯者としての体刑を受けている者はいないと思うというのですか。

[144]○政府委員(大沢一郎君) 法務省といたしましては、その調査とかその他ができないという状況でございまして、おそらくまだおられるだろうということは想像にかたくないところでございますが、本法関係外でございまして、なおかつ外国のことでございますので、法務省としては調査をつまびらかにすることができないという状態でございます。

[145]○井川伊平君 法務省として調査ができないということは私納得しにくいのですが、そのくらいのことならば、国際赤十字その他にお願いをいたしまして、それくらいの調査は簡単に私はできるのじゃないかと思いますが、そういうことを試みたことがないのですか。

[146]○政府委員(大沢一郎君) 現在中共等におられる方の問題につきましては、いわゆる法務省の所管の平和条約第十一条によりまする戦犯者、厳密に申しますれば、この条約による戦犯者ではないのでございます。その調査はむしろ外務省なりその他の省の所管ではないかと、かように存ずる次第でございます。

[149]○井川伊平君 東京裁判で絞首台でなくなられました方々ですね、その執行されました場所等の保管は、何か日本国民として記念をすべきような形態において保存されておるものか。そうではない、ただの死刑の執行した場所だというような取り扱いをしおるのか。そういう点につきまして詳細な実情のお話、それから今後、もしそれらについての何かの考え方があるとすれば、あわせて承っておきたいと思います。

[150]○政府委員(大沢一郎君) 極東軍事裁判所で死刑の言い渡しを受けられました方々の死刑はあの中で執行されたと聞いておるのでございまして、われわれの想像いたしますところの場所も大体推定はついておりまして、現在、拘置所の敷地内の一部でございます。引き渡しを受けました際の状態そのままで、もちろん清掃も十分いたしまして、一部でございますので、そのまま現場は保管されておるわけでございます。しかし私も現場を見て参りまして、死刑執行場としての建物その他器具等は全然現在のところ残っておりません。ただこの場所がそうだというふうに聞きまして、現在その場所はそのまま保管してございます。なお、その跡を何らかの供養なり、あるいはまた慰霊のための場所に使いたいというような御希望も遺族の方等からも申し入れがございまして、われわれといたしましては、現在のところは拘置所の一部でございますので、御承知のように、東京拘置所の所在地が池袋の繁華街に近接した所でございまして、その移転が強く要望されておりますので、近いうちに移転をしなければならないような状況に立ち至るのではないかと考えられるわけでございます。さような際におきましては、関係機関あるいはまた遺族の方々の御意向等を伺いまして、十分協議の上で妥当な措置を講じたい、かように考えておるわけでございます。まだこれをどうしようかということは、決定いたしておりません。

[152]○政府委員(大沢一郎君) その刑場に当たりました場所は、ちょうど刑務所の一番すみでございます。道路に面しました場所でございますので、われわれといたしましても、これが他に移転いたします場合は、遺族の方々、あるいはまた地元関係各位の御意見に従いまして、しかるべき方途でこれを保存していくことにつきまして協力することにやぶさかではございません。今お話を伺っておりますのは、ここに小公園等を設けるとか、あるいは慰霊碑を建てたいというような御希望も出ておるのでございますので、移転の暁には、さような意見を伺いまして、また関係当局とも協議いたしまして、法務省としてもできるだけの御協力をいたしたいと存じておる次第でございます。

[153]○井川伊平君 巣鴨刑務所を他に移転するということになりますと、敷地は何か国の設備の建設のために使うというのであるか、あるいは民間に払い下げる、そして払い下げの代金で他に求めるといったような考えがあるか。こういう点をお聞きするとともに、そういう処置をする時分に、厳然たる態度をもちまして、今申したような御意見を実行しようとしない、処分のときがずらずらと、めんどうくさいから早く処理してしまうといったようなことで、悔いをあとに残すおそれなしとは限らぬと存じますが、今申したような、取り払った後の処置はどうなるのかということとあわせまして、そして今あなたの申されましたような御熱意を、あとの仕事として残しておく。そういうような御熱意、もう一度確かめておきたいと存じます。

[154]○政府委員(大沢一郎君) 他に刑務所が移りました場合は、国有財産でございますので、大蔵省に当然引き継ぎになると考えます。しかし、現在われわれといたしまして、その今の拘置所を移す地所につきまして、東京都あるいは首都圏整備委員会等にお願いいたしまして、拘置所移転先の敷地のあっせんをお願いしております。このあとの敷地の利用につきましては、当然東京都ないしは首都圏整備委員会等の御指示があることと思います。しかし、最終決定は大蔵省の管財関係の処になると思いますが、われわれといたしましては、遺族の方々からかような強い悲願に似た御布望のあることは十分関係機関に伝えたいと存じております。

 

40 参議院 法務委員会 11号 昭和37年03月13日

[004]○説明員(福田芳助君) 現在共産圏というよりも、日本に関するいわゆる戦犯につきましては、本来の戦犯、つまり平和条約第十一条に基づくところの戦犯は一人もございません

[005]○亀田得治君 本来のものを聞いているんじゃない。向こうで戦犯として扱ってとめられているといったような関係です。

[006]○説明員(福田芳助君) 次に、御質問の主点でありますところのいわゆる戦犯でありますが、これは全然平和条約に関係のないものでありますけれども、中共関係に、現在撫順に十三名収容されております。そのうち一名は、近く釈放になる予定で、紅十字会を通じて通告がありましたので、間もなく帰ってくるものと思います。その他の国につきましては、いわゆる戦犯なるものは、ソ連につきましてもございません。

 以上でございます。

[013]○亀田得治君 それでは、間違ってもいかんわけですから、十二名の名簿を資料として法務委員会に後に出して下さい。それと、その氏名の上に肩書きなどがわかっておったのでしたら、つけておいて下さい、もとの肩書きを。それで大体あなたへの質問はいいです。

 それから、法務省のほうにちょっとお尋ねしておきますが、戦犯の各種の裁判がたくさんあったわけですが、特に日本の国内でやられた関係等の記録、こういうものの保存というものはどういうふうなことになっておるのか。それから、今後どういうふうにそそれは処理されるわけですか。

 それから、日本国内でやられなかった、外国でやった裁判、そういったようなものの記録というものは、きちんと写しなどをいただいておるわけですか。人間の引き渡しを受けるときなどにそういうことになっておるのか。あるいは判決だけをもらってきて、身柄をもらってきておるのか。そこら辺のところをひとつ実情を説明して下さい。

[014]○政府委員(大沢一郎君) 平和条約の関係の戦犯の刑につきましては、日本が引き継ぎました際には、判決センテンスだけをもらって執行しておるわけであります。ただ、法務省といたしまして、かような戦争犯罪というものにつきましての将来の研究等の大きな法理の問題もございますので、一調査部におきまして、帰還者、あるいはまた、さような事件の弁護人として海外に行かれた弁護士の方、さような方面、また」できるだけ当時の連合国の駐在者を通じまして、得られるだけの資料を集めるように努力しております。現在、調査部でどれだけ集まっておるか、つまびらかにいたしませんが、できるだけの資料を集めて、いわゆる戦争犯罪というものについての調査研究の資料の収集はいたしておる次第であります。

[019]○亀田得治君 私は、これをどういう目的でというわけじゃありませんが、普通一般の犯罪を犯したって、きちっと裁判記録というものは、さばかれる者が全部見れるし、またしたがって、保存もできるわけですね。戦争犯罪に関する犯罪ですから、言うてみれば、特定の個人と同時に、日本国自体というものが半ば対象になっておるわけですね。当然日本国政府としては、その結果のいかんにかかわらず、それに対する記録というものは、これはきちんととっておくべきものではないかと思うのですが、そういう一体さばかれる者として当然の要求というふうなことは、一体日本政府としてしたことがあるのですか。どうですかね。あなたはこれは過ぎ去ったことですが、どうでしょうか。

[020]○政府委員(大沢一郎君) その間の事構は、私、調査もいたしておりませんので、つまびらかにはわかりませんのでございますが、要するに、平和条約で、戦争裁判の結果を日本が無条件に引き受けるということになっておりますので、おそらくそれについてのいい意見はなかったのじゃないかと、かように考えます。したがいまして、われわれとして今調査研究しておりますのは、いわゆる戦争犯罪なるものの本質、また、これの審理という点を将来において研究したいという意味で集めておりますので、法務省としては、できるだけの資料を集めるという方針で臨んだのではないか、かように推測する程度でございます。

[025]○国務大臣(植木庚子郎君) ただいまの件につきましては、法務省の法制調査部でその仕事を担当しておりまして、さらに、ほかに嘱託級を若干持ちまして、今二名の特別の専門家をお雇いしておりまして、そうしてみんなで力を合わせて今日までやっておりますが、今後も、なお一そう御趣旨のように、よい悪いを問わず、あらゆる資料をできるだけ集めて、将来に備えたいということを考えております。

 

40 衆議院 法務委員会 16号 昭和37年03月15日

[002]○林委員 矯正局長に伺います。この法律案の提案理由の説明によりますと、昭和三十三年の十二月二十九日に、戦犯受刑者の刑の執行及び赦免または軽減の事務は終了したように理解されるのであります。自来三年間、この廃止法案の提出がおくれておるのでありますが、何ゆえにおくれておったのであるか、その理由を承りたいのであります。また、提案理由の説明によりますと、適用する可能性のあるものが海外に存在するとも認められないと認定しておりますが、その認定した理由はどうであるか、その点をお伺いしたいと思います。

[003]○大澤(一)政府委員 昭和三十三年十二月二十九日に、すべての戦犯についての刑の減刑、赦免が行なわれまして、一応巣鴨刑務所に収容いたしました戦犯受刑者に対しましての刑は一切終了しました。その者につきましては再び戻ってくる可能性がないわけでございますが、いかんせん、はたして外国に、それらの者がまだ外国刑務所で服役しているかどうか、近い将来送還される可能性があるかどうかということの調査をいたしませんと、帰って参りましたとき収容する場合に、本条約による義務が履行できないというような事案がございまして、自来法務省におきまして、戦争裁判に関する文書その他情報によりまして、戦犯者の名簿をまず作成いたしまして、その名簿について、その者の受刑状況等を調査しまして、一応法務省として入手しました文書並びに情報によります戦犯者はもういないということがわかったわけでございます。しかし、外国のことでございますので、その点につきまして外務省の確認を求めるということで、外務省に照会したわけでございます。従いまして、その間相当期間を経過いたしました。また、外務省といたしましても、さような事務を相当詳細に調べてくれたわけでございますが、外国政府におきましても、なかなか確たる回答を寄せないというような事情がございまして、昨年末になりまして、ようやく外務省として、さような者はないというふうな回答を得たわけでございます。認められるに至ったという非常にあいまいな書き方でございますが、かような法務省として入手しました文書、資料によって調査し、また外務省が出先機関を通じましていろいろ確認の方法をとってくれたわけでございますが、一応われわれとして、もういないというふうに認定したわけでございます。相手が外国政府のことでございますから、もう非常にこの戦犯事務について冷淡と申しますか、普通の外交折衝のように的確な資料をくれませんので、その点の認定、推測等が多少あれでございますが、一応さような認定を下しまして、本法提出に踏み切ったわけでございます。

[007]○坪野委員 関連してお尋ねいたしますが、戦争犯罪者、戦犯裁判を受けて海外で拘禁され、まだ仮釈放にもなっておらない者の数は大体どの程度と把握しているか、現在まだ刑の執行中の者が何名くらいあるか、これをちょっとお尋ねしておきたいと思います。

[008]○大澤(一)政府委員 平和条約第十一条によりまして日本が刑の執行等を引き受ける戦犯者は、すでに海外にはおらないというふうにわれわれは考えておる次第でございます。ただ、中共地区にいまだある程度の戦犯が、いわゆる戦犯者として拘禁されている方があるやに聞いておりますが、これは本法の関係外でございまして、法務省としては的確な調査はいたしておりません。

 

49 衆議院 内閣委員会 4号 昭和40年08月06日

[054]○高瀬委員 それはある程度の時間の制限をかけて――違憲問題などをああいう地方で騒ぐということは、社会秩序を乱し、法の権威を傷つけると思うのです。だから、ある一定の期間を区切って、非常上告というのか何というのか知りませんけれども、そういうことをやっていただきたい。

 それからもう一つ聞きたいことがある。私は、実は戦犯の時効の問題についてちょっと伺っておきたい。それは、一カ月か二カ月前の新聞に小さく、戦犯の時効を延期するということについて国連当局から日本の政府に意見を聴取してきているという記事があったのです。ぼくはちょっと気がついたのだけれども、切り抜きも何もしていませんが、そういう事実があるかどうか。それから時効を延期するということに日本政府は反対なら反対、賛成なら賛成――これはやはりニュールンベルグ裁判に対するユダヤ人だの何だのの反撃だと思うのです。これは私の個人的見解です。しかし、ああいうことを日本政府はどういうふうに取り扱っているのか。それを受けているのかどうか。それに対して回答しているのかどうか。

 それからもう一つ、伊能理事は早くやめろと言うからもうやめますが、戦犯の裁判は降伏文書で日本がアクセプトしているわけです。しかし、あの戦犯の裁判の性格というものを一体日本の政府当局はどういうふうに見ているのか。これは将来日本の子弟の教育だの何だのに重大な影響があるから聞きたい。せっかくしゃべれというから、この機会に関連したものを聞いているわけですから、お願いします。

[055]○山根説明員 先ほどの戦犯の時効の問題につきましては、ドイツにおきましてナチ関係犯罪の処罰に関する法律というのがございます。その法律は、ドイツが降伏いたしましたときから二十年間ナチの犯罪について処罰を求めることになっておりまして、本年の五月八日でナチの犯罪については時効が切れるということになったものですから、ドイツの議会におきましてこれを延長する議決をいたしました。これはドイツの国会において、ナチの犯罪のみを対象といたしまして、いわゆる戦争犯罪の時効を延長したわけでございますが、日本におきましては、そういう戦争犯罪につきましての法律というものはわが国内法にございません。かつまたわが国内法といたしましては、殺人罪等の時効は十五年ということになっておりますので、すでに戦争終了後二十年たっております現在、時効を延長するということはわが国内法においてはあり得ないということになります。

[056]○高瀬委員 そういうことを日本政府に一応通告がきているという事実はありませんか。

[057]○山根説明員 国連から、外務省を通じまして戦犯の時効の問題をどういうふうに考えるかということを法務省当局へも聞いてきております。ただ、これは今年の八月の末までに検討することになっております。

[059]○山根説明員 これは、先ほど申し上げましたように、わが日本といたしましては、もうすでに戦犯の時効というものは国内法上切れておりますので、延長するという問題は関係がございません。

[060]○高瀬委員 わかりました。そうしますと、戦犯そのものの裁判、あれは平和条約でやむを得ないということになっているのですね。しかし、将来あの裁判が正しかったかどうかということについての法的見解というものはどうなんですか。これはおのずから東条さんだの何かの処刑をアクセプトするということと、あの裁判自体の正当性を日本がある程度見解を披瀝するということとは、別だと思うのです。これは将来子供さんなんかに非常に重大な影響があると思うので、その点どうですか。あなたに言明しろというのは無理かもわかりませんが、やはり政府としては統一見解を持っている必要がある、こう思うのです。

[061]○山根説明員 この問題につきましては、先ほどもお話がございましたように、平和条約十一条におきまして、戦犯の裁判はわが国政府としては承認するということを明言しておるわけでございまして、いまその是非について論議するということは、研究者の立場といたしましては別でございますが、政府の立場といたしましては、これを誹議するということはできないではないかと考えております

[062]○高瀬委員 そうすると、われわれが道義的にあんなことはだめだと言っても、言いわけをかってにしろというわけですか。

[063]○山根説明員 戦争裁判につきましては、その当時の政府といたしまして一応その結果を承認いたしておりますので、いまさかのぼって政府としてこれを誹議するということはできないと存じます。

[064]○高瀬委員 勝った者が負けた者を裁くということは、国際的にあまりあり得ないことなんで、おもしろくないと思うのです。だから、実際は、時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてほしい。これは子孫に対する現在生きている者の義務ではないかと思うのです。いまここでわいわい申し上げてもいけないので、時間がないのでやめますが、そういうことについては私は多少の意見があるということだけ申し上げ、それだから伺ったわけですから、また研究しておいてください。

 

87 参議院 内閣委員会 14号 昭和54年06月05日

[178]○山中郁子君 四月二十七日の本会議で元号法案の趣旨説明が行われました際に、私は総理に靖国参拝問題についてお伺いをいたしました。その時点でA級戦犯十四名が合祀されているということが明らかになった、そしてその上でなおかつ靖国神社に参拝されたことはA級戦犯の戦争犯罪を免罪するものであって、侵略戦争の肯定につながるものではないか、そういう立場に立っているのかどうかということをお伺いしました。その際総理は、国の犠牲になられた方々の霊に対して私人として参拝したと、それからまたいろいろな人たちが一緒になっているから分けて考えることはできないんだという趣旨の答弁をされましたけれども、それは一種のはぐらかしであって、私がお尋ねをしたのは、A級戦犯の戦争犯罪を免罪するのか、この侵略戦争を肯定するのか、そういう立場に立たれるのか、このことをお尋ねしたので、この機会にぜひはっきりしたお考えを伺っておきたいと思います。

[179]○国務大臣(大平正芳君) 第二次世界戦争、わが国におきまして大東亜戦争でございますが、これをどう見るかという見方につきましてはいろいろな見方がありまして、これの評価は後世の歴史が決めていくものではないかと考えております。ただ、太平洋戦争、大東亜戦争への反省からわれわれは戦後平和に徹することがわが国の基本の国策でなければならないし、そういうことで憲法も制定されておるわけでございまするので、その精神を踏まえて公私にわたった生活を律してまいるということがわれわれの任務であろうと考えております。私はそういう考えで、先般靖国神社に参拝いたしましたのは、お国に殉じました多くの方々の霊に対して、あなたにもお答えしたように、感謝と哀悼の念を純粋に捧げたものでございまして、それは別にとがめられるべきことであるとは考えておりません。

[180]○山中郁子君 じゃ、A級戦犯の戦争犯罪を免罪にするということではないと、このようにその立場にちゃんと立っていらっしゃると、こういうことですか。

[181]○国務大臣(大平正芳君) わが国が平和主義に徹して戦後経営をやらなければならぬということは申し上げたわけでございますが、戦争犯罪人並びに大東亜戦争に対する具体的な措置をどうするかという制度は別に日本の法制の上であるとは私は承知いたしていないのであります。今後の日本国家の運営については新憲法の精神にのっとってその条章に従ってやるんだということがわれわれの義務であると心得ておるわけでございまして、A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうというように私は考えております。

[182]○山中郁子君 先ほど、日本の国民は良識ある平衡感覚を持っているから開放の時代と収斂の時代とというふうにおっしゃいました。私は重大な総理のお考えの問題がそこに含まれているというように承りました。つまり、大正デモクラシーの後を受けた収斂の時代、それはアジアの数千万の人人の命を犠牲にした侵略戦争です。それが日本人の平衡感覚を発揮した収斂の時代だなどということが、いま総理がA級戦犯のあの戦争犯罪を免罪にしないということをこの国会ではっきり明言しないということと深くかかわっている。だからこそ、この元号法案に関して、多くの国民の皆さんが、私どももこの委員会で数々の問題を提起いたしましたけれども、幾ら政府が何十回、何千回目を酸っぱくして昔の軍国主義に引き戻すものではない、天皇元首あるいは憲法改悪に導き入れるものではない、強制するものではないと言っても、そこにいま総理が言われた考え方の本質がかかわっているということを私は申し上げざるを得ません。

 もう一点、靖国参拝の問題について伺います。その本会議の質問におきましても私はクリスチャンである総理がなぜ参拝されたのかということを伺いました。私個人の信仰については私にお任せくださいとこれも総理ははぐらかされましたけれども、その後たとえば朝日新聞の五月二十二日にクリスチャン議員団が元号法案やあるいは靖国参拝は背教であるというふうにして迫るというような記事が出ておりますけれども、まあどのようにして呼びかけがあったのか、迫られたのか、私は存じませんが、これが結局私個人の問題じゃない、つまり総理の言う個人の信仰の問題じゃないということは、私がそこで問題にしてまいりましたし、いまもこの点について大きな問題だと思いますことは、いままでたとえば三木総理あるいは福田総理の時代に、靖国参拝を個人の信仰心のあらわれであるということを一つの理由として私人の行為であると、こうおっしゃってこられたわけです。それにもかかわらず、クリスチャンである総理が、御自分の信仰に反してまで靖国に参拝される。しかも、かつて法制局が見解として出された公用車は使わないとか、あるいは総理大臣として記帳はしないとか、そうしたことにも反して総理大臣としての記帳もされ、あるいはまた公用車も使われる。さまざまな言い逃れをしてきましたけれども、現実の問題として公的な立場で靖国参拝をされたということは私は余りにも明らかだと思います。御自分の信仰とのかかわり、現実に法制局が見解を示されたことに反していらっしゃる今度の靖国参拝の問題について総理の見解をお伺いいたします。

[183]○国務大臣(大平正芳君) どういう神様を信仰するかという問題は個人の問題でございまして、あなたのお指図は受けないつもりでございます。問題は、多くの戦争で犠牲になられた方々が合祀されておるということでございますので、それに対しまして私が敬虔な気持ちで参拝をするということは私は決して間違っていないと思うのであります。これにはいろいろな批判もございますけれども、先ほども山崎さんにもお答え申し上げましたように、何をすべきか、何をすべきでないかということを私は公私にわたりましていろいろ考えていまして、一番国民の多くの方に御理解がいただけるような選択をその時点時点でやりながらやってまいる以外に分別がないわけでございます。その場合にどういう車を使うかということ、どういう署名をするかというような点、政府でも十分検討をお願いしたわけでございますけれども、まずまずいままでの慣例に従ってやっておくということが一番支障がないのではないかと考えたにすぎないわけでございまして、国会で御論議をいただくような問題と私は考えておりません。

 

104-衆-予算委員会-2号 昭和61年02月03日

[062]〜[074]

○田邊(誠)委員 定数是正について我々としては引き続き積極的に対応してまいりたいというように考えておりますけれども、我々の現在の態度、将来に対するところの考え方というものを自民党は一体受け入れるのか受け入れないのか。それに対するところの自民党の考え方があるのかないのかということを示していただかない以上、私自身としては、この問題に対してにわかに話し合いをすることはできないということを申し上げておきます。

 靖国問題については、臨時国会でもって我が党の同僚議員からしばしば質問がありました。特に違憲の問題については発言がありました。ですから、私もこの問題、触れたかったのでありまするけれども、時間の関係で触れませんが、これはもう政教分離を厳しく規定した憲法違反であるということは今日も明白であります。これはもう国会において、違憲の疑いを否定できないと政府が統一見解で述べてきたことは今日もやはり私はそのとおり解釈をすべきであるというように思っておるわけでございまして、官房長官の一私的諮問機関において何らの権威のない形でもってこの報告書が出たということを考えたときに、これに基づいて政府が靖国の公式参拝に踏み切ったということは、私は憲法上からいってもこれを認めることはできないというふうに考えておるわけであります。実はこの報告書の中身についてもいろいろと言及をしたかったのでありまするけれども、これは省かせていただきます。

 そこで、総理、あなたは昨年の八月十五日に靖国神社に戦後の総理大臣としては初めて公式参拝をされましたけれども、あなたは公式参拝をされたときに、靖国神社には数多くの戦争で亡くなら

れた方々がおる、私もその心情は酌み取らなければならぬと思います。私の姉の相手も沖縄で亡くなった。私は沖縄へ行って、あの土と石を拾って仏壇に供えた。そして、本人の合意あるなしにかかわらず、靖国神社に合祀されているとすれば、そこに肉親がぬかずきたいという気持ちは私はあると思う。しかし、それと総理大臣の公式参拝とはこれは全く違うんだ。中曽根さん、あなたが靖国神社に公式参拝されたときに、この靖国にはA級戦犯が合祀されていることを知っておりましたか。そのことを念頭に置いてあなたは参拝されましたか。

○中曽根内閣総理大臣 それは念頭にはなかったのです。

○田邊(誠)委員 なぜなかったのですか。知らなかったのじゃないですね。どうなんでしょうか。

○中曽根内閣総理大臣 八月十五日に、靖国懇の我々に対する意見もあり、かつまた全国民の大多数が総理大臣が参拝することを望んでおり、また靖国神社というものはそういう追悼施設、中心的施設である、そういうことも考えまして、全国民の大多数の要望にこたえて参拝をした、そういうことで、それは追悼と平和に対する我々の誓いを新たにした、そういう意味でお参りしたのであります。

○田邊(誠)委員 そこに東条以下のA級戦犯が祭られていることはあなたの参拝の支障になりませんでしたか。

○中曽根内閣総理大臣 参拝するときには本当に頭にはありません。私が頭にあるのは、やはり大勢の第一線で亡くなられた、戦争で亡くなられた方々に対して私は追悼したのでございます。

○田邊(誠)委員 今はA級戦犯が祭られていることについては承知していますね。

○中曽根内閣総理大臣 今は知っています。

○田邊(誠)委員 このことは中国を初めとする諸外国から鋭い指摘を受けておるわけでございまするけれども、極東裁判においてA級戦犯者が平和に対する罪として実は起訴され裁かれた、そしてその平和条約十一条を我が国は受諾をいたした、こういう厳然たる事実があるわけでございます。このA級戦犯が靖国に合祀されるかしないかということは、これは靖国神社そのものが決めることである、こういうふうに我々は思っております。しかし、その根拠になったものは何かと言いますると、この靖国神社の「合祀対象」という中に、主として公務に基因して亡くなった方というようなことがずっと列挙してありますが、その中に、「平和条約第十一条により死亡した者」、こういうものがその後加わったのであります。これがなぜ加わったかといいますると、パールハーバーを攻撃させたところの最高責任者であるところの東条以下のA級戦犯、これに対して公務死亡の認定を実は厚生省はしておるのでございます。そのことによって実は靖国神社はこの合祀対象にするという根拠を見つけて、そして合祀対象にしたという経過があるわけでございます。

 実は、当時の国会におけるところの論議の経過をつまびらかに反復をいたしますると、確かに、B級、C級等の戦犯の遺族、家族が困窮している、これを救わなければならぬという形の中でもって、この戦傷病者戦没者遺族等援護法のいわば提案の中でもって議員修正をされたという経過があることを私は知っておるのでございます。しかし、それはあくまでもいわばB、C級の戦犯に対して一体どうしたらいいかという気持ちが実はあったのであります。したがって、そのことを受けて、内閣委員会におけるところの恩給等の改正の際に、我が党の議員はいわばこのA級戦犯の問題についてこれに言及して反対している、実はこういう議事録も載っておるわけでございます。これを厚生省は法律の改正を受けて、A級戦犯の人たちを公務死亡に認定する、こういう措置に出たのですけれども、この行政措置というのは余りにもいわば法を変えたところの趣旨とかけ離れている、こう私は思っておるのでございまして、この公務認定、死亡認定というのが靖国にA級戦犯合祀のいわば一つの基準づくりになったということを考えると、この行政措置について我々としては一考を煩わせなければならぬ、こう思っておるわけでございますが、いかがでしょう。

○水田政府委員 お答え申し上げます。

 援護法は御承知のとおり二十七年に制定されまして、翌二十八年に、いわゆる平和条約十一条に基づきまして裁判にかけられて拘禁中に死亡したり刑死した人の遺族については社会保障的にこれを救済すべきではないかということが法案の審議の際に指摘されまして、これに対する国際的な影響等につきましても、外務省から省議で、社会保障的にこれを行うのならば特に国際上問題は生じないという回答もなされ、超党派でいわゆる先生の御指摘のとおりの修正が行われ、私どもは、戦犯の御遺族の方に社会保障的にこの給付をなすことについては、A級であろうとB級であろうとC級であろうとそれは差がないものと考えて、給付をいたしたところでございます。

○田邊(誠)委員 これは多く論じている暇がないから後の方に譲りまするけれども、この法律改正の際におけるところの修正は、「平和条約第十一条に掲げる裁判により拘禁された者が、当該拘禁中に死亡した場合で、かつ、厚生大臣が当該死亡を公務上の負傷又は疾病による死亡と同視することを相当と認めたときは、その者の遺族に遺族年金及び弔慰金を支給する。」こうなっている。したがって、行政の措置がその間に入っている。法の改正の趣旨はそこにない、こう我々は考えざるを得ない。我々は非常に、その人の罪を憎んでその人自身を憎まないという、こういう日本人的な考え方があります。当時、いわば平和条約を結んだ直後ですから、いろいろな感情があったというように思います。したがって、B、C級の戦犯者の遺族に対しては何らかの措置をしたいというのは、私は国民感情としてはあった、しかし、それをA級戦犯まで同視するというような行政措置を許しているとは思わない。これは、その後の恩給法の改正等の経緯をずっと私がつまびらかに見ました際においてもこれはそう考えるということでありまして、この点に対して、委員長、どうかひとつ、行政的な措置についてもう一度再検討することをお願いしておきたいと思うのです。

○水田政府委員 援護法の法的な構成について御理解をいただきたいと思いますが、擁護法は、公務死そのもの以外のみなし得るものについては全部厚生大臣の認定または援護審査会の議決によるということによっている単なる立法例にすぎないのでございまして、厚生大臣の認定というのは他の案件についてもすべて同様に事務的、機械的に行っているものでございまして、A級、B級、C級でありましても、御遺族の方について社会保障的に給付するということについて差異を設ける理由は私ども全くないものと考えております。

○今井国務大臣 ただいま局長の述べましたとおりでございまして、B、Cであろうが、Aであろうが、やっぱり社会保障給付をなすべきものというふうな判断でございます。

 

104 参議院 内閣委員会 3号 昭和61年04月15日

[041]○野田哲君 ちょっと角度を変えて古い話をこれから恩給問題でしばらく政府委員の方とやりとりをいたしますので、そのやりとりを聞きながら総務長官には後ほど御見解を承りたいと思うんです。

 いわゆるサンフランシスコ平和条約、この第十一条によって「連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法延が課した刑を執行するものとする。」、こういうふうに規定をされまして、この該当者に対する刑の執行が日本側に引き継がれたわけであります。その後昭和三十三年にこの刑の執行は赦免ということになりまして、そこで終結をしているわけであります。記録を見ると、一九五八年四月十一日、外務省は、四月七日付仮釈放中のA級戦犯十名はこの日までを刑期とする刑に減刑し、残刑を赦免して釈放する旨関係国よりの通知に接した、こういうふうに発表して、このときをもって戦後十三年のいわゆる戦争犯罪人としての問題は完全解消を見ているわけでありますが、その前の昭和二十七年の十一月二十二日に恩給法特例審議会の建議というのが出されているわけであります。

 これは連合国の指令に基づく勅令第六十八号によって停止されていた軍人恩給の復活の根拠となった建議であると考えられるわけですが、この建議の中の最後に「第三 関連事項」の(ニ)として「戦犯者の恩給に関する措置」というのがあるわけ

であります。「連合国最高司令官により有罪の刑に処せられた者及びその遺族の恩給については、適当の時期において、一般旧軍人軍属その他一般公務員及びこれらの者の遺族の例に準じ適当に措置すること。」と、こういうふうになっていると思うんですが、恩給局での扱いはこのとおりに確認をしていいのかどうか、恩給法特例審議会の建議の内容がこのとおりであるのかどうか、まずお伺いします。

[042]○政府委員(佐々木晴夫君) おっしゃるとおりであります。

 

107-衆-法務委員会-1号 昭和61年10月22日

[267]〜[291]

○安倍(基)委員 それじゃ毎日新聞の方、これは事実かどうかよく調べておいていただきたい。

 それから、今中国側が、A級戦犯がいるから参拝するのはけしからぬよ。つい最近も何か新聞で、中国外務省筋の話として、これは日本が過去の戦争をどう思っているかということについてのいわば試金石だと言っておりますけれども、そうすると引き続き、何と申しますか、首相がA級戦犯が合祀されているうちは参拝しないよ、中国側のその要請をそのまま引き継いで考えていますよということなんですか。――ちょっとはっきりわからなかったかな。要するに、A級戦犯が祭られている間は中国側が難色を示しているから公式参拝はしないよという方針をそのまま続けられるわけですな。その辺、ちょっとお聞きしたいと思います。

○渡辺(秀)政府委員 お参りというお話ですけれども、いわゆる公式参拝の意味を申しておられるのではないかと思うのですが、公式参拝というのは、安倍議員も御案内のとおり、制度化したものではないわけですね。ですから、ことしは諸般の事情にかんがみて公式参拝を取りやめた、こういうことを官房長官談話で申し上げておるわけでして、今議員がおっしゃるような問題の中でこうことを考えて処置をしたということではないわけです。

○安倍(基)委員 私は、実は副長官はお読みになったのかどうかわかりませんけれども、文芸春秋の十一月号に書いたのがございますが、お読みになったですか。中曽根さんがもともと政教分離の立場からずっと参拝に反対するということなら私は話はわかる。一度参拝しておいて、中国からちょっと言われたからといってたちまち翻す。そのような国際的な風見鶏では大変だ。また中国に行って謝ってくるのか、国民全部が注目しておるところなんですよ。しかし、見ると、どうもその前にだれか人をやって、この問題を要するに取り上げてくれるなというようなことを言われたかのごとく報道されている。私は、いわば毎日新聞社の方々と皆さん方とどっちが本当なのか、内閣とひとついろいろあれしていただきたいと思いますけれども、いずれにいたしましても、こちらのこの二つの訪問について、事実無根であるとおっしゃることは総理に確かめられたわけですな。よろしいですな。――わかりました。では、毎日新聞の誤報であるというわけですな、この点につきましては。いかがでございますか。

○渡辺(秀)政府委員 誤報かどうかということは私が評価する問題じゃないので、その事実はないということを申し上げているのです。

○安倍(基)委員 事実はないと言うのだったら、それはどっちかが間違っているわけですから、毎日新聞の方、よく調べてください、これは本当に大事な話ですから。

 その次、最近靖国神社の合祀問題について、宮司がこれは国の指示によったと言っております。新聞報道、これも毎日新聞かな。毎日新聞いろいろそういうところに関心を持っておられるようですけれども。ところが、総理は靖国神社がやったんだよと言っておりますけれども、この辺の実情はどうなんでしょうか。あるいは厚生省からの御説明も必要かと思いますし、いわば内閣の態度、恐らく厚生省のレクチャーを受けて内閣が決めると思いますけれども、その辺の御説明をしていただきたいと思います。

○大西説明員 お答えを申し上げます。

 御案内のように、厚生省は遺族援護という立場から靖国神社からの調査依頼に応じまして、一般的な調査資料提供の一環ということで遺族年金、弔慰金等の裁定状況等について調査、回答いたしてきたところでございまして、戦犯の遺族に関する遺族年金、弔慰金等の裁定状況等につきましても同様に調査、回答しておるところでございます。しかしながら、戦犯も含めだれを合祀するかということにつきましてはあくまで靖国神社の判断でございまして、厚生省からの調査、回答を受けて靖国神社がどのような経緯で戦犯を合祀されたかということは必ずしも明らかでございません。

 ただ、御参考までに、A級戦犯の合祀に関しましては、昭和五十四年四月十九日付の朝日新聞朝刊及びサンケイ新聞朝刊にこのA級戦犯合祀に至る経緯が報道されておりまして、その中で参考になろうと思われるところを申し上げたいと思います。靖国神社に藤田勝重という権宮司がおられますが、その方のお話しになられた内容ということで新聞に載っておるところを、これは朝日新聞の方の記事でございますが、ちょっと読ましていただきますと、

  これまでA級戦犯の取り扱いについては国民感情の面から延び延びになっていたが、戦後三十三年も経過していることや、明治以来の伝統から靖国へまつることが適当である、と神社内で判断した。A級戦犯とはいえ、それぞれ国のために尽くした人であるのは間違いなく、遺族の心情も思い、いつまでも放置しておくわけにもいかなかった。なお、不満の人もあることから、いちいち遺族の承諾を求めるものではないと判断し、案内も出さなかった。もちろん、われわれだけの判断ではなく、神社の崇敬者総代の全員の合意も得た。関係者にあらぬ刺激を与えたくなかったが、無理にかくす気持ちもなかった。あくまで、まつられるべき時期にきたと思っている。

こういうように述べられておるのがコメントとして載っておることでございまして、サンケイ新聞の方もおおむね同趣旨の記事が載っております。

 このことから申しましても、この戦犯の、特にA級戦犯の合祀は神社側の判断によってなされたということが明確だろうと思います。

○安倍(基)委員 ちょっと話が飛びますけれども、そうすると、B、C級の戦犯について、山下さんとか本間さんとかいうのはフィリピンの関係でこられたわけですけれども、今まで中国からいわばA級だけを言ってきておるわけですよ。B、Cについても当然クレームが起こってくる可能性はあるわけですね。例えばA級の松井大将なんというのは、これは全然戦争開始に関係ないわけです、御年配の方は御存じですけれどもね。私はこの前の文芸春秋で、ウエッブ裁判長と会った話をしまして、そのときにウエッブ裁判長が、死刑になったのは最終的には人道に対する罪でなっているということを言っているわけです。そう言われてみると確かにそうなんで、松井さんなんというのは全然戦争開始に関係ない人です。南京事件の責任をとらされて死刑になっておるわけです。木村兵太郎さんもビルマの関係で死刑になっておるわけです。特に南京事件あたりを中国が非常に問題にしておるわけでございますけれども、広田さんが殺されたのも、文官でありながら当時の外務大臣であったという要素が南京事件に絡まって死刑になっておりますね。こう考えますと、いわゆるB、C級についても外せという話も出てくる。そうしたらどうなるんだということなんですね。この辺はちょっとお聞かせ願いたい。

○渡辺(秀)政府委員 今B、C級の問題が提示されて国際的というか、日本と諸外国との関係の中で問題になっているということではないわけですね、御案内のとおり。安倍議員はそれをなるであろうという前提で今質問されておられますけれども、これはちょっと答えられない、大変恐縮でありますが。また、答えるべきではないというふうに思います。

○安倍(基)委員 では基本的にお聞きしますけれども、A級は外したいという意向はあるのですね、政府として。いかがでございますか。

○渡辺(秀)政府委員 これは神社側の問題でありますから、政府としてそんな意向を今までだれかが申されたという事実は私は承知いたしておりません。

○安倍(基)委員 では、もう一遍逆に聞きますけれども、A級が祭られているうちは公式参拝を控えるということでございますね。

○渡辺(秀)政府委員 先ほど来申し上げておりますように、公式参拝ということを否定して今度参拝をしなかったというわけではないわけですから、A級戦犯と今度のことだけをとらえた御質問に答えるのにどうも私としても非常に当惑するわけでございます。これは、賢明な安倍議員はそこのところをおわかりだと思うのですが、A級戦犯を合祀されているのは、今も答弁にありましたように神社側の問題でありまして、それに対してこれから政府がどういうふうに対応して、あるいは諸外国、アジア諸国を初めとして御理解をいただいて、そしてこの日本の平和を念願している国民の声を理解してもらうかということは今後の問題でありますから、そこは同一にお考えにならずにひとつ御理解をいただきたいところでございます。

○安倍(基)委員 どうも中曽根さんのまな弟子だけあってなかなか口でうまくすり抜けるのがお上手ですね。しかし、本当にそれはおかしいのですよ。ともかく、今度公式参拝をやめたのは中国からの抗議でもってやめていることは明らかなんです。私はあくまでA級戦犯を擁護するのじゃないですよ。我々民社党は、庶民感情から見ればあれはけしからぬという気持ちはあるわけです。ただ、論理の筋を通したときに、ともかく今の中曽根さんのやり方は、何かあると向こうの責任にしてしまうわけですね。だから、まず公式参拝をやめる、中国が言ってきた、騒がしくなると今度は靖国神社がやった、みんなそうやってすり抜けているだけで、まことに私はおかしいと思う。

 そこで私がお聞きしたいのは、靖国神社が合祀をするときの前提として、結局A、B、C全部公務死になっているわけです。公務で死んだことになっているわけです。全然区別してないのです。しかも、よく調べてみますと、二十八年でしたか遺族年金の方が改正になって、これは議員立法で、議員修正でもって、かわいそうだからやろうじゃないか、やろうじゃないかというのはまた言い方が悪いですね、B、C級なんか含めると本当に皆さん困っていらっしゃるから援護いたしましょうというぐあいに法律は決まったのです。その次は恩給を差し上げましょうという話になったのです。恩給となりますと、かわいそうだったからというだけじゃないわけです。要するに、かつての勤務に対してそれを罪としてないわけです。だから、考えてみますと、例えばドイツのヒトラーとかゲーリングとか、あんな連中に対して果たしてドイツ連邦政府は遺族に恩給をやったか、ムソリーニの場合には逆さづりしたじゃないか、両方とも。私はあのころまだ中学二、三年くらいで、逆さづりかなんかの写真を見たことがあります。ところが、日本の場合には国内法において恩給を上げているわけです、公務死にしているわけです。でありますから、神社側の判断だなんてことを言うのは、そもそももともとがおかしいのですよ、国が全く同一に扱っているわけですから。そうじゃないですか。そうなりますと、国が同一に扱っているから、あれは神社が勝手にやったんだ、A級も一緒に入れたんだと言うのはおかしいのです。国内法と国際法という関係で法務委員会で取り上げるべきだということは、いわば国内法においては免責しているわけです。免責しているどころかそれこそ恩給を与えているという形になっているわけです。繰り返すようですけれども、ドイツあたりだったらそういうことをやったか、そうではないのだ。となりますと、あれは神社側が勝手にやったんだと言う政府がそれこそ責任逃れをやっているわけですね、簡単に言えば。

 それではお聞きしますけれども、国は靖国神社に対して、A級戦犯を外してくれとは、一応今のお答えは向こうの判断だから向こうの勝手だというわけですね。だけれども、祭られているうちは私は公式参拝しませんよと今まで言っているわけです。この間の本会議でも、A級とほかの人とは違う、その方向でもって考えましょう、中曽根さんはっきり言っているわけですよ。その後そこをつつかれてくると、ではB、C級とどう違うのだ、そうすると今度は靖国神社が勝手にやったということで、彼は直しさえすれば何もかもうまくいくのだということを言っていますが、そうすると、靖国神社への合祀をA級はやめてくれと言うのならば恩給法の改正が必要なのじゃないか。私は恩給法を今改正しようとまで言っていませんけれども、その辺の判断がどうか。これは法制局そして官房長官、あなたは副だけれども、官房長官とみなしていますから、あるいは顔を見ると毛をちょっと薄くすれば中曽根さんに似てくるのではないかと私は思っていますから、ひとつ官房長官、総理になったつもりで、今の問題を法制局と内閣にお聞きしたいと思います。いかがですか。

○渡辺(秀)政府委員 せっかくのお言葉ですけれども、副長官として、私の今の感じではやはり恩給法の改正まで考える段階と必要性が今あるとは実は思えないのです。時間もあれですから、先生のお考えはお考えとしてお聞き取りさせておいていただきますが、政府として今の段階この問題をとらまえて恩給法の改正まで考えろということは、今検討している段階にはないということを申し上げて、あともし事務的にもう少し詳しくということなら事務当局に説明をさせたいというふうに思います。

○味村政府委員 恩給法の規定によりまして、戦犯としての拘禁中に死亡した方々に対しては恩給を支給しているということは恩給法の観点から行っていることでございます。片一方、靖国神社がA級戦犯を合祀しているということは靖国神社の判断によりまして行っていることでございまして、この間に特段の関係があるというふうには考えておりません。

○安倍(基)委員 誤解されたら困るので、A級戦犯の恩給をやめろやめろとわあわあ言ったわけではないのですよ。私も下手をしたら首を切られたかもしれないのですから。そういう意味で、A級戦犯の恩給を停止しろという話ではもちろんないのだけれども、ただ国がフィロソフィーとして東京裁判を、この前たしか後藤田官房長官は、東京裁判は要するにそれをやることについて受諾したのだから、それを受けるのは当然だというような話をされました。私が今聞いたのは、東京裁判に対する政府のスタンスなのです。いいですか。本当に受け入れるのだったら、恩給関係も国内法で要するに罪になった者は恩給やらないということになるわけですよ。受け入れてないからこそ我々は――私は受け入れろと言っているのではないですよ。実際のところあんな裁判なんかけしからぬと思っているわけです。特にB、C級なんというのは全く理不尽そのものである。A級だって例えば戦争開始の責任といったらむしろルーズベルトとかチャーチルの方が大きいわけです。私はこれははっきり言っておきます。私は本を一冊書いていますから、読んでいただきたいと思いますけれども、そういうことでこの東京裁判についてどう考えているのか、その基本的なスタンスがないから、中国から南京事件と言われればごめんなさいと言うし、何でもごめんなさいと言っておるわけですよ。私は、一遍中曽根さんの発言問題をとらえてもう一遍書いてやろうと思っているのですが、まだ出すかどうかわからないのだけれども、ひとついろいろ議論しようと思います。ということは、恩給法で国内的には免責しているのだというのだ。罪人と認めてない形になっているわけですよ。ですから、今法制局長官が恩給法で見る見方と靖国神社に合祀するのは全く無関係だとおっしゃるけれども、我が国内法上一つも罪にしていないからこそ靖国神社はちゃんと合祀をするわけですよ。私は罪にしろと言っているのではないのです。私は恩給法の改正のときに我々はいわゆる東京裁判というものを国内法的には否定したのだ、私はそう見ているわけです。となれば、それでもって靖国神社が勝手に合祀したから、向こうの判断によるよ、向こうが要するに合祀を外さないうちはおれは参拝しないよというのはまさに論理的じゃないのですよ。繰り返すようですけれども、私は何もA級戦犯ばかり擁護しているわけじゃない。だけれども、国内法と東京裁判に対するスタンスがびしっとしてないから、あっちをつかれるとはあ、こういうことになるわけですよ。どう考えているのですか。

 今法制局長官がおっしゃったように、恩給法の立場と靖国神社のは全く無関係、無関係と言えば無関係かもしれませんけれども、国内法で、恩給法でもってきちっと東京裁判の言うことを聞いてないわけだから、靖国神社が合祀するのは当たり前ですよ。そうじゃないですか。そこがちょっとおかしいと思うのだな。全然関係ございませんよ――私のこういった議論は大変誤解を受けるのですよ。特に私は民社党ですから大変誤解を受けるので、あれなのですけれども、法務委員会というのはこの国会における法律のコンサルタントであるべきなのですよね。そこできちっと議論をしておいてもらわないと困るのだ。

 したがいまして、私はさっきの香山さんが行ったか、だれが行ったかということはあるとして、ともかくいずれにせよ中曽根さんのやり方はいろいろな面でこそくなのですから、そう言っては悪いけれども。そこで本当に東京裁判が今の恩給法の改正から見て否定されていると見るのか、肯定されていると見るのか、これはちょっともう一度内閣と法制局の意見を聞きたいと思います。

○味村政府委員 平和条約の十一条によりまして、我が国は極東軍事裁判所の裁判、これを受諾するということになっているわけでございます。それで他方、恩給法上は恩給法の九条によりまして、九条の一項の二号で「死刑又ハ無期若ハ三年ヲ超ユル懲役若ハ禁錮ノ刑ニ処セラレタルトキ」、これは恩給の欠格事由、こういうことになっております。さらに同法の二項によりまして「在職中ノ職務ニ関スル犯罪(過失犯ヲ除ク)ニ困り禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキハ其ノ権利消滅ス」、ただし書きがついておりますが、そういうようなことでいずれもその欠格事由、一定以上の懲役なり禁錮を受けますと欠格事由ということに相なっております。

 ただ、これは我が国の刑事裁判所におきまして裁判を受けた結果こういう刑に処せられたものだというのが確定した解釈になっておりまして、極東軍事裁判所の裁判は、これは我が国の裁判ではございませんから、したがって、恩給法上の欠格事由にはもともと該当しないということでございます。該当しないことが先ほど申し上げました平和条約の十一条に違反するのかと申しますと、それはそういうことはない、このように考えております。

○安倍(基)委員 わざわざ立法してちゃんと差し込んだわけですよ、要するに恩給を上げましょうというぐあいに。そうですね、この戦犯については。わざわざそうやってA、B、Cともに恩給を差し上げましょうという改正をしたわけですよ。私はそのことを言っているわけです。ということは、極東軍事裁判で決まった、それじゃともかく今の問題はあいまいになる、だからきちっと恩給を差し上げることにしましょうよということを既にしているわけです。そのことを言っているのです。ちょっと長官の答えは私は納得できないですね。

 もう時間もあとちょっとしかないらしいから、官房副長官の御答弁をお聞きしたいと思います。

○渡辺(秀)政府委員 非常に専門的な議論でありますから、私がお答えをするよりも、より専門家が確実に正確にお伝えをした方がいいと思いますから、事務当局から答弁させます。

○味村政府委員 先生おっしゃいました戦犯として拘禁中に死亡したという人に対して恩給を支給するという恩給法の改正は昭和二十九年に行われているわけでございます。これは議員修正でございまして、その提案理由を拝見いたしますと、要するに遺族の方々の生活を幾分でも緩和したい、要するに遺族救済という観点であったように思われる次第でございます。そういうような観点から恩給法の改正をして、ただいま申し上げましたような戦犯の遺族の方々に恩給を支給するということになったわけでございまして、そのために、そのことと先ほど申し上げました平和条約の十一条との関係は特段の問題はないというように考えております。

○安倍(基)委員 もう時間もございませんから、最後にもう一遍念を押したいのですけれども、そうすると、いろいろ諸般の事情を勘案した場合に、政府は靖国神社に対してA級戦犯の合祀を外してもらいたいという要請はするつもりがあるのですか、ないのですか。

○渡辺(秀)政府委員 先ほどから申し上げておりますようにいわゆる政教分離でありますから、政府の方からある特定の神社仏閣にいかような形でも憲法に抵触するような中で差し出がましいことを申し上げるつもりはないということでございます。

○安倍(基)委員 じゃ、現状においては、現状が続く限りちょっと中曽根さんは公式参拝しないと理解していいですね。そうですか。

○渡辺(秀)政府委員 これは、前提が先生のはそういうふうにお考えを置かれておられますし、それから内閣官房長官談話で出されている今回の公式参拝見送りのいわゆる意味というのは、あそこに十二分に盛られているわけでありますから、御案内のようにそのときのいわゆる公式参拝を完全に否定したものでなくて、国際情勢あるいはまたいろいろ諸般の情勢を踏まえてこれからも検討を続けていくというふうに国会でも総理は答弁をしておられますし、また記録にも残っていることでありますから、そう安倍議員のおっしゃるように結論を急がずに、少しいろいろな事態の推移やそういうものもまた見詰めていただきたいというのが今私がお答えできる範囲でございます。

○安倍(基)委員 もう時間もございませんから最後に。

 ともかく国民は、中曽根さんが中国に行ってどうするのだろうと非常に注目しておりますよ。私も文春で書いたように、大体韓国に行っては謝り、また、アメリカには早速何かああいうアポロジーなんという文書を大使館を通じてばらまいて、また中国へ行って謝るとか、これはいささか国際的風見鶏もいいところだと私は思います。その点よく、私、おたくの回答で必ずしも十分満足しているわけじゃないのです。特にさっきの、事前にいろいろ人をやったかやらないかとかいう話なんかも全く事実無根とおっしゃるし、新聞社の方は、ちゃんとそうしている、行っていると言うし、それはまたもうちょっと究明する必要があると思います。これは本当に勝手にそういったことをやってもいいのかどうか。それから靖国神社問題について、別にA級を外す、外さないというような話は雑談の中にはあらわれても、通常の方針にはなっていないのですね。ちょっとその辺は私も、時間がないから最後に、繰り返すようですけれども、私はあくまで理屈から言っているので、A級から恩給をとれとか、あるいは外せとか外さないとか、そういうことを言っているのじゃないものですから、この点は皆さん誤解のないように。もうそろそろ終わりのようでございますから、また蒸し返すかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

 

108-衆-法務委員会-2号 昭和62年03月24日

[161]〜[178]

○安倍(基)委員 私はこの問題を何で取り上げたかといいますと、やはり裁判を行う上で、これは定員法でございますけれども、行政府は法というものに対する厳しい認識がなくてはならないということが中心なわけです。この法案の中身も後半でいろいろ質問するつもりでございますけれども、前半におきまして、今度官房長官御出席のときにまた詳しい話をいたしますけれども、私の大きな趣旨を一応お話ししておきます。

 前回も私は委員会で恩給法と遺族援護法との関係を質問したつもりでございます、いわゆる靖国神社でA級戦犯を合祀から外すかどうかという点について。文芸春秋の「諸君」という雑誌がございまして、延々と俵孝太郎という人と――実は私は去年の「文芸春秋」に中曽根外交を批判した論文を書きました。それを法務大臣ごらんになったと思いますが、それに端を発したというか、あるいは藤尾発言に端を発したというか、その後あるジャーナリストが東条さんの遺族を訪ねていった。東条さんの遺族がいろいろな話をした。それに対し俵孝太郎氏が反論をしているわけですね。それに小田村四郎という人が再反論し、それをまた俵さんが再反論している。また次の号には小田村さんが再反論する予定だそうでございまして、非常にホットな問題になっているわけです。

 そこで私はまず最初に、ちょっと話が飛びますが、前国会の本会議で中曽根総理が、大東亜戦争及び中国戦争について、大東亜戦争はやるべからざる戦争で間違った戦争である、中国に対しては侵略の事実があった、侵略戦争であるということを言っているわけです。これは、去年の中曽根さんの言動からしまして百八十度転換でございます。ここで私は官房長官にそのことをお聞きしようと思ったけれども、かつて内閣が、我が国の総理が日本の戦争を公の場で侵略戦争であったと言った事実があったかどうか、それをお聞きしたい。的場君は私の後輩でもございますし、あらかじめこの問題を出してなかったものですから、この場で官房と外務省と一緒になって、特に外務省、これは御存じですか。戦後の講和条約発効後、日本の総理が日本のかつての戦争を侵略戦争と言った事実があったかどうか。

 実は私はかつてシドニーの領事をしておりました。そのときの総領事が高島総領事でございまして。その方が後日条約局長になられて日中の交渉に行かれたわけです。そのとき彼は、周恩来に法匪と言われながらも、侵略という言葉を絶対使わなかったと私は記憶しております。それが日中共同声明になって、その場合に侵略戦争という言葉を入れるか入れないかで大激論があったと聞いております。私はその記憶が正しいかどうかわからぬけれども、戦後の日本の総決算ということを口にした総理大臣がいやしくも本会議の場でこれは侵略戦争であったと思いますと、そういう事例を調べて、それを提出していただきたいと思うのです。よろしいですね。いかがでございますか。

○柳井政府委員 お答え申し上げます。

 ただいま先生の御指摘の答弁例につきましては、本会議でそのような御答弁があったかどうか、私合資料を持っておりませんので、調べてみたいと思います。

○安倍(基)委員 これは総理についてですか。それから私が要望しておりますのは、本会議以外の公の場で、あるいは外交交渉の場においてそういったことの事実があったかどうか、それをお聞きしたい。それとともに、今回の中国訪問でそれに類した発言があったかどうか。その二点もお調べ願いたい。

○柳井政府委員 お答え申し上げます。

 先ほどの御指摘は総理の御答弁というふうに理解いたしております。なお、外交交渉の場でそのような発言をしたことはないというふうに承知しております。

○安倍(基)委員 前回中曽根さんが行かれてトウ小平なり幹部といろいろ話された内容でそういった要素があったかなかったか、私はそこを聞いております。

○谷野(作)政府委員 お答えいたします。

 総理が国会等の場であのような御発言があったことは私も承知しておりますが、外交交渉の場で同様の御発言があったというふうには承知いたしておりません。

○安倍(基)委員 いかがですか、法務大臣。公式参拝というのは、もしこれが侵略戦争であると総理が言うならば、それで死んだ人は戦争犠牲者ですね、国を守るための名誉の戦死者じゃないのですね。どうお考えですか。

○遠藤国務大臣 お話しのとおりでございまして、自分自身が戦いに行って戦死したのでなくして、国の、何といいましょうか、命令によって戦いに行ってお亡くなりになったということでございますので、その点は先生のお話のとおりだと思います。

○安倍(基)委員 ということは、まだ余り法務大臣直接の質問じゃなかったものですから、これはまた下の人がよくレクチャーしていないと怒られても気の毒だから余りあれでございますけれども、しかし、今の発言は重大なんですよ、官房長官あるいは総理に直接お聞きしたいのですけれども。つまり、戦争犠牲者は国を守るための英霊ではないのですよ。侵略戦争の手先になって死んだ人間になるわけですよ、一国の総理がそれを認めれば。それは犠牲者に対する哀悼の気持ちはあっても、名誉の戦死者に対する尊敬の神として、いわばそれは英霊として、よく国を守ってくださいましたということに対する敬意ではないのですよ、もしこれが侵略戦争と一国の総理が認めるならば。そうお思いになりませんか。確かにあの命令のもとに戦場に赴いた方々には違いありませんね。亡くなりましたね。ところが、これは国を守る一面があったとおっしゃるかもしれないけれども、一応侵略戦争であると言う以上は、その手先で死んだ気の毒な犠牲者なんですよ。どうお思いになりますか。

○遠藤国務大臣 法務委員会でこのようなお話になるというのも全く寝耳に水でございまして、何とお答え申し上げたらいいか、総理の本会議の言葉なり何かについて官房長官なり副長官なりの答えが出てからまで留保させていただきたい、こう思います。

○安倍(基)委員 まことにお気の毒だと思います、直接急に聞かれて。これは本当に官房長官もしくは副長官が来て答弁すべき問題ですから。ただしかし、これは非常に総理は基本的な哲学がないと私は思うのですよ。公式参拝を何で求めるか。それは戦死者、つまり戦争犠牲者に対する哀れみを請うているのじゃないですよ。そうじゃないですか。その辺を、的場君が来たが、あなたは答えなくてもいいのですが、あなたはその意をよく伝えてほしい。これは本当に、私は別に遺族会の援助を受けてもいなければ、大体遺族会というのは自民党後援ですからね。私は遺族の気持ちになってみたときに、まさかあれだけ――今までの靖国神社問題は政教分離の立場からこうなったわけですね。それを一応踏み切った。戦後日本の総決算と銘打って中曽根さんは参拝をしたのですよ。それで遺族が喜んだ。英霊が慰められると思った。ところが、その中曽根さんが中国に行って一言言われた途端に、あれは侵略戦争でしたと言い出したわけですよ。侵略戦争でしたということは、かの田中角榮さんもきちっとそれは拒否してきた。私の伝え聞くところによると、たしか高島条約局長は、当時さんさんと周恩来にたたかれながらあくまで頑張り通したと私は記憶しています。その事実があったかどうか、外務省の方、答えてください。

○谷野(作)政府委員 お答えいたします。

 当時の日本側の首脳のお気持ちというのは、先生も御承知の共同声明に一番よくあらわれておると思いますので、その部分を読み上げてみたいと思います。すなわち、七二年に発出されました日中の共同声明の前文におきましてこのように述べられております。「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」こういうふうに述べておる、先生も御承知のとおりでございます。これは、日中の国交正常化に当たりまして、我が国が戦争を通じて中国国民に大きな損害を与えたということについての深い反省の念を高いレベルでお示しになったものと理解しております。

○安倍(基)委員 その前文は、既に小田村さんの論文の中に出ているわけです。私もそれをちゃんと読みました。しかし、そこでは侵略戦争という言葉だけは使わなかったのです。気の毒なことをしたということは言っています。しかし、侵略戦争という言葉は使わなかったのです。たしか、それも交渉の過程において、侵略戦争と明記しろという交渉があったと私聞いておりますけれども、それは事実ですか。

○谷野(作)政府委員 お答えいたします。

 何せ古い話でございますから、私も当時の交渉に参画した者でございませんので、正確なお答えはいま一度調べての上でした方がよろしいと思いますけれども、私どもも後輩としてそのように外務省の先輩から聞いておることは事実でございます。

○安倍(基)委員 これはいささかやぶから棒の質問で、関係者の方まことにお気の毒なんですけれども、ただ私は、今度のいろいろな関連を見まして、まさに総理あるいは官房長官の考えかもしらぬけれども、まことにおかしい。これは本当に公になりましたら、まあせいぜい本会議の議事録に残ったくらいで、余り報道されていません。しかし、今まで戦後の、私はそこで聞いているのですよ。調べてください。戦後の総理大臣で、外交の場あるいは国内の公の場で日本の戦争を侵略戦争と言った者があるかどうか。

 哲学の問題ですね。しかも、中曽根さんが一番戦後の総決算ということをしきりと口にしていた男じゃないですか。私は個人的に彼を弾劾するつもりは少しもない。個人的には一つも恨みも何もない。ただ、公の立場からいってこのように哲学のない総理というものが今まであったかどうか。

 私は売上税についてまた大蔵委員会で、きょうはこれが終わったらすぐ行くのですけれども、売上税はほかの人にやらせまして、また大蔵委員会でも後でやりますけれども、私は大蔵の先輩ですよ。確かに彼らが財政再建で一生懸命になったのはわかります。しかし、やはりこの税にはいろいろの問題点がある。しかしそれ以上に、中曽根さんがいわば選挙のときにわざと隠した。藤尾さんがあれまで言おうと思ったのを押さえ込んだ。私がうそをつきそうに見えますかと大見えを切ったその人が、縦、横、斜めじゃないから大型じゃございませんとか、一億円まではどうですから大型ではありませんとか、今や自分の命を捨ててもいいなんと言うのです。もし言うのだったら、私は何で選挙の前に言わないのかとテレビの前で言いたいところだ、本当のところは。ほかの連中も言ったかもしれませんけれども、選挙の前に、自分は命をかけても国家百年の大計のためにこの税法を通すと言うべきじゃなかったですか、それと同じことなんです。あなたを怒ってもしようがない、また後藤田さんを呼んでやりますよ。よく言っておいてください。後藤田さんというのはなかなか立派な男だと思っていますよ。しかし、中曽根さんと一緒にやっている行動はまさに哲学なき政治ですな。何も口からぽろっとこぼれたという話じゃないですよ。

 私はこの発言を聞いて、全国の遺族の皆様そして英霊、何のために公式参拝を要求してきたんだ。名誉ある戦死者としての、国の代表としての敬意を求めていたのじゃないか。それを何ぞや、戦争犠牲者だ、侵略戦争のいわば走り使いの気の毒な人間ということでもって国家の代表の参拝を求めていたのか。私は、まさに中曽根さんが一年続けてやって本当に正体がばれてきたと言わざるを得ない。余り時間もないですから、これは一応また次回の官房長官に対する質問のためにとっておきます。

 一つちょっとお聞きしたいのは、法制局の方です。私はこの前、恩給法と遺族援護法との関係を聞いたのです。その趣旨は、A、B、Cすべての戦犯の遺族に公務死という呼称のもとにいわば恩給が渡されているわけです。その前に遺族援護法というのがある。遺族援護法というものは、遺族が気の毒だ、社会保障の立場から考えられてしかるべきものだ。恩給というものはその役務に対する対価なわけですよ。相手が気の毒とかじゃなくて、いいことやったよ、それに上げましょう。ですから、罪になった人間は、軍法会議で処刑された、あるいはいろいろな罪を犯したという人間は当然恩給権がないのです、遺族に対しても。ところが、この戦犯はすべてにつき恩給を与えられたわけです。もしA級戦犯が外されるべきであれば、BもCもあれでございましょう、確かに指導される立場あるいは指導されない立場といういろいろな常識論がありますけれども、もし国内法的に罪と考えたなら、少なくとも恩給法を改正するときに十分論議されて、これは国内法的に罪だから恩給は与えるべきではなかったと言うべきだったじゃないでしょうか。私はこの前もその論をしたのですけれども、たまたま俵孝太郎氏と小田村四郎氏との間の論争で、俵氏はこれは社会保障だ、遺族が気の毒だからやったんだ、小田村氏はちょっとそれと違った、私と同じ見解を述べているわけです。私は、恩給法の性格からいって、これはむしろ法的には遺族援護法と恩給法とは一線を画してしかるべきものであると思いますけれども、その点はいかがお考えでいらっしゃいますか。

○関政府委員 前回と申しますか、昨年の十月二十二日に先生から御質問がございまして、私どもの長官から御説明しておるところでございますけれども、先ほどお話のございました公務扶助料相当額の扶助料が、援護法による交付金と申しますか、年金等の支給が決められた後に出されており

ます。それは、昭和二十九年の恩給法の一部改正によりまして、戦犯として拘禁中に死亡した者の遺族に公務扶助料相当額の扶助料を支給されるようになったということでございまして、それは、実はその改正の際の議員修正によってなされたものでございます。この点も長官からお話ししたところでございますけれども、その際の修正案の趣旨ということでございますが、そのときの御説明によりますと、これも先般申し上げてございますけれども、遺族の方々の生活の点を幾分でも緩和いたしたいという趣旨でこの修正案が出されていると承知しております。

 そして他方、恩給法九条の第一項第二号及び第二項におきまして、一定程度以上の刑に処せられた場合には恩給を受ける権利を失うということになっていることも事実でございますけれども、これも長官から御説明申し上げましたとおり、この規定は国内法上の受刑者、国内法に基づく罪によっての受刑者に対して適用されるものでございまして、戦犯はそれには該当いたしませんのでそれには当たらないということで、そういう公務扶助料を支給する措置とそれから今の規定との関係では特段の問題はないというふうに考えているわけでございます。大体そういうことでございます。

○安倍(基)委員 今のそれは、遺族がかわいそうだとかなんとかいう話、そういったことはあったでしょう。しかし、本当に本人が罪人と判断すれば、遺族がかわいそうという話はないのですよ。それは遺族援護法で考えるべきだ。恩給法というものは、本人を本当に罪にはしてないわけですよ。国内法の罪はないからと言うけれども、もし国内法の罪にするのであれば、罪とみなすのであれば、そのときに恩給法を改正すべきではなかったのですよ。恩給法が既に改正になった以上は、その法律というものは動くわけですから。もし合祀を外すと言うのだったらまず恩給法から変えなければいかぬじゃないか、私はそう言っているわけです。今のあなたの説明はわかりますよ、わかりますけれども、ナチスドイツのように、あるいはムソリーニを逆づりにしたように、本当に国内法的に罰していればそれはそれなりの意味があるのです。我々は国内法的には罰していない形で来ているわけです。それは戦後の日本の体制なわけだ。要するに私がこの前述べたように、A級の戦犯で死刑になった者は、平和に対する罪というよりは人道に対する罪で死刑になった、私はウェッブ裁判長に直接会って談話を聞いているわけだから。それを本に出している。それは「文芸春秋」に引用してありますけれどもね。でありますから、そう簡単に――全く彼は心棒がないですよ、哲学がないのですよ。ないから、こっち言われるとこうし、こっち言われるとこうし、防衛庁長官などが聞けばまさに泣きたくなるような、長官はわからぬでしょうが、自衛隊の連中あるいは旧軍人が聞けば本当に泣きたくなるようなことを言っているわけですよ、実際のところ。そう思いませんか、中曽根派の人には悪いかもしれぬけれども。

 じゃ、きょうはその辺で、あなた方を責めてみてもしようがない話だから。外務省の方と内閣の方で、かつて日本の講和条約、特に講和条約の前は、吉田さんというのはしっかりした人だと思うけれども、発効後に、要するに日本の過去の戦争を侵略戦争と、外交交渉上も外交上の発言上も、あるいは公の場で言った記録を出してください。探してください。一人や二人いるかもしれない、私の記憶違いかもしれぬけれども。本会議の場で堂々と言っているのですよ。これは大変重大なことなんだ。売上税も実際重大かもしれません、我々の生活にすぐ響くわけだから。あるいは野党として言うのはおかしいけれども、私は野党でもいろいろ変わった野党ですから聞いているわけであります。政教分離で拝みに行かないというのだったら、それはそれで筋が通っている。まさに通っている。それを克服して戦後日本の総決算と言った人が、今やあれは侵略戦争でございましたと、こう言っているわけだから。私は、ここは別に演説会の場所じゃないからこの辺でやめておきますけれども、ちょっと最後に法務大臣の御感想を聞きたい、私の考え方に対して。

○遠藤国務大臣 感想と言われますと、何と申し上げたらいいか、ちょっとその言葉すらわからないわけで、唇寒し秋の風といいましょうか、余計なことを言ってまたいろいろこんがらからせても大変だし、せっかくの先生の御発言、よく私なりに承知をいたしておるわけでございまして、とうとい戦死をされた方に対する先生の悲憤というような点も十分かみしめたいと思います。御理解を願いたいと思います。

 

112 参議院 決算委員会 2号 昭和63年04月15日

[098]○板垣正君 私は、サンフランシスコ平和条約第十一条に関連して政府見解を伺いたいと思います。

   〔委員長退席、理事菅野久光君着席〕

 サンフランシスコ平和条約は昭和二十六年九月八日調印され、翌二十七年四月二十八日に発効しました。これによって我が国は七年近い占領から解放され、独立を回復し、国際社会に復帰したわけであります。

 しかし、その第十一条には次のごとく規定されました。「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。」。さらに、日本国内服役者について、その赦免、減刑、仮出獄に関し、我が国の勧告と関係国政府の決定を要件とすることが定められております。

 この背景としては、当時、いわゆる戦犯として拘禁中の者は国内巣鴨には千五十四名、フィリピン、豪州には合わせて三百五十七名と言われ、この早期釈放は国民的な関心事、要望であったわけであります。普通ならば平和条約発効とともに解消されることが当然でありましょうが、言うなれば異例の措置とも言うべきものであったと思います。したがいまして、平和条約第十一条の目的は、平和条約発効と同時に我が国が任意に戦犯等を釈放することを禁ずるために設けられたものであり、第十一条により我が国は連合国にかわり刑を執行する責任を受諾させられたわけであります。その意味ではあくまで判決を受諾したと言うべきであろうと思います。しかし、これをもって我が国が東京裁判を受諾し、かつ、したがって平和条約発効後も、さらには今日に至るまでも国として東京裁判の批判は許されない、あるいは東京裁判は正当であったと、こういう認めるべき義務づけを受けておるというふうな見解もありますけれども、こうした見解は私は妥当でないと思う。

 この問題の今申し上げましたような点について、つまり東京裁判はタブーである、あるいはこれは正当化されているという見方について政府の見解を伺いたいと思います。官房長官、お願いします。

[099]○国務大臣(小渕恵三君) 極東国際軍事裁判につきましては、諸外国におきましても、また学者の間でも、また今、板垣委員御自身もかねて来この問題についてのメインサブジェクトと考えられるほどに、この問題についての御見解を持っておることも承知をいたしております。おりますが、政府といたしましては、同裁判をめぐる法的な諸問題に関しまして種々の議論のあることは承知をいたしておりますが、いずれにせよ、国と国との間の関係においては、我が国はサンフランシスコ平和条約第十一条によりまして極東国際軍事裁判所の裁判を受諾したことは御承知のとおりであり、我が国としては、右裁判を受諾した以上、右裁判についての異議を唱える立場にはない、こういうふうな考え方でございます。

[104]○板垣正君 そこで、私は歴史の事実ということについて申し述べ、さらに御見解を承りたいと思います。

 この歴史の事実というのは、講和条約がかけられました昭和二十六年十月から十一月にかけて、平和条約及び日米安全保障条約特別委員会が衆参に設けられ、これらの議事録を改めて読み直してみたわけであります。

 こうしたものを読みますと、第十一条に関しまして、当然平和条約で解消されるべき問題が和解と信頼の条約と言われながら、不幸にしてこの第十一条のような規定が置かれたことは大変遺憾であるというような意見がいろいろ述べられております。さらには、この十一条によりますと、日本内地に服役している者については日本政府の勧告、関係政府の決定があれば減刑等ができますけれども、なおモンテンルパとか豪州あたりにいる海外の者は釈放できない、そういうことに論議がやはり集中しております。外地にいる人を速やかに政府は救出をしろという声が非常にいろいろ論議をされておる。また、政府の立場からも当時高まっておりました、いわゆる戦犯釈放についての国民感情、国民運動、そういうものを受けながら最善の努力をするということが述べられております。

 さらに、講和発効後でございますけれども、昭和二十七年十二月九日、衆議院本会議におきまして、戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議が行われております。この決議は、当時の自由党の田子一民氏外五十八名、自由党と改進党、両社会党、無所属倶楽部の共同堤案によるものでございます。

 この決議におきましては、独立を回復して半年たっておるけれども、今なお巣鴨には、当時八百十名、さらに海外には三百八名、しかもそのうち五十九名は死刑の判決を受けておる、こういう状況についてこれらの助命、内地送還、赦免、減刑、仮出獄、こうしたことを促進すべきであるということを強く政府に迫った決議が採択されているわけであります。

 なお、これに先立ち政府においても、昭和二十七年の八月にいわゆるB、C級の戦犯に関して釈放の勧告を関係諸国に出しております。さらに、二十七年の十月にはいわゆるA級も含めたB、C級全戦犯の釈放の勧告を連合国に提出をしてその促進を図っておるという事実も背景にあったわけであります。

 そして、この議事録、これは官房長官まだ見ておられなかったらぜひ、私は一つの歴史的文書であるというふうに考えるわけであります。

 特に論議をされておりますのが、いわゆるB、C級を扱いました軍事裁判の問題であります。この軍事裁判には約五千名が戦後起訴をされ、約千百名の人々が死刑に処せられておる。しかし、いわゆるB、C級については言葉も通じない、弁護権も決して十分ではない、そしてまた、時間的にも非常にたってしまっておる、あるいは人違いがある、そして全く関知しないことについて刑を受けておる、あるいは全く事実無根のことが裁判にかけられる、言うなれば、まさに暗黒裁判、勝者の憎悪による復讐裁判。このB、C級戦犯の異常なそうした姿についても、この二十七年、独立回復後半年の衆議院本会議においていろいろ論議がされておる。さらには、東京裁判につきましても、パール判事が日本無罪論と言われますけれども、いわゆる東京裁判というものが法的正義を破壊したんだという立場に立ったいろいろな発言等も引用されつつ、この勝者のみに適用される法律、罪刑法定主義も無視し、いわゆる事後法の扱いによって行われた裁判、こうした一方的な文明の破壊、こういうこともその時点において国会論議の中で各党から論議が行われている。この記録を改めて見たわけであります。

 さらに下がりまして、四十年八月六日の衆議院内閣委員会でありますが、高瀬傳委員がこのように述べております。判決の容認と裁判自体の正当性に対する日本政府の見解披瀝は別の問題ではないか、将来子孫に非常に重大な影響がある、政府として統一見解を持つ必要があるのではないか、勝者の敗者に対する裁き、国際的にはあり得ないことである、時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてもらいたい、それが子孫に対する現在生きている者の義務ではないかと思う、研究してもらいたいという発言もとどめられております。

 以上、るる申し上げましたように、この裁判について私はきょうあえて内容について申し上げようとは思いません。ただ、先ほど官房長官から、内閣法制局長官から、そして外交当局から御答弁があったように、事実においてこの裁判を受諾しておるということにおいて今なお我が国が拘束をされ、そしてこれに対する国としての見解を述べることがなし得ないとするならば、まさに先ほど来申し上げましたような講和後のあの歴史の流れの中で、国会の中で、これは背景における国民的な運動という盛り上がりの中、堂々たる真実を求め、折り目を正すべきであるとする議論が高らかに行われたということに思いをいたしますときに、戦後四十三年を経て今なおこうした御答弁、こうした政府の態度に接しざるを得ないということはまことに残念であります。

 特にこの問題は、今申し上げましたように、第十一条で受けとめましたのは、東京裁判もありますけれども、いわゆる暗黒裁判と言われるB、C級をめぐるあの外地におけるあるいは内地における裁判の実態ということでございます。こうしたものも含めてこれを受諾したということは、冒頭申し上げましたように、この判決を受諾する、日本政府がかわって刑を執行する、ここにまさに目的があり、その趣旨があったのではないか。ちなみに講和条約の英文の正文、あるいはフランス語あるいはスペイン語、これが正文になっているようでございますが、専門的な国際法学者のこれらの検討、研究等におきましても、これらの正文におきましてはやはり素直に判決を受諾する、そういう趣旨に読まれるということを専門家の意見として伺っております。

 そういうことで今こそ、先ほどの高瀬傳委員が四十年八月六日に言われた「時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてほしい。これは子孫に対する現在生きている者の義務ではないか」と。我々はやはり今日あるのもあの先輩たちが築き上げてきたあの叫び、その流れ、これはやはりその歴史を継承し、そして我々の責務を果たし、次の代に伝えていかなければならない、そういう立場においてまさに今時期が来ているのではないのか。東京裁判が正当、これに批判ができない、こういうことによって日本は国際法を無視した侵略国家であり、犯罪国家である、悪い国なんだという主張が今なおいろいろ見られることはまことに遺憾であります。やはり、国家には名誉があります。また、民族には誇りがあります。しかも、私ども真に戦争を反省し、そしてまた、平和を何よりも守っていかなければならないという思いにおいて断じて人後に落ちるものではありません。また、これは自由民主党の、また国の一つの国是であろう、国民的なまさに基盤であろう。しかも、なおかつ今申し上げましたような立場において、政府の見解を重ねてお伺いしたいわけであります。

 官房長官、いかがでしょうか。まず、政府として、東京裁判あるいは軍事裁判等について、これはもう受諾したんだから全くタブーだ、あるいはこれに対する批判はできないんだ、こういう立場というものはやはりもうはっきり脱却をして、今直ちにこれに対する見解を出すか出さないかは別として、それに対しては独立国家として、自由なる国家としてこれに対して自由なる見解は持ち得るという、せめてそういう立場をこの際明らかにしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

[105]○国務大臣(小渕恵三君) 板垣委員のお考えを述べられ、お聞きをさせていただきました。政府といたしましては、冒頭申し上げましたような見解を一貫して国会の場で申し述べてきたところでございまして、その範囲を超えることは困難と存じますが、私もここ何年か前でしたか、東京裁判なる記録映画を見ました。その他極東裁判は、おっしゃられますように、B、C級の方々が大変厳しい外国の収容所の中で処置をされたという経緯も承知をいたしております。

 いずれにいたしましても、今日の平和国家日本の存在を思うときに、多くの方々の犠牲といろいろ歴史的な経過の中で確立されたこのすばらしい今日を思いますときに、いたずらに過去の問題を忘却のかなたに押しやることはいかがかと思います。先生がお示しをいただきました速記録等につきましては、私も終戦間もないころはまことにまだ幼少のころですべてを理解しておりませんので、改めて当時の速記録等を拝見させていただきながら考え方を取りまとめてまいりたいと思いますが、いずれにいたしましても、政府としては一貫としてこうした考え方を述べてきたところでございますので、重ねてこの裁判については今政府としては異議を申し述べる立場にないということを申し上げざるを得ないところでございます。

[106]○板垣正君 従来の政府見解というものを直ちに変えるということについて、この場で御答弁を求めることがあるいは無理かもしれませんけれども、しかし長官、どうかそうした形でいつまでも日本がある意味の特殊な国家といいますか、そういう形でみずからの歴史をみずからが明らかにすることができないということではまことに遺憾であり、もちろん私どもの立場において今後さらに今度は裁判の内容に立ち至ってもこれらの問題について解明し、先輩議員の築き上げられてきた伝統を受け継ぎ、そして次の子孫に歴史の真実を深刻なる反省とともに残さなければならない、こういう思いを重ねて新たにいたすわけであります。

 きょうは、私は以上を申し上げて終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

128-参-予算委員会-8号 平成05年12月14日

[95]〜[184]

○尾辻秀久君 先ほども質疑ありましたけれども、総理の侵略戦争発言についてお尋ねをします。

 まず今、私は今に力点を置いているんですが、今なぜあの発言だったのか、真意をお聞かせください。

○国務大臣(細川護煕君) 記者会見でとっさに出てきたお話でございましたが、さきの大戦におきましてというか、過去における我が国の行為が多くの国の人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらした、そのことに対してやはり胸に手を当てて考えてみるといろいろ思い当たる節があるのではないか。先ほどもちょっと申し上げましたように、特定の時期とか場所とかということを申し上げたわけではございませんが、そういうことが思い当たる節がある、その気持ちを率直に申し上げた次第でございます。

○尾辻秀久君 私は今なぜおっしゃったのかということでお聞きをしたつもりであります。

 文章を読みますから聞いてください「戦争に伴う昂奮と、激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れた者の過度の卑屈と、故意の中傷と誤解に基づく流言蜚語と、是専一切の輿論なるものも、いつかは冷静を取り戻し、正常に復する時も来よう。其時初めて、神の法廷に於て正義の判決が下されよう。」

 総理、これはだれがお書きになったか当然御存じですね。

○国務大臣(細川護煕君) それはパールさんでございましたかね、違いましたかね、どなただったか。とにかくその文章は覚えております。

○尾辻秀久君 これは総理がお書きになった本の中に出てくるのであります。そして、実は総理のおじいさんがお書きになった遺書であります。近衛公が東京裁判で裁かれることを潔しとせずに自決をされた、そのときの遺書なんであります。

 先人は、後世やがて冷静なときがくるだろう、そのときこそ公正な判断が下されるだろう、そう信じていたと思うのであります。今まさにその冷静なときが来たと総理はお考えになって、まさにあなたのおじいさんが言われる神の法廷の判事として日本国を侵略国家と断罪されたのでありましょうか。

○国務大臣(細川護煕君) そこまで考えて申し上げたものではございません。先ほども申し上げましたように、また繰り返し本委員会あるいは本会議等でも御答弁申し上げてまいりましたように、よく胸に手を当てて考えてみればと先ほども申し上げましたが、そのような私の率直な気持ちを申し上げたまでのことでございます。

○尾辻秀久君 私はその御答弁は大変残念に思います。御答弁を聞きながら多くの人の無念を思うわけであります。おじいさんも自決をされました。私の父も戦死をいたしました。先人の霊安かれと祈りつつ質問を続けます。

 総理はさきの大戦と言っておられます。いつからいつまでですか。

○国務大臣(細川護煕君) これもいろいろな解釈があろうと思います。この点についても、特定の時期、地域等については私は言及は差し控えさせていただきたいと、こういうことを申し上げてきたところでございます。

○尾辻秀久君 御自身がお使いになった、しかも日本の歴史にとって大変重大な発言なんであります。そういういいかげんな答弁はないと思いますので、もう一回しっかりと答えてください。

○国務大臣(細川護煕君) その点につきましては、初めから特定の地域や特定の時期というものを区切って申し上げたわけではなくて、私の過去の歴史における率直な気持ちの表現として申し上げたということでございます。

 なお、今、英霊のことについてちょっとお触れになりましたが、私も、今日の日本の繁栄があるというのは、多くのたっとい犠牲の上に今日の我々の繁栄があると。私の親族の中でもそのような形で異国の地で亡くなった者がおりますし、そうした過去のたっとい犠牲の上に今日の我が国の繁栄があるということにつきまして、そのことを私どもは常に肝に銘じておらなければならない、この気持ちは全く私も変わらないと、そのように思っております。

○尾辻秀久君 それでは、いつからいつまでかは

外務省答えてください。

○政府委員(丹波實君) ただいまの御質問につきましては、総理の御答弁に尽きていると思います。世界観あるいは歴史認識の問題についていろいろな認識の違いがあるものですから、時期とか場所につきまして一定の線引きをするというのはなかなか困難であろうかと思います。

 例えば一例を挙げさせていただきますと、先生も御承知のとおり、極東軍事裁判におきましては日本の中国に対する侵略戦争が行われたという断定がありまして、その日付は一九三一年の九月の十八日からであるということになっておりますが、他方におきまして、国民政府が対日宣戦を布告いたしましたのは一九四一年の十二月九日でございまして、そういうぐあいに立場立場あるいは物の考え方によって始期も違うわけでございますので、先ほどのような御答弁になるということでございます。

○尾辻秀久君 それでは、先日の厚生委員会でなぜ私に答えるとお答えになったんですか。

○政府委員(池田維君) お答えを申し上げます。

 戦争の時期等につきましては、ただいま総理それから条約局長から御答弁があったとおりでございまして、この開始等の時期につきましてその後検討いたしましたけれども、ただいまの御説明に尽きていると思います。

 そういう意味では、検討状況につきまして迅速に回答を申し上げることがおくれましたことをおわび申し上げたいと思います。

○尾辻秀久君 明確に後日お答えをしますとおっしゃったのでありますから、本来であればお答えになるべきであろうと思います。

 ところで、今もお話しありましたけれども、では東京裁判が審理の対象としたのはいつからいつまでですか。

○政府委員(丹波實君) 起訴状におきましては、当初九カ国の国が日本のそういう行動の対象として挙げられたわけでございます。中華民国、アメリカ、フィリピン、英国、オランダ、フランス、タイ、ソ連、蒙古人民共和国。しかし、裁判をいたしました結果として、判決ではこのうちフィリピンとタイは除かれておりまして、結果的に七カ国に対して日本が侵略行為を行ったという判定が下されております。

 全部の数字をあれするのは何でございますから例示的に申し上げますと、先ほど申し上げましたとおり中華民国に対して日本が侵略戦争を開始したのは一九三一年の九月十八日より云々ということでございます。アメリカにつきましては、これはもう申し上げるまでもなく一九四一年十二月七日より云々ということでございます。それからイギリスにつきましても一九四一年十二月七日より云々というふうに、そういうぐあいに極東裁判所では始期が判定されておるということでございます。

○尾辻秀久君 私が理解しておりますところでは、一九二八年、昭和三年一月一日から一九四五年すなわち昭和二十年九月二日までが審理の対象じゃありませんか。

○政府委員(丹波實君) 審理の対象ということではあるいは先生のおっしゃるとおりかもしれませんけれども、私が申し上げておりますのは、起訴状の中で判決として日本の侵略戦争の始期として各国について今申し上げたような記述がされておるということでございます。

○尾辻秀久君 それじゃ、有罪判決が出たのはいつからいつまでか、それをおっしゃってください。

○政府委員(丹波實君) 先生の御質問の趣旨を必ずしも全部理解したかどうか自信がございませんけれども、まさに起訴状で言っておりますのは、中国について例を挙げさせていただきますと、一九三一年の九月十八日より一九四五年九月二日に至るまでの期間において中華民国に対し侵略戦争を行ったという判定になっておるわけでございます。

○尾辻秀久君 そうしますと、先日この場で合馬先生が、総理が言われた侵略戦争の責任者、犯罪者はだれか、こう聞かれて、東京裁判の判決を受けた人である、このように答弁をしておられます。そうなると、東京裁判で有罪になったその期間が当然総理の言われる侵略戦争の期間になりませんか。

○国務大臣(細川護煕君) それも当然含まれるであろうと思います。

○尾辻秀久君 それはおかしいと思うんですね。総理の言われた侵略戦争のその責任者はだれかと聞かれて、東京裁判で判決を受けた者と、こう言っているんですよ。そうすると、その東京裁判の判決の期間ははっきりしているわけだから、それは総理の侵略戦争の期間ははっきりしているわけじゃありませんか。その御答弁は納得できません。

○委員長(井上吉夫君) 尾辻君の残余の質疑は午後に譲ることといたします。

 午後二時に再開することとし、休憩いたします。

   午前十一時五十五分休憩

     ――――◇―――――

   午後二時二分開会

○委員長(井上吉夫君) ただいまから予算委員会を再開いたします。

 平成五年度一般会計補正予算、平成五年度特別会計補正予算、平成五年度政府関係機関補正予算、以上三案を一括して議題とし、休憩前に引き続き、尾辻秀久君の質疑を行います。

○国務大臣(細川護煕君) 午前中の質問に対するお答えでございますが、極東軍事裁判において戦争犯罪者を侵略戦争の時期を認定して有罪と判決をしているけれども、これによってさきの大戦の時期は特定されているのじゃないか、こういうことでございますね。――この裁判における時期の特定というのは、あくまでも平和に対する罪など特定の罪に照らして、国際法上の個人の刑事責任を追及することとの関連で行われたものというふうに承知をいたしております。

 他方、私がさきの大戦において多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたという認識に立って反省とおわびの気持ちを申し述べておりますのは、この判決に含まれた時期を含めまして、我が国が占領地や当時我が国の統治下にあった地域の方々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに対する反省を述べたものでございます。

○尾辻秀久君 ですから合馬先生は、総理が侵略戦争と言われたから、その総理の言われた侵略戦争の責任者はだれですかとお聞きになったら、その答えが東京裁判で判決を受けた者と、こうなっているんですよ。ですから非常に答えが明確じゃないですかと私は言っているんです。何も別個の話をしているわけじゃないんです。政府の御答弁がそうなっているんですよ。

 それからもう一つ、外務省に確認しておきたいんですが、東京裁判の起訴状の訴因の第一を読んでください。

○政府委員(丹波實君) まず、先生にお許しをいただければ、前段の点は合馬先生に対する私の答弁と思いますので説明させていただきますと、まず、全体といたしましては、私は、侵略につきましての国際法的な定義は法的概念としては確立いたしておりませんということを申し上げ、したがいまして、その侵略または侵略行為といったよう宣言葉はいろいろな使われておる文脈によってお考えいただきたいということを申し上げました。

 最近、そういう文脈の中で申し上げますと、過去の我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたということを心に込めてそういう表現として使われているものと理解しておりますということを申し上げ、ただ、事実の問題として、極東軍事裁判におきまして一定の方々が戦争犯罪人としての判決を受け、日本は、サンフランシスコ平和条約十一条でこれを受諾しておりますということを申し上げた次第でございます。

 それから、第二番目の御質問の点でございます

けれども、極東軍事裁判所条例の起訴状の訴因第一という意味と思いますけれども、「全被告ハ他ノ諸多ノ人々ト共ニ一九二八年」、昭和三年ですが、「一月一日ヨリ一九四五年九月二日ニ至ル迄ノ期間ニ於テ一個ノ共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案文ハ実行ニ指導者、教唆者又ハ共犯者トシテ参画シタルモノニシテ」云々という主張がなされていることは先生御承知のとおりでございます。

○尾辻秀久君 その訴因で有罪判決になったんじゃないですか。

○政府委員(丹波實君) この点につきましては私は先生と異なる意見を持っておりませんで、同時に訴因の二十六、七でございましたか、中ごろの方で先ほど申し上げたような九つの国に対して、日本の侵略戦争ということがその始期と終期を挙げて、極東軍事裁判としてその起訴状の中にそういうふうに書いてあるということを申し上げたものでございます。

○尾辻秀久君 東京裁判が明確に定めた時期でありますから、余りごまかさずに答弁してください。そのことは極めて論理的でないと思いますけれども、こんなところにひっかかっていてもしょうがないから、次に行きます。

 侵略戦争の定義、改めてしてください。私は総理大臣に聞いております。

○国務大臣(細川護煕君) これは、侵略という言葉につきましては、国際法上確立された定義があるわけではないと承知をいたしております。正確な意味につきましては条約局長から御答弁いたします。

○尾辻秀久君 総理が使われた意味を聞いているんです。私は国際法上の定義を聞いているわけじゃないんです。その定義がいっぱいあるのを知っているから、総理が使われたから、総理はどの定義で使われたかということを聞いているわけであります。

○国務大臣(細川護煕君) 私が侵略戦争という言葉を用いましたのは、繰り返し申し上げておりますように、我が国の過去における行為などが多くの人々に耐えがたい苦しみや悲しみをもたらした、そのことについてのそういう認識というものを率直に申し上げたということでございます。

○尾辻秀久君 それじゃ、過去の戦争で耐えがたい苦しみと悲しみを多くの人に与えなかった戦争を教えてください

○国務大臣(細川護煕君) 戦争は、おおむねいい戦争か悪い戦争が、こういうふうななかなか線の引き方というものは一概にしにくいものであろうと思っております。

○尾辻秀久君 ですから、総理の定義によれば、すべての戦争は侵略戦争になるではないか、そう言いたいわけであります。それと、日本人も大変多くの人が悲しみと苦しみを与えられたわけであります。そうなると、逆に言うと日本も侵略されたのかと、こういう言い方にもなります。

 総理がそういう定義をなさるからあえてこんなことを言っておるわけでありまして、もっときちっと総理に言っていただきたいんです。そうでないと我々の議論もできませんし、立場をどういうふうに理解していいのか、この後お聞きをいたしますけれども、それが我々自身理解できなくなってくるわけであります。どうですか。

○国務大臣(細川護煕君) 繰り返し申し上げておりますように、それはもう少し幅広く、私の気持ちを率直に申し上げているということでございますから、厳密に定義をして申し上げている、そういうことではございません。胸に手を当てて考えてみれば思い当たる節があるではないか、そういうことを申し上げているわけでございますから、ぜひその点は御理解をいただきたい、こう思うわけでございます。

○尾辻秀久君 総理が自分の国の歴史に対する大変重大な判断を示されたわけでありますから、それはもっときっちりなさるべきだと私は思っておるわけであります。

 その後、総理は今度は、間違った戦争だとつけ加えておられるわけであります。この間違ったという意味、何を間違ったんでしょうか。

○国務大臣(細川護煕君) それも同じことを申し上げざるを得ないのかと思いますが、多くの方々にそのような思いをさせた、そのような行為を犯したということについて、それは、これも再々繰り返して恐縮でございますが、よく考えてみるとそういうふうに思い当たる節があるのではないか、こういう意味で申し上げております。

○尾辻秀久君 そうしますと、今度は聞きますが、国際法上間違ったということもありましょう、あるいは政治的な間違いであったということもありましょう、あるいは道義的な間違いだったということもありましょう、あるいはもう単純に勝つか負けるかを判断間違った、こういうこともありましょう。そういう言い方であればどれだと思っておられますか。

○国務大臣(細川護煕君) いろんなものが今おっしゃったような要素が含まれていると私は思っております。

○尾辻秀久君 そうした侵略戦争であり間違った戦争だということで、この前、合馬先生も、今までの質問の繰り返しになりますけれども、その責任者、犯罪者はだれだというふうにお聞きになった。これに対して、極東軍事裁判の判決を受けた者だ、こういうお答えがありますので、ちょっと気になる点をお尋ねをしておきたいと思います。

 まず、ここでお答えになった戦争責任者、犯罪者のその罪というのは、日本及び日本人に対する罪も含んでお答えになっておられるでしょうか。これが一点です。

 それから二点目は、極東軍事裁判という言葉を使っておられるので、これは東京法廷だけですかとお聞きしてみたいんです。意味するところは、A級戦犯だけを指してお答えになったのか、B、C級戦犯に対してはどういう判断をしておられるのか。これが二点目であります。

 それから三点目は、東京裁判で判決を受けた人に限って戦争責任者、犯罪者だというふうに評価をしておられるのか。お聞きしている意味は、判決を受けなかった人もいます、途中で亡くなった人もいます、重度の精神病だと判断された人もおります。あるいは、大変言いにくいんですが、近衛公みたいに自決された方もおられます。あるいはA級戦犯として逮捕されながら釈放された、裁判をもうこれ以上やらないといって釈放された人もいます。こうした人たちに対するどういう評価をしておられるのかお尋ねをするわけであります。

 それから、このお答えというのは非常に私は粗っぽいお答えだと思って気になるものですから、やや細かなことですがあえて粗っぽ過ぎる答えじゃありませんかという意味でお聞きするんですが、合馬先生は、戦争を起こしたその犯罪者はだれですか、こういうふうに聞いておられるんですが、そのお答えが今言っている答えなんですね。そうしますと、例えて言うと松井元大将、この人も戦争を起こした犯罪人として東京裁判は裁いているのかお聞きをいたします。

○政府委員(丹波實君) まず第一番目の日本に対するものが入っているかという御指摘でございますけれども、突然の御質問でございますのであるいは間違っているかもしれません、その場合には御訂正申し上げますけれども、日本に対するものは私は入っていないというふうに理解いたしております。

 それから、いわゆる東京軍事裁判といった場合にA級戦犯のみを考えているのかという点につきましては、私は当院におきましてもこの問題が論じられるときにA級戦犯だけが議論されるような形になっていますけれども、それは典型的なケースとして挙げられているものでして、サンフランシスコ平和条約の十一条を先生も当然お読みになっておられて、そこで明らかだと思うんですが、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、」云々となっていますので、この十一条から見る限りはそこは明らかではないかというふうに考えます。

 それから第三番目の、それではこういう裁判所で裁判された者のみが問題になっているのかという点につきましては、あるいはそれ以外の方々をどう考えるかという点につきましては私たちはここで判断する立場にはないと思います。

 私が合馬先生に申し上げ、ここでも申し上げますことは、事実の問題として一定の方々がこの十一条の裁判所で判決を受けておられるということ、かつ日本は十一条でそれを受諾しているということを申し上げただけでございます。

○尾辻秀久君 私が今申し上げたいことは、戦争が終わって日本は自分たちできっちりとした責任追及をしていない、これは今日のいろんな問題を残しておる点だろうと思うのであります。東京裁判に全部任せてしまって、何かというと全部東京裁判を引っ張り出してきて片づけてしまう、ここに問題があると思うわけであります。ですから、そのことも申し上げたいんですが、きょうはそのことを問題にしようとは思いません。

 ただ、この東京裁判が、サンフランシスコ平和条約で受け入れて我々が受諾しなきゃならないものだと言っておられる割にはいつも不思議だと思うことがあるんでありますけれども、それは例えばA級戦犯を公務死にしておられるのはなぜですか

○政府委員(丹波實君) 先生突然の御質問でございますけれども、私、外務省の人間として今の御質問にはちょっとお答えするだけの資格を持っておらないということ、ぜひよろしくお願いいたします。

○尾辻秀久君 それじゃ突然、それこそまさにまた突然になりますけれども、A級戦犯だった賀屋元法務大臣、途中で御本人が固辞されたんで勲章をもらっておられないけれども、政府として勲章を上げようとしましたね。そういう話を聞いて総理は率直にどういうふうにお感じになりますか。

○国務大臣(細川護煕君) ちょっと私もその辺の事実関係について漠として受けとめて、A級戦犯と言われればそれはやはりいかがなものであろうかという気はいたします。

○尾辻秀久君 ですから、A級戦犯は今までの答えによると戦争犯罪人なんですね。戦争責任者なんです。ところが、その後また日本の大臣までなさるんですね。これは矛盾だというふうに思われませんかということを聞いているんです。

○国務大臣(細川護煕君) まあしかし、そういう方はたくさんおられるんじゃないでしょうか。

 ある程度の期間が経過して、今まさにお話しになっております岸さんにしましても、そのように名誉を回復されたと申しますか、公職に復帰をされた。その間のそれなりの償いをして復帰されたという方はたくさん例があると思いますし、それはそれなりに受けとめることができるのではないかというふうに私は思っております。

○尾辻秀久君 このことも議論してみたいことがあるんですが、先に行きます。

 総理が侵略戦争と言われた。そして間違った戦争だと言われた。さっき言いましたように、私の文もその戦争に駆り出され戦死をいたしました。今、総理にそう言われると、父の死は何だったんだろう、こういうふうに思うわけであります。私の父は侵略戦争の手先で殺されたんでしょうか。間違った戦争で殺されてしまったんでしょうか。すなわち犬死になんでしょうか。

○国務大臣(細川護煕君) これも再々申し上げておりますように、さきの大戦などで亡くなられた方々、国家の使命を帯びてその犠牲になられた方々、一命を賭して国のために散っていかれた方々、そういう方々の大きな犠牲の上に、たっとい犠牲の上に今日の我が国があるわけであって、その英霊に対する思いというものは子々孫々にわたって決して忘れてはならないことである。私もその遺族の一人でございます。私の身内にも遺族がいるということを申しました。そういうことでございますから、そういう思いは私自身も常に持ち続けているところでございます。

○尾辻秀久君 総理、私たちもそう思いたいんです。だれよりもそう思いたいんです。だけれども、今の説明には無理がありませんか。全体が侵略戦争だ、こう言っておられるんですよ。そして、その犠牲になった者がとうとい犠牲だと言われて何でそうですかということになりますか。例えば大変に悪いかもしれないけれども、集団で泥棒に入った、一人一人はいい人でした、そんなむちゃな理屈はないと思うんであります。だから、私たちは正直言って怒っているんです。

 もう一回答えてください。

○国務大臣(細川護煕君) 特定の時期とか特定の場所とかということを申し上げているわけではございませんで、過去の我が国の行為の中に、多くの方々に対してそのような痛みを伴うようなことを我が国が犯してきたということについて率直にこれはおわびをしなければならない。何遍も申し上げて恐縮ですが、胸に手を当てて考えてみれば思い当たる節がいろいろあるのではないかと。そのことに対して率直に私の気持ちを申し上げたということでございまして、どうぞそのようにひとつ御理解をいただきたい、こう思うわけでございます。

○尾辻秀久君 侵略行為があった、あるいはおわびをしなきゃならない面がある、そのことを否定しようと言っているわけじゃないんです。

 ただ、総理は全体を侵略戦争だというふうに断定されたんです。全体を悪だと決めつけられたんです。そうしたら、それを構成した人間はみんな悪人じゃないですか。そうなりませんか。総理の理屈ではそうはなりませんか。

○国務大臣(細川護煕君) 押し問答してもしようがありませんが、繰り返し申し上げますように、私は、そういう過去の行為の中で思い当たる節があるじゃないかと、そのことについての気持ちを申し上げているということでございますから、そのように御理解をいただきたい、こう申し上げるしかございません。

○尾辻秀久君 思えと言われても、思いたい人間が思えないんでありますから、それは総理、もう少しちゃんと答えていただきたいと思うんです。

 それじゃ総理、総理はどこかでドイツのワイツゼッカー演説を引用されたことがあると思うんですが、ドイツのワイツゼッカー演説の中でこのあたりについてはどういうふうに言っているでしょうか。

○国務大臣(細川護煕君) よく記憶しておりません。

○尾辻秀久君 それじゃ、私が知っている範囲で言わせていただきますが、ドイツのワイツゼッカー演説はその辺のところはこう言っているんですね。「大抵のドイツ人は祖国のために戦い、また耐え忍ぶのだと信じておりました。それが今になって、一切がむだであり無意味であったばかりか、犯罪的な指導者の非人道的な目的のためであったと知らされたのです。」、こう述べています。

 こっちの方が、要するに一切がむだでありむだな死であったと言った方が、最初が侵略戦争であるというならば論理的じゃありませんか。

○国務大臣(細川護煕君) それは一つの御認識だと思います。

○尾辻秀久君 総理はどう思われますか。

○国務大臣(細川護煕君) 私はもう少し幅広く受けとめております。

○尾辻秀久君 外務省の認識を聞きたいと思うんですが、東京裁判の特徴として、指導者責任観と違法な国家命令に対する不服従の義務というのを挙げたと思うんですが、どういう認識をしておられますか。

○政府委員(丹波實君) 極東国際軍事裁判の問題につきましては、ただいま先生が挙げられた点、あるいは先生御承知のとおり罪刑法定主義といったような観点からの問題点、いうんな問題点がいろんな学者先生方、いろんな政治家の先生方によって指摘されておることは私たちも承知いたしておりますが、この点につきましては、歴代政府といたしまして、いろいろな思いはあるけれども、しかしサンフランシスコ平和条約十一条でこの判決を受諾しておる、裁判の結果を受諾しておるので、この裁判に日本政府としてあれこれ異議を唱える立場にはないという点をぜひ御理解いただきたいということは、歴代政府として申し上げてきているとおりでございます。

○尾辻秀久君 いや、東京裁判にあれこれ言えないんだ、東京裁判は認めなきゃいけないんだとおっしゃるから、今の点がありませんかというふうにお尋ねをしておるわけであります。

 私が今の時点でお尋ねしたいのは、東京裁判の考え方として、違法な国家命令に対する不服従の義務というのを挙げていませんかということなんです。ですから、国家の命令だからというので侵略戦争、大量虐殺などに協力したのでは免責されることはない、これが東京裁判の考え方ではありませんかというのを聞いているんです。

○政府委員(丹波實君) 今の先生の御指摘の点については、そういう考え方で判決が下されているというふうに私たちも理解いたしております。

○尾辻秀久君 私は余り好きではないんですが、東京裁判を盾にとられるから東京裁判で議論をしておるわけでありますけれども、東京裁判の考え方でも、侵略戦争であればそれに行った者、その戦争で戦った者は国家の命令だからといって免責されることはない、こう考えなきゃならないんじゃないですか。ということは、戦争に行った者は犯罪者だ、総理の言われるようにとうとい犠牲にはならないんだと、こういう結論になりませんかということを申し上げておるわけであります。

○委員長(井上吉夫君) 答弁はだれに求めますか。

○尾辻秀久君 総理に聞いています。

○国務大臣(細川護煕君) その辺の解釈については、私は正確に申し上げられるかどうかちょっと自信がございません。条約局長から答弁させます。

○政府委員(丹波實君) 先生がおっしゃっておられるのは、極東国際軍事裁判所条例でいうところの第六条の考え方だと思いますけれども、「被告人の責任」とありまして、「何時たるとを問はず被告人が保有せる公務上の地位、若は被告人が自己の政府又は上司の命令に従ひ行動せる事実は、何れも夫れ自体当該被告人をして其の間擬せられたる犯罪に対する責任を免れしむるに足らざるものとす。」というふうにあるわけですが、徴兵されて個々に出征していかれた軍人さんにつきましてこの第六条との関係でどう判断するかというのは、いろんな事実関係その他がございますので、直ちにはこの場で個々の軍人さんの行動について判断するのはなかなか私は難しいんじゃないか、とっさでございますけれどもそういうふうに考える次第でございます。

○尾辻秀久君 条約の解釈とかそんなことではなくて、どうしたって肉親を戦争で失った者からしてみると総理のあの発言というのは許せなくなるのであります。何で、国のために赤紙で引っ張っていかれて殺されて、そして今また名誉を傷つけられなければならないのか。

 総理にもう一回、なぜとうとい犠牲なのか。総理は戦没者追悼式の追悼文の中でとうとい犠牲と言っておられますが、あれが非常に白々しく聞こえてしまうのであります。侵略戦争だと決めつけながら、なぜとうとい犠牲になるのか、どこでどうつながればとうとい犠牲になるのか、これだけはきっちり説明してください。

○国務大臣(細川護煕君) これもまた押し問答になりますけれども、全体をひっくるめて私の気持ちを率直に申し上げているわけでございまして、そのことと、過去における英霊の方々のたっとい犠牲というものの上に今日の我が国がある、このこととは私は違うことだと、そう思っております。

○尾辻秀久君 じゃ、そのとうとい犠牲になった人たちはいいことをしたんですか。そう考えでいいですか。

○国務大臣(細川護煕君) 全くそうだと思います。

○尾辻秀久君 それでは、その犠牲になった人たちの処遇と名誉の問題、これをお尋ねいたします。

 まず、処遇。総理が言われるように、侵略戦争に行って、間違った戦争に行って殺されたとして、十分なる処遇をしてきたと思われますか。

○国務大臣(細川護煕君) いろいろ国としてもできる限りの対応を今日まで行ってきた、決して十分ではないとは思いますが、そのような対応がなされてきている、そのように私は受けとめております。

○尾辻秀久君 侵略戦争であったとしてもですか。

○国務大臣(細川護煕君) ちょっとそれは議論がかみ合わないお尋ねだと思いますが。

○尾辻秀久君 じゃ次に名誉の問題ですが、ちょっと角度を変えてまずお尋ねをいたします。

 八月十一日だったと思うんですが、官房長官にお会いしました。そのときに、靖国神社は戦没者を追悼する中心的な施設である、これは自民党時代の靖国神社に対する官房長官談話で発表した公式見解でありますが、これは今度の内閣もそのまま引き継いでいただけますかというふうに申し上げたら、引き継ぎますとたしかお答えになったはずでありますけれども、これは公式にきょう認めていただけますか。

○国務大臣(武村正義君) 靖国神社への公式参拝につきましては、内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で、専ら戦没者の追悼を目的とし、これをあらかじめ公にするとともに、神道儀式によることなく追悼行為にふさわしい方式によって参拝を行うことは、憲法二十条第三項に反するものではないとの認識に立っているものであります。

 なお、公式参拝は制度化されたものではありませんので、今後公式参拝を実施するかどうかは、その都度諸般の事情を総合的に考慮をしながら各閣僚が判断すべきものと考えております。

○尾辻秀久君 私が今お聞きしたのは、靖国神社をどうするかということなんです。公式参拝のことは聞いていません。

○国務大臣(武村正義君) 済みません。戦没者追悼の中心的施設であると認識をしております。

○尾辻秀久君 これは内閣の公式な見解である、こういうふうに確認をさせていただきます。いいですね。

○国務大臣(武村正義君) 昭和六十年八月の内閣官房長官談話の趣旨を踏襲して申し上げております。

○尾辻秀久君 そうすると、総理はその中心的な施設へのお参りはどうなさいますか。

○国務大臣(細川護煕君) 先ほど官房長官が先に先回りして御答弁なさったとおりでございます。

○尾辻秀久君 機会を見てお参りなさると理解していいですか。

○国務大臣(細川護煕君) 総理に就任いたしましてからはお参りしておりませんが、その前には折りに触れてお参りをいたしております。

○尾辻秀久君 神社であるとか憲法で言う宗教上の問題があるとかそんなことではなくて、死んでいった人たちは靖国神社に祭ってもらうんだと思って散っていったわけでありますから、そしてそれは国が約束したことでありますから、今生きている人の立場、考え方は別として、お参りだけはしてくださるようにお願いをしておきたいと思います。

 余り時間がありませんから、きょうはえらい押し問答になりましたけれども、少し言いづらい話になるかもしれませんが、最後にやっぱり、私たちがなぜ怒りを覚えるかということを率直に申し上げておわかりをいただきたいと思うんです。

 昭和四十一年五月二十九日のある新聞にこんな記事があるんです。「昭和十二年六月から、太平洋戦争のはじまる十六年十二月の四年半の間、近衛は三度内閣を組織し、通算二年九カ月、首相の座にあった。日本のもっとも大事なときに、彼ほど長く最高責任の地位にあったものはいない。そして彼ほど実質的に責任を負わなければならないものもいない。」、一部抜きますが、「致命的な悪いことは、みんな近衛内閣のときに起こっている。これを偶然といい、軍部の横暴というにはあまりにひどすぎる。やはり政治家・近衛に何か欠陥があったからだろう。」。

 総理、あなたは、戦争の評価は自分の勝手だと、こう言っておられますから、人によっていろんな歴史の評価があるということはお認めになるだろうと思います。そして、今読み上げたような評価があることも確かであります。そうしますと、私たち戦没者遺族の立場からすると、近衛内閣で赤紙で引っ張っていかれた、そして殺された、御丁寧にその孫たるあなたから今名誉を傷つけられることもあるまい、それは余りひどいんじゃないか、そう思っておるわけであります。このことだけを最後に率直に申し上げて、質問を終わります。

 

142 参議院 予算委員会 10号 平成10年03月25日

[003]○板垣正君 おはようございます。総理初め各閣僚、まことに連日御苦労さまでございます。

 早速伺います。

 日本のあり方というものが改めて問われている、まさに第三の開国と言われる大きな転機に来ていると言われているわけであります。橋本総理を先頭に、連日それに取り組んでいただいております。そうした中で、やはり心の問題が改めて問われておる。物の面では見事に繁栄を遂げましたけれども、大事な心の問題がいろいろな角度から問題がある。

 これはある精神科医の方が高校生を対象に行った調査でありますが、この中で最も高い反応のあったのが、自分がどんな人間なのかわからなくて困ることがある。つまり、日本人であることや自分と社会、国との関係をどう考えればいいのかよくわからない、だからとても不安である、こういうことであります。

 戦後、戦争に対する反省はいろいろありましたけれども、反面、国というような問題について余り考えない、むしろ国というのは対立するものである、個人の自由を制約するものだと。そういうところから、日本人というみずからの意識というか、そうしたものが非常に薄れてきているということは否めないと思う。

 私はその辺に、教育の問題にせよ、広く社会的にも問われている心の問題、日本人のあり方、日本という国の姿、国の形ということが言われますけれども、その根本にはやはり私は歴史というものがいろいろな形で戦後ゆがめられるというか、断ち切られるといいますか、歴史とのつながりを失ったところに、これは家庭の崩壊につながる。あるいは地域団体の一つの連帯精神、日本人相互の同胞意識、そうしたものの淵源するものは歴史であります、歴史の流れであります。みずからがそれにつながっているという存在であります。

 そういう面において、歴史とのつながりというものを改めて見直す必要があるのではないのか、心の問題はその辺に大きなポイントがあるのではないのか、こう思いますけれども、総理並びに文部大臣の御見解を承ります。

[004]○国務大臣(町村信孝君) 板垣委員からはいつもこの問題について大変貴重な御示唆をいただいております。歴史教育の重要性、これはもう委員の御指摘をまつまでもなく、特に学校教育の場では重要な課題である、こう受けとめております。

 これまでも学校の歴史教育は発達段階に応じまして、例えば小学校では、国家と社会の発展に大きな働きをした先人の業績やすぐれた文化遺産に関心と理解を持たせ、人物を中心に歴史に親しませる学習を展開する。中学校では、我が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って学び、先人の努力により発展してきた我が国の歴史の各時代の特色と移り変わりを理解させる。通史学習と呼んでおりますが、非常に古い縄文の時代から今日に至るまでということで、中学校の段階では歴史教育を学ぶということを学習指導要領の基本にして行っているところでございます。

[006]○板垣正君 それで、歴史を顧みますと、戦後の一番大きな問題はやはり端的に言って東京裁判、またそこからもたらされたいわゆる東京裁判史観。東京裁判は、過ぎ去った問題ではなくして、現在も大きくこの日本のまさに今申し上げた心の問題も支配している問題ではないのか。

 東京裁判については改めて申し上げるまでもなく、十一カ国、連合国の戦勝国によって敗戦国日本を、新たな国際法の規約にない、それを超えた立場における日本に対する断罪が行われた。これはまさに法律なきところにおける、戦勝国によるある意味における復讐裁判であると言うことも、見方もできるわけでありますが、この東京裁判、淵源する東京裁判史観ということについて、まず総理の御見解を承りたい。

[007]○国務大臣(橋本龍太郎君) まさにちょうどその混乱の時代に私どもは小学校から中学校にかかる時期を過ごしました。そして、私どもは、議員の言われるそうした史観以前の問題として、敗戦、そしてその後何を教えていいのか先生方が迷われ混乱した時期にその少年期を過ごしております。

 そして、先ほども申し上げましたように、私は、将来の我が国を担う子供たちが我が国の歴史また文化というものを理解して、日本人の自覚、誇りを持って国際社会の中で生きていく、そういうふうに育てていくということは極めて大事なことだと思います。

 そして、学校での歴史教育というものは、客観的、学問的な研究成果というものをきちんと踏まえながら、事実は事実として、国際社会の中における国際理解、国際協調といった観点からバランスのとれた指導が行われるべきもの、そして子供たちが歴史的な事象というものをみずから多角的に考察し、公正に判断する能力を育てるその基礎を与えるものだと私は思います。

 今後とも、子供たちがしっかりとした歴史理解をみずから行えるような、そうした歴史教育の充実に努めていきたい、そのように思います。

[009]○国務大臣(小渕恵三君) この裁判につきましては、既に諸外国におきましても、学者の間でも裁判をめぐる法的な諸問題につきましては種々議論があることは承知をいたしております。いずれにしても、国と国との関係において我が国はサンフランシスコ平和条約第十一条で極東軍事裁判所の裁判を受諾いたしておりますので、同裁判について異議を唱える立場にはありません。

 ただ、私自身も総理と全く同じ世代に育ってきたわけでございます。特に、終戦後の小学校時代に、ニュース放送等を聞けばこの問題について触れられておったわけでございます。したがいまして、今日に至りましても、八月十五日等にこの裁判の問題の記録並びに映画等が再放送されるたびに、真剣にこれを見詰めながらみずからこの問題について真剣に考えてまいりたい、このように考えております。

[010]○板垣正君 この東京裁判の問題については、外務大臣は御記憶かどうかわかりませんが、もう十年ぐらい前、決算委員会で御見解を承ったことがあります。そのときの御答弁並びにそのときの外務大臣あるいは内閣法制局長官、まさに一致した御答弁でございました。また、十年経たただいまの御見解も、つまり講和条約第十一条によってあの裁判を日本は受諾したんだ、だからこれを批判する立場にない、ある意味ではそれに拘束されるんだと、こういうことになるんじゃないでしょうか。ここに大きな問題点があると思いますが、この点についての総理の御見解を承ります。

[011]○国務大臣(橋本龍太郎君) 今改めてサンフランシスコ平和条約第十一条を眺め直しております。

 ここにはこうあります。

  日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

 我が国は、確かにこの条文を含んだ条約によって独立をかち得ました。極東裁判というものには学者の中においてもいろんな議論がありますし、また学者とは違った立場の方々からも御論議があることは、これは私自身も承知をいたしております。

 しかし、国と国との関係ということになりますと、私は、外務大臣がお答えを申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約の第十一条によってこの極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している、その上で独立を回復してきた。そうなりましたときに、この裁判に対して国と国との関係におきまして異議を述べる立場にはないという外務大臣の御答弁は、政府としては同様の見解を公式にお尋ねがあれば述べるということにとどまると存じます。

[012]○板垣正君 重ねて外務大臣、この条約は当時から解釈をめぐって、講和条約におけるほかの国からもこうしたものはない方がいいじゃないかと言われていたくらい問題の条項であります。

 講和条約が結ばれたにかかわらず、まだ千名を超えるいわゆる戦犯と称する人たちが巣鴨にも豪州にもフィリピンにも、中には死刑の判決を受けたまま置かれておった。元来、講和条約が結ばれればそうした者は全部釈放されるのが当然であります。にもかかわらず、十一条を設けてまだ捕まえておく。刑を執行するのは日本の責任でやれ、これが十一条の本旨じゃありませんか。ほかの国の条約の正文によって、今読まれましたけれども、判決を受諾すると。これがイギリスなりあるいはスペインなりフランスの原文にはそうなっている。我が国がどういうわけか裁判を受諾すると訳され、かつ今のような、まさに戦後五十年なおこれに縛られているんだというような、世界の常識とも国民の多くの考えとも隔絶した枠の中に今なお縛られているというのはいささか問題があるんじゃないですか。大いに問題があるんじゃないですか。その点、重ねて見解を承ります。

[013]○政府委員(竹内行夫君) サンフランシスコ平和条約におきます用語の問題に関しまして御答弁申し上げます。

 確かに先生おっしゃいますとおり、英語文でジャッジメントという言葉が使われておりまして、これを通常は裁判という文言を当てる場合と判決という文言を当てる場合がございますけれども、いずれの場合におきましても特段の意味の差があるとはこの場合におきましては考えておりません。

 この極東国際軍事裁判所の裁判を例にとりますと、裁判の内容、すなわちジャッジメントは三部から構成されておりまして、この中に裁判所の設立及び審理、法──法律でございますけれども、侵略とか起訴状の訴因についての認定、それから判定、これはバーディクトという言葉を使っておりますけれども、及び刑の宣言、センテンスという言葉でございますけれども、こういうことが書かれておりまして、裁判という場合にはこのすべてを包含しております。

 平和条約第十一条の受諾というものが、単に刑の言い渡し、センテンスだけを受諾したものではない、そういう主張には根拠がなかろうと言わざるを得ないというのが従来政府から申し上げているところでございますことは、先生も御承知のとおりでございます。

[014]○板垣正君 それでは、私はこの歴史の流れをまさに顧みる意味において、この国会において我々の先輩議員がこの問題についてどういう姿勢をとられたか、どういう政治見識と信念を示されたか、このことについて記録に基づいて申し上げたいと思う。

 今申し上げたような千何百名も講和条約ができても拘束されていることに対しては、まず国民的な運動が起こり、四千万と言われる署名運動が寄せられ、釈放すべきだ、解放すべきだと。こういうものを受けまして国会で決議が行われております。

 講和条約が締結されたのは昭和二十七年ですね。二十七年の十二月九日、第十五回国会、まず衆議院において当時の田子一民議員外五十八名、当時の自由党、改進党、左右両派社会党、無所属倶楽部の共同提案による次のような戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議が圧倒的多数で可決された。独立後既に半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数がある、たえがたい、釈放すべきだというのが国会決議でありますが、この提案の趣旨説明に立った田子一民議員が、

  およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかつたとあります。

 さらに、これは御存じの方もおられると思いますが、改進党の山下春江議員もこの趣旨説明について本会議で、

 占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されまして、その真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不逞残虐の徒であり、正義人道の敵として憎むべきものであるかという、一方的の宣伝のみでございました。また外地におきまする戦犯裁判の模様などは、ほとんど内地には伝えられておりませんでした。国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。

  戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものであります。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。

 まさに独立を回復した本会議において、戦犯釈放という決議ではありますけれども、ここに込められた思いは、勝者の一方的な断罪に対するまさに国民の叫びであり、国政の場における叫びではありませんか。

 これは与党だけではない、当時の社会党議員による批判も行われている。決議採択に際し、日本社会党の古屋貞雄議員は、

 戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして敗戦国の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追及するということ──言いかえまするならば、戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、われわれはこれを忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であつた広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。

 こうした決議のもとに努力が続けられましたけれども、最終的にいわゆるB・C級戦犯の最後の方が釈放されたのは昭和三十三年に至るわけであります。

 しかし、今読み上げましたのが、まさに当時における我々の先輩議員が、まだまだ貧しいあの廃墟の中から立ち上がり、しかも新たなる平和国家再建を目指して立ち上がったときの烈々たる心情ではありませんか。我々は今これを受け継いで、いかに第三の開国をしていくか問われていると思う。

 改めて、先輩議員のこの思いに対する総理の御見解を承ります。

[015]○国務大臣(橋本龍太郎君) これは私が申し上げることが適切かどうかわかりませんけれども、議員が今触れられました中にパール判事のお話がございました。そして、パール判事は、御承知のように極東国際軍事裁判の判事としてこの裁判において被告全員の無罪を勧告された方であります。ただ、それは戦争中の日本の行為を免罪としたものではございませんでした。そしてその上で、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くこと及び事後法によって被告を裁くことの不条理さ、これを厳密な法理論のもとにその観点から指摘をされた、そう私たちは後に学びました。

 そして、東京裁判につきましては、パール博士の議論も含めまして法的にさまざまな問題について議論があることも事実です。同時に、私は、当時の日本人、我々の先輩世代の方々が、このパール判事のこうした姿勢によって、敗戦に打ちひしがれたその中で日本人が勇気づけられたことも事実であったと思います。そして、議員が今紹介をされましたような先輩議員の党派を超えたその声というものは、そうした当時の我々の先輩たちの胸の中に党派を超えて存在した思いを表現されたものだと思います。

 そして、みずからの責務に取り組まれたこの献身的な姿勢に対し、その真摯な姿勢というものが日本人の心に深く刻まれておりますし、日印両国国民の精神的紐帯のきずなとなっているということも御承知のとおりであります。政府はこうした博士の功績をたたえて勲一等瑞宝章を授与いたしてまいりました。

 今、サンフランシスコ講和条約から、あるいはこの条約によってその裁判を受諾したこと、それについてのコメントは政府として申し上げることは適当ではないと思いますけれども、このパール判事の行動に対する今も伝わっております日本人の中に残る思い、それがインドとの紐帯を築いているきずなとなっていること、そうしたものから国民の思いというものは御理解がいただけることであろう、私はそう思います。

[016]○板垣正君 今、パール博士のお話がありました。パール博士の顕彰碑が昨年十一月に京都の霊山護国神社の境内に民間有志の手で建立されたわけであります。これは大変意義の深いことでありまして、この除幕式には橋本総理もメッセージを寄せられ、祝辞を寄せられております。

  世界の平和と正義を守る精神を強調することに尽力され、日本人の心の中にいつまでも思い出を残されているラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑が竣工されましたことを、心から慶祝いたします。

 外務大臣は出席できませんでしたが、高村外務政務次官が出席をして、大変心のこもったごあいさつをしていただいております。

 最も劇的なものは、ナラヤナン・インド大統領からメッセージが寄せられておる。このメッセージには、

  ラダ・ビノード・パール博士は、極東国際軍事裁判において、インド代表として、極めて緊迫した国際的政治情勢の下で、困難な責任を背負われました。

  博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親善のために努力すべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。

 まさにパール博士は、今なおインドにおきましては、しかも昨年はインド独立五十周年、こういう意味も込めてパールさんの顕彰碑が建てられたわけでありますが、まさにインド国を挙げてこのパール博士の当時の日本とのつながりを今日に継続させておる。大変意義が大きい。今、総理も言われましたけれども、重ねてこのパールさんの東京裁判、これはパールさんが日本に同情してああいう判決を出したという一部の曲解がありますが、そうではない。十一人の判事の中で権威ある国際法学者はパールさんお一人ですよ。しかも、パールさんは四万語に及ぶ少数判決を書かれて、国際法、この基準からいって連合国はそうした裁判を行う資格なしと膨大な判決を出されたわけであります。

 そして、裁判後も何回か日本に来られて、侵略の元凶は欧米ではないか、それをあなた方は学校で子供たちに、日本は侵略した、悪いことをしたということを書いて教えておるのは耐えられない、こう言って日本人を激励してくれた。このことについて、もう一度総理の見解を承ります。

[017]○国務大臣(橋本龍太郎君) 私は、パール博士の御議論は、日本に戦争という行動に対しての免罪符を与えたものではない、その上で、勝者が敗者を裁くことの不条理性、そうしたものを指摘された、ポイントはそういうところにある、そのように思っております。

 そして、この極東軍事裁判というものについて、私は国民それぞれみずからの胸の中にはさまざまな思いをお持ちであろうと存じます。しかし、近代日本開国の後におきまして、当時の国際環境の中でそれがどう評価され、時代の変化とともにどう変わっていったかということとは別に、朝鮮半島における植民地支配を日本が実施したという事実、あるいは中国に対して侵略的な行動をとったという事実、その事実を私は否定はできないと思います。

 そして、当時の列強というものの行動がどうであったかということ、その中においての日本の行動ということについていろいろな議論をしようと思えばできる部分はあるかもしれません。しかし、その地域の人々からすれば、日本によって植民地支配を受けたという思い、あるいは侵略を受けたという思い、これは事実として否定し去ることのできるものではないように私は思います。

 その上で、議論はさまざまありましょうし、一人一人のかかわりの中でまた国民の思いというものもさまざまなものがあるでありましょう。私はそのように思います。

[018]○板垣正君 日本の過去の歴史をすべて私は善なり、間違っていないということは一言も言っておらない。一番いけないのは、日本は悪玉で連合国は善玉だ、中国は善玉で日本は悪玉だ、日本のやってきたことは全部侵略だ、悪いことをしてきた。これはまさに村山談話の名において総括されているではありませんか。日本は侵略を行い、植民地支配を行い、アジアを苦しめました、申しわけありません、日本の歴史をそういう言葉だけで集約されて、しかもこれが外交の柱になっているではありませんか。これが今なお東京裁判に距離を置いて、国民の意識の方がもっと進んでいますよ。

 そういう点において、歴史解釈の自主権を持ちたい、解釈権を持ちたいというのが一貫した戦後からの流れですよ、心ある人の、志ある人の。みずからが解釈権を取り戻してみずからの解釈権のもとに歴史の教科書をつくりたい、こういう国民運動が起こっているではありませんか。こうしたことについて文部大臣はどういう御見解でしょうか。

[019]○国務大臣(町村信孝君) 特に、戦後あるいは戦中に関する歴史認識については私は総理と同じ見解でございます。その上に立ちまして、歴史の教科書のあり方というものにつきましては、歴史にはもちろんさまざまな解釈があるでしょう、そのさまざまな解釈にのっとって今、日本の歴史の教科書というものができ上がっております。それは基本的に執筆者あるいは出版社の権利として、それはまさに出版の自由という形で保障されております。

 ただし、その中で教科書として何が適切であるかということに関しては、教科書として載せるにふさわしい内容、あるいはそれが客観的な、あるいは学問的な事実に基づいているかどうかということについて文部省は教科書の検定を行っているわけであります。ただ逆に、こういう事実を書きなさいとか、こういう見方でこの教科書を書きかえなさいということを私どもとしては言う立場にはないというのが、日本の教科書についての文部省の考え方であります。

[020]○板垣正君 この問題はなお論議が尽きませんけれども、京都に刻まれた碑の言葉、これはまさにパールさんの四万語に及ぶ判決文の一番最後に書かれた有名な言葉であります。

 時が熱狂と偏見を

 やわらげた暁には

 また理性が虚偽から

 その仮面を剥ぎとつた暁には

 その時こそ正義の女神は

 その秤を平衡に保ちながら

 過去の賞罰の多くに

 そのところを変えることを

 要求するであろう

 私は、まさにそのときが来ていると思う。それがやはり戦後五十年の脱皮をして日本が立ち直っていく道である、こう重ねて申し上げておきます。

 最後に、昭和の日をつくろうという国民運動が、あるいは議員連盟の結成が進んでおります。

 四月二十九日はみどりの日という、昭和天皇が亡くなって、あの日は残したい、残したいが名前はみどりの日。このことについて当時から国会においても昭和の日と呼ぶべきではないのかと。昭和の時代を思う、昭和天皇を思う、そういう立場でみどりの日を昭和の日に改めてもらいたい、こうした国民的な署名運動も活発に行われておりますし、国会でも党派を超えて議員連盟を進めていこう、こういう動きがございますが、これに対して総理は積極的に受けとめていただきたい。

 総理の御見解を承って、私の質問を終わります。

[021]○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、私は議員の御意見は御意見として真剣に拝聴いたしました。そして、昭和天皇をしのぶ、その気持ちにおいては私は議員にまさるとも劣らないものを持っていると思っております。そして、昭和という時代は将来ともに日本の歴史の中で考えていくべき非常に大事な時代であったとも思います。

 ただ、明治天皇の御誕生日、これも日本にとって忘れてはならない方でありますけれども、このお誕生日が御承知のように文化の日として定着をいたしております。そして、みどりの日を祝日とする法律、これが多数の政党の賛成によって成立をしたということ、こうしたことを考えますと、慎重な対応を必要とすることであると私は思いますが、それ以上に、私は実は、みどりの日という名称が決められましたとき、いかにも昭和様にふさわしい名前が選ばれたなという思いを本当に持ちました。自然を愛され、学者としてもその道の尊敬を集められる、そして、それこそ陛下が御出席をされる年間の行事の中で特に植樹祭というものを非常に大切にされ楽しみにして、そのたびに緑のふえていくことを喜んでおられた。そのようなことを思い起こしますと、みどりの日という命名は昭和様をしのぶ非常にいい名前だったという気持ちが私はするんです。

 ただ、これは国民の判断をされることでありますし、また先ほど申し上げましたように、多数の政党の賛成によって成立を決定づけたものでありますから、むしろ国会において昭和の日がよりふさわしいということになりましたなら、それに私はこだわるものではありません。ただ、私個人としては、いかにも昭和様のお人柄、御人徳というものをしのぶ上でふさわしい名前が選ばれたのではないかという感じを持っておりますことは申し添えたいと思います。

 

151 参議院 内閣委員会 11号 平成13年05月24日

[018]○森田次夫君 自由民主党の森田次夫でございます。

 大変お忙しいところを官房長官お見えでございますので、早速でございますけれども、ちょっとお尋ねをさせていただきたいと思います。

 というのは、ただいまいろいろと話題になっておりますところの総理の靖国神社参拝問題についてでございます。この点につきましてお尋ねをさせていただきたいと思います。

 小泉総理は、御承知のとおり、再三、私は靖国神社に参拝しますと、こういうようなことを明言されておるわけでございます。その勇断に私どもとしても大きな拍手を送っておるわけでございます。御承知のとおり、公式参拝というのは昭和六十年の中曽根総理以来でございまして、その後橋本総理が誕生日に参拝されたということはございますけれども、まさに久しぶりのことでございまして、小泉総理が、国のためにとうとい生命を犠牲にされた戦没者の上に今日の平和があるんだと、まさにそのとおりであるわけでございます。

 そうした戦没者に対しまして、国の代表である総理大臣が素朴な気持ちで、また率直な気持ちで敬意と感謝の意を表されていることは、いずれの国でも行われておることはこれまた御承知のとおりでございますし、独立国家といたしましては極めて当然のことであるというふうに思っております。

 また、戦没者遺族を初めとしまして多くの国民がそのことを強く願っており、そしてこれはまさに長い間の悲願、こう言ってもいいかと思うわけでございまして、こうした小泉総理の御発言が支持率の高い一つの要因にもなっておるんではないかなと、こんなふうにも思うわけでございます。

 しかしながら、一方では、靖国神社にA級戦犯が祭ってあるとか、また戦争を美化するとか、そしてさらにはかつての道に逆戻りするんじゃないかと、こんなようなことが言われておる。まさにばかばかしいことでございますけれども、そんなことも言われておるわけでございます。

 私もおやじを戦争で亡くしました一人でおるわけでございます。そうした中で、日本遺族会の副会長の方をさせていただいておりますけれども、遺族は全くそんなことは考えておりませんで、絶対戦争はしてはいけないんだ、二度と我々の遺族は出してはいけないんだ、これが遺族会の原点でございますので、そのことを申し上げさせていただきたいと思います。

 そこで最初に、恩給局長さんお見えでございますのでちょっとお伺いさせていただくわけでございますけれども、いわゆる東京裁判でA級戦犯として処刑された方が七名おられるわけですね。そして、拘禁中に獄死された方が七名、計十四名おられるわけでございますけれども、その亡くなられました遺族に対する処遇、これはどういうふうになっておるか、ちょっとお尋ねをいたします。

[019]○政府参考人(大坪正彦君) ただいま先生の方から、A級戦犯の方で処刑された方あるいは拘禁中に病気などで亡くなられた方、そういう方々の御遺族の方々への処遇はどうなっているかというお尋ねでございますが、こういう御遺族の方々につきましては、昭和二十八年に、当時の厚生省で所管いたしておりました援護法、これに基づきまして弔慰金と遺族年金、これが支給されることとなったわけでございますが、その翌年、昭和二十九年には恩給法を改正いたしまして、これらの御遺族の方々には、援護法に基づきます遺族年金にかわりまして、恩給法に基づく戦死された方への公務扶助料、これとほぼ同じような扶助料をお出しするというようなことで処遇について取り扱いが行われている状況でございます。

[020]○森田次夫君 ということは、恩給法の改正で、いわゆる一般戦没者の遺族と一緒に、同じように公務扶助料に相当する扶助料が支給されていると、こういうことでございますね。もちろん金額等も一緒だと、こういうことだろうと思います。

 そこで、それならば今度は、A級戦犯として拘禁されまして、その後釈放された方というのはたくさんおられるわけでございますけれども、こうした方の恩給というのはどうなっておるのか。いわゆる戦犯受刑者本人に対する恩給でございますね、これについてどうなっているのか。

 それからまた、何年か拘禁されておるわけでございますけれども、その拘禁期間中の恩給の取り扱い、この辺についてどうなっておるのかお尋ねをいたします。

[021]○政府参考人(大坪正彦君) A級戦犯の方でその後釈放された方の扱いということでございますが、恩給法におきましては、一定以上の刑に処せられた方につきましては恩給を受ける権利をなくすという失権条項があるわけでございますが、戦犯のような軍事裁判で刑を処せられた方につきましては、サンフランシスコ平和条約の発効後におきましては、一般のそういう刑事事件の方とは処遇の考え方は違うものだというような解釈方針が出されたわけでございますので、恩給につきましても、戦犯の方々の処遇、刑を処せられた方の扱いにつきましては一般の刑事犯とは別の扱いをしているわけでございまして、通常の失権条項には該当しないということで、一般の旧軍人の方々と同じ扱いになっている状況にございます。

 それから、戦犯として拘禁されておられた期間の取り扱いについての御質問でございますが、これは、軍人としての身分はなくなっているわけでございますけれども、その軍人としての職務に関連する期間と考えられますし、ある意味でそれの延長とも考えられるわけでございますので、旧軍人の在職年として、恩給法上の在職年として通算する扱いになっております

[022]○森田次夫君 ということは、受刑者本人に対しましても一般の軍人の恩給と何ら変わらない恩給が支給されておる、こういう御答弁だと思います。

 そこで、恩給法の第九条、これがどのようになっておるか、できましたらちょっと読み上げていただきたいと思います。

[023]○政府参考人(大坪正彦君) 恩給法の九条は、先ほど申し上げました刑に処せられた場合の失権条項でございます。

 御指示がありましたのでちょっと読み上げさせていただきますが、恩給法の九条でございます。「年金タル恩給ヲ受クルノ権利ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ其ノ権利消滅ス」、最初が「死亡シタルトキ」、二番目が「死刑又ハ無期若ハ三年ヲ超ユル懲役若ハ禁錮ノ刑ニ処セラレタルトキ」、三号は「国籍ヲ失ヒタルトキ」、これは恩給法の国籍条項というふうに言われるものでございますが、先生言われましたのは、この二号に該当するケースの場合でございます。

[024]○森田次夫君 したがって、犯罪者じゃないんだと、こういうことになろうかと思います。したがいまして、我が国におきましては、いわゆる戦犯と言われる方もその遺族も恩給法上は一般の軍人恩給受給者及び一般戦没者の遺族と何ら変わらない扱いがされておると、こういうことでございます。

 そして、A級戦犯として起訴され、そして拘禁され、そしてさらにその後釈放されたという方もたくさんおられるわけでございます。そうした中では、総理大臣になられた方、あるいは法務大臣になられた方、例えば岸信介先生、あるいは賀屋興宣先生は法務大臣になられた、こういうことであるわけでございます。

 また、いわゆる戦犯として処刑及び獄死された十四名の、靖国神社では祭神と言っておりますけれども、祭神名票が当時の引揚援護局、現在の厚生労働省になるのかと思いますけれども、から靖国神社に送付されたのが昭和四十一年でございます。そして、靖国神社が合祀、いわゆるお祭りでございますけれども、これをしたのが昭和五十三年十月十七日、そしてこのことが新聞で大きく報道されたのが翌年の春であるわけでございます。

 無論、合祀でございますから、これについては靖国神社の意思とそれから責任において行ったものであることは、これはそういうことでございますけれども、引揚援護局の祭神名票、いわゆる厚生省引揚援護局から送ってこられたその名票、これに依拠して靖国神社に合祀された、これもまた事実であるわけです。それでないと靖国神社というのはどういう基準かということがわからぬものですから、基準というものは国の公務で亡くなった、こういうことの戦没者に対して神社としては合祀をされておられる、こういうことでございます。ということは、今までのことから申し上げますと、私は戦犯というのは我が国には存在しないんじゃないのかな、こんなふうに思うわけでございます。

 そこで、官房長官にお伺いするわけでございますが、ちょっと歴史をたどりますと、昭和二十七年の四月に日本が主権を回復したと。しかしながら、サンフランシスコ平和条約第十一条がございまして、巣鴨であるとかフィリピンのモンテンルパ、マヌス島、オーストラリアでございますけれども、に千二百二十四名が戦犯として服役中であったわけでございます。

 そして、当時の資料等を見てみますと、戦犯の釈放の一大国民運動が起きているわけでございます。当時、四千万、恐らく当時の日本の人口というのは一億いなかったんじゃないかと思いますけれども、四千万の署名が集まったと。これは当時の共同通信の小沢という記者が書いておりますけれども、四千万集まった。そして、こうした国民の声にこたえて昭和二十七年十二月に衆議院と参議院の両院におきまして、それぞれ戦犯赦免に関する決議案が圧倒的多数で可決をされております。このとき反対されたのが、当時労農党というのがあったわけでございますが、労農党のみが反対で、そのほかすべて賛成、こういうことでもって決議をされております。

 そうしたことで、A級戦犯の方が先に釈放されるわけですが、昭和三十一年三月三十一日に戦犯は釈放されてございますし、BC級につきましては三十三年五月三十日、これでもって全部、千二百二十四名が釈放されておる。それが当時の戦犯に対する大多数の国民の率直な気持ちであったんではないか、そういうふうにも思うわけでございます。

 そうした世論の支持がございまして、ただいま恩給局長からも御説明がございましたとおり、戦犯、受刑者本人に対しても、またその遺族に対しましても国家補償が行われるようになった、こういうような経緯ではなかろうかなと、こういうふうにも思うわけです。

 だからといいまして、近隣諸国に配慮しなくていいというふうには私は当然考えておりません。やはり迷惑をかけたことは事実でございますので、そうしたことで理解を求めるための努力というものは当然これからもしていただかなければならぬということは思っております。

 また同時に、国のために犠牲となった方々に国の代表が敬意と感謝の誠をささげ、そして平和を誓うということはこれまた純然たる国内問題でもあるんではないかと、こんなふうにも思うわけでございます。

 小泉総理が再三言われておられますように、素直な気持ちでもって靖国神社に参拝できるよう、小泉内閣、そしてその大番頭とおっしゃっておられますけれども、官房長官初め内閣全体としてしっかりと小泉総理を支えていただきたい。いろいろとこれから、雑音というのは失礼ですけれども、何かいろいろと問題等も出てくるんではないのかなと、こういうことも懸念するものですから、そういったことでしっかりと支えていただきたいなと、このようにお願いするわけでございますけれども、福田長官の御見解等ございましたら、お伺いをさせていただきたいと思います。

[025]○国務大臣(福田康夫君) 森田委員、遺族会の副会長として大変御活躍をいただいておりまして、敬意を表する次第でございます。

 今、るる御説明ございました。お話を伺っておりまして、また私の知識を深めるということもできたわけでございます。

 その中で、小泉総理が先般来、たびたび委員会でもってまた本会議等で説明されていらっしゃるんであります。特に、靖国参拝ということにつきまして、これは大変日本の国論を分かつようなそういうふうなこともございますけれども、私、小泉総理がおっしゃっていらっしゃることは、私は本当に小泉総理の素直な気持ち、今ちょっとお触れになった素直な気持ち、自然な気持ち、それをあらわされたのではないかと思います。

 国会でもって言われていますのは、今日の日本の平和と繁栄というのは戦没者の方々のとうとい犠牲の上に成り立っている、その戦没者に対する心からの敬意と感謝の気持ちを込めて参拝したいと、こういうふうに言っておるわけでございます。また、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちからも、この靖国神社に参拝するということをそのような意義を持って行っているんだというようなことで説明をされていらっしゃる。私も、実は全く同じ気持ちでございます。

 私は、もう小学校の低学年のころから、小学校に通うのに市電を使っておりまして、都電でございますね、その電車がちょうど靖国神社の前を通りますので、そこでは神社に対して頭を下げる、これは毎日朝夕やるわけでございますから、本当に自然な行いとしてやってきた。ですから、今でもその気持ちは変わっていない。やっぱり日本のために戦ってくださった、また命を失われた方々に対して、それは尊崇の気持ちを込めて頭を下げるのは本当に自然な人間の気持ちだろうというように思っておりまして、そういう意味では、国会議員になりましてからも時々お参りをさせていただいておると、こういうことを続けております。

 そんなふうなことでございますので、これからも私はその気持ちを失わないようにしたいというように思い、なおかつ、また多くの方々がその気持ちになって、そしてそのことを忘れないように、特に若い方々がその気持ちを忘れないでいただきたいなというようにも思っております。

 近隣諸国との関係も御指摘されましたけれども、大変難しい問題でございます。トータルでもって両国民が本当に理解し合えるようなそういう関係にならなければいけないと思います。そのことがこの問題を解くかぎになるだろうと思いますので、私も及ばずながらそのために努力をしてまいりたいと、このように思っておるところでございます。

 

162 参議院 外交防衛委員会 13号 平成17年06月02日

[013]○山谷えり子君 自由民主党、山谷えり子でございます。

 ブッシュ大統領は、ヤルタ会談を歴史上最大の誤りと新たな歴史認識を示されました。歴史は、どの時代にさかのぼるか、どの角度から見るかで変わってきます。

 大平首相は、いわゆるA級戦犯が合祀された後、靖国神社を参拝され、昭和五十四年国会答弁で、A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうと言われております。

 戦後六十年たってもまだやけどするほどに熱く難しい問題ではありますが、中国の反日デモ、そして歴史認識を日本の国連安保理常任理事国入り問題にまで絡められている現在、真の日中友好のために、国際社会の中で日本が正しく理解されるために、反省の心を大切に、ここで一度、日本の立場の説明が大切であると考えます。

 国立国会図書館調査室が先ごろ十数か国の論調を分析していますが、誤解が非常に多いと感じました。小泉総理は、靖国参拝のたびに過去を反省し、平和への決意を新たにしておられます。しかし、五月六日付けニューヨーク・タイムズは、靖国神社は日本の戦争犯罪人のトップが祭られ、日本のアジア征服が祝われていると、とんでもないことが書かれ、ウォール・ストリート・ジャーナルの論説委員は、私個人は戦没者慰霊の場と知っているが、多くのアメリカ人は靖国神社が戦犯のシンボルと思っていると語っています。世界に誤解が広がっております。

 日本国内も世論が分裂しています。これは事実を押さえ切れていないという面も大きいというふうに考えます。信仰の在り方、靖国神社に祭られたみたまを分祀できるのか、御遺骨があって分骨できるように思っておられる方もおられます。また、二百四十六万六千余柱の御祭神はどのように祭られているのか説明できない日本人も多いのではないでしょうか。

 そこで、参考人として、学者、神職、海外のジャーナリストなどをこの委員会にお呼びして、一度事実確認をし、神道とは何か、分祀とは何かなどを整理してはいかがかと思いますが、いかがでございましょうか。

[015]○山谷えり子君 日本人が理解を深めていかないと中国が誤解するのも無理もありません。真の日中友好のために誤解を正すために国内の思いをまとめていく作業が大事ではないかと思いますが、外務大臣、この辺りの御所見をお伺いしたいと思います。

[017]○国務大臣(町村信孝君) ちょっと何を今お問い合わせになられたのか、ちょっと必ずしもはっきりいたしませんので、ちょっとお答えに窮するのでございます。申し訳ありません。

[018]○国務大臣(町村信孝君) 何に関する事実認識がばらばらなのか、ちょっと今のお尋ねでもよく分からないのでありますが。

 戦争中のこと、終戦のときのこと、戦後のもろもろのいろいろなことについて、確かにいろいろな見方、解釈というものがあるのは事実かなとは思います。

[019]○山谷えり子君 ありがとうございました。

 五月七日の日中外相会談で、町村大臣は、北京抗日記念館や南京虐殺記念館に事実でない写真が展示してある問題で意見交換をしてくださいました。外相会談の場でこうしたやり取りは初めてと思います。多くの国民が真の日中友好のために事実でないものの取り外しを願っている中、ありがとうございました。今後とも更に進展していくことを期待します。

 先日、九十二歳になられる昭和十二年南京で従軍されておられた方から当時の様子をお聞きする機会がありました。南京入城後、十二月二十四日ごろまでその方はいらしたのですが、町は平穏で、印鑑を作ってもらったと、今でもその印鑑を大切にしておられます。

 日本では南京事件については果てしない論争が繰り広げられております。犠牲者二十万人と言う方もいれば、限りなくゼロと言う学者もおられます

 中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感するという日本側の声明と、おわびの気持ちを日本国民は深く持っております。そしてまた、昭和十二年、十三年に南京におられた方々が真実を求める行動を続けておられるということも事実でございます。

 混乱にはいろいろな資料の提出等々の問題もあるかと思いますが、外務省は、事件発生当時の一次資料、それから時間的に遅れるが事件発生現場で作られた関係者の記録、二次資料はどのように、どう保存していらっしゃいますか。

[020]○政府参考人(西宮伸一君) 御指摘の在上海総領事館、広田外務大臣当時のことでございますが、まず、発出した電報につきましては、外交史料館に保存されております簿冊、支那事変関係、これ、原語が支那事変と書いてありますのでそのように申し上げますが、支那事変関係百六十三冊ございまして、すべて公開済みでございます。この中にいろんなものが含まれている可能性がございます。

 このうち、外交史料館にて昭和十二年十二月十三日から翌昭和十三年二月末までの資料につきまして調査をいたしましたところ、南京駐在のドイツ及びアメリカ等の第三国の大使館の被害の状況、それからこうした被害に対する対処方針、それから第三国船舶の揚子江航行の許可に関するものなど、計十二件が今の申し上げた十二年十二月十三日から十三年二月末までの資料に含まれておりました。それから、南京入城当時、すなわち昭和十二年の十二月十三日に作成されたいわゆる南京事件に関する資料及び翌日以降に現地において作成された関連資料につきまして、同じく支那事変関係、先ほど申し上げました百六十三冊につき調査いたしましたけれども、これに該当する資料は確認されておらないわけでございます。

 なお、外務省と上海総領事館との間のやり取りの電報は、保存されている限りにおいてはすべて外交史料館で公開されておりますが、戦時中の資料でございまして、消失したものもかなりあるのではないのかというふうに推測しております。

[021]○山谷えり子君 先月五月、先日の五月十八日、百人斬り裁判の最終口頭弁論が行われました。裁判の争点は百人斬りがあったか否かということでございます。平成十六年七月十二日には、百人斬りをしたとされる二人の少尉と話をした佐藤振壽カメラマンが証人として出廷されました。両少尉の写真を撮り、自分の撮った写真が百人斬りの証拠写真とされて南京大虐殺館などに展示されているのは耐えられない、九十一歳、車いすに乗って百人斬りはうそと証言をされました。

 防衛庁、南京入城のときの松井大将は参謀本部との間でどのような連絡を取っていたのか、そのような、それ周辺の資料というのはどのように保存されてますか。

[022]○政府参考人(飯原一樹君) 防衛庁、包括的に旧軍の資料を承継したということではございませんが、様々な経緯で旧軍の資料を所有しているという事実はございますが、御指摘の松井大将と参謀本部との間でいかなる連絡を取ったかということを示す、直接に示す資料は所蔵しておりません。

[023]○山谷えり子君 海外では何だかホロコーストのようなことがあったというような書き方もされているわけですが、そういったような組織的な何かというのが資料として見付かりましたでしょうか、意図が。

[024]○政府参考人(飯原一樹君) 私ども、先ほど申し上げたところでございますが、旧軍の行為について包括的に判断をするという立場にないわけでございますが、まあこの辺りの資料を検索いたしますと、例えば、昭和十二年十一月三十日付けの南京攻略に関する意見送付の件、丁集団参謀長発次官あてとか、中支派遣軍司令部南京移駐の件、伊集団参謀長発次官あての電報とかいったようなものもございますが、もし御要請があれば個別にお示しすることは可能でございます。

[025]○山谷えり子君 一九五一年五月三日、マッカーサーは、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会で、日本が戦争に駆り立てられた動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったと証言しております。外務大臣は、このマッカーサーの発言をどのようにお受け止めでございましょうか。

[026]○政府参考人(河相周夫君) 今御指摘のございました件でございますが、昭和二十六年、一九五一年五月三日、米国の上院外交軍事合同委員会で公聴会がございまして、そこでマッカーサー元帥は、日本が戦争を開始した目的は安全保障によりおおむね説明されるという旨の発言を行ったというふうに承知をしております。

 マッカーサー元帥は、御存じのとおり、連合国最高司令官であったわけでございますので、同元帥からこのような発言をされたということはそれなりに注目に値するというふうには考えておるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、米国議会の公聴会での発言でもございまして、我が国として具体的にこれをコメントする立場にはないというふうに考えております。

[027]○山谷えり子君 東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判は、不当な事実認定もこれあり、十分な弁護権も陳述権も保障されず、罪刑法定主義を無視した、近代国家の裁判とは言えないものではなかったかと多くの国民が考えているのも事実でございます。一九九八年成立した国際刑事裁判所設立条約では、平和に対する罪と同様の犯罪を条約にまとめることができませんでした。しかし、それはそれとして、日本はこの裁判で九百九十名の方が命をささげられました。

 我が国は、昭和二十六年、東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判を受け入れ、サンフランシスコ講和条約を締結、平和条約十一条において日本国が戦争裁判を受諾し、その意味で再審はできません。しかし、また今、様々な経緯と情報公開によって、何とか主体的再審を行えないか、歴史解釈権を取り戻して平和外交をしたいという国民の声もまたあるわけでございます。

 日本は東京裁判の判決を受け入れましたが、英文の「ジャパン アクセプツ ザ ジャッジメンツ」の、法律用語ではこれは判決の意味で、フランス語、スペイン語においても、この単語の意味、言語学的には裁判ではなく判決と読めるそうでございます。

 日本は裁判の判決を受け入れていますが、日本側共同謀議説などの判決理由、東京裁判史観を正当なものとして受け入れたのか、また、罪刑法定主義を無視し、今日でも概念が国際的に決まらない平和に対する罪で裁かれたことを受け入れたのか、国民の間に混乱があると思いますが、分かりやすく御説明ください。

[028]○政府参考人(林景一君) お答えいたします。

 先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。

 このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。

 ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。

 したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。

[029]○山谷えり子君 主権回復後、当時の法務総裁は、軍事裁判による刑と国内法のそれとは違う旨の通達を各省庁に出しました。町では、平和条約発効直後より戦犯者釈放の国民運動が全国規模で展開、毎日新聞記事には二千万人署名とあり、最終的には四千万人の署名が集まったと共同通信社特信局編成部長が後に書かれております。

 こうして、国会で釈放の決議、赦免決議、恩給法の改正など次々と可決して、名誉回復、援護法、恩給法の対象にしています。参議院の戦犯在所者の釈放等に関する決議可決の際には、戦争の責任は全国民がひとしく負うべきものでありましょう、歴史上比類なき戦争犯罪者として勝者が敗者を裁くという不合理性という発言に拍手が起きています。国民みんなが苦しみから立ち直ろうという雰囲気がひしひしと伝わってくる議事録でございます。

 ところで、日本無罪論を主張したインドのパール判事の論文は有名ですが、今年、インドで小泉首相はこのことに言及され、感謝の言葉を述べられました。東京裁判でのパール判事の真摯な姿勢は今日も多くの日本人の心に刻まれております。

 外務大臣、この小泉総理のやり取り、またパール判事のお話を世界に向けて話し続けること、あるいはまた、インドでパール判事のなさったことについて日本とインドの学者、そして国際法学者を交えてシンポジウムを開いたらどうかというふうに考えますが、いかがでございましょうか。

[030]○国務大臣(町村信孝君) パール判事の、全員無罪を主張する反対意見書を出されたということ、これは大変日本にとって大きな希望とか勇気を与えるというようなものであったという意味で、日本人に大変、インドに対する気持ちというものが大変ここで熱いものになったという認識は今日までも続いているんだろうと、私もそう思っております。そういう意味で、この四月に小泉首相がインドを訪問されましてこのパール判事のことなどを言及をされたというのは、日本とインドの言わば友好関係のきずなというものを再確認するという意味で大変印象深いことであったと、こう思っております。

 パール判事のそうした発言、行動についていろんな方々がいろいろな形で意見を述べる、あるいはシンポジウムを開く、それは政府が主催をするという話ではなかろうかと思いますが、民間の方々がそういうことをなさることは、それはそれで意味のあることだろうと、こう思っております。

 

162 衆議院 厚生労働委員会 26号 平成17年06月08日

[197]○森岡大臣政務官 お答えをさせていただきたいと思います。

 私も、毎日のように、宿舎が一緒で、バスの中でも一緒になる中根先生からこういう御質問を受けるということを、本当に御縁だなというふうに思わせていただいているところでございます。

 きょうは、厚生労働委員会という公の場であり、そして私も厚生労働大臣政務官という立場でこうして答弁席に立たせていただいているわけでございまして、私が先日、自由民主党の代議士会の中で申し上げた、党内のだれもが自由に、自由民主党所属の国会議員がしゃべれる場でございます。そこで私が申し上げたものであるということをまず御確認をしておいていただきたいというふうに思いますし、本来ならば、私はここで、こんな公式の場で政務官としてお答えするのはいかがかなというふうにも思いながら、しかし、中根先生が率直に、誠実なお答えを、こうおっしゃっているものですから、私も率直にお話をさせていただきたいなという思いも持っているわけでございます。

 のっけから私ごとを申し上げて恐縮ですが、中根先生がまだ十八のころだったと思います。昭和五十五年に私は法務大臣の秘書官をやっておりました。そのときに、時の法務大臣が社会党の代議士さんから、自主憲法について、あなたはどう思うか、個人的意見でもいいからということで問われました。そして、その答えが、たとえ同じものであってもつくりかえることができるならば望ましいことだ、こう法務大臣は答えたわけでございました。

 ところが、朝その会議で答えて、午後になったら法務大臣罷免という声が社会党の方から上がってきまして、大変な混乱になったことを覚えているわけでございます。四半世紀前のことでございます。

 今、憲法改正の問題、また憲法論議、これを国会の中でしゃべって悪いと思っている人いるでしょうか。総理大臣みずから、憲法は遵守するけれども、しかし憲法改正についての議論は大いに結構じゃないか、こうおっしゃっていますし、与野党を問わず、また国民の間でも三分の二の人たちが憲法改正やるべきだという思いになっておられる時代でございます。

 そういうふうに、私はいろんな問題、特に国家の基本にかかわるような問題、大事な問題、時代とともに変わってくるものだと思います。ところが、私は残念に思うのは、国会の体質そのものが余り変わっていないなというふうに思うわけでございます。

 中根先生のように、春秋に富んだ政治家でいらっしゃるわけでございますから、こういう面から大いに議論すること、結構じゃないか、閣内不一致だとかいうようなことにとらわれずに、もっともっと、閣内でも、そして与野党内でも、国会では大いに議論すればいいじゃないか。そして、閣内不一致というならば、いろんな議論がなされた上で内閣総理大臣が、おれはこの方針でいくんだ、私はこうやっていきたいと思うと、その方針に従って、大臣や副大臣、政務官がそれに従っていく、総理の方針が出たら、それに従っていくということが私は正しい行き方だと思いますし、一から十まで何でも、総理大臣が考えておられることに違うようなことを言ったら、それは閣内不一致だということでわっと騒ぎ立てるようなマスコミの一部でありますとか、野党の皆さん方の中にもそういう人たちがいらっしゃいますけれども、私は、それはいかがなものか。やはり、政治改革ということを考えると、自由に国会の中では議論できるような場にしてもらいたいものだなというふうに思っていることをまず申し上げておきたいと思います。

 そして、今お尋ねのことでございますが、資料としても私のホームページを配っていただいておるようでございますので、そのとおりでございまして、五月二十六日の私の自由民主党の代議士会で発言した内容でございますが、私は、小泉総理に靖国神社にぜひお参りしてもらいたい、世界平和を願い、そして日本は決して戦争をしたいと思っているんじゃないんだという誓いを、不戦の誓いを立てたいと思って総理大臣が靖国神社にお参りしたいと思っておられるものを支援していくのが当たり前じゃないか、それなのに、どうもこのごろ我が党内でもそういう動きになっていないじゃないかという思いでお話をさせていただいたわけでございます。

 小泉総理の靖国神社参拝をめぐって中国がA級戦犯合祀を問題にしております、これに対する与党幹部の態度はいかがなものか、中国の気にさわっているから、何とかして靖国神社とA級戦犯を切り離したいという対応しかしていないように見えますと。

 そもそも、A級戦犯といいますけれども、日本が占領下にあったとき、勝者である連合国軍が国際法違反の軍事裁判で敗戦国日本を裁いたものですよ、戦争というものは、してはならないものだけれども、どうしても話し合いで決着しないときは、国際法で認められた一つの政治形態であります、日本は、経済封鎖されて、やむなく戦争せざるを得ない状態に追い詰められて、国際法のルールにのっとって戦争をしたんじゃありませんか、勝った方が正義で、負けた方が悪ということではありませんよと。

 独立回復後は、国会でも全会一致で、それこそ共産党から社会党の人たちまで全部賛成をして名誉回復を図って、そしてA級戦犯と言われた人たちの遺族にも恩給が支給されるようになりました、A級戦犯の中には、絞首刑になった人も禁錮刑になった人もいましたけれども、皆、罪を償いました、後に、重光葵さんなどのように大臣になった人も、賀屋興宣さんもそうでしたね、大臣になった人もいらっしゃいましたし、岸信介さんのように総理大臣になった人もいらっしゃいました、A級戦犯は、もはや罪人じゃありませんと。

 日本は、中国にも韓国にも何度も何度も謝ってきました、戦後六十年間、平和主義を貫いて、一度も戦争しないでやってきましたし、経済援助もしてきました、中国や韓国にこびて、A級戦犯の分祀や新たな追悼施設建設を目指すのではなく、東京裁判は国際法上違法であったということを全世界に向かって主張すべきでありますということを私は申し上げたことを正直に御報告させていただきたいと思います。これは事実でございますので、御報告しておきます。

[198]○中根委員 正々堂々とありのままを御開陳いただきまして、ありがとうございます。

 私どもの民主党の国対が森岡厚生労働政務官の発言についてまとめたものを読み上げさせていただきますと、森岡正宏厚生労働政務官が二十六日の自民党代議士会で靖国問題に関して行った発言要旨は次のとおりである。

  小泉純一郎首相が毎年靖国神社にお参りしているのはいいことだ。靖国問題で、中国に気遣いをして、A級戦犯がいかにも悪い存在だという処理をされている。これは残念だ。

  A、B、C級戦犯は、いずれも極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で決められた。平和、人道に対する罪だとか、勝手に占領軍がこしらえてつくった本当に一方的な裁判だ。

  戦争は一つの政治形態だ。(日本は)国際法で定められたルールに乗っかって戦争をした。勝った方が正義で、負けた方が悪だということはない。お互い兵隊同士が殺し合いをする。これはルールにのっとってやっている。それでもって謝罪しなければならないということはない。

  A級戦犯の遺族には年金をもらっていただいている。日本国内ではもう、その人たちは罪人ではない。自民党外交が、靖国神社にA級戦犯が祭られていることが悪いかのごとく言ってしまう片付け方は、後世に大変禍根を残す。

ということが要約でございますが、大体これでいいということで、うなずいておられますけれども。

 今、森岡政務官がおっしゃっていただいたこと、この発言の要旨の中に、例えば、きょうはたまたま傍聴席に学生諸君もいらっしゃいますけれども、戦争は、お互いに兵隊同士が殺し合いをする、これはルールにのっとってやっていると。これは、戦争を肯定することは、やはりどこまでいってもできない。戦争を美化したり、あるいは肯定したりすることは、やはり許されないということで貫いていかなければ、平和というものはなかなか守りにくい、そういうふうに考えるべきじゃないでしょうか。いかがでしょうか。

[199]○森岡大臣政務官 お答えをさせていただきたいと思います。

 私は、戦争を美化するとか、また好戦的な考え方を持っているとか、全く違うわけでございまして、平和を希求するということは何よりも大事だ、世界平和を希求することが私たち政治家に課せられた仕事だと思っております。

 しかしながら、近代におきましては、たしか一九〇七年だったと思いますが、ハーグ陸戦法規とか、ジュネーブ条約に見られますように、どうしても、国と国との間で利害が衝突いたしまして、平和的手段では紛争を解決できないという場合には、戦争という手段に訴えざるを得ない、しかし、その戦争をする場合には、こういうルールでもってやりなさいよという法律が定められているわけでございまして、それには、例えば一般住民とか非戦闘員を攻撃したり殺傷してはならない、また軍事目標とされるもの以外の民間の建物などを壊してはいけない、不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならないとか、捕虜を虐待してはならないとか、そういう定めがあるわけでございます。

 私は、決して戦争を奨励しているわけではありません。だけれども、どうしても戦争をしなければならない場合、例えば湾岸戦争であるとかイラク戦争であるとかいろいろ起こっておりますけれども、これは、話し合いでどうしても解決しなかった場合に戦争になっているわけじゃございませんでしょうか。私は、何も戦争がいいことだとか、また侵略戦争を美化しているとか、すぐにそういうことをおっしゃる人がいらっしゃるんですが、全く違いますということを申し上げたいと思うわけでございます。

[200]○中根委員 太平洋戦争、第二次世界大戦、あるいは中国における戦争、ルールにのっとって行われたとお考えでしょうか。イラクの戦争、大変な虐殺や、あるいは強姦、略奪、ルールにのっとって行われる戦争なんてあり得るんでしょうか、この世の中に。私は、森岡政務官が内心、心情をどんなふうに思っておられようと、それは自由だと思っております。しかしながら、表に出す、外に出す言葉や言動については、やはり政府の一員である政務官としての抑制的な部分が、自重された部分がなければいけないというふうに思っています。

 代議士会は自由に発言できる場所だとおっしゃいました。したがって、本心が出たということでありましょうけれども、やむを得ない戦争というものというのが本当にあるのかどうか、やむなく戦争を行ったというふうにおっしゃられましたけれども、やむを得ない、本当にぎりぎりの努力をしたかどうか、それをだれが判断することができるか。それを森岡政務官が判断することができる立場にあるのかどうか。

 そして、東京裁判というものは違法なものであるというふうに森岡政務官はおっしゃいますけれども、政府としては、これは受け入れて、そしてサンフランシスコ条約に調印して、国連に加盟して、日本は国際社会に復帰を果たした、それが政府の公式な統一された見解ではないでしょうか。

 A級戦犯も、森岡政務官は、罪人であると、訴えたいというふうにおっしゃいますけれども、六月二日の我が党の岡田代表の小泉総理に対する質問の中で、総理は、A級戦犯は罪人であるというふうにはっきりとおっしゃったわけでございます。

 あるいは、何度も謝っているというふうにおっしゃいますけれども、これは、例えば罪を憎んで人を憎まず、そういう言葉を履き違えておられるのと同じように、加害者の側が、何度も何度も謝ったからそれでいいじゃないかという筋合いのものでもないと思いますし、ましてや、経済援助を行っているから免罪符になるというものでもないというふうに申し上げなければならないと思います。

 五月二十六日の森岡政務官の発言は、今までの確認からいたしましても、決して、言葉のあやとか、あるいは失言とか言葉足らずとか誤解とか、そういうものではなくて、まさに御自身のホームページ上でも御開陳されておられます、あるいはきょうこの場でもはっきりとお述べになられましたように、まさに確信犯的な御発言であるというふうに言わざるを得ないと思っております。

 森岡政務官自身のコメントに従って、配付をいたしました資料に従って確認を進めていきたいと思います。

 森岡政務官、ホームページ上でもはっきりとおっしゃっておられるわけでございますので、これはまさに政治家としての信条でこういったホームページの掲載等も行っておられると思います。

 まず、この「「A級戦犯」をめぐる私の発言の真意と波紋」と題された文章で確認をしていきたいというふうに思いますけれども、「戦争はどうしても話し合いで決着しないとき、国際法で認められた一つの政治形態」、これは今も御発言をされました。「日本は経済封鎖され、やむなく戦争せざるを得ない状態に追い詰められ国際法のルールにのっとって戦争をしました。」というところなんですけれども、やはり気になります。

 この文章の中においては、やはり国内外で戦争の犠牲になった人々や、そういう人たちに対する思い、あるいは靖国神社に祭られていない民間人の犠牲者への思い、そして、戦争は決して起こしてはならない、平和を守る厳しい姿勢というものが、この文章からはなかなか感じ取りにくいと思うのは私だけではないというふうに思います。

 政府の一員として、絶対に平和を守り抜く、戦争は起こさない、かつての戦争に対する厳しい反省の気持ち、そういったものが欠如していると指摘されても仕方がないと思いますけれども、今衛藤副大臣は答える必要はないというふうにおっしゃっておられますが、答える必要がないなら答えなくても結構です。いかがでしょうか。政治家としての信念で今まで発言をしてこられた森岡政務官ですから、今やはり正々堂々とお答えになることがあるのではないでしょうか。いかがでしょうか。

[202]○衛藤副大臣 今、ちょうど私のお話が出ましたから。

 どうぞ、当初からございましたように、今の初めには、個人的なところでということを森岡政務官も言われたわけでございまして、そういう中で個人の見解をということでしたけれども、政務官としてということであれば、これ以上答える必要はないと思いますので、そう思います。

 それから、解釈をめぐっていろいろあるでしょうから、私もそれなりのことはいろいろありますけれども、ここでは恐らく言うべきことではないでしょうから。それを、今までの答弁資料から何から、かつての国会での資料から何から、どういう形で。

 ただ、あえて言っておきますけれども、一つだけ、我が国の憲法においては、いわゆる国際紛争解決の手段としての戦争を放棄しているということは間違いのない事実でございます。それは憲法によってみんなが守ろうとしていることでもございます。ですから、そういう精神はみんな持っておるものというぐあいに確信をいたしております。もうそれだけ申し上げておきます。

 あとは、副大臣としてあるいは政務官として云々ということで答弁すべきことではないと思いますので、もし必要があれば、どうぞ別のところで御議論をよろしくお願いします。

 以上です。(中根委員「それは全然副大臣には求めておりませんので」と呼ぶ)

[203]○森岡大臣政務官 中根先生、いろいろなことを先ほど来おっしゃいました。私に確信犯であるとかいろいろなことをおっしゃいましたけれども、何度も申し上げておりますように、自由民主党というのは自由に物が言えるところなんです。そして、自由民主党の党内の会議だったんです。そこへたまたまマスコミが入ってきたから報道したまでの話でございます。

 そして、私のホームページも、これは私個人のホームページでございます。厚生労働省のホームページに私のこういう見解を載っけたら問題だと思いますけれども、私個人の、政治家としての個人のホームページでございます。これについて一々、間違っているじゃないか、ああじゃないか、こういうふうにおっしゃられるのは、ちょっと私は域を出ているんじゃないかなというふうに思いますし、今衛藤副大臣が御心配くださいましたように、当委員会は法案を審議しているわけでございまして、こういう外交とか、また戦争の総括とか、こういう問題につきましては、この場はちょっとふさわしくないんじゃないかな。

 余りにもいろいろなことをおっしゃいましたけれども、私は、先ほど申し上げましたように、先日しゃべりましたこと、事実を率直に御報告申し上げたわけでございますから、これぐらいでおいていただいたらいかがでございましょうか。

[204]○中根委員 だんだんと、ちょっと気合いが入ってまいりました。

 これは、今の衛藤副大臣や森岡政務官のそういう姿勢では、まともな政府がまともに法律を提案してきていると思えない。

 今森岡政務官、党内の発言だとおっしゃる。あるいは個人のホームページ上のことだとおっしゃる。しかし、森岡政務官は、それは個人のホームページであろうと、これはだれが見てもいい、どんな方に見られてもいい、だれに判断されてもいい、そういう正々堂々とした思いでホームページを開設しておられるのだというふうに思います。我々だってそういう思いで、だれがどういうふうに読むかということは、全くホームページ、インターネット上のことなんてわからない。

 だから、責任を持てることしか書けないわけでありますので、ホームページというのは、やはりある程度公的なものであるというか、責任が伴うものであるというふうに思うのが当然のことではないでしょうか。党内の発言だとおっしゃいますけれども、党内であろうと、やはり政務官というお立場であるということは変わりのない事実であるわけでございますので、そのあたりのところはなかなか切り離して考えにくい。政務官である森岡正宏衆議院議員というふうに当然国民は思われるのではないでしょうか。

 このコメントの中で、東京裁判について触れられている部分があります。先ほども申し上げましたように、六月二日の衆議院予算委員会で、小泉総理は民主党の岡田代表の質問に答弁して、極東国際軍事裁判、東京裁判で有罪とされたA級戦犯について戦争犯罪人であるという認識をしていると述べたということについて、森岡政務官はこのコメントの中で、「「東京裁判は国際法上違法であった」と世界に向って主張すべきです」と強いお訴えをされておるわけでございます。小泉総理が何と言おうと、A級戦犯は罪人ではない、東京裁判は受け入れることはできないということを森岡政務官はおっしゃっておられるわけでございます。

 日本は、今申し上げましたように、東京裁判を受け入れて、サンフランシスコ講和条約に調印して、国連に加盟し、国際社会に復帰した、これは覆すことができない事実であるというふうに言わざるを得ないと思います。明らかに政府としての小泉総理の見解と、森岡政務官の見解は異なるのではないでしょうか。これは閣内不一致という言葉で表現してもよろしいですね。

[205]○森岡大臣政務官 私は、先ほど来お話が出ているように、政務官として答える必要はないわけでございますけれども、しかし、閣内不一致だという指摘を受けると私は困るわけでございまして、先日、予算委員会で、私は小泉内閣の中で政務官として総理の方針に従ってまいりますということを何度も何度も申し上げているわけでございます。

 そして、総理がA級戦犯についてお答えになった、極東国際軍事裁判所において平和に対する罪等を犯したとして有罪判決を受けたことは事実であるとおっしゃった。それはそのとおりだと思いますよ。私もそれは率直に認めるわけでございます。それは事実ですから、事実は事実として認めているわけでございます。何も閣内不一致じゃないわけでございまして、もうこの議論、これぐらいにしていただけませんでしょうか。

[206]○中根委員 認めているとか、あるいは不一致ではないというふうにおっしゃったり、小泉総理に従っていくとおっしゃいながら、事実、ホームページにこういうように、東京裁判は国際法上違法であった、A級戦犯の分祀、新たな追悼施設の建設を目指すのではなくて、東京裁判は国際法上違法であったと世界に向かって主張すべきですというふうにおっしゃっているということの間に矛盾があるのではないかと申し上げているわけでございます。

 国会議員が一人一人それぞれ思想信条を持つことは、先ほども申し上げましたように、それは自然なことであろうと思いますけれども、繰り返し申し上げますが、森岡政務官は政府の一員としての厚生労働大臣政務官というお立場であるということは国民だれもが認めているところであるわけでございます。政府の一員としての自覚というものをやはりしっかりと御認識をいただいて、言いたいことはたくさんあるんでしょうけれども、少なくとも政務官というお立場であるうちは自重しなければならないということもある。

 一方でそれに従っているとおっしゃいながら、一方で、やはり個人のホームページということであろうと思いますけれども、まさに個人のホームページだからこそ、その本心、本音、本当のところが出てきているわけでありまして、ホームページ上でのそういう発言をなさっておられるわけでございまして、ここに一定の抑制的な部分がなかなか見出しにくい。政務官としてのお立場をわきまえていないのではないかというふうに思われても仕方がないかなというふうに言わざるを得ません。

 政府の見解と異なることが言いたければ、やはりこれは政務官をやめて思い切り自由な発言をなさればいいということにだれもが思うのではないでしょうか。一体、これからもA級戦犯は罪人ではないというふうにおっしゃること、東京裁判は受け入れることができないということをおっしゃるということと、政務官を続けていくということ、どちらを御選択なさるんでしょうか。

[207]○森岡大臣政務官 先ほど私申し上げましたように、私は小泉政権の中で厚生労働大臣政務官ということで、尾辻大臣の御指導のもとに、一生懸命厚生労働行政とつき合っているわけでございまして、一生懸命こういう面で勉強もさせていただいているところでございます。今御質問のようなことを余り深くこの厚生労働委員会でこれ以上やられることはいかがかなと。私も政務官としてここに立たせていただいているわけでございますから、中根先生、あなたも春秋に富んだ本当に将来ある政治家ですから、やはりこの国会のあり方ということについても思いをはせながら、ただ国対から言われているからということだけで御質問なされるようなことはもうおやめになったらどうかなというふうに思いますので、どうぞひとつよろしくお願いいたします。

[210]○中根委員 まだ終わりません。続けます。森岡政務官のコメントに従って続けてまいります。

 このホームページにある下の方、1の一の下の方、「わが党の武部幹事長らの訪中こそ、なぜ、いま必要だったのか。行くべきではなかったと思います。私は当時の軍国主義を正当化しようとしているのではありません。A級戦犯の何たるかを論じないで、ただ、おわび行脚を続けているいまの与党幹部の姿勢は将来に禍根を残します」という御発言をされたというふうに書いておられます。

 武部幹事長率いる自民党はA級戦犯の何たるかを論じないでおわび行脚をただただ続けている、それで外交を行っている、そういうことでしょうか。――答えないですね。

 それでは、まとめて後で全部答えていただきましょう。

 このホームページの最後のところ、この日の午後、細田官房長官の記者会見で私の発言が話題の一つになったと聞き、ニュースを見ましたが、政府の一員として話したのではないでしょう、個人の見解でしょうと話してくださいましたと。

 細田官房長官は、何とか穏便に事を済ませよう、こういう配慮を、気遣っておられるわけでございますけれども、森岡政務官は次のように続けております。「お気遣いはありがたいと思いましたが、極東国際軍事裁判やA級戦犯についてしっかりした見解が示されなかったことには、正直いって失望しました。靖国神社にまつられている二百四十六万柱の英霊が泣いているに違いありません。」

 やはり閣内不一致じゃないでしょうか。政府は、小泉内閣は極東軍事裁判やA級戦犯についてしっかりした見解を示していないと森岡政務官はおっしゃっておられるわけでございます。小泉総理のもとで働く、今尾辻大臣も、そうに違いない、そういうふうにお墨つきを与えていただいたにもかかわらず、やはりこういうふうに、小泉総理あるいは政府の統一見解に対して、それと異なることを政務官はあくまでも主張しようと、そういう姿勢を崩しておられないような気がいたします。

 ここはお答えになりたくなければならなくてもいいんですけれども、政務官はホームページの中で、まさに男の中の男のような感じで、正々堂々と政治活動を続けていきたい、信なくば立たずというふうにおっしゃっておられるわけでございまして、ここは逃げるのではなくて、はっきりと御意見をお述べいただければというふうに思いますけれども。――お答えにならない。

 だけれども、何で衛藤副大臣が、答えるな、答えるなと言うんですか。これはどういうルールに基づいてやっているんですか。

[211]○森岡大臣政務官 先ほど来私が申し上げておるとおりでございまして、私はここへ政務官として立たせていただいているところでございます。きょうは法案審議をしているわけでございますから、この話はもうこれぐらいにしていただきたいものだと思います。どうかよろしくお願いいたします。

[212]○中根委員 「靖国神社にまつられている二百四十六万柱の英霊が泣いているに違いありません。」ということなんですけれども、英霊は、まさに日本の平和と繁栄あるいは家族を守るために犠牲になった、国益を守るために命をかけた。その英霊が命をかけた国益というものを、森岡政務官はみずからの言葉で損ねようとしているのではないでしょうか。英霊は、むしろ森岡政務官の言葉に泣いているのではないでしょうか。小泉総理も個人的な信念を貫こうとして、国益や国際協調を損ないかねない、そういう言動を続けておられるわけでございますけれども、それに輪をかけて、森岡政務官のこの言動ということになってまいります。

 お配りをいたしました資料の2、3、4、それぞれ、こういうところに出すまでもなく、毎日のようにこの関連の新聞報道等がなされていて、どれをピックアップしたらいいかわからないぐらいなんですけれども、とりあえず目についたものを資料配付させていただきました。

 2の下の方に、「「強い憤慨」 中国外務省」とありますよね。森岡政務官の発言について、「国際正義と人類の良識に対する公然とした挑戦だ」として、強い憤慨を表明する談話を中国は発表しているわけでございます。

 そして、そのことが日本のまさに国益である国連の安全保障理事会入りというものの大きな阻害要因になっている、というよりも、小泉総理や森岡政務官のこういった発言を中国にうまく利用されてしまっている、そういうふうに思えるわけでございます。そういったところが我が国の国益をまさに損ねている、少なくともこういった議論に森岡政務官の発言が影響を与えていると考えても間違いではないのではないでしょうか。

 アジア諸国は、日本が過去の歴史を反省し、軍国主義と決別した国になっているかどうかを最も注意深く見守っているはずではないでしょうか。本当の平和国家となった確信ができたときに、アジア諸国はむしろ日本の安全保障常任理事国入りを歓迎してくださるのではないでしょうか。

 しかし、今の状況は、小泉総理の靖国神社参拝やあるいは歴史教科書の問題、日本が本当に過去を清算したかどうか、まだまだアジア諸国にはその確信が持たれていない。そういう非常に微妙で繊細な時期に、やはりいかにも不用意で、そして思いやりのない森岡政務官の発言であったと思われても仕方がないというふうに御指摘を申し上げておきたいと思います。

 あくまでも御答弁の拒否の姿勢を貫いておられますので続けてまいりたいと思いますけれども、お配りをしております資料の5、厚生労働省が行っている中国に関する戦後処理事業であります。さまざまなことが行われているわけであります。

 一つ例をとりますと、一番下の中国東北地区友好訪中団、いわゆる慰霊巡拝。遺骨収集については外交ルートを通じ中国政府に申し入れを行っているが認められていない、こういう事実もあるわけで、森岡政務官あるいは小泉総理のさまざまな発言が厚生労働行政にも悪影響を来しているというふうに思われても、それもまた一つの理由になっている、将来に向けて支障になるというふうに我々は心配をさせていただいている。そういったことについて、尾辻大臣、政務官がお答えになりませんので、お答えいただけないでしょうか。

[213]○尾辻国務大臣 事実だけを申し上げますと、ここに書いてあるとおりでございます。

 慰霊巡拝は昭和五十五年に初めて行われておりまして、その後、毎年実施をいたしております。

 一方、遺骨収集については、再三遺骨収集をさせてほしいということを申し入れておりますけれども、いまだに認められていないということでございます。この遺骨収集をさせてほしいということを言っておりますのは、もう随分長い歴史がありますというか、もう随分長いこと言い続けてきていて、いまだに認められていないということでございます。

 事実だけを申し上げたいと存じます。

[215]○森岡大臣政務官 先ほど申し上げたとおりでございまして、私は小泉総理に靖国神社にお参りをしてもらいたいという思いで発言をさせていただいたわけでございます。二百四十六万柱の英霊が泣いているというのはそういうことでございまして、国家のために命をささげた人に国を代表する人間が敬意を払えないような国になってしまったらこの国は滅んでしまう、そういう思いで私は申し上げたわけでございまして、総理が靖国神社に引き続いてお参りをしてもらいたい、これがこの国の礎にとって大変大事なことだという思いを持っているから申し上げたところでございます。

[216]○中根委員 その気持ちはわからないわけではありません。しかし、今非常に微妙な状況に、国連安保理入り、あるいはそれ以前に、中国や韓国との友好関係を再構築していかなければならないときに、政務官がその国益を、日本にとって大切な問題を差しおいて、何が何でも総理に靖国神社に参拝をしてもらいたい。それも一つの大切なことだと思いますけれども、その国連の問題、あるいは中国との友好関係、韓国との信頼関係、そういったものよりもさらに優先して靖国の参拝の方が何よりもやらなければならないということなのでしょうか。

 気持ちは参拝をしたくても、それは全体の国益のために参拝をしない、心の中で手を合わせる、そういう選択も、過去、歴代の総理大臣は行ってきたりもしたわけであります。何が何でもという政務官のその御提案は、少し全体を見ていないのではないか、そういうふうにも思えるわけでございますけれども、いかがでしょうか。

    〔委員長退席、宮澤委員長代理着席〕

[217]○森岡大臣政務官 中根先生と私は、国益というものについての考え方が違うように思います。

 国益ということについて、今の国益というものを考えるのか、それとも中長期的に国益というものを考えていくのかどうかということを見ながら外交を進めていかなければならないという考え方でおるわけでございまして、中国の今の姿勢を見ておりましたら、私たち日本の自由で民主的な国家とは違うわけでございまして、共産主義の一党独裁の国でございます。その国とは根本が違うわけでございます。その国とつき合っていくのに、私は、今の国益だけを考えておったのではこの日本の将来を誤るんじゃないか、そういう思いで、総理に靖国神社にはぜひことしもお参りをしてもらいたい、そういう考えでいるところでございます。

[218]○中根委員 一党独裁である中国とはまともにはつき合えないというふうではないですか。(森岡大臣政務官「そんなことは言っていません」と呼ぶ)そんなことは言っていない、そういうふうに聞こえたような気がするんですけれども。

 最後に、今議論になっている、ホームページにもそのことについての見解は記されておりますけれども、改めてお伺いをいたします。

 靖国神社におけるA級戦犯の分祀について、そしてもう一つ、無宗教の国立の追悼施設の建設、こういったものについて、政務官のお考えを御開陳いただければと思いますが、いかがでしょうか。

[219]○森岡大臣政務官 これも個人的な見解をということで聞いていただいているんだと理解しながらお話をさせていただきたいと思いますが、私は、中国という国は、先ほど言いましたように共産主義の国でございます、宗教というものの存在を認めていない国じゃないかなというふうに思います。霊魂とか魂とかいう概念を持ち合わせていないんじゃないかなと思います。

 私は、そういう意味で、分祀論、分祀と分霊とどう違うのかということさえ共産主義の国ではわからないんじゃないかなというふうにも思いますし、また、新しい追悼施設をつくるんだという案もございますけれども、御遺骨もない、魂もない、そして無宗教だというような施設、果たして、今靖国神社という本当に日本人の心に厚く厚く残っているこの靖国神社の存在をのけて、そして新しい追悼施設をつくるということがいかがなものかという考えを私は持っておるわけでございまして、しかし、政府がこうやろう、今の小泉内閣でこうやろうというふうに方針が決まったら、私はそれに従ってまいる、そういうつもりでおります。

 

 164 衆議院 予算委員会 9号 平成18年02月10日

[125]○末松委員 ちょっと時間がなくなってきましたので、ちょっと質問の順序を飛ばします。

 これは外交の方にも、また日本国としてかかわってくるわけでございますが、これは戦争責任について一言お話を申し上げます。

 日本とドイツの戦争責任のとり方なんですけれども、ドイツは、警察当局がナチスの関係者を徹底的に追及して裁いてきた、一方、日本の場合は、戦争指導者を日本の警察や司法当局が追及し、裁いたという事実はないと私は考えています。国内法上は、戦争遂行及び戦争中の行為に関して、だれもそこは犯罪を犯していないということですけれども、これはそういった理解でよろしいか、官房長官にお伺いをいたします。

 そして、さらに続けて言いますが、日本人の裁判官はいなかったんですが、サンフランシスコ条約の極東裁判で、ここで日本は受諾しております。ということは、そのときに、日本が戦争責任の判断をしたのではなくて刑の執行を引き受けたということが言われておりますが、そうしますと、日本は主体的に戦争責任を総括して追及したことがないのではないかと思いますが、そこは安倍官房長官の御認識を伺いたいと思います。

[126]○安倍国務大臣 先ほど、ナチスの犯罪との比較で御質問がございました。

 そもそも、ナチスの自国民をも殺害をした犯罪行為と同列に扱うことはできない、こう思っておりますが、日本国との平和条約による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所で行われていた事実はありますが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではないということでございます。

 続きまして、サンフランシスコ平和条約との関係についても御質問がございました。

 ただいま御質問にございましたように、我が国は、サンフランシスコ平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判所のジャッジメンツを受諾しております。

 他方、我が国の戦争責任の総括についての政府の考え方は、平成十七年八月十五日の小泉総理の談話において述べているとおり、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するというものであり、このような考え方は、平成七年の内閣総理大臣談話、これはいわゆる村山談話でありますが、その談話や、昨年四月のアジア・アフリカ首脳会議における小泉総理のスピーチを初め、これまでも一貫して表明してきているわけであります。

 政府としては、これまでも述べているとおり、極東国際軍事裁判所において被告人が平和に対する罪等を犯したとして有罪判決を受けたことは事実であります。そして、我が国としては、先ほど申し上げましたように、十一条によりジャッジメンツを受諾している、こういうことでございます。

[127]○末松委員 今、小泉総理の談話という話で、植民地支配をし、周辺諸国に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対して痛切な反省とおわびをするという表明が総理の談話でなされたということでありますが、これは損害と苦痛を与えた主体については一切触れていません。これは、だれなんですか。

[128]○安倍国務大臣 平成七年の内閣総理大臣談話、村山談話は、過去の戦争について政府としての痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明したものではありますが、さきの戦争に対する責任が具体的にだれにあるのかについて明らかにしたものではございません

[129]○末松委員 質問に答えてくださいよ。だから、だれなんですかと聞いているんですよ。

 確かに、この村山談話にも書いていますよ、おわびの心、気持ちを表明すると。「この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」と書いていますよ。「この歴史がもたらした」というのは、では、だれがやったんですか、それはだれなんですかと。そして、日本は極東裁判を受け入れた、刑の執行を受け入れたけれども、みずから一切戦争責任者を特定していない。それも、あなたが言ったように、国内法で裁かれていないんですよ、一切。

 では、だれが悪いんですか。逆に言えば、だれも悪くないんですか。答えてください。

[130]○安倍国務大臣 先ほども答弁したとおり、この平成七年の村山談話においては、だれがということについては申し上げてはいないわけでございます。(末松委員「だから、だれなんだ」と呼ぶ)ですから、この談話においては、だれがということについては申し上げていない。

 では、なぜだれかということを申し上げなかったかということでございますが、このさきの戦争に対する責任の主体については国内においてもさまざまな議論があるわけでありまして、政府においてそれを具体的にだれだと、こう決めつけるのは適切ではない、このように思っています。

[131]○末松委員 官房長官は、ちょっと、本当にへえと思ったんですけれども、サンフランシスコ平和条約のときに、要するに極東の軍事裁判を受け入れる、ジャッジメンツを。ということは、A級戦犯以下いろいろと戦犯がありますけれども、そういったことも特定しないということを今おっしゃられたわけですよね、結局。だれが悪かったかということは、日本国では、ここは一切わかりませんと言っている、あるいは特定しない。だれも、だから悪くないと。(発言する者あり)尾身議員、ちょっとうるさいですよ。尾身議員がちょっといろいろとやじを飛ばしていますけれども、こんな、おかしな話でしょう。私はまじめに審議をしていますよ。

 だれが悪かったんですかということを、この国会で、少なくとも政府は明らかにしていなかった、そして、極東裁判で裁かれた方々もそれは責任者ではない、だれか特定できないんだということをあなたはおっしゃった。間違いありませんよね。

 そんなことだったら、これだけのことを日本が過去の歴史でやって、確かに被害を受けられた国から、日本人がだれかわかりませんと世界に対して言えるんですか、日本が。そんなばかなことは、だから他国から言われるんだよ、いろいろなことを。自分で総括していないんでしょう。

 安倍官房長官、答えてくださいよ。一切それは政府として明らかにしてこなかった、それをあなたは言いましたよ。でも、あなたも自民党のニューリーダーの一人なんでしょう。そうしたら、しっかりとそこは、あなたの考えで結構ですから、言ってくださいよ。

[132]○安倍国務大臣 私は、歴史に対しては常に謙虚な態度で臨まなければならない、こう考えているところであります。

 そして、先ほど述べさせていただきましたように、極東国際軍事裁判所においてジャッジメンツが出たわけでありまして、それを我が国として受諾したわけでありますが、我が国が主体的に裁いたわけではございません

 そして、政府が政府の名において、この長い歴史の中でのさまざまな出来事について、それを裁判所のごとく定めるということが果たして適切であろうか、このように思います。

[133]○末松委員 つまり、日本においては、あの戦争でだれも悪くなかった、だれも責任者はいないんだということが安倍官房長官から表明されたわけですが、ちょっと何かにやにやされておられますが、麻生外務大臣、あなたもそうお思いですか。

[135]○末松委員 これは、外務大臣にも私、質問通告していますけれどもね。

 いいですか、安倍官房長官はこうおっしゃられた。要するに、我が国として戦争責任者は特定してこなかったし特定できない、いろいろな議論があるからできない。そして、ここが重要ですけれども、サンフランシスコ平和条約の極東軍事裁判、あれで、戦犯についてもそこは、それを含めて特定できないと言ったんです。それはあなたも、外務大臣も同じことですかと私は聞いているんです。

[137]○麻生国務大臣 にこにこするとにやけておると言われるし、なかなか難しいところですが。

 戦争の責任ということに対しての主体がどうだったという御質問なんでしょうね、多分御質問になりたいのは。長々言っておられましたけれども、そういうことを聞いておられるんだと思うんですが、これは政府であって司法ではありませんので、政府としては具体的に断定することは適当ではない、これはずっと政府の一貫した答弁だと存じます。

[138]○末松委員 世界に向けて言える言葉なんですか。あれだけのことを日本がやっておいて、いや、日本人の中はだれも悪くありませんでした、だれも悪くありませんでした、これが通じるんですか。私も外交官として十数年やっていましたけれども、おかしいですよ。

 別にこれは中国とか韓国を利するために言っているわけじゃない。マゾヒズムでもありませんよ。だって、あれだけのことをしておきながら、おかしいですよ、だれも悪い人は日本にはおりませんでした、特定できません、六十年たってこれが日本の反省なんですか。おかしいじゃないですか。だから本当に他国からとやかく言われるんですよ、自分の国でしっかり総括していないから。いいですか。これを明らかにしてこなかったから、この国がいつまでたっても、幾らおわびといったって、反省といったって、では、だれが悪かったんだといったら、いや、だれも悪くありません、こんなので通じるわけないじゃないですか。

 本当にこういうことをしっかりと、これは他国を利する話ではない。自分の国がしっかりと歴史として責任を持った見解をまず政府として持つべきだということを私は当然言わなきゃいけない。そういうことでしょう。(発言する者あり)

[139]○大島委員長 どうぞどうぞ静かに。質問者はこちら、質問者。

 

164 衆議院 予算委員会 11号 平成18年02月14日

[054]○岡田委員 民主党の岡田克也です。

 きょうは、戦争観とかアジア外交を中心に、三人の、外務大臣、官房長官、そして直接の所掌ではないかもしれませんが、財務大臣にお話を聞き、議論をしたいというふうに考えております。

 私は、これからリーダーになる可能性が高いとされる三人の皆様に、こういった問題についてしっかりとしたお答えをいただき、そして私自身、日本という国の先行きを憂えている一人であります、これからの政治のありようによっては国民が大きな困難に直面するということも考えられるわけでありますから、そういう視点で質問をさせていただきたいというふうに考えております。

 まず、外務大臣にお聞きしますが、六十年前の戦争について、あれは自存自衛のための戦争であってやむを得なかった、こういう見方が一部にあります。この考え方について、麻生大臣はどういうふうにお考えでしょうか。

[055]○麻生国務大臣 これは、外務大臣としてお招きをいただいてここに出ておりますので、そこのところだけあらかじめお断りをしておかぬと、話が混線しますといけませんので。

 御存じのように、さきの大戦にかかわります政府の見解というものは、昨年の小泉総理談話というものに述べられておりますとおりで、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するというものであったと思っております。

 これに関しましては、平成七年の村山内閣の談話とか、また昨年の四月にジャカルタで行われましたアジア・アフリカ首脳会議における小泉スピーチ等々において出されておりまして、これまで一貫したものだというように私どもは理解をいたしておりますので、アジアの国々に対して等々、いろいろ述べられておりますのは、もう御存じのとおりであります。政府の見解として、外務大臣としての見解もこれも一にいたしております。

[056]○岡田委員 今、麻生大臣は外務大臣としてと言われましたが、もちろん外務大臣であります。しかし同時に、政治家としてのお立場もあると思います。それが、もし、今のお話は一致していないということですか、基本的に。

[057]○麻生国務大臣 そういう御質問が出てくるだろうと思って、あらかじめお断りを申し上げたんですが、今私がここで呼ばれております感じとして、職務に忠実に答えておると思っております。

[058]○岡田委員 それでは、もう一度聞きますが、私の質問に対してお答えいただいていないんですが、六十年前の戦争は自存自衛の戦争であってやむを得なかったという見方に対して、どう考えておられますか。

[059]○麻生国務大臣 さきの大戦につきましては、これはいろいろな方々が諸説、いろいろ述べておられますのは御存じのとおりでありまして、アメリカに対して侵略戦争であったかとか、アジアに対してはそうであっても中国は違ったとか、いろいろな御説があるところだというのは、私も知らないわけではありませんけれども、さきの戦争に対しましての見解は、今申し上げたとおりです。

[060]○岡田委員 私の質問に答えていただいていないんですが、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという考え方に対して、外務大臣、外務大臣の立場でも結構ですよ、どうお考えなんですかと私は聞いているわけです。ちゃんと答えていただきたいと思います。

[061]○麻生国務大臣 さきの大戦に対する考えにつきましては、先ほど何回か申し上げておりますとおり、痛切な反省と心からおわびを申し上げておりますので、自衛の戦争だという点だけを強調すれば別に反省する必要もなかったではないかとか、またこれはいろいろ御説はいっぱい出てくるところなんでして、そういったことではなくて、痛切な反省をしておわびの気持ちを表明するというものだと思っております。

[062]○岡田委員 反省はもちろん必要なことだと思いますが、自存自衛のための戦争であったという見方に対して否定されないんですね。

[063]○麻生国務大臣 その当時の事情、ABCD包囲網、いろいろ表現はあろうかとは思いますけれども、戦争として結果として負けております。自衛の戦争のためであろうと何であろうと、負けた戦争でもありますし、果たしてそれが自衛のための戦争であったかということに関しましては、後からこの戦争は自衛のためだったとかいろいろなことを我々が言っても、私どもとしてはなかなか証明もしにくいところでもありますし、私どもとしては、侵略戦争の部分があったということは否めない事実だと申し上げております。

[064]○岡田委員 私は非常に今驚いているわけですが、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったということに対して、明確に否定はされないということですね

 もちろん私も、戦争に至るに至っていろいろなことがありました。そのときの英知を尽くして当時の日本国政府も国民も対応したんだと思います。しかし、ああいう戦争になった。別に白黒一〇〇%つけられる問題ではないという見解は私も持っております。しかし、自存自衛のための戦争であってやむを得なかった、やむを得なかったということに対して明確に否定されないとすると、それは一部肯定しているということになりますよ。それで本当にいいんですか。

[065]○麻生国務大臣 言葉をいろいろあげつらって言われるといろいろ話がまた込み入ってくるんですが、これは、この戦争に関しましては歴史の判断するところだとは基本的にそう思っております。ただ、私どもとして、先ほどから何回も申し上げておりますように、この戦争はやむを得ないための自衛の戦争だったと申し上げたことはないと思いますが。

[066]○岡田委員 私の質問に対して答えていただいていないわけですよ。自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという見方に対して、これを否定するのか、あるいは一部であっても肯定するのか、そのことを問うているわけです。

[067]○麻生国務大臣 そのことに関しては歴史が証明するところだと思ってはおりますけれども、少なくとも政府としては、あの戦争に関しては侵略戦争だった等々の話は、もう一連ずっとこれまでの政府見解で述べておりますとおりであると申し上げておりますので、やむを得ざる戦いだったというようなことをしたことはない、ということを答弁したことはありませんので、その一部だけとらえて言われると少々、ちょっとそれは違うんじゃありませんかということになる。お答えしていると思いますが。

[068]○岡田委員 今の答えも政府としてはということで、麻生大臣としてのお考えは避けられたというふうに私は受けとめましたが、官房長官、いかがですか。同じ質問をします。あの戦争、六十年前の戦争は自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという考え方に対して、どう考えておられますか。

[069]○安倍国務大臣 政府の見解につきましては、ただいま外務大臣の方から御紹介をしたとおりであります。さきの村山談話、あるいはジャカルタにおいての総理の談話があるわけでございます。

 そしてまた、歴史というものはある種の連続の中に存在するわけであって、では、さきの大戦の中にあってどこをどう取り上げていくかということもあるわけでありまして、そこは、我々は、本来は政府の立場でそれをまさに歴史の裁判官としてこうだと言うべきではないんだろう、こう思います。あくまでもそれは歴史家に任せるべきではないだろうか、このように思うわけでありまして、政治家が発する、あるいは政府の立場で発する言葉は、これは歴史とは離れて政治的な、またあるいは外交的な意味を持つわけであります。その中において、これは村山談話等々において我々は既に立場を表明している、こういうことではないだろうか、このように思うわけであります。

[070]○岡田委員 今、麻生大臣もそして安倍官房長官も、はっきりとこれは歴史家の判断にまつべきだと言われました。この点については、後ほどまたぜひ議論したいと思います。私は、そうではないという考え方を持っております。

 それでは次に、東京裁判についてどういうふうにお考えなのか、今度は外務大臣にお願いします。

[071]○麻生国務大臣 東京裁判に関してのいわゆる外相の見解やいかにということなんだと思いますが、少なくともこの極東軍事裁判というものなんだと思いますが、これにつきましてどういうような考えを持っておるかという御質問ですか。

 どういう考えを持っているか。少なくともこの極東軍事裁判所におきましては、被告人が平和に対する罪によって犯罪を犯したとして有罪判決を受けたということが事実なんだと思っておりますが、どういう感想を持っておられるかという意味がちょっとよくわからないんですが、この戦争、意味、あれにつきましては、そういう意味です。そして、それが、サンフランシスコ平和条約第十条だか十一条だったかと記憶しますが、それによりましてこの極東軍事裁判というものの裁判を受諾しておりますということもまた事実だと思いますので。それだけです。

[073]○安倍国務大臣 極東国際軍事裁判所において、被告人は基本的に平和に対する罪、そして人道に対する罪で取り調べを受けたわけであります。いわゆるナチスの戦争犯罪人の人たちは人道に対する罪でも有罪であったわけでありますが、あの東京国際軍事法廷においても、日本は人道に対する罪においては有罪にはなっていないというわけであります。それをまず踏まえておく必要があると思うんですが、そして、いわゆる平和に対する罪において有罪の判決を受けたということでございます。

 日本は、このサンフランシスコ平和条約の第十一条により、極東国際軍事裁判所のいわゆるジャッジメンツを受諾しているわけであって、この裁判について異議を述べる立場にはない。異議を述べる立場にはないということでございますが、それ以上のものでもそれ以下のものでもない、こういうことではないか、こういうふうに思います。

 ただ、誤解している方々がおられて、アカデミックな分野、または一般の国民がこれについていろいろな議論、研究をすることもいけないと思っている人たちがいるんだと思うんですが、そんなことは全くないわけであって、政府として、あの裁判は間違っているから例えば損害賠償を請求する、そういうことはしない、こういうことではないだろうか私は思っております。

[074]○岡田委員 私もいつか国会の場で述べたことがあると思いますが、東京裁判そのものに対して、一〇〇%これをこれでいいという気持ちは私も持っておりません。やはり勝者が敗者を裁いた戦争だという側面もあるし、あるいは、そのときになかった罪がつくられて裁かれたという部分もありますから、これを一〇〇%私は何の疑問もなく受け入れるという立場には立っておりませんが、しかし、東京裁判というものを日本国政府が受け入れた、こういうことでありますから、これを、東京裁判そのものが意味がなかったとか、そもそも無効である、こういう立場というのは、私は当然そういう立場には立っていないわけであります。

 安倍長官に一言だけ確認しておきますが、前回この予算委員会の場で同じ東京裁判の議論が出た折に、これは末松委員だったと思いますが、東京裁判のジャッジメントを受諾したという言い方をされたと思うんですが、これは東京裁判ということと意味が違うんですか。

[075]○安倍国務大臣 いわゆる正文は英語でございますので、正文の英語の部分についてはジャッジメンツになっているということでございまして、日本において種々議論がございますので、この英文にのっとって、いわゆる正文についてそう申し上げたわけでございます。

[076]○岡田委員 そうすると、官房長官は、東京裁判を受諾したという考え方に対して疑念があるということですか。

[077]○安倍国務大臣 それは先ほど申し上げておりますように、いわゆる極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している、そして異議を申し立てる立場にはないというのが政府の見解でございます。

[078]○岡田委員 東京裁判を受諾しているということでよろしいですね。

[079]○安倍国務大臣 今申し上げましたように、私は、もともとの正文である英文を引用してジャッジメンツと申し上げたわけでありますが、政府においてはそれは裁判ということで訳しているわけでありますが、基本的には、要はこれは何を我々は受諾をしたかといえば、先ほど申し上げましたように、この判決について、またこの法廷もそうなんですが、それも含めて、我々が異議を申し立てて損害賠償等々をする、そういう立場にはない、こういうことではないだろうか、こう思います。

[080]○岡田委員 東京裁判で有罪判決を受けたいわゆるA級戦犯について、私は小泉総理と議論をしたことがあります。そのときに小泉総理は、A級戦犯は戦争犯罪人であるというふうに言われたわけですが、外務大臣、同じ認識ですか。

[081]○麻生国務大臣 戦争犯罪人という定義は国際軍事法廷における見解でありまして、それが日本の裁判に基づいて犯罪人であるかということになりますと、明らかにそれは、重光葵A級戦犯は後に勲一等を賜っておられますので、少なくとも日本の国内法に基づいて犯罪人扱いの対象にはなっていないということですが、戦争犯罪人というのは、極東軍事裁判所によって決定された裁判において犯罪者として扱われているというふうに御理解いただいたらいいんだと思いますが。

[082]○岡田委員 これは国内法において有罪判決を受けたというわけではないというのは、それはそのとおりであります。しかし、東京裁判というのはそういう国内法を超越するものとして、超法規的という言い方がいいかどうかわかりませんが、それに上位する概念として東京裁判というものがあって、そこで有罪判決を受けた、そこの認識はよろしいですね、外務大臣。

[083]○麻生国務大臣 極東軍事裁判所の裁判を受諾したということであります。

 ジャッジメンツの話を言っておられる方もよくいらっしゃいますけれども、これは、ジャパン・アクセプツ・ザ・ジャッジメンツと書いてあって、その後、アウトサイド・アンド・インサイド何とかとずっと文が出ていますので、B級戦犯、C級戦犯含めまして、複数の裁判所の決定に皆従うという意味で、ジャッジメンツというぐあいに複数になっているというように理解するのが正しい英語の理解の仕方だと存じますので、裁判所の判決ではなくて裁判を受諾したというように、サンフランシスコ講和条約第十一条はそれを意味しているものだと理解しております。

[084]○岡田委員 今、麻生大臣は重光氏のことを言われましたが、こういう議論は時々出てきます、官房長官もそういうことをかつて言われたことがあると思うんですが。ただ、重光氏の場合には、有罪判決を一たん受けながら、赦免された。そしてその後、国内で御活躍されたということであります。しかし、そのことが、その後御活躍をされたということが、かつて東京裁判において犯罪者として裁かれた、そういう判決を受けたということを無効にするものではもちろんないというふうに考えるわけであります。

 そういう意味では、その後、重光氏が活躍をされて、あるいは勲章まで受けたということが、東京裁判そのもののその効力を否定するものではないというふうに私は考えますが、官房長官、いかがですか。

[085]○安倍国務大臣 今、委員は何をもってその効力と言っているか、私はそこがよく理解できないわけでありますが、いわば連合国によって東京国際軍事法廷が開かれたわけであって、そこで被告となった人たちが、平和に対する罪、いわゆるA級戦犯はそうですが、平和に対する罪によって有罪判決を受け、七名の方々は死刑になったということでございます。しかし、サンフランシスコ条約の第十一条については、つまり、そういう人たちを連合国の承諾なしには勝手に釈放してはいけないというのが十一条なわけでありまして、その後、我々は何回かの、累次にわたる国会における決議等々を積み重ねていく中で、国民の圧倒的な支持のもと、連合国と交渉をした結果、先にA級戦犯、そしてBC級戦犯が釈放されたというのが歴史的事実なんだろう、こう思っているわけであります。では、国内においてどういう立場かといえば、これは、我が国が主体的にこの人たちを裁いたわけではないというのも、これはまた事実であろう、こう思っています。

[086]○岡田委員 今のお話ですが、確かに赦免、減刑あるいは仮出獄ということは認められておりました。しかし、赦免というのは、そのもとになった東京裁判の判決そのものを無効にするものなんですか。そういうふうに聞こえますよ、今のお話は。いかがなんですか。

[087]○安倍国務大臣 私はそれを無効にするということは一言も申していないわけでありまして、サンフランシスコ条約を我々はもちろん受諾、ここで我々もサインをしているわけであって、その中で十一条において書いてあったことを述べたわけでありまして、その手続に沿ってその人たちを赦免した。そして、当時は国民のほとんど、多くの人たちはそれを支持していたという事実を申し上げたわけであって、つまり、この人たち、このA級戦犯、まあ、BC級も含んでもいいんだろうと思いますが、連合国によって戦犯と言われた方々と連合国との関係においてこの裁判がなされて、そして日本はそれを受諾したということでございます。しかし、日本において彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうではないということなんだろう、こう思います。

[088]○岡田委員 日本においてというより、日本の国内法において裁かれたわけではないという意味ではそうだと思います。しかし、いろいろ、こういう議論があるわけですね。その後重光氏は活躍された、だからあの東京裁判そのものがやはりおかしかったんだ、こういう論理立てをする方がいらっしゃいます。私は、そうではなくて、東京裁判の判決そのものは有効であって、しかし、その後、その後の刑を赦免というのは、東京裁判の判決そのものを無効にするものではなくて、ある一定時点から社会復帰していい、こういうことですから、そのことが過去の東京裁判の判決を無効にするものではないと当然考えるべきだと思いますが、そこのところは、官房長官、いかがですか。

[089]○安倍国務大臣 今、委員がおっしゃった、いわゆる重光葵さんは、その後、御承知のように、国会議員となって、そして外務大臣に就任をして、日本が国連に復帰をしたときの外務大臣であります。また、例えば賀屋興宣さんも、同じく国会議員となり、そして法務大臣になっておられるわけでございます。つまり、こういう方々と日本国民との間柄、刑法、日本の法律との、法令との関係について麻生外務大臣は申し上げたわけであって、それからも示されるように、日本として、いわゆる犯罪者として日本の法律によって裁かれたわけではない、であるからこそ勲一等を賜ることもできたということを述べたわけであって、しかし、他方、もう何回も申し上げるわけでありますが、このサンフランシスコ講和条約によって日本は独立を回復するわけでありますが、その中において、この第十一条を、我々はこれによって、日本は、この国際軍事法廷に対して異議を申し立てる立場にはない。異議を申し立てる立場にないということと、日本国内においての法的な、日本国内法との関係とはまた別の問題である、このように思います。

[090]○岡田委員 日本の国内法上、有罪判決を受けていない、そのことは事実です。しかし、日本国として受諾をしている以上、そこに法律があるかないかということではなくて、日本国政府として、あるいは日本国として、そのことに拘束されるのは当然じゃありませんか。

[091]○安倍国務大臣 岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの十一条を、私たちは、あのときはあのサンフランシスコ講和条約を受け入れるしか、当時は単独講和、全面講和という議論もありましたが、あれによって日本は独立を回復したわけであって、今日の繁栄があるんですが、しかし、あれを受け入れなければ独立を回復することはできなかったんですね。

 そして、あの十一条を我々が受け入れた結果どういうことが起こったかといえば、世界のほかの、日本以外の牢獄の中にいた、この中にはもしかしたら冤罪の人たちもいたかもしれませんが、BC級の方々も、残念ながら当分の間釈放されずに、その中で、獄中で亡くなった方々もいたんですよ。しかし当時は、これを受け入れなければ我々は独立を果たすことができなかった。そういう苦渋の判断の上に私たちのこの現在があるということも忘れてはならないんだろう、こう思っているわけでありまして、この裁判がどういう手続の上にのっとっているかということは、先ほど来外務大臣がもう既に答弁しているとおりなんだろう、こう思っています。

 私は、この条約を、サンフランシスコ講和条約を、日本もそこにサインをしている以上、当然これが、今、いわゆる政府の立場として、全く無効だから、かつての損害賠償をしろと異議を申し立てる立場にあるとは全く、むしろそういう立場にはないということを累次申し上げているわけであります。

[092]○岡田委員 今の官房長官の御答弁からは、十一条を受け入れるために苦渋の選択をせざるを得なかった、そういう思いが伝わってくるんですが、私は、それはそうじゃないと思うんですよ。それはやはり、国民の立場に立って戦争についての責任を明確にする。もちろん、不十分な、百点満点とは言えない裁判だったけれども、しかし、そこで一つの結論が出た。それを受け入れたことが、私は苦渋の選択だったとは思いません。

 では、安倍官房長官にお聞きしますが、もしそうであれば、あの六十年前の戦争の責任はだれが負うべきなんですか

[093]○安倍国務大臣 私がなぜそう申し上げたかといえば、いわゆる停戦状況になって、そして戦犯に対する裁判があって、しかし平和条約を結んだ段階では、これは国際法的には、慣習的にはその裁判の効力は未来に向かっては失うわけでありますが、しかし、我々は、連合国の要請に従って十一条を受け入れたわけでありまして、講和条約後もこれは効力として続いたわけであります。

 それによって、私が今申し上げたのは、A級戦犯の方々は、まだ国内で刑に服しておられたわけでありますが、BC級の方々は、例えばフィリピンなりインドネシアなり海外で刑に服していたわけであります。この方々も、残念ながらこの十一条を受け入れた結果、直ちに釈放されるということはなかったという事実を私は申し上げているわけであります。

[094]○岡田委員 私の質問に答えていただいていないんですが、これは官房長官それから外務大臣にもお聞きしたいと思いますが、もし東京裁判以外、先ほど来から国内法では裁いていないという話がありますが、そうだとすると、六十年前の戦争の責任は一体だれが負うべきだというふうにお考えなんでしょうか。まず、外務大臣に。

[095]○麻生国務大臣 考え方もいろいろあるんだと思いますが、当時、そんなまだ記憶のあるほど、私、正確に覚えているわけではありませんけれども、あの当時の時代において軍国主義者が悪かったという話に多分話としてはなったのがこの間の形なんだと思います

 少なくとも、日本の場合、何となく決めるときはみんなでというようなところがありますので、一億総ざんげみたいな話が当時、昭和二十年代には、後半はそんな雰囲気もあったんだと記憶をします。その後、いわゆる極東軍事裁判が始まっていくわけですけれども、私としては、何となく、この人が、特定のこの人だけが悪かったというような話があるかと言われると、それはいろいろな方々が出てくるので、日本の場合は、いわゆる記録文書を読んでも大東亜戦争に突入せよということを発令した文書は何一つ残っていないというのが実態でもありますので、そういった意味では、なかなかこの人という、特定の人は、非常にやりにくいというのが現実だったろうと思いますので、そこで軍国主義というような話になっていったんだというのが経緯だろうなと思っております。

[097]○安倍国務大臣 いわば連合国との関係においては、極東国際軍事法廷によってそれぞれA級、B級、C級の方々が裁かれた、その方々が責任をとられたということではないかというふうに思います。これは明確なんだろう、こう思っています。

[098]○岡田委員 今の外務大臣の御説明、答弁ですけれども、確かに国民全体に責任があるという議論はあると思います。当時は独裁国家でも何でもなかったわけで、少なくとも男性には投票権もあった、民主国家の時代もあった、大正デモクラシーの時代もあったわけですから、国民全体、責任を分かち合わなきゃいけないと思います。

 しかし、その中でもやはりリーダーたちの責任というのは当然問われてしかるべきだと思うんです。そういう意味で、東京裁判というのはみずから裁いた戦争ではないということであれば、日本国としてどこでどう間違えたのか、そしてその結果としてだれが責任あるのかということについてやはりしっかり見直すべきだと私は思うんですが、いかがでしょうか。

[099]○麻生国務大臣 見直すべきというのは、この戦争責任について日本政府としてもう一回自分で裁判を起こして、それでだれが悪かったかを政府が明確にしろという意味、行政に司法のかわりをやれというお話ですか

[100]○岡田委員 現実には現在存命中の方はほとんどいらっしゃらないわけですから、戦後六十年たっておりますから、責任ある立場にいた方で現在存命中の方、ほとんどいないと言っていいと思いますが、しかし、だれがという問題と、どこで、なぜという、そこもあるわけですね。

 ですから、私はあの六十年前の戦争は悲惨だし、極めて愚劣な戦争だったと思いますが、その戦争、同じような繰り返しをしないためにも、やはりきちんと検証が要るんじゃないか。それは裁判という形にはなりませんよ。だけれども、政府として検証して、そして同じようなことを繰り返さないために、一体何があの当時欠けていたのか。

 もちろん、ぴかぴかの軍国主義者が出てきて勝手に悪いことをやった、そういうことじゃないと思うんですね。当時の指導者たちが、その当時の段階でいろいろ悩んだり考えたりしながら、しかし結果を見れば明らかに誤ったわけです。そうであれば、どこで間違ったのかということについてきちんと政府としても検証する、そのことが、私は、同じ過ちを繰り返さないために必要だ、そういうふうに思うんですが、いかがでしょうか。

 この質問については、三大臣、それぞれお答えをいただきたいと思います。

[101]○麻生国務大臣 今の御質問はちょっと先ほどとあれなんだとは思いますが、少なくとも、一番最初の質問に小泉総理の談話というもので、かつての植民地支配等々ずっと述べておられるので、これは一貫して表明をしてきておるところなんだというのがまず第一点なんだと思います。

 そして、戦後も一貫して、少なくとも日本はこの六十年間で経済大国になったという事実ですけれども、これは軍事大国にはならないということをはっきりしていまして、武力にもよらず平和的な手段でこれだけ国としての立場を堅持してきたというのも事実ですので、私どもとして今も世界の平和とか秩序の維持にいろいろな形で貢献しているというのが、私どもの反省した結果出てきている態度なんだと理解をいたしております。

 御指摘のあった、有識者を集めて検証すべきではないかという御提案に関して、今そういうことを政府として考えてはおりません。

 それから、今いろいろな形で、共同研究というのは日本と韓国の間で始まったりいたしておりますけれども、そういったものについては、共同研究というのは既に実施をいたしておりますし、日中間におきましても、歴史の共同研究というものを早期にやっていこうということで、双方で話し合いをいたしております。

[102]○安倍国務大臣 さきの大戦の結果、日本の国内外の人たちが、大変なる、甚大なる被害を受けて、精神的にも肉体的にも大変大きな苦痛をこうむったというのは事実であり、その深刻な反省の上に今日の日本の歩みがあるのもまた事実であります。

 そこで、委員が今御質問になった、では、政府でもう一度これはだれに責任があるのかということを、我々がそういう機関なり……(岡田委員「なぜそうなったか」と呼ぶ)そういう、なぜそうなったかという諮問委員会なりをつくる、それが果たして妥当かといえば、政府は今のところそれは考えておりません。むしろ、それはアカデミックな観点から識者が議論をすることではないだろうか、このように思うわけであります。

[103]○谷垣国務大臣 岡田委員は大変論理的にお詰めになりますが、私は当委員会で責任を持って論理的に詰めてお答えする部署にいるわけではございません。今、両大臣からお答えのあったとおりだというふうに思っております。

 責任の所在を政府が明らかにせよ、こういうことでありますが、私は、それこそ学問と健全な国民の判断にまつべきことだと思っております。

[104]○岡田委員 私は政治家の端くれとして、数々の疑問があるわけですね。

 例えば、先日、石橋湛山の本を読んでおりましたら、石橋湛山の中に、青島は断じて領有すべからずという論文があるわけですね。小日本主義、どんどん拡大していく第二次世界大戦で、青島を領有してきたドイツが引いた後に、日本がかわりに出兵するということに対して、そういったことが将来大きな課題を残すんだということを当時論じたものであります。そういう見方があったんだということを改めて新鮮な気持ちで思いました。

 あるいは、私個人も、一九三一年の満州事変、あのときに、開戦といいますか、紛争が勃発したときに、局地解決の方針というものを政府として決定をした。にもかかわらず、例えば、勅命もなしに、当時は朝鮮軍という、指令系統が違いましたから、朝鮮軍が満州に出兵するということは勅命が必要だったんですが、勅命もなく朝鮮軍は出兵をした。そして、そのことについてだれも責任を負っていない。満州事変、紛争は拡大しました。

 あるいは、三七年の盧溝橋事件についても、当時の近衛首相や米内海相は不拡大方針、閣議決定までされました。しかし、それにもかかわらず全面的な日中戦争に拡大をした。だれも罰せられていないし、責任をとっていない。

 そういうある意味でのあいまいさといいますか、それが日本の特徴だと言われればそうかもしれませんが、やはりそういったことについてきちんと検証を重ねる、そのことが私は必要なことじゃないか。どこで間違ったのか、何が悪かったのか。私は最初に東京裁判の話から入りましたけれども、私も東京裁判は一〇〇%これでいいと思っているわけじゃありません。しかし、それじゃ、我々は自分たちで自分たちをきちんと総括したのか。もし、それがないままで東京裁判がおかしいと言ってしまったら、それこそ全くの無責任、だれも責任を負わないということになる。それが本当にいいのか、そういう視点で私は申し上げているわけでございます。

 いかがでしょうか。私の言っていること、おかしいですか。麻生大臣、ぜひお答えください。

[105]○麻生国務大臣 先ほどから何遍も申し上げておりますように、この裁判のジュリスディクションに対して、正当性はあるのかという清瀬弁護人の冒頭質問が記述として残っていて、それに対してウェッブ裁判長の答弁がどんなものだったかはよく読まれていることだという前提でお話をさせていただきます。(発言する者あり)後で勉強してください。

[107]○麻生国務大臣 そういうことに関しましていろいろ御意見があるし、マッカーサーの話もいろいろ、一九五一年のマッカーサーの上院軍事委員会の答弁とかいろいろなものがありますが、しかし、日本としては基本的に、サンフランシスコ講和条約を受け入れる際に、その十一条の中でこの裁判を受け入れると言っておりますので、私どもとしてこの裁判の正当性やら何やらについて国としてどうのこうの言う立場にはないというのは、はっきりしているんじゃないでしょうか

[108]○岡田委員 外務大臣、官房長官に共通すると思いますが、やむを得ないから受け入れたんだ、受け入れざるを得ないから受け入れたんだ、そういう思いが伝わってくるわけですね。そこは私、全くわからないと言っているわけじゃないんです。

 しかし、やはりそれは、自分自身でなぜ誤ったのかということをきちんと総括をした上で、その総括に基づいて、東京裁判のここに疑問があった、問題があった、そういう論理の立て方ならよくわかりますよ。しかし、そのもとがないままに、あの裁判について、本当は受け入れたくなかったけれども、サンフランシスコ講和条約を締結するためにやむを得ず受け入れたんだというふうに、あるいはそういうふうに言っているとすると、やはりそれは私は違うんじゃないか。結局それは、全部責任を負わない、だれも責任を負わないということを言っているに等しいわけで、私はそういったことに対して非常に危惧の念を持つわけであります。

 政府としてやるつもりはないということですからこの辺にしたいと思いますが、私は、政府としてやらないにしても、ぜひ、三人のリーダーの皆さんがみずからそういったことについてきちんと総括をしていただきたいというふうにお願いをしておきたいと思います。

 それでは次に、アジア外交の問題について申し上げたいと思います。

 アジア外交、私は今、非常に厳しい状況に陥っているというふうに思うわけであります。このことについて、先般、小泉総理も御出席のもとで私が申し上げましたところ、そのことには直接お答えにならずに、いきなり靖国神社の問題を持ち出して、とうとうと論じられました。私は靖国神社の問題、そのときには聞いておりません。

 今のアジア外交が重要であるという認識は、恐らく三大臣も共通の認識としてお持ちだと思いますが、今、アジア外交は私は非常に厳しい状況にあるというふうに思うわけですが、そういう認識はお持ちでしょうか。それとも、現在うまくいっている、そういうふうにお考えでしょうか。

 

164 参議院 予算委員会 11号 平成18年03月14日

[222]○大江康弘君 ありがとうございます。今日は少し予定をしておりませんでしたので、もうこれで終わります。

 官房長官、記者会見ですよね、四十五分から。

 済みません、それじゃ、少し順番を変えまして、官房長官にちょっとお尋ねしますが、私は後で麻生大臣にもお聞きをしようと思っておったんですが、外交問題で、私は三十年、台湾とのこの関係を自分なりにこの信頼を築き上げてたという立場であります。ですから私は、中国というのは台湾を通してしかどうしても見えない立場でありまして、それだけに、まあ我が党の中にもいろんな御意見があります。まあ自民党の中にもあるでしょう。しかし私は、もうここ昨今、中国のあのいろんな日本に対する、それぞれ官僚、我が国の官僚に対するこのいろんな発言に対する、もう本当にけしからぬ、こういう向こうからのこの発言というものに対して、私はやっぱり我が国というのは説明が足らぬのじゃないかと。国際社会でやっぱり黙っておるということは、これは認めておるということなんですね。やっぱり言われたらどうしっかりと言い返すかという、やっぱりこれがなければ国際社会の中でやはりその存在感というものはなかなか認めてもらえないと。

 そういう意味で私は、官房長官が何か総裁選に関して、靖国云々も出ました、私は結構だと思います。それだけに、やはりこういう靖国問題にしても、ただ総理が言われている心の問題とかそういう情緒的な話ではなくて、なぜやっぱりA級、B級、C級という、これはやっぱり犯罪のカテゴリーだということをしっかり申し上げて、これニュールンベルグですか、ドイツのね、あの裁判でナチがこれ問われた罪というのは、あれC級なんですね、人道に対する犯罪。人道に対する犯罪なんです。C級なんです。これが国際的に見てやはり一番重いというこの結果なんですね。ですから、やっぱりA級がけしからぬという、何か日本がこのAからBからCへという順番に行くという、やっぱりこういうことに対して本当にしっかりと説明責任する、私はあなたはその責任があると思うんですけど、どうですか。

[223]○国務大臣(安倍晋三君) 小泉総理の靖国参拝について、総理も国のために戦った方々に対しての尊敬の念と、そして御冥福をお祈りをし、そして世界の平和を願うという気持ちで参拝をしているということは累次申し上げてきているわけでありまして、この点については中国側も誤解をしているんだろうと。まあ誤解をしているんであれば、それを努力をして、解く努力をしなければいけないと、こう考えております。

 また、いわゆる東京裁判の結果、A級、B級、C級と、こうカテゴリーに分けたわけでございますが、御承知のようにA級戦犯については、今ドイツのニュールンベルグの裁判について例として挙げられたわけでありますが、いわゆる平和に対する罪と人道に対する罪で、ニュールンベルグ裁判においてドイツあるいはナチスの指導者が裁かれたわけでありまして、人道に対する罪、そして平和に対する罪それぞれでドイツの指導者たちは有罪になっておりますが、日本の場合は、A級はいわゆる人道、そして平和に対する罪で国際裁判、東京裁判において裁こうとしたわけであります。B級、C級はいわゆるそれを実行した人たち、あるいはそれを監督に当たる立場であった人たちというカテゴリーであったということであります。

 しかし、裁判において、基本的には日本は人道に対する罪においてはこれは起訴されなかったという厳然たる事実がございまして、いわゆる平和に対する罪について、いわゆる共同謀議等々において有罪、起訴され何人かが有罪になったと、こういうことでございますが、罪の軽重とはこれまた別でございまして、いわゆるA級の中にも死刑になった方々七名もおられるわけでありますが、他方、極めて、それほど長くない禁錮刑の方もいれば、B級、C級で死刑になった方々もいるということ、これがそのすべてであろうと、このように思っております。